あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第三部

内々の呼び出し

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 変化があったのは翌日のことだった。既に寝る準備は終わり、ロッテにマルガが用意してくれた妊婦にお勧めのお茶をいただいていた時、王太后様の侍女が訪れたのだ。

「夜分恐れ入りますが、王太后様がお呼びです。至急、内々にお越しくださいませ」

 声を潜めて告げるそれに、何かが起きたのだと感じる。だけど行かない選択肢はないわ。着替えはいいと言われたので、少し厚手のガウンを羽織って侍女の後に続いた。案内されたのは私たちが滞在していた階の端にある部屋だった。何事かと警戒心が募る。ロッテがいるけれど呼び出しに応じたのは迂闊だったかと一瞬後悔が過ったけれど、呼びに来た侍女は王太后様付で長年お仕えしている者だ。最悪の事態を想定しながら侍女に続いて部屋に入ったけれど……そこで息が止まった。

「ど、どうして……」

 そこにあったのは、いつもよりも髪が伸び、肌も一層黒くなった大柄の男性だった。暗いせいか黒ずくめに見える騎士服は見慣れたもので、顔を見た瞬間私は走り出していた。

「ヴォルフ様!!」

 真っ白になった頭が安堵と歓喜で満たされた。走った勢いのままぶつかるように抱きついたけれど、ヴォルフ様はふらつくこともなく私を受け止めてくれた。その安定感に一層安堵が心に広がって指先まで悦喜が満ちていく。

「よく……よくご無事で……」

 言いたいことはたくさんあるのに嬉しさが胸を圧迫して言葉が出てこない。ずっと求めていた固くて大きな身体に包まれるこの充足感はどんな宝石やドレスでも敵わないわ。

「待たせた」
「……待ちました。ちゃんと、大人しく……身を守って……」

 何もせずに守られているのは苦しかった。申し訳なさや焦燥感に襲われて気もそぞろだったけれど、それでもお腹の子のためにと耐えてきたわ。それはこの瞬間のため。離れている間に恋しさは募り、益々この人に溺れていく。もうこの人なしでは生きていく意味がないと思ってしまうほどに。

「よく耐えたな」
「頑張ったんです。もっと褒めてください」
「ああ。お前はよくやった」

 宥めるように背を撫でられてしまったら我慢していた涙が溢れた。嬉し涙なのだから許してほしい。お腹の子が私の感情に呼応してかお腹を蹴り始めた。ヴォルフ様にもそれが伝わったのか、肩を掴まれて僅かに身を離された。

「元気そうだな」
「ええ。でも、火事が起きてからはあまり動かなかったんです」
「そうか。もう大丈夫だ」
「はい」

 もう一つの不安も解消されて益々涙が止まらないわ。大きな手で濡れた頬を撫でられる。

「あ~、そう言うのは、後でお願い出来るかな?」

 聞き覚えのある声が遠慮がちに聞こえた、慌てて声のする方に視線を向けると、思っていた人物がいらっしゃった。

「へ、陛下……ど、どうして……」

 そこには近衛の騎士服を召した陛下がいらっしゃった。お忍びなのか茶のかつらを被っていらっしゃる。

「どうしてって、呼ばれたんだよ、兄上に」

 ヴォルフ様を見上げると小さく頷かれた。

「すまない。時間がないから話を進める。いいか?」
「は、はい」

 そう言われてしまえば否とは言えないわ。現状を思えばヴォルフ様も陛下もお忙しいのでしょうし。改めてソファに腰を下ろす。ヴォルフ様は私の隣に、陛下と王太后様はその向かい側に座った。王太后様は何かを言いたそうにヴォルフ様を見つめていたけれど何も仰らない。ヴォルフ様の意志を尊重して我慢していらっしゃるのでしょうね。

「時間がないから手短に話す」
「ああ」
「火は鎮火の方に向かっているが、また風が出てきたから広がるかもしれん」
「そうか……」

 陛下が眉間に深々と皴を刻んだ。昨日から少しずつ鎮火に向かっていたけれど、夕刻辺りからまた風が強まっているように感じていた。あの感覚は間違いじゃなかったのね。

「明日から住民にも消火を手伝わせる」
「住民にって……どうやって」
「バケツを持って水運びに参加させる。参加した者にはバケツ一杯分の食料を渡すと朝一で触れを出せ」

 それは思いもしない提案だったわ。危険だからと消火は騎士や訓練を受けた自警団の者たちの仕事だったから。それにそれだけの食料を……そう思って先日のことを思い出した。

「あれって……」
「そうだ。もしかしてと思ってな」

 ヴォルフ様が指していたのは五日ほど前にゾルガー邸に届いた大量の荷物だった。中身は芋や干し肉、干した果物などで、それは荷馬車に十台はあったかしら。領邸の騎士がこちらに来ているから彼らの食料かと思っていたのだけど……

「え? どういうこと?」

 話が見えない陛下が戸惑いの声を上げた。

「鉄砲水のためにかき集めた食料が余った。今の時期は直ぐに痛む。王都で失火が続くと聞いたから運び込んでおいた」
「運んでおいたって……」
「消火を手伝った者に無償で配る。王家の名でだ」
「王家のって……それゾルガーのでしょ? だったら……」
「これ以上我が家の力が増すのは好ましくない。他の四家とのバランスが崩れる」

 そう言われると陛下は苦々しい表情を一瞬だけ浮かべた。確かに今の五侯爵家は我が家が圧倒的に力を持っていると言える。それはヴォルフ様が陛下の実兄で、その陛下がヴォルフ様に王位を譲りたいと思っているのが世間に漏れているのもある。確かにゾルガー家が力を持つのは他貴族を抑えるにはいいのだけど、力を持ちすぎるのもよくないのだ。現にヴォルフ様を王にと思う者も現れている。ヴォルフ様にそんなつもりは微塵もないのだけど。

「今は即位したばかりだ。おかしなことを考える馬鹿も出てくるかもしれん。今は自分のことだけ考えろ」
「……わかったよ、兄上」

 ヴォルフ様の仰る通りなのよね。それを陛下もわかっていらっしゃる。でも、本音では悪意のある噂が多いヴォルフ様の名誉回復をと思われていたのでしょうね。

「話はそれだけだ。明日朝一番に副団長を寄こせ。詳しい話はそいつにする」
「ああ」
「帰れ」
「……急に呼び出しておいて酷い」

 陛下が泣きそうな顔でヴォルフ様を見上げたけれど、ヴォルフ様は気にされなかった。

「ここでお前と会っていると知られるわけにはいかない。仕方ないだろう」
「そりゃ、そうだけど……」
「まだ放火犯もその目的もわからない。ここにイルーゼがいると知られれば狙われるかもしれない。危険を増やすな」
「わかっているよ」

 内々に会いに来られたのはそういうこと。私たちがここにいることは秘密で、屋敷でもそのことを知っているのはティオやスージーなどの一部の使用人だけ。火が消えて屋敷に帰るまで知られるわけにはいかないのよね。

「また後で書簡を送る。詳しくはそれを読め」
「はいはい、人遣いが荒いんだから……」
「不満なら言われる前に動け。住民を使うなど少し考えれば思いつくだろう」
「……善処します」

 散々な言われようだったけれど、陛下はどこか嬉しそうだった。邪険にされても構われないよりはいいのかしら? このご兄弟の関係も不思議というか、言葉で表すのは難しいわね。でも、ヴォルフ様は邪険にしながらも陛下を信用しているようにも見える。追い出されるように陛下が部屋を後にした。王太后様も陛下を見送るためその後に続く。室内には私とヴォルフ様、ロッテとゾルガーの騎士だけが残った。ヴォルフ様か身体ごとこちらを向かれた。

「待たせるが、もう暫く待て」

 既に乾いた頬を撫でられた。いつもよりも少しだけ肌に刺激を感じる。手が荒れてしまわれたのね。無理をされたのではないかしら。

「はい。ヴォルフ様がご無事だとわかりましたから、安心して待てますわ」

 安心させるように、私のことなど気にせずお努めを果たせるようにと笑顔を向けた。きっと明日はヴォルフ様自ら消火の手伝いをされるのでしょうね。上に立つ者が先頭に立つべきとお考えの方だから。

「お願いです。どうか無理はなさらないで」
「わかっている」

 ヴォルフ様ほどお強いのなら心配はないと思うけれど、それでも放火犯の目的がわからないから不安は残るわ。今のところヴォルフ様やゾルガーを狙うような兆候は見当たらないけれど、それも陽動かもしれないし。

「大人しく待っていますから、ちゃんと迎えに来て下さいね」
「ああ」

 ロッテたちがいるとわかっていたけれど、その胸に抱きついて頬を寄せた。近くにいらっしゃるだけでも気が軽くなったわ。それに、住民も協力してくれるなら火はすぐに消えるはず。屋敷に戻れる日はもう直ぐよ。




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