あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

文字の大きさ
237 / 340
第三部

想定外

しおりを挟む
 フォルカーのただ事ではない表情と口から放たれた言葉に、一瞬思考が止まった。ヴォルフ様が何? 消息が断たれたって……濡れて冷え切った手で撫でられるような不快さが全身に走ったけれど、そのお陰か頭の奥は冷たく冴えているのを自覚した。

「……フォルカー、皆を執務室へ」

 出てきた声は酷く冷たく冷静なもので、そんな自分に驚いた。

「は、はい! ただいま!」

 フォルカーが転びそうな勢いで駆けて行った。ティオの方がこんな時ずっと冷静ねと比べている自分がいた。アルビーナ様の視線を感じる。歓談の時間は終わりね。

「ごめんなさいね、アルビーナ様」
「仕方ないわ。非常事態だから。大人しく部屋に籠っているわ」
「ええ、そうしてくださると助かるわ」

 タイミングが悪いわ。彼女が絡んでいるのではと疑われてもおかしくない状況。そんな中で弁えていてくれるのがありがたい。マルガにアルビーナ様を部屋まで案内するよう頼む。彼女を疑う訳じゃないけれど騎士に見張らせないと。そんなことを考えながらフローラを伴って執務室に向かった。心に黒く冷たい不安がじっとりと増していく。絶対に大丈夫よ、ヴォルフ様はお強いから。そうは思うけれどそれと同じくらい絶対はないとの思いが押し寄せてくるのを握った手に力を込めてやり過ごした。ここで取り乱すことは出来ない。

「イルーゼ!」

 部屋に入ると既にフレディとザーラ、フォルカー、オリスが既に集まっていた。泥で汚れた格好の騎士がいるわ。彼がこの知らせを届けてくれたのね。フレディがザーラと二人掛けのソファに座っているので、その右角隣の一人掛けのソファに腰を下ろす。

「状況の説明をお願いします」

 現時点で一番序列が高いのは侯爵夫人の私だから、私が動かないと何も進まないし誰も動けない。重圧が両肩を押さえつけているような感覚がしてくる。口から飛び出しそうになる不安を必死で抑え込んで優雅に落ち着いて見えるよう微かに口角を上げる。動揺する姿は出来るだけ見せられないもの。私が取り乱したら皆が不安になってしまうから。ヴォルフ様、力を貸して下さいと心の中で祈る。

「は、はいっ! 昨日、いえ、一昨日の夕刻のことにございます。我々は旦那様とグンター様の隊に分かれて夜盗が出る街道沿いの森の中に潜んでおりました。しかし……」

 騎士の話はこうだった。ヴォルフ様たちは出立して二日目には夜盗が出ると報告のあった地点の近くの街に到着したという。その日は街で町長や自警団の者たちから被害の概要を聞き取って一泊し、その翌朝、夜盗が出るという場所に向かった。

 そこはそれほど高くない山々が連なる場所で、山の中腹を拓いて道が作られていた。道の上も下も崖になっていて、大雨が降ると落石や崖崩れが起きることもあるという。迂回する場もなく、だからこそ夜盗が時々出るのだという。

 ヴォルフ様たちがその現場に差し掛かったのは夕暮れ近く、そろそろ街に戻ろうとしていた頃だという。ヴォルフ様の隊が先に進み、この騎士を含めたグンターの隊が少し遅れてその場に差し掛かった。凄まじい音が轟き、慌てて駆けつけると岩や土砂が道を塞ぎ、最後尾にいた騎士の足が土砂の中から見えたという。

「……その、騎士、は?」
「残念ながら……」

 誰かの息を呑む音が続き、執務室に重く悲壮な空気が満ちた。

「ヴォルフ様は?」

 怖くて聞きたくないけれど、もっとも知りたいこと。どうかご無事でと祈るような思いで騎士の言葉を待った。比類なきヴォルフ様でも崖崩れは……

「私は直ぐにお屋敷に知らせに走るよう命じられました。なので、その後のことは……」

 だったらご無事でいる可能性もあるのよね。崖崩れの向こう側にいらっしゃってご無事かもしれない。まだ何もわからないわ。だから希望はあるはず。

「イルーゼ、俺が向かう!」

 フレディが立ち上がらんばかりの勢いで声をあげた。両手を強く握りしめて白くなっている。必死に感情を抑えているのね。

「俺が騎士を連れて叔父上を探しに行く。だから……」
「ダメよ!」

 直ぐにでも駆けて行きそうな勢いのフレディを止めた。

「どうしてだ!? こうしている間にも叔父上が……!」
「それはわかっているわ。だけど……ヴォルフ様の消息が分からない今、あなたを失う訳にはいかないわ。アンゼルは……幼すぎるもの」
「そ、れは……」

 フレディが何かを言いかけて……飲み込んだ。大きく息を吐いて片手で目元を覆うとザーラが気遣わし気に寄り添った。

「夜盗は騎士崩れの可能性があるとヴォルフ様は仰っていたわ。可能性は低いけれど、これが誰かの策略だとしたら? そうだった場合、彼らの目的はゾルガー家そのもので、次に狙われるのはフレディ、あなただわ」

 筆頭侯爵家として恨みを買うことなど日常茶飯事なのよ。罪を犯して処刑されたとしても、された側が納得するとは限らない。逆恨みを懸念して一族ごと葬ったとしても、その使用人や婚約者、友人だった者たちが復讐しに来る可能性は常に付きまとう。理不尽だけど、彼らは失ったもののために命がけで向かってくるわ。それを止めるのは容易ではない。

「今はヴォルフ様もグンターもいない。こんな時に騎士を捜索に割けば、この屋敷が襲われた時ひとたまりもないわ」

 フレディは動かなかったけれどわかっている。フォルカーもオリスもザーラも異を唱えないのだから私の見立ては間違っていないはず。

「私たちは常に恨みを買って狙われている。だから隙を見せるわけにはいかないの。ヴォルフ様がいなくなってもゾルガーは盤石だと、揺るがないと示さないといけない。それがここに残った私たちの役目よ」

 出来ることなら今すぐにでも馬に乗って駆け付けたい。大きな怪我を負って動けないかもしれないし、今この瞬間も助けを待っているかもしれない。そんな想像ばかりが頭の中に浮かんできて心が千切れそう。それでも……動けないわ。動いてはいけない。フレディやアンゼル、ヴォルフ様がここまで立て直したゾルガー家を守るためにも。

「フレディ、残っている騎士はあなたがまとめて。ヴォルフ様がお戻りになるまで厳戒態勢を敷きます。門を閉ざし、使用人の出入りも最小限にするわ。襲撃への備えをお願い」
「……わかった」
「……それと、精鋭ではない者を十人」
「イルーゼ?」
「精鋭ではない者で力がありそうな者を十人、送ります。崖崩れなら剣の腕よりも力持ちのほうがいいでしょう?」
「あ、ああ!」

 フレディの顔に微かな赤みが戻った。それが精一杯だわ。ヴォルフ様たちに同行している者たちは精鋭だから、これ以上腕が立つ者を外に出せない。万が一の時に守り切れないもの。

「あなた、騎士を十人送ります。彼らを案内して」

 知らせるために走り続けた騎士に声をかけた。かなり疲れているでしょうけれど、きっと休めと言っても休めないでしょうね。だったら彼に案内してもらうのが早いわ。

「奥様! では……!」
「準備に時間がかかるから、その間あなたは食事をして少しでも身体を休めて。明日、夜明けと共に発ちます」
「は、はいっ!」

 フォルカーに頼んで騎士を客間へと案内してもらった。本当なら私が行きたいけれど、そういうわけにもいかない。もどかしい。

「イルーゼ、本当に襲撃があると思うのか?」
「いいえ、ないわ。だけど、ヴォルフ様はあらゆる可能性を考えていらっしゃったわ。それに倣うだけ。私たちはヴォルフ様ほど強くないから警戒し過ぎても過ぎることはないはずよ」

 それに、今はヴィムもいないわ。彼がいてくれたら知恵を授けてくれるのでしょうけれど、彼には王都を任せているから仕方がない。立ち上がってヴォルフ様の執務机に向かう。引き出しを開けるといつもの場所にヴォルフ様の日記があった。重くて厚みのあるそれを取り出した。

「イルーゼ、それは……!」

 フレディがぎょっとした表情を見せた。当主の机を勝手に開けるなんて大問題よね。

「ヴォルフ様は、ここにあらゆる可能性を記されているはずです」
「だが、勝手に読んでは……」
「読む許可は頂いています」

 これは本当。私の日記もヴォルフ様が時々目を通している。日記というよりも報告書のようなものだから読まれて恥ずかしいことなんかない。不在の間に起こり得る不測の事態は昨晩教えてもらったけれど、崖崩れのことはさすがになかった。だったら自分たちで何とかしないといけない。見慣れた綺麗な文字をひたすらに追った。


しおりを挟む
感想 1,603

あなたにおすすめの小説

4人の女

猫枕
恋愛
カトリーヌ・スタール侯爵令嬢、セリーヌ・ラルミナ伯爵令嬢、イネス・フーリエ伯爵令嬢、ミレーユ・リオンヌ子爵令息夫人。 うららかな春の日の午後、4人の見目麗しき女性達の優雅なティータイム。 このご婦人方には共通点がある。 かつて4人共が、ある一人の男性の妻であった。 『氷の貴公子』の異名を持つ男。 ジルベール・タレーラン公爵令息。 絶対的権力と富を有するタレーラン公爵家の唯一の後継者で絶世の美貌を持つ男。 しかしてその本性は冷酷無慈悲の女嫌い。 この国きっての選りすぐりの4人のご令嬢達は揃いも揃ってタレーラン家を叩き出された仲間なのだ。 こうやって集まるのはこれで2回目なのだが、やはり、話は自然と共通の話題、あの男のことになるわけで・・・。

お姫様は死に、魔女様は目覚めた

悠十
恋愛
 とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。  しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。  そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして…… 「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」  姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。 「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」  魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……

『彼を解放して!』とおっしゃいましたが、何から解放されたいのですか?

シエル
恋愛
「彼を解放してください!」 友人たちと教室に戻ろうとしていると、突如、知らない令嬢に呼び止められました。 「どなたかしら?」 なぜ、先ほどから私が問いかける度に驚いているのでしょう? まるで「え!?私のこと知らないの!?」と言わんばかりですけれど、知りませんよ? どうやら、『彼』とは私の婚約者のことのようです。 「解放して」とおっしゃっいましたが、私の目には何かに囚われているようには見えないのですが? ※ 中世ヨーロッパモデルの架空の世界 ※ ご都合主義です。 ※ 誤字、脱字、文章がおかしい箇所は気付いた際に修正しております。

どうしてか、知っていて?

碧水 遥
恋愛
どうして高位貴族令嬢だけが婚約者となるのか……知っていて?

【完結】すり替えられた公爵令嬢

鈴蘭
恋愛
帝国から嫁いで来た正妻キャサリンと離縁したあと、キャサリンとの間に出来た娘を捨てて、元婚約者アマンダとの間に出来た娘を嫡子として第一王子の婚約者に差し出したオルターナ公爵。 しかし王家は帝国との繋がりを求め、キャサリンの血を引く娘を欲していた。 妹が入れ替わった事に気付いた兄のルーカスは、事実を親友でもある第一王子のアルフレッドに告げるが、幼い二人にはどうする事も出来ず時間だけが流れて行く。 本来なら庶子として育つ筈だったマルゲリーターは公爵と後妻に溺愛されており、自身の中に高貴な血が流れていると信じて疑いもしていない、我儘で自分勝手な公女として育っていた。 完璧だと思われていた娘の入れ替えは、捨てた娘が学園に入学して来た事で、綻びを見せて行く。 視点がコロコロかわるので、ナレーション形式にしてみました。 お話が長いので、主要な登場人物を紹介します。 ロイズ王国 エレイン・フルール男爵令嬢 15歳 ルーカス・オルターナ公爵令息 17歳 アルフレッド・ロイズ第一王子 17歳 マルゲリーター・オルターナ公爵令嬢 15歳 マルゲリーターの母 アマンダ・オルターナ エレインたちの父親 シルベス・オルターナ  パトリシア・アンバタサー エレインのクラスメイト アルフレッドの側近 カシュー・イーシヤ 18歳 ダニエル・ウイロー 16歳 マシュー・イーシヤ 15歳 帝国 エレインとルーカスの母 キャサリン帝国の侯爵令嬢(前皇帝の姪) キャサリンの再婚相手 アンドレイ(キャサリンの従兄妹) 隣国ルタオー王国 バーバラ王女

【完結】シュゼットのはなし

ここ
恋愛
子猫(獣人)のシュゼットは王子を守るため、かわりに竜の呪いを受けた。 顔に大きな傷ができてしまう。 当然責任をとって妃のひとりになるはずだったのだが‥。

【完結】馬車の行く先【短編】

青波鳩子
恋愛
王命による婚約を、破棄すると告げられたフェリーネ。 婚約者ヴェッセルから呼び出された学園の予備室で、フェリーネはしばらく動けずにいた。 同級生でありフェリーネの侍女でもあるアマリアと、胸の苦しさが落ち着くまで静かに話をする。 一方、ヴェッセルは連れてきた恋の相手スザンナと、予備室のドアの外で中の様子を伺っている。 フェリーネとアマリアの話を聞いている、ヴェッセルとスザンナは……。 *ハッピーエンドではありません *荒唐無稽の世界観で書いた話ですので、そのようにお読みいただければと思います。 *他サイトでも公開しています

【完結】離縁ですか…では、私が出掛けている間に出ていって下さいね♪

山葵
恋愛
突然、カイルから離縁して欲しいと言われ、戸惑いながらも理由を聞いた。 「俺は真実の愛に目覚めたのだ。マリアこそ俺の運命の相手!」 そうですか…。 私は離婚届にサインをする。 私は、直ぐに役所に届ける様に使用人に渡した。 使用人が出掛けるのを確認してから 「私とアスベスが旅行に行っている間に荷物を纏めて出ていって下さいね♪」

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。