あなたに愛や恋は求めません

灰銀猫

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第三部

閑話:影の娘

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「ま、今はこんなところだ」
「ああ」

 重厚な濃緑で統一された部屋で、愛想の欠片もない黒髪緑目の大男への報告はあっさり終わった。まったく、相変わらずにこりともしねぇ奴だな。ま、それでも以前に比べると随分と感情豊かになったもんだが。あの泣く子も黙るゾルガー侯爵が随分と変わったもんだ。

 はぁ、今日は足が思うように動かねぇな。でもどこで誰が見てるかわかったもんじゃねぇ。そうと知られぬように慎重に動かして部屋を出ようとしたところで、こちらに向かってくる靴音が耳に届いた。我が主殿が眉間にしわを深めながら素早く扉へと向かう。次の瞬間、バン! と音を立てて執務室の扉が開いた。

「イルーゼ、どうした?」

 足音だけであの嫁だとわかったこいつは、今だに無自覚なまま嫁を溺愛している。周りから見りゃ立派に相思相愛だと思うんだが、嫁は嫁で人を愛せないと言ったこいつの言葉を真に受けて、自分は愛されていないと思い込んでいやがる。ヴォルフもだろう。馬鹿じゃねぇかと思うが、まぁ、面白れぇからまだ暫くはこのままでいいんだけど。

「ヴォルフ様! さっき領邸から馬車が到着して、それで……あ! ヴィム、ここにいたのね!!」

 夫に縋りつかんばかりに詰め寄ったと思ったら、嫁の関心がこっちに向かってきた。途端に殺気が飛んでくる。待て待て待て、俺は何にもしてねぇぞ。俺の不詳の後輩は嫁のこととなると心が赤ん坊の小指の爪くらい狭くなって面倒くせぇ。こんな跳ねっ返りのどこがいいのか未だにわかんねぇけど。割れ鍋に綴じ蓋だと思えばお似合いだが、俺を巻き込むな。

「あなた、今……もの凄く失礼なこと考えていたでしょ?」

 うわ、夫の気持ちには全く気付かねぇくせに察しがいいことで。

「あ~奥方様。筆頭侯爵夫人が音を立てて走るなんぞ、いかがかと思いま……」
「そんなことどうだっていいわ! それよりもあなた、娘が来るのにどうして言わなかったのよ!!」

 俺の言葉を遮って叫ぶように告げられた言葉に、怒っている理由がようやくわかった。

「……あ~~そう言えば、今日着くんだったか?」
「あ~じゃないでしょ!! 小さい子を一人でよこすなんて!」

 そこから嫁の説教が始まった。途中でスージーまで加わったから逃げ出そうかと思ったけれど、そうすりゃ火に油を注ぐだけだし、扉の前にはティオが控えている。この足だし、逃げ出すのは悪手だな。粛々と嵐が過ぎるのを待つ。まぁ、甲高い声は耳に痛いが、怒った嫁の形相はなかなかに面白れぇからな。

「……奥様」

 姦しい女たちの声もいずれ終わりが来る。声を駆けてきたのは侍女のフローラだった。腕にいるのは俺の娘のミーナだ。本当の娘じゃねぇけど。

「おう、ミーナ、久しぶりだな」

 嫁とスージーを無視して抱き上げてやろうとミーナに近付いた。また大きくなったか? 髪も伸びたな。

「ほら、こいよ。どれ、少しは重くなったか?」

 そう言って手を伸ばすと、フローラが近づいてきて俺に渡してき……

「やぁあああああ――!!」

 屋敷に子どもの絶叫が響いた。





「まったく、信じられないわ。父親だなんて名前だけじゃない」
「仕方ねぇだろ、こっちの仕事が忙しかったんだから」

 そのまま執務室で事情を聴かれ、その後嫁主催の大説教会が始まった。こうなった一因はこの家の当主にもあるんだが、当人は素知らぬ顔をして一言も発しねぇ。しかも機嫌が悪い。言っておくが俺が嫁に絡んでるんじゃねぇからな。そこ、勘違いするなよ。

 ミーナを引き取ったのは一歳になったかどうかの頃。さすがに俺には育てる余裕がなくて領邸にいる兄夫婦に世話を頼み、俺はあっちに戻った時に顔を見に行く程度だった。そのせいか義娘はまったく俺に懐かなかった。今回、嫁が連れて来いというし、俺も影の仕事を下りて暇になるし、死ぬまでに子どもの一人くらい育てようかと思ったんだが……

「だからって、泣いて嫌がられるほどなんて……父親らしいこと、何にもしていなかったんじゃないの?」

 うわ、鈍くせぇ癖に鋭いところを突いてきやがる。だが事実なんだよな。兄夫婦は俺が影の長だと知らないから、俺はいつまで経ってもふらふらしている出来の悪い弟で、ミーナに会いに行けば必ずくそ真面目な兄貴の説教が付いてくる。それが面倒で最近は会いに行っていなかった。

「しょうがねぇだろう。妻の出産が迫ってきたって、どこぞの過保護な侯爵様が厳戒態勢を命じて動けなかったんだから」
「……私のせいだと言いたいの?」
「誰も奥方様のことだなんて言ってませんが」

 そう言うと眉間に皺を刻んで睨みつけてきた。そんな顔したってヴォルフを見慣れている俺には子猫が威嚇してくるようにしか見えねぇけど。

「っとに、ああ言えばこう言うんだから……あなた、反省する気ないでしょ?」
「いえいえ、ちゃんと反省していますよ。とっとと逃げるべきだったなぁ~って」
「あ、あなたね!!」

 ははっ、直ぐに激高するんだよなぁ。わかりやすい奴。それでも大袈裟にため息をついて首を振った。はは、俺に何言っても無駄だってやっと気付いたか?

「それで、この子のこと、どうする気なのよ? 呼んだからにはちゃんと面倒見るんでしょうね」
「え? 奥方様が面倒見てくれるんじゃねぇのか?」
「……は?」

 ははっ、間抜けな顔が面白れぇな。わかりやすくていい。

「あんたが息子の遊び相手にするって言うから呼んだんだけど」
「はぁあ?」

 どうやら俺が育てると思っていたらしい。まぁ、普通そう思うだろうなぁ。けど……

「俺に子育てなんか無理だぞ。わかってて呼んだんじゃないのか?」

 そう言うと一瞬目を大きく開いてから、あからさまに侮蔑の目を向けてきた。いいねぇ、その目、容赦がなくて。額に手を当てて壮大なため息を吐いた。幸せが逃げるぞ。ああ、逃げても旦那が取り戻しに行くか。

「……期待しただけ無駄だったわ」
「そうそう、さすが奥方様。理解が早くて助かる」
「何言ってるのよ!! 面倒を見れないなら引き取らなきゃいいでしょ!?」
「まぁ、そうなんだけどな」

 そうだな、普通はそうだよなぁ。今までだって部下の子を何人も孤児院に送ってきたんだ。今度もそうすりゃよかったんだけど……

「何か、事情でも?」
「は? 何もないぞ」

 特にはない、な。うん、別に死んだ部下が特別だったわけでもねぇし、この子どもが特段可愛かったわけでもねぇ。強いて言うなら……色、だろうな。あいつと同じ薄い茶と灰青の目。今にして思えば何血迷ったんだと思うけど。

「しょうがないわ、あなたがろくでなしなのは今更直しようもないし、あの子に罪はないから」
「俺のことをよく理解してくださるとは僥倖ですな」
「……こっちで面倒を見るわ。それでいいわね」
「ありがたき幸せ」

 恭しく頭を下げて礼をとった。頭上で盛大なため息が流れていくけど、ははっ、あんたはそういう女だよな。何だかんだ言って情に厚い。あの鉄面皮ですら絆されるんだから相当だと思うぞ。





 それからミーナはアンゼルと一緒に過ごす時間が増えた。俺は正式にアンゼルの護衛に命じられて、一緒に遊びながらミーナとの距離を縮めているところだ。これも嫁の提案だ、お優しいこって。要は子守なんだけど、動けなくなった俺にはちょうどいい。ま、アンゼルも暗殺者に狙われているし、毒でやられた身体でも屋敷内なら問題はねぇ。

「ミーナ! まってー」
「アンジェルしゃま、こっちー」

 今日も二人は庭でじゃれ合って、そんな二人を奥方が四阿で下の娘を抱いて眺めている。あの娘、エリーゼって名付けたんだよなぁ。あいつ、奥方の名前と響きが似ているからそれにしたんじゃねぇのか。嫁の色は一つも入っていねぇけど、嫁の産んだ子だからな。

 そのヴォルフが誂えた新しい四阿は敵の襲撃を受けにくい造りで、その周りをさり気なく騎士が守っている。相変わらずくそ重い過保護っぷりだ。あの嫁はそんな夫の重たすぎる執着心に気付かず、のんきに子どもらを眺めながら笑っている。微笑ましい光景だけど、至るところにあいつの執着心が見えて怖ぇえんだけど。金の髪が陽に当たって光る。鈍くさくて能天気なところも暗闇で生きて来たあいつには一際眩しく見えるんだろう。

「お元気そうですね」

 少し離れた場所から子供らを眺めているとティオが声をかけてきた。

「あ~子どもなんてあんなもんだろう」

 このゾルガー邸に子供の声が響くのは何十年ぶりか。叔母が産んだ息子は三人とも殺され、フレディも引き取られてからは長く領邸で暮らしていた。あの殺伐とした時代からは想像も出来ねぇ変わりっぷりだ。

「あなたはいかがなのですか?」

 隣に並び、ティオが目を細めて子どもらを眺める。ミーナがまだ足取りの危ういアンゼルの手を引いて、ヴォルフが嫁のために整えた小径を歩いていく。

「まぁ、まだ暫くは」
「そうですか。せめて愛娘の花嫁姿くらいは見届けてくださいね」

 本気か冗談かわからねぇが、花嫁姿って、それは何年先だよ。遠すぎるぞ。

「無茶言うねぇ」
「旦那様と奥様の約束に比べたら短いものですよ」
「ははっ、違いねぇ」

 孫どころか曾孫が生まれるまで共に、だったか。あのヴォルフにそんな約束をさせるなんざ、何も知らないってのは幸せなもんだな。自分がどれくらい暗殺者に狙われているか、何度死にかけているかわかっていないから言えることだ。ま、それをわかった上で約束したヴォルフもどうかと思うが。あいつのことだから本気で叶える気なんだよなぁ。それに対応させられる方はたまったもんじゃねぇが。

「ま、一応足掻いてみるわ。俺もまだ心残りはあるんでね」
「頼みましたよ」

 あの夫婦を見ているだけでも退屈しねぇしな。互いに相思相愛だと気付くのはいつになるか。そうなった時、あの二人はどんな反応をするだろう。それを見る前に死ぬのは勿体ねぇと思ってしまう。まだ暫くは時間があるだろう。それまでは精々楽しませてもらおう。




  ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢ ♦︎ ♢

ヴィムの娘(ミーナ)が王都のゾルガー邸にやって来た日のお話です。
ヴィムに父性は皆無ですが、代わりにイルーゼ(とたまにヴォルフ)が可愛がりそうです。

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