あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第三部

火事の状況

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 昼食の時間になっても風向きは変わらず、また火も収まらない為、私たちは北棟に留まっていた。ザーラが不安がっているかもしれないと一緒に昼食を取ろうと誘うと二つ返事で受けてくれた。立て込んでいるのもあって昼食は私たちの部屋でパンに肉や野菜を挟んだ簡単なもので済ませたけれど、この状況ではゆっくり味わう気分じゃなかったからこの手軽さが有り難かったわ。アンゼルにはパンをスープに浸したものを出すと喜んで食べてくれた。ロアルドも落ち着いていて、子どもたちが不安がることがないのは幸いだった。

 食事が終ろうかという頃、フレディがやってきた。日が高くなり暑くなってきたけれど煙が酷くて窓を開けることが出来ず、さすがに耐え切れなくなったと。私たちが滞在している隣の部屋を執務室代わりにすると言うので、詳しい状況を聞くためにザーラと共にその部屋に集った。煙の直撃を受けている東西の棟の一部を閉鎖して騎士を置き、火の粉が飛んで来た時に備えて屋根に見張りを置いたという。

「火は、広がっているのね?」

 窓から見える煙は朝よりも太く高く昇っていた。時折風に乗って赤が飛ぶから延焼しているのだろう。

「ああ、こちら側に向かっている」

 フレディの答えにザーラがロアルドの頭を撫でながら表情を曇らせた。騎士たちが集めてくれた情報によると、火元はここから四区画向こうの小さな屋敷で、念のためにと夜は護衛を置いて警戒していたという。だが、夜が明けたために護衛が帰り、家を守る使用人が朝食を摂るため集まっている最中に火が出てしまったと。幸いにも怪我人はいなかったが、この風のせいであっという間に燃え広がっていった。

 時を同じくして、王都を守る騎士も同じように夜が明けたからと巡回を終えて詰め所に戻っていた。そこを狙われたのだろう。それからは風に乗って火が飛び、隣の家や屋敷、物置などが燃えて、既に火元よりも西の一区画分は焼け落ちてしまった。風は西南西に吹き、その方向では今王宮の騎士や住民たちが水を撒いたりして延焼を食い止めようとしているらしい。

「我が家から救援は?」
「先遣隊としてルッツに五十の騎士を託して現場に向かわせたよ。現場が混乱しているから、いきなり大人数を送るのも難しそうだし」
「そうね。避難の邪魔になるかもしれないから、それでいいと思うわ」

 五侯爵家として、その筆頭としてこのような有事には先頭に立って動く義務がある。王宮の騎士が出ているとはいえ、こんな時は人手が幾つあっても足りないことはないと思うけれど、道に人が溢れているというし、他家も騎士を出しているだろうから、数を出せばいいというわけでもない。

「現場の南に家が所有する小さな邸があるんだ。そこを解放して被災した者たちを受け入れることにしたよ」
「そう、ありがとう」

 出来ればこの屋敷に人を入れるのは避けたいものね。暗殺者が入り込む可能性があるから。現場が別邸の近くだったのは幸いだわ。

「食料や薬を無償で出す。炊き出しもだ」
「そうね、それくらいはしないと」

 ここで出し惜しみをしてはヴォルフ様の意にも反するわ。

「ここも、危険かしら?」

 ザーラが不安そうに声を上げた。体調が優れないしロアルドもまだ首が据わっていないから心配よね。

「今の時点では何とも言えない。だけど確実に火は広がっている」

 フレディの言葉にあまりいい状態ではないと悟った。ザーラの表情が一層険しくなる。

「ああ、ザーラ。フェルヒ伯爵邸は無事だよ。ちょうど火元の西だったから向こうには煙も行っていない」
「そ、そう」

 固かった表情が緩んだ。そういえば彼女の実家はあの近くだったのね。もう少し北だと思っていたわ。彼女が沈んだ表情だったのは実家が心配だったからだったのだ。フレディが大丈夫だよと優しく笑みを向ける。そのまま抱き寄せようとするけれど、今はそんな場合じゃないわよ。

「フレディ、道に人が溢れているのよね。避難出来そう?」

 甘い空気を出しそうになるフレディを現実に引っ張り戻した。

「……難しいな。道は避難した人や野次馬でいっぱいだそうだ。馬車が出せるかどうか……」

 それは……厳しいわね。そんな状態では危なくて馬車を走らせることは出来ないわ。

「今は様子を見るしかないな。馬車を出す方が危険だ。混乱に乗じて略奪もあり得るから」

 フレディの言う通りで火事が起きると略奪に走る者が出るのは珍しくない。貴族の馬車など目立つから襲ってくれと言っているようなものよね。時間が経てば騎士たちが民を誘導して混乱も収まるかもしれない。

「ここは敷地も広いし塀の下には池もある。バケツに出来るだけ水を貯めておくよう指示も出したから簡単に火が付くことはないと思う。ただ……」
「ただ?」
「煙が酷い。そっちが問題だな」

 なるほど、確かに煙は朝よりも増えているし、窓を開けっぱなしにしている今も焦げ臭いにおいが部屋に充満している。

「そうね、ずっとこのままだと喉を傷めそうだわ。子もそうだけどザーラもよ。まだ産後間もないから身体に障るわ」
「それを言うならイルーゼ、君もだろう」

 フレディが苦笑したけれど、確かにそうね。悪阻がなくて身体が楽だからお腹を蹴られなければ自分が妊婦だと忘れてしまう。でも今はザーラの方が心配だ。医師からも出来るだけ安静にと言われているのだから。そんな状態で混乱している外に出るのはかえって危険かもしれない。

「わかったわ。ここは臭いはあるけど直接煙は来ていないから様子を見ましょう。こうしている間にヴォルフ様がお戻りになるかもしれないし」

 早ければ、馬でお戻りになるのなら今日中に帰ってこられるはず。

「イルーゼ、君も妊娠中なのだから無理しないでくれよ。何かあったら叔父上に顔向け出来ないんだ」
「ありがとう。わかっているわ」

 そう言ったけれど眉間に薄く皴を刻まれてしまった。心配しなくても大人しくしているわよ。大事なヴォルフ様のお子を守るのも私の務めなのだから。

 アンゼルが待つ部屋に戻ると、ついさっきお昼寝を始めたところだという。木馬と慣れない部屋で興奮したのか直ぐに寝付いたとコラリーに聞いた。この状況で不安を感じないのはいいことなのかしら。ゾルガーの後継としては動じない方がいいのでしょうね。青い目を隠した寝顔はあどけなく、鼻や口元はヴォルフ様の面影を感じるけれど、厳つさを感じないのは子どもだからなのか、明るい銀の髪だからなのか。絶妙にヴォルフ様を感じさせるけれど重苦しさはないわね。お腹の子が目覚めたのかお腹を蹴り始めたわ。

「ふふ、あなたはどんな色を持って生まれてくるのかしらね」

 お腹に声をかけたけれど返事はない。ヴォルフ様の黒髪緑目が好きだけど、世間的には好まれない組み合わせなのよね。女の子なら余計に敬遠されるかしら。柔らかい髪が心地いい。この子を守るためにも今は出来るだけのことはしなきゃ。

「ロッテ、手紙を書くわ。便箋と封筒をお願い」
「はい、ただ今」

 火がこれ以上広がるのなら避難するしかない。打てる手は全て打っておかないと。せめて子どもたちとザーラを移動させたいわ。手紙を書いて蝋印で封をする。私のお願いを断ることはなさらないはず。

「ロッテ、これを至急届けてほしいの」
「かしこまりました」

 出来れば夜が来る前に動きたい。返事が来たらすぐに動けるように準備をしておかないと。

「フルール、子どもたちとザーラの侍女に伝えて。いつでも避難出来るよう、移動の準備をしておいてと」
「避難されるのですか?」
「先方が受け入れてくれるかわからないけれど、可能なら暗くなる前に動きたいの。足りなければ後で届けてもらうから今は最低限でいいわ」
「か、かしこまりました」

 フルールが部屋を出て行った。アンゼルの枕元に侍るコラリーが不安そうにこちらを見ている。

「奥様……」
「大丈夫よ、コラリー。あなたのことも必ず守るわ」

 彼女はアンゼルにとってもう一人の母なのよ。失えないわ。

「さ、私たちも準備しましょう。私は最低限でいいけれどアンゼルの準備だけは念入りにお願いね」
「わ、わかりました」

 今は出来ることをやるしかないわ。出来るだけ動きやすい服を選ぶように頼み、こちらが終わったらザーラの手伝いをするように頼んだ。

 一刻ほど後、ティオが手紙を手にやってきた。返事をいただけたみたいね。悪い返事ではないと思いたいわ。逸る心を押さえながらペーパーナイフを受け取った。



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