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2巻
2-3
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ゾルガー邸で練習相手を何度もしていただいたけれど、こうして公の場で踊るのは初めてだった。私も前よりは上達したから大丈夫なはずだけど、ドレスが不安要素だわ。
踊りながら周囲を窺うと、ミュンター侯爵夫妻とアルビーナ様、そのお兄様の姿も見えた。彼女はお兄様と参加されていたのね。ロミルダ様は婚約者のブレッケル公爵様と参加かしら。
「リシェル様はまだ叔父上を?」
「どうなのでしょう。ヴォルフ様ははっきり断ったと仰っていましたけれど……」
「でしょうね。リシェル様とでは子を成せませんから」
「え?」
子を成せないって……そんなにはっきり言い切れるものかしら? そりゃあリシェル様はお子を得られなかったけれど。だからといってそんな言い方は……
「フレディ様、それは……」
「ああ、叔父上が戻ってこられましたね。先に踊ったから叔父上が気を悪くされていなければいいのですが……」
音楽が終わった上に話が変わってしまって、感じていた疑問が霧散してしまったわ。手を引かれて向かった先にはヴォルフ様がいて、真っ直ぐこちらに歩いてきた。
「叔父上、申し訳ございません。先に踊ってしまいました」
「構わん。手間をかけたな」
「これくらいお安い御用です」
お礼を言われたフレディ様が表情を一層柔らかくした。相変わらずフレディ様はヴォルフ様が大好きなのね。懐く様子はまるで飼い主と大型犬……いえ、父子のようかしら? どっちにしても微笑ましいわ。
「イルーゼ、行くぞ」
「え?」
返事をする間もなく手を引かれてダンスの輪に連れてこられた。次の曲が流れ出したってことは踊るのよね。せっかく来たのだもの、このまま身を任せることにした。
「……ヴォルフ様、リシェル様が……」
「ああ。招待状も持たずに来るとはな」
ヴォルフ様は呆れを隠さなかった。音楽は軽やかなのに心は真逆の方に向かうわ。やっぱりヴォルフ様に会いに来られたのかしら?
「側を離れるな。あれの周りにいる者の顔は出来るだけ覚えて気を許すな。奴らの身内や親しくしている者もだ」
「は、はい」
それってつまり私の敵ってことよね? ゾルガー家に嫁ぐということは敵が増えることだと夫人教育でも言われたけれど、こうしてその人たちを目の当たりにすると不安になってくる。人の悪意には両親たちのお陰で慣れていた。でも、あの時は嘲笑されるだけで済んだ。これからはそれだけでは済まないかもしれない。
「お前は俺が守る。だから守られていろ。勝手に動くな。動きたいなら事前に言え」
「わ、わかりました」
守ると言われてときめきそうになったものの、その後の言葉に引っかかったわ。否を言わせない口調に思わず頷いてしまったけれど、勝手に動いてなんかいないわ。だって動く前にヴォルフ様がやってしまうもの。
音楽はあっという間に終わった。もう終わるのかと思ったらそのまま次の曲に移り、結局三曲続けて踊ってしまった。これは夫婦や婚約者にしか許されない回数だから明らかに周囲への牽制ね。三曲目に入ると周りがこちらを見て何やら囁いているのが見えたもの。ヴォルフ様の態度に驚いているのかしら? でも一番驚いているのは私だわ。無表情で踊るヴォルフ様だけど、動きにメリハリがあってぶれることもなく、とても綺麗な動きなのよね。一緒に踊るのもいいけれど、観客として眺めてみたいわ。
さすがに四曲目にはいかなかった。ヴォルフ様は身体が大きいせいか踊っていても安定感があって踊りやすかったから楽しめたわ。ハリマン様で付いた変な癖が直ったお陰もあるかもしれない。ドレスもターンするたびに裾が揺れて、なんだか不思議な感じだけど踊る邪魔にはならなかった。それでも三曲続けてとなると喉が渇いたわ。
「喉が渇いただろう? 少し休むか」
「ええ」
気付いてもらえて嬉しい。比べるのは失礼かもしれないけれど、ハリマン様はご自分のことばかりで私を気遣うことはなかったもの。向かった先にはフレディ様がいて、共にバルコニーに向かった。椅子がいくつか用意されていて、その一つに座らされるとマルガが飲み物をのせたトレイを持って近付いてきた。準備してくれていたのね、ありがたいわ。
「美味しい……」
冷たい果実水が喉の渇きを癒してくれた。ずっと人の目を感じていたから誰もいないこの空間が心地いい。これだけの注目を浴びるのはまだ慣れないわ。
「……叔父上」
フレディ様が小声でヴォルフ様を呼んだ。視線で示した先はバルコニーの入口で、取り巻きを従えたリシェル様がこちらに向かっているのが見えた。その中にはレナーテ様の姿もあるわね。彼女の手を引いているのは夫のフェルマー伯爵令息かしら?
「ヴォルフ様、ごきげんよう」
「何用だ?」
艶やかな呼びかけに対して答えた声は低く素っ気ないものだった。そんなヴォルフ様の態度に取り巻きたちの中にはムッとした表情を浮かべた方もいたけれど……迂闊ね。ヴォルフ様やフレディ様に見られているのに。
「用がなければ話しかけてはいけませんの?」
悲しげに眉尻を下げた姿は可憐で私には真似出来ないものだった。男性はそんな表情に弱いのよね。姉の常套手段だったもの。
「そうだな。俺は用がない」
切り捨てるような物言いは不敬と言われても仕方ないものだった。
「ゾルガー侯爵! 不敬ですぞ!」
レナーテ様の隣にいる男性が大きな声を上げ、周りにいる者が賛同するように頷くのが見えた。その声が会場まで届いたのか、参加者の視線がこちらに向いている。確かに今のヴォルフ様の態度は不敬ととられても仕方がないかもしれない。今はまだガーゲルン侯爵に嫁ぐ前で王族に籍を置いているのだから。
「フェルマー様、お静かに」
「で、ですがリシェル様」
「招待状も持たずに押しかけたのは私です。無礼は承知ですわ」
王族らしい気品に、フェルマー伯爵令息は不満げな表情を浮かべながらもそれ以上は何も言えなかった。
「今日はこれをイルーゼ様にお渡ししたくて参りましたの。フィリーネ様のお忘れ物ですわ」
「姉の?」
急に姉の名が出て驚く私をよそにリシェル様が取り出したのは、手のひらにのるほどの箱だった。本人は何も言っていなかったけれど……あの時は薬のせいでそれどころじゃなかったわね。
「ええ。以前サロンでお忘れになったものですわ。大切なもののようでしたので直接お渡しした方がいいかと思いまして」
「そうですか……ありがとうございます」
わざわざこれを届けるために王女であるリシェル様がここまで? 不思議に思いながらも箱を受け取り蓋を開けたその時、箱が宙を舞った。
「……え?」
何が起きたのかわからないままヴォルフ様を見上げると、その視線は床に向けられていた。私も目で追った先には床を這う細長い生き物が見えて、次の瞬間それらはアベルの剣で貫かれた。数は……三つ……いえ、五つかしら?
「あの……」
何が起きているのか理解が追い付かない。あれは姉の忘れ物ではなかったの?
「……しだ」
「え?」
「毒虫だ」
ヴォルフ様の呟きはすぐには頭に入ってこなかった。ドクムシって……
「触れただけでも皮膚がかぶれ、刺されると激しい痛みを伴い最悪死に至る。暗殺に使うこともある」
「暗殺……?」
突然の恐怖に思考が止まった。あれは姉の忘れ物と言ったわ。それじゃ姉が私を?
「どういうことだ?」
地の底を這うようなヴォルフ様の低く厳しい声と、冷たい視線はリシェル様に向けられていた。その本人は数歩下がったところで酷く戸惑いの色を浮かべている。
「そ、そんな……違うわ! 中に入れたのはブローチです! 虫なんて知らないわ!」
悲鳴のような声を上げる姿は、リシェル様にとっても想定外だったと物語っていた。でもブローチなどどこにも見当たらないわ。どういうこと?
「話は後で聞く。アベル、ザーラ、王女を拘束しろ。マルガは毒虫の回収を」
「「「はっ」」」
ヴォルフ様の命令に三人はすぐに動いた。アベルとザーラがリシェル様の腕を掴んだけれど、リシェル様は呆然としているのか抵抗しなかった。マルガは屈んで、床で絶命している虫を細い何かで挟んで箱に入れ始めた。
「ランベルツ侯爵、王女を騎士に渡すまで部屋に軟禁する。部屋の用意を頼む」
「わ、わかった。すぐに用意しよう」
ランベルツ侯爵が従えてきた使用人に話しかけるのが見えた。すぐに使用人が二人飛び出していく。
「ヴォルフ様、違いますわ! 信じてください! 私が渡そうと思ったのは本当にブローチで……」
ようやく我に返ったリシェル様が焦りを露わにして、ヴォルフ様に向かって無実を訴えた。その様子は嘘をついているようには見えない。でも毒虫を持ち込んだのはリシェル様なのよ。
「仮にそうだとしても箱に入っていたのは人を殺せる毒虫だ。しかも五匹となれば冗談で済む話ではない。今日のことは箝口令を敷くから大人しくしろ。抵抗するなら国王代行権を行使する」
「こ、国王代行権……」
「代行権だと?」
その言葉にリシェル様だけでなくその場にいた皆が息を呑んだ。国王代行権とは王太子殿下と五侯爵家の当主だけが持つもので、当主の判断で国王並みの力を行使出来るものだと言われているわ。それを覆せるのは国王陛下と王太子殿下、他の五侯爵家の七人のうち四人が反対した場合のみ。有事でもない限り滅多に発動されず、ここ暫くは聞いたこともない。
「お、横暴ですぞ、ゾルガー侯爵!!」
「フェルマー、控えろ!」
声を荒らげたフェルマー伯爵令息を叱りつけたのはランベルツ侯爵だった。
「ランベルツ侯爵、しかし……!」
「国王代行権は五侯爵家の当主の権利。それに口を挟むことは許されない。貴殿はそんなことも知らないのか?」
ランベルツ侯爵が厳しい口調でフェルマー伯爵令息を窘めた。
「で、ですが……」
「これ以上言うなら、私も五侯爵家の当主として君を拘束せねばならない」
「その通りだね」
「……っ!」
新たに現れランベルツ侯爵に続いたのはエルマ様のお父様のベルトラム侯爵だった。国王代行権が行使された場合、他の四侯爵家は自身の立場を明確にするのが我が国の決まり。つまりランベルツ、ベルトラムの二家はヴォルフ様に付くと表明したも同じ。
「王と王太子は王女に対し、俺に近付くなと命じている」
「そ、そんな……」
「それを無視して近付き毒虫を渡してきた。殺意がなかったと言われても信じるのは難しい」
ヴォルフ様の言葉にリシェル様の取り巻きたちが途端に青褪めた。それはつまり陛下も王太子殿下もヴォルフ様側にいるということ。これで七名中五名がヴォルフ様側になったわ。ミュンターやアルトナーが異を唱えても覆すことは難しい。
「リシェル様、どうかお静かに。代行権を使われれば御身は嫌疑が晴れるまで罪人扱いになります。私としてもそれは避けたい。潔白を主張されるのであれば尚のこと今は大人しく従ってください」
年長者らしい落ち着きのある声でベルトラム侯爵がリシェル様に言い聞かせた。穏健派でリシェル様の祖母である王太后様の甥であり、国王陛下のいとこに当たられる侯爵は五侯爵当主の中でも最もリシェル様に近しい方。その方に言われてはリシェル様も抵抗しなかった。ベルトラム侯爵と駆けつけたランベルツ家の騎士らと共にリシェル様が会場を後にした。
程なくして近衛騎士がやってきて、リシェル様は彼らに守られながら王宮へと戻った。さすがに夜会を続ける雰囲気ではなくなってしまったため、そのままお開きになった。せっかくのランベルツ侯爵の誕生を祝う夜会なのに台無しにしてしまったわ。私のせいで……申し訳ない気持ちで一杯だ。
「イルーゼのせいではない。気にするな」
「はい……」
そうは言われても気になってしまう。馬車の中はヴォルフ様と二人きりでヴォルフ様も目を閉じて黙り込まれた。馬車の外の夜闇を眺めながら、騒ぎのことを思い返す。
リシェル様は何も知らなかったように見えた。演技をしているとは思えなかったし、わざわざ人目の多い夜会で自分が不利になる騒ぎを起こすとは思えない。そこまで愚かな人ではないはず。
だったら誰かが中身を入れ替えたことになる。標的は私、虫の数が多かったのは確実に殺すためか、周りの人を巻き添えにするためだったのか。ヴォルフ様は暗殺者がよく使うと仰っていたから、仕掛けたのはその道の人ってこと? だったらこれが最後とは限らないのよね。
それとも……犯人の狙いはリシェル様を陥れること? その可能性もないとは言い切れないわよね。それなら夜会で騒ぎを起こすのも納得だわ。でも、誰がそんなことを目論むかしら。犯人の狙いは私なのかリシェル様なのか……もしかして両方もありうるのかしら? わからないわ……
「心配するな。お前の守りは固めてある」
ヴォルフ様が重ねてそう仰ってくださった。黙り込んでしまったのはショックを受けているせいだと思われたのかしら。確かにショックだったけれど、まだ実感がないのか改めて恐怖は感じていない。今感じているのは何もわからないのが一番恐ろしいということだった。
◆ ◆ ◆
王女が面倒事を起こした。よりにもよってランベルツの夜会で毒虫を使ってイルーゼを襲おうとしたのだ。幸いイルーゼに被害はなかったがあれだけの数、刺されていたら命が危うかった。仮に一命を取り留めても障害が残った可能性は否めない。五匹となれば嫌がらせの範疇を超えている。
「なんとしてでも犯人を突き詰めろ」
馬車に乗り込む前にアベルにそう命じた。ここでイルーゼに何かあればゾルガーの名に傷がつく。気に入っていると散々アピールしているあれが傷つけられるなどあってはならない。使える手は全て使い些細な情報も集めるよう命じた。関係ないと思われるものも突き詰めると繋がっていることがある。王太子からの呼び出しは忙しいと断った。こちらもやるべきことがあるし、なんの情報もない今会ったところで意味はない。会うのは証言や証拠を集めてからでも遅くはないだろう。
四日目の晩、フレディと話をしていると我が家の影をまとめるヴィムが顔を出した。穏やかな顔立ちと表情からはとてもそんな風には見えないが、我が家の暗部を一手に引き受けている俺と対でもある存在。この男が赤子ですら平然と殺すなど想像出来る者は少ないだろう。そんな彼にも目の下に疲れが表れていた。相手が王族では調べるのも簡単ではないか。
「犯人がわかったか?」
「いや」
肩を竦めてあっさりと成果がないと言った。
「王女は謹慎中だったのだろう?」
「王女には王が付けた監視がいた。外に出られたのは王太后の手引きがあったからだ。背格好が似た侍女と服を交換して王宮を出て、途中でフェルマー伯爵家に寄りドレスに着替えていた」
「王太后か……」
ため息しか出ない。その甘やかしが孫の破滅を招いていると理解出来ないのか。結果、リシェルは最悪毒杯だ。
「既に正気を失っているらしいぞ」
「……そうか」
数年前からおかしな言動が増えてきたが、最近それが一層顕著になっていると聞く。アンジェリカが生きていると思い込み、今はリシェルをアンジェリカだと認識しているらしい。
王女もそんな王太后に姉のふりをして甘えているという。思考を止めた王太后は孫に懇願されるまま手を貸したのだろう。クラウスの件にも関わっていた形跡があったが聞き取りをしても会話が通じないと王太子が嘆いていた。今回も話を聞くのは難しいだろう。だったらもう幕を下ろしてもいい。
「毒虫の入手先は? 誰がすり替えたかわかったか?」
「悪い。特定はまだだ」
王宮の使用人の中には我が家の者が紛れ込んでいるが、王宮には王家の影もいるだけに動き回るのも容易ではない。王家の影が何か掴んでいればいいが。
「あの小箱に触れることが出来た者はそれなりにいたようだな。王女の元に落とし物として届いてから一月以上、王女は気にも留めていなかったらしい。しかし毒虫は生き物。箱の中で生きられるのは三日が限界だろうが……」
「五匹とも生きていたな」
あの毒虫は攻撃性が強く狭い空間に置けば共食いもする。五匹とも生きていたならあの箱に入れられてからそれほど時間が経っていないということだ。だったら接触した人物は限られてくる。
「特定出来るか?」
「夜会当日と前日にあの小箱の置かれた部屋に出入りしたのは、侍女二人とグレシウスから連れてきた侍女、王太后だ。だが四人とも取り調べでは小箱のことは知らなかったと証言している」
「そうか」
王女は謹慎中だったのに侍女を三人も付けていたか。問題だな。王太后に泣きついたか。
「あと、フェルマー伯爵家の者も可能性があるな。箱ごと入れ替えるなら可能だろう」
それは厄介だな。嫡男の嫁は王女と学園時代から仲が良かったと聞く。
「可能性はあるか」
「殆どないだろう。伯爵は凡庸だし息子も然り。今、使用人も含めて調べを進めているが」
「そうか。だが決めつけは尚早だ。裏をとれ」
「はいはい」
凡庸だと思い込めば調査も甘くなる。完全に白と判断するには早い。
「誰かが王女の部屋に忍び込んだ可能性は」
「扉の前には常に騎士がいるんだ。中に入るのは無理だろう」
毒虫の状態からしてすり替えたのは事件当日の朝以降か。侍女の身元は調べがついている。一人はハイゼ伯の遠縁の娘で母親の実家はミュンターに繋がる者だった。夜会当日、母親から差し入れがあったという。王女とも近しく、侍女といっても実際は話し相手だ。
二人目はベルトラムの縁者で王太后の元侍女だが、こちらの可能性は低かった。ベルトラムはアンジェリカの一件以降、王太后を良く思っていない。その侍女は監視役だろう。
三人目は伯爵家の三女だが、これと言った繋がりが見られなかった。学園を卒業して王宮に出仕し、半年後には婚姻のために職を辞す予定だという。箔付けのための出仕なら面倒事に関わる可能性は低そうだ。
グレシウス人には前日に同胞から菓子の差し入れがあったという。怪しいが中身がわからないためなんとも言えない。王女と親しくしていたグレシウス人の縁者だと言うから連絡役かもしれない。ネズミにうろうろされては厄介だ。この件を理由に侍女は帰国させるか。
「まだ足りないな。続けてくれ」
「かしこまりましたよ。ああ、そろそろいつものやつな」
「ああ」
それだけ言うとヴィムは静かに姿を消した。相変わらず自由な奴だ。それにしても怪しいと思えば全員が怪しく見える。それにこれだけのことを起こすには強い意志と動機が必要だ。決定打には欠けていても対象が絞られてくれば次の手は打てるか。
「叔父上……」
一緒に話を聞いていたフレディが不安そうに見上げてきた。優しい気性の甥にはこの手の話は辛いだろう。イルーゼの方がずっと肝が据わっている。
「さすがに簡単に尻尾は見せんな」
失敗すればその先にあるのは死。自分に繋がる証拠を残したりはしないだろう。
「犯人は……ミュンターですか?」
「どうしてそう思う?」
「それは……」
口籠ってしまった。確かにミュンターが噛んでいるだろうな。だが……
「ミュンターに繋がる証拠はない」
「そうですか……」
「憶測でものを言うな。誰かに聞かれればこちらが足元をすくわれる」
ゾルガーの言葉は王家の言葉に等しい。白いものを黒と言えば追従する者も出るだろう。だがそれは危険だ。盲目的に擦り寄ってくる者は存在自体が厄介だ。
「申し訳ございません」
途端に眉尻を下げて縮こまってしまった。素直なのはいいがそこまで気に病むこともないだろうに。
「謝らなくていい。だが気を付けろ。俺の子を支え導くのはお前だ」
「は、はい」
途端に表情が明るくなったな。考えていることを顔に出しすぎる。わかりやすいのは敵なら好都合だが身内では心配の種になる。外では無表情らしいが、これで当主になるのは難しかっただろう。そこはイルーゼも同じだな。いや、これくらいの歳ならこんなものか。まぁ、よく変わる表情は見ていて飽きないが。
「イルーゼ嬢は大丈夫なのですか?」
「影を付けてある。狙われている自覚があれば大人しくしているだろう」
そう願いたいし、そうでなければ困る。守られる側が勝手に動いては守れるものも守れない。それがわからないような考えなしではないだろう。
それよりも気がかりなのはガウス伯爵だ。最近めっきり大人しくなったが何を考えているのか。妻と姉を領地に送ってからはあまり表に出てこない。思い詰めておかしなことを考えていなければいいが。
「ところで、いつものとは……」
「大したことではない。気にするな」
そう言えばもうそんな時期か。フレディには関係ないことだし、知らなくていいことだ。
「旦那様」
遠慮がちに声をかけてきたのはブレンだった。手にしたトレイには封書が一通のっている。
『話がしたい』
封書の中身は王太子からの呼び出しだった。あの夜会の直後にも呼び出されたがこちらも忙しくて無理だと断った。が、そろそろ痺れを切らしたか。呼び出すなら相応の証拠を得たんだろうな。実りのない話をするほど暇じゃないぞ。
「今夜行くと返事をしておいてくれ」
一礼してブレンが出ていった。今夜は寝ている時間がないな。
「フレディ、ブレッケルと婚約者の関係はどうだ?」
「ロミルダ嬢ですか。そう、ですね。相変わらずでしょうか。エーリックは我儘な彼女をよく思っていませんから」
そこは変わらないままか。だったらこの婚約が壊れても問題はないな。
大通りから人の姿が消えた頃、密かに王宮に向かう。王宮内は明るく人の往来が絶えることはない。それでも王族が暮らす奥宮は騎士らが見回りをする足音が響くほどの静寂に包まれていた。いつものように隠し通路から王太子の部屋へ歩を進める。
寝室から居間に通じる扉を開けると、ソファで自ら酒を注ぐ王太子が見えた。俺に気付くと嬉しそうに笑みを浮かべる。機嫌がいい。王女と毒虫に関する証拠を掴んだか。
「遅くに悪いね」
「そうだな」
ありのまま返事をすると悲しそうな表情をするが、誰のせいでここ数日忙殺されていたと思っているんだ。悪いのは王女を野放しにしていたこいつであり王だろうに。身内の尻拭いくらい自分たちでやれと思ってしまう。
「証拠は見つかったのか?」
ソファに腰を下ろしてすぐ酒を注いだグラスを渡してきた。口に含むと渋みが広がり思わず眉間に力が入った。
「ごめんごめん。ケプラー産なんだ。ガウス産が手に入らなくてね」
「手に入らない?」
どういうことだ? ガウス家にとってワインは大きな収入源。王家に納めていることが最上の誉れだと伯爵が自慢げに話していた。不作でもないのに王家に入ってこないなどあり得ないだろう。
「最近納入量が減っているんだよ。イルーゼちゃんの実家だろう? 何か聞いていない?」
「特には」
「そっか」
最近ガウス伯爵の動きがおかしい。以前はよく通っていた当主同士の集まりにも殆ど顔を出さないという。姉のせいかと思っていたが、ガウス家の重要な収入源でもあるワインを納めないのは解せない。念のため調べるか。
「何かわかったのか?」
その話で呼び出したんだろう。仕事が残っているから早く帰りたい。
「うん。リシェルはあの夜会でフィリーネの麻薬中毒を暴露する気だったらしいよ」
踊りながら周囲を窺うと、ミュンター侯爵夫妻とアルビーナ様、そのお兄様の姿も見えた。彼女はお兄様と参加されていたのね。ロミルダ様は婚約者のブレッケル公爵様と参加かしら。
「リシェル様はまだ叔父上を?」
「どうなのでしょう。ヴォルフ様ははっきり断ったと仰っていましたけれど……」
「でしょうね。リシェル様とでは子を成せませんから」
「え?」
子を成せないって……そんなにはっきり言い切れるものかしら? そりゃあリシェル様はお子を得られなかったけれど。だからといってそんな言い方は……
「フレディ様、それは……」
「ああ、叔父上が戻ってこられましたね。先に踊ったから叔父上が気を悪くされていなければいいのですが……」
音楽が終わった上に話が変わってしまって、感じていた疑問が霧散してしまったわ。手を引かれて向かった先にはヴォルフ様がいて、真っ直ぐこちらに歩いてきた。
「叔父上、申し訳ございません。先に踊ってしまいました」
「構わん。手間をかけたな」
「これくらいお安い御用です」
お礼を言われたフレディ様が表情を一層柔らかくした。相変わらずフレディ様はヴォルフ様が大好きなのね。懐く様子はまるで飼い主と大型犬……いえ、父子のようかしら? どっちにしても微笑ましいわ。
「イルーゼ、行くぞ」
「え?」
返事をする間もなく手を引かれてダンスの輪に連れてこられた。次の曲が流れ出したってことは踊るのよね。せっかく来たのだもの、このまま身を任せることにした。
「……ヴォルフ様、リシェル様が……」
「ああ。招待状も持たずに来るとはな」
ヴォルフ様は呆れを隠さなかった。音楽は軽やかなのに心は真逆の方に向かうわ。やっぱりヴォルフ様に会いに来られたのかしら?
「側を離れるな。あれの周りにいる者の顔は出来るだけ覚えて気を許すな。奴らの身内や親しくしている者もだ」
「は、はい」
それってつまり私の敵ってことよね? ゾルガー家に嫁ぐということは敵が増えることだと夫人教育でも言われたけれど、こうしてその人たちを目の当たりにすると不安になってくる。人の悪意には両親たちのお陰で慣れていた。でも、あの時は嘲笑されるだけで済んだ。これからはそれだけでは済まないかもしれない。
「お前は俺が守る。だから守られていろ。勝手に動くな。動きたいなら事前に言え」
「わ、わかりました」
守ると言われてときめきそうになったものの、その後の言葉に引っかかったわ。否を言わせない口調に思わず頷いてしまったけれど、勝手に動いてなんかいないわ。だって動く前にヴォルフ様がやってしまうもの。
音楽はあっという間に終わった。もう終わるのかと思ったらそのまま次の曲に移り、結局三曲続けて踊ってしまった。これは夫婦や婚約者にしか許されない回数だから明らかに周囲への牽制ね。三曲目に入ると周りがこちらを見て何やら囁いているのが見えたもの。ヴォルフ様の態度に驚いているのかしら? でも一番驚いているのは私だわ。無表情で踊るヴォルフ様だけど、動きにメリハリがあってぶれることもなく、とても綺麗な動きなのよね。一緒に踊るのもいいけれど、観客として眺めてみたいわ。
さすがに四曲目にはいかなかった。ヴォルフ様は身体が大きいせいか踊っていても安定感があって踊りやすかったから楽しめたわ。ハリマン様で付いた変な癖が直ったお陰もあるかもしれない。ドレスもターンするたびに裾が揺れて、なんだか不思議な感じだけど踊る邪魔にはならなかった。それでも三曲続けてとなると喉が渇いたわ。
「喉が渇いただろう? 少し休むか」
「ええ」
気付いてもらえて嬉しい。比べるのは失礼かもしれないけれど、ハリマン様はご自分のことばかりで私を気遣うことはなかったもの。向かった先にはフレディ様がいて、共にバルコニーに向かった。椅子がいくつか用意されていて、その一つに座らされるとマルガが飲み物をのせたトレイを持って近付いてきた。準備してくれていたのね、ありがたいわ。
「美味しい……」
冷たい果実水が喉の渇きを癒してくれた。ずっと人の目を感じていたから誰もいないこの空間が心地いい。これだけの注目を浴びるのはまだ慣れないわ。
「……叔父上」
フレディ様が小声でヴォルフ様を呼んだ。視線で示した先はバルコニーの入口で、取り巻きを従えたリシェル様がこちらに向かっているのが見えた。その中にはレナーテ様の姿もあるわね。彼女の手を引いているのは夫のフェルマー伯爵令息かしら?
「ヴォルフ様、ごきげんよう」
「何用だ?」
艶やかな呼びかけに対して答えた声は低く素っ気ないものだった。そんなヴォルフ様の態度に取り巻きたちの中にはムッとした表情を浮かべた方もいたけれど……迂闊ね。ヴォルフ様やフレディ様に見られているのに。
「用がなければ話しかけてはいけませんの?」
悲しげに眉尻を下げた姿は可憐で私には真似出来ないものだった。男性はそんな表情に弱いのよね。姉の常套手段だったもの。
「そうだな。俺は用がない」
切り捨てるような物言いは不敬と言われても仕方ないものだった。
「ゾルガー侯爵! 不敬ですぞ!」
レナーテ様の隣にいる男性が大きな声を上げ、周りにいる者が賛同するように頷くのが見えた。その声が会場まで届いたのか、参加者の視線がこちらに向いている。確かに今のヴォルフ様の態度は不敬ととられても仕方がないかもしれない。今はまだガーゲルン侯爵に嫁ぐ前で王族に籍を置いているのだから。
「フェルマー様、お静かに」
「で、ですがリシェル様」
「招待状も持たずに押しかけたのは私です。無礼は承知ですわ」
王族らしい気品に、フェルマー伯爵令息は不満げな表情を浮かべながらもそれ以上は何も言えなかった。
「今日はこれをイルーゼ様にお渡ししたくて参りましたの。フィリーネ様のお忘れ物ですわ」
「姉の?」
急に姉の名が出て驚く私をよそにリシェル様が取り出したのは、手のひらにのるほどの箱だった。本人は何も言っていなかったけれど……あの時は薬のせいでそれどころじゃなかったわね。
「ええ。以前サロンでお忘れになったものですわ。大切なもののようでしたので直接お渡しした方がいいかと思いまして」
「そうですか……ありがとうございます」
わざわざこれを届けるために王女であるリシェル様がここまで? 不思議に思いながらも箱を受け取り蓋を開けたその時、箱が宙を舞った。
「……え?」
何が起きたのかわからないままヴォルフ様を見上げると、その視線は床に向けられていた。私も目で追った先には床を這う細長い生き物が見えて、次の瞬間それらはアベルの剣で貫かれた。数は……三つ……いえ、五つかしら?
「あの……」
何が起きているのか理解が追い付かない。あれは姉の忘れ物ではなかったの?
「……しだ」
「え?」
「毒虫だ」
ヴォルフ様の呟きはすぐには頭に入ってこなかった。ドクムシって……
「触れただけでも皮膚がかぶれ、刺されると激しい痛みを伴い最悪死に至る。暗殺に使うこともある」
「暗殺……?」
突然の恐怖に思考が止まった。あれは姉の忘れ物と言ったわ。それじゃ姉が私を?
「どういうことだ?」
地の底を這うようなヴォルフ様の低く厳しい声と、冷たい視線はリシェル様に向けられていた。その本人は数歩下がったところで酷く戸惑いの色を浮かべている。
「そ、そんな……違うわ! 中に入れたのはブローチです! 虫なんて知らないわ!」
悲鳴のような声を上げる姿は、リシェル様にとっても想定外だったと物語っていた。でもブローチなどどこにも見当たらないわ。どういうこと?
「話は後で聞く。アベル、ザーラ、王女を拘束しろ。マルガは毒虫の回収を」
「「「はっ」」」
ヴォルフ様の命令に三人はすぐに動いた。アベルとザーラがリシェル様の腕を掴んだけれど、リシェル様は呆然としているのか抵抗しなかった。マルガは屈んで、床で絶命している虫を細い何かで挟んで箱に入れ始めた。
「ランベルツ侯爵、王女を騎士に渡すまで部屋に軟禁する。部屋の用意を頼む」
「わ、わかった。すぐに用意しよう」
ランベルツ侯爵が従えてきた使用人に話しかけるのが見えた。すぐに使用人が二人飛び出していく。
「ヴォルフ様、違いますわ! 信じてください! 私が渡そうと思ったのは本当にブローチで……」
ようやく我に返ったリシェル様が焦りを露わにして、ヴォルフ様に向かって無実を訴えた。その様子は嘘をついているようには見えない。でも毒虫を持ち込んだのはリシェル様なのよ。
「仮にそうだとしても箱に入っていたのは人を殺せる毒虫だ。しかも五匹となれば冗談で済む話ではない。今日のことは箝口令を敷くから大人しくしろ。抵抗するなら国王代行権を行使する」
「こ、国王代行権……」
「代行権だと?」
その言葉にリシェル様だけでなくその場にいた皆が息を呑んだ。国王代行権とは王太子殿下と五侯爵家の当主だけが持つもので、当主の判断で国王並みの力を行使出来るものだと言われているわ。それを覆せるのは国王陛下と王太子殿下、他の五侯爵家の七人のうち四人が反対した場合のみ。有事でもない限り滅多に発動されず、ここ暫くは聞いたこともない。
「お、横暴ですぞ、ゾルガー侯爵!!」
「フェルマー、控えろ!」
声を荒らげたフェルマー伯爵令息を叱りつけたのはランベルツ侯爵だった。
「ランベルツ侯爵、しかし……!」
「国王代行権は五侯爵家の当主の権利。それに口を挟むことは許されない。貴殿はそんなことも知らないのか?」
ランベルツ侯爵が厳しい口調でフェルマー伯爵令息を窘めた。
「で、ですが……」
「これ以上言うなら、私も五侯爵家の当主として君を拘束せねばならない」
「その通りだね」
「……っ!」
新たに現れランベルツ侯爵に続いたのはエルマ様のお父様のベルトラム侯爵だった。国王代行権が行使された場合、他の四侯爵家は自身の立場を明確にするのが我が国の決まり。つまりランベルツ、ベルトラムの二家はヴォルフ様に付くと表明したも同じ。
「王と王太子は王女に対し、俺に近付くなと命じている」
「そ、そんな……」
「それを無視して近付き毒虫を渡してきた。殺意がなかったと言われても信じるのは難しい」
ヴォルフ様の言葉にリシェル様の取り巻きたちが途端に青褪めた。それはつまり陛下も王太子殿下もヴォルフ様側にいるということ。これで七名中五名がヴォルフ様側になったわ。ミュンターやアルトナーが異を唱えても覆すことは難しい。
「リシェル様、どうかお静かに。代行権を使われれば御身は嫌疑が晴れるまで罪人扱いになります。私としてもそれは避けたい。潔白を主張されるのであれば尚のこと今は大人しく従ってください」
年長者らしい落ち着きのある声でベルトラム侯爵がリシェル様に言い聞かせた。穏健派でリシェル様の祖母である王太后様の甥であり、国王陛下のいとこに当たられる侯爵は五侯爵当主の中でも最もリシェル様に近しい方。その方に言われてはリシェル様も抵抗しなかった。ベルトラム侯爵と駆けつけたランベルツ家の騎士らと共にリシェル様が会場を後にした。
程なくして近衛騎士がやってきて、リシェル様は彼らに守られながら王宮へと戻った。さすがに夜会を続ける雰囲気ではなくなってしまったため、そのままお開きになった。せっかくのランベルツ侯爵の誕生を祝う夜会なのに台無しにしてしまったわ。私のせいで……申し訳ない気持ちで一杯だ。
「イルーゼのせいではない。気にするな」
「はい……」
そうは言われても気になってしまう。馬車の中はヴォルフ様と二人きりでヴォルフ様も目を閉じて黙り込まれた。馬車の外の夜闇を眺めながら、騒ぎのことを思い返す。
リシェル様は何も知らなかったように見えた。演技をしているとは思えなかったし、わざわざ人目の多い夜会で自分が不利になる騒ぎを起こすとは思えない。そこまで愚かな人ではないはず。
だったら誰かが中身を入れ替えたことになる。標的は私、虫の数が多かったのは確実に殺すためか、周りの人を巻き添えにするためだったのか。ヴォルフ様は暗殺者がよく使うと仰っていたから、仕掛けたのはその道の人ってこと? だったらこれが最後とは限らないのよね。
それとも……犯人の狙いはリシェル様を陥れること? その可能性もないとは言い切れないわよね。それなら夜会で騒ぎを起こすのも納得だわ。でも、誰がそんなことを目論むかしら。犯人の狙いは私なのかリシェル様なのか……もしかして両方もありうるのかしら? わからないわ……
「心配するな。お前の守りは固めてある」
ヴォルフ様が重ねてそう仰ってくださった。黙り込んでしまったのはショックを受けているせいだと思われたのかしら。確かにショックだったけれど、まだ実感がないのか改めて恐怖は感じていない。今感じているのは何もわからないのが一番恐ろしいということだった。
◆ ◆ ◆
王女が面倒事を起こした。よりにもよってランベルツの夜会で毒虫を使ってイルーゼを襲おうとしたのだ。幸いイルーゼに被害はなかったがあれだけの数、刺されていたら命が危うかった。仮に一命を取り留めても障害が残った可能性は否めない。五匹となれば嫌がらせの範疇を超えている。
「なんとしてでも犯人を突き詰めろ」
馬車に乗り込む前にアベルにそう命じた。ここでイルーゼに何かあればゾルガーの名に傷がつく。気に入っていると散々アピールしているあれが傷つけられるなどあってはならない。使える手は全て使い些細な情報も集めるよう命じた。関係ないと思われるものも突き詰めると繋がっていることがある。王太子からの呼び出しは忙しいと断った。こちらもやるべきことがあるし、なんの情報もない今会ったところで意味はない。会うのは証言や証拠を集めてからでも遅くはないだろう。
四日目の晩、フレディと話をしていると我が家の影をまとめるヴィムが顔を出した。穏やかな顔立ちと表情からはとてもそんな風には見えないが、我が家の暗部を一手に引き受けている俺と対でもある存在。この男が赤子ですら平然と殺すなど想像出来る者は少ないだろう。そんな彼にも目の下に疲れが表れていた。相手が王族では調べるのも簡単ではないか。
「犯人がわかったか?」
「いや」
肩を竦めてあっさりと成果がないと言った。
「王女は謹慎中だったのだろう?」
「王女には王が付けた監視がいた。外に出られたのは王太后の手引きがあったからだ。背格好が似た侍女と服を交換して王宮を出て、途中でフェルマー伯爵家に寄りドレスに着替えていた」
「王太后か……」
ため息しか出ない。その甘やかしが孫の破滅を招いていると理解出来ないのか。結果、リシェルは最悪毒杯だ。
「既に正気を失っているらしいぞ」
「……そうか」
数年前からおかしな言動が増えてきたが、最近それが一層顕著になっていると聞く。アンジェリカが生きていると思い込み、今はリシェルをアンジェリカだと認識しているらしい。
王女もそんな王太后に姉のふりをして甘えているという。思考を止めた王太后は孫に懇願されるまま手を貸したのだろう。クラウスの件にも関わっていた形跡があったが聞き取りをしても会話が通じないと王太子が嘆いていた。今回も話を聞くのは難しいだろう。だったらもう幕を下ろしてもいい。
「毒虫の入手先は? 誰がすり替えたかわかったか?」
「悪い。特定はまだだ」
王宮の使用人の中には我が家の者が紛れ込んでいるが、王宮には王家の影もいるだけに動き回るのも容易ではない。王家の影が何か掴んでいればいいが。
「あの小箱に触れることが出来た者はそれなりにいたようだな。王女の元に落とし物として届いてから一月以上、王女は気にも留めていなかったらしい。しかし毒虫は生き物。箱の中で生きられるのは三日が限界だろうが……」
「五匹とも生きていたな」
あの毒虫は攻撃性が強く狭い空間に置けば共食いもする。五匹とも生きていたならあの箱に入れられてからそれほど時間が経っていないということだ。だったら接触した人物は限られてくる。
「特定出来るか?」
「夜会当日と前日にあの小箱の置かれた部屋に出入りしたのは、侍女二人とグレシウスから連れてきた侍女、王太后だ。だが四人とも取り調べでは小箱のことは知らなかったと証言している」
「そうか」
王女は謹慎中だったのに侍女を三人も付けていたか。問題だな。王太后に泣きついたか。
「あと、フェルマー伯爵家の者も可能性があるな。箱ごと入れ替えるなら可能だろう」
それは厄介だな。嫡男の嫁は王女と学園時代から仲が良かったと聞く。
「可能性はあるか」
「殆どないだろう。伯爵は凡庸だし息子も然り。今、使用人も含めて調べを進めているが」
「そうか。だが決めつけは尚早だ。裏をとれ」
「はいはい」
凡庸だと思い込めば調査も甘くなる。完全に白と判断するには早い。
「誰かが王女の部屋に忍び込んだ可能性は」
「扉の前には常に騎士がいるんだ。中に入るのは無理だろう」
毒虫の状態からしてすり替えたのは事件当日の朝以降か。侍女の身元は調べがついている。一人はハイゼ伯の遠縁の娘で母親の実家はミュンターに繋がる者だった。夜会当日、母親から差し入れがあったという。王女とも近しく、侍女といっても実際は話し相手だ。
二人目はベルトラムの縁者で王太后の元侍女だが、こちらの可能性は低かった。ベルトラムはアンジェリカの一件以降、王太后を良く思っていない。その侍女は監視役だろう。
三人目は伯爵家の三女だが、これと言った繋がりが見られなかった。学園を卒業して王宮に出仕し、半年後には婚姻のために職を辞す予定だという。箔付けのための出仕なら面倒事に関わる可能性は低そうだ。
グレシウス人には前日に同胞から菓子の差し入れがあったという。怪しいが中身がわからないためなんとも言えない。王女と親しくしていたグレシウス人の縁者だと言うから連絡役かもしれない。ネズミにうろうろされては厄介だ。この件を理由に侍女は帰国させるか。
「まだ足りないな。続けてくれ」
「かしこまりましたよ。ああ、そろそろいつものやつな」
「ああ」
それだけ言うとヴィムは静かに姿を消した。相変わらず自由な奴だ。それにしても怪しいと思えば全員が怪しく見える。それにこれだけのことを起こすには強い意志と動機が必要だ。決定打には欠けていても対象が絞られてくれば次の手は打てるか。
「叔父上……」
一緒に話を聞いていたフレディが不安そうに見上げてきた。優しい気性の甥にはこの手の話は辛いだろう。イルーゼの方がずっと肝が据わっている。
「さすがに簡単に尻尾は見せんな」
失敗すればその先にあるのは死。自分に繋がる証拠を残したりはしないだろう。
「犯人は……ミュンターですか?」
「どうしてそう思う?」
「それは……」
口籠ってしまった。確かにミュンターが噛んでいるだろうな。だが……
「ミュンターに繋がる証拠はない」
「そうですか……」
「憶測でものを言うな。誰かに聞かれればこちらが足元をすくわれる」
ゾルガーの言葉は王家の言葉に等しい。白いものを黒と言えば追従する者も出るだろう。だがそれは危険だ。盲目的に擦り寄ってくる者は存在自体が厄介だ。
「申し訳ございません」
途端に眉尻を下げて縮こまってしまった。素直なのはいいがそこまで気に病むこともないだろうに。
「謝らなくていい。だが気を付けろ。俺の子を支え導くのはお前だ」
「は、はい」
途端に表情が明るくなったな。考えていることを顔に出しすぎる。わかりやすいのは敵なら好都合だが身内では心配の種になる。外では無表情らしいが、これで当主になるのは難しかっただろう。そこはイルーゼも同じだな。いや、これくらいの歳ならこんなものか。まぁ、よく変わる表情は見ていて飽きないが。
「イルーゼ嬢は大丈夫なのですか?」
「影を付けてある。狙われている自覚があれば大人しくしているだろう」
そう願いたいし、そうでなければ困る。守られる側が勝手に動いては守れるものも守れない。それがわからないような考えなしではないだろう。
それよりも気がかりなのはガウス伯爵だ。最近めっきり大人しくなったが何を考えているのか。妻と姉を領地に送ってからはあまり表に出てこない。思い詰めておかしなことを考えていなければいいが。
「ところで、いつものとは……」
「大したことではない。気にするな」
そう言えばもうそんな時期か。フレディには関係ないことだし、知らなくていいことだ。
「旦那様」
遠慮がちに声をかけてきたのはブレンだった。手にしたトレイには封書が一通のっている。
『話がしたい』
封書の中身は王太子からの呼び出しだった。あの夜会の直後にも呼び出されたがこちらも忙しくて無理だと断った。が、そろそろ痺れを切らしたか。呼び出すなら相応の証拠を得たんだろうな。実りのない話をするほど暇じゃないぞ。
「今夜行くと返事をしておいてくれ」
一礼してブレンが出ていった。今夜は寝ている時間がないな。
「フレディ、ブレッケルと婚約者の関係はどうだ?」
「ロミルダ嬢ですか。そう、ですね。相変わらずでしょうか。エーリックは我儘な彼女をよく思っていませんから」
そこは変わらないままか。だったらこの婚約が壊れても問題はないな。
大通りから人の姿が消えた頃、密かに王宮に向かう。王宮内は明るく人の往来が絶えることはない。それでも王族が暮らす奥宮は騎士らが見回りをする足音が響くほどの静寂に包まれていた。いつものように隠し通路から王太子の部屋へ歩を進める。
寝室から居間に通じる扉を開けると、ソファで自ら酒を注ぐ王太子が見えた。俺に気付くと嬉しそうに笑みを浮かべる。機嫌がいい。王女と毒虫に関する証拠を掴んだか。
「遅くに悪いね」
「そうだな」
ありのまま返事をすると悲しそうな表情をするが、誰のせいでここ数日忙殺されていたと思っているんだ。悪いのは王女を野放しにしていたこいつであり王だろうに。身内の尻拭いくらい自分たちでやれと思ってしまう。
「証拠は見つかったのか?」
ソファに腰を下ろしてすぐ酒を注いだグラスを渡してきた。口に含むと渋みが広がり思わず眉間に力が入った。
「ごめんごめん。ケプラー産なんだ。ガウス産が手に入らなくてね」
「手に入らない?」
どういうことだ? ガウス家にとってワインは大きな収入源。王家に納めていることが最上の誉れだと伯爵が自慢げに話していた。不作でもないのに王家に入ってこないなどあり得ないだろう。
「最近納入量が減っているんだよ。イルーゼちゃんの実家だろう? 何か聞いていない?」
「特には」
「そっか」
最近ガウス伯爵の動きがおかしい。以前はよく通っていた当主同士の集まりにも殆ど顔を出さないという。姉のせいかと思っていたが、ガウス家の重要な収入源でもあるワインを納めないのは解せない。念のため調べるか。
「何かわかったのか?」
その話で呼び出したんだろう。仕事が残っているから早く帰りたい。
「うん。リシェルはあの夜会でフィリーネの麻薬中毒を暴露する気だったらしいよ」
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