【完結】戦死認定された薬師は辺境で幸せを勝ち取る

灰銀猫

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第二部

渡された手紙

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『すまない
 ギルベルト=ダーミッシュは死んだ
 俺のことは忘れて幸せになってくれ
 本当にすまねぇ』

 何の装飾もない貴族が使うには似つかわしくないそれには、確かに彼の筆跡でそう書かれていた。僅かに右上がりの下手ともいえる筆跡は戦争で受けた親指の古傷の名残で、これが間違いなく彼のものだと主張していた。彼の生きている証ともいえるそれに歓喜が満ちたけれど、書かれた内容が一気にそれらを霧散させる。背筋が凍りそうになったのは季節のせいだけじゃない……

「……死んだ、って……」

 書かれた内容が理解出来なかった。彼は生きているのに、死んだ? どういうことなの? 答えを求めるようにブラッツ様を見上げると、彼は酷く苦しそうな表情で目を伏せた。

「ギルは……エーデルで処刑された」
「どうしてです!?」

 理解出来なかった。生きているのよね? ザウアー辺境伯領に向かっているのよね? なのにどうして死んだことに……

「ダーミッシュはエーデルに属することになった。近々正式にエーデル国から通達が来るだろう。敗戦国のリムス国はそれを拒めない」
「それは、わかりますが……」
「エーデル国の支配下に入ったダーミッシュ家の四男、しかも先の戦争で英雄と言われたギルがリムスの反国王派に与するわけにはいかない。内政干渉と受け取られる可能性があるし、そうなればエーデルはリムス以外の国から警戒される」

 政治的な話は分からないけれど、言いたいことはわからなくもない。エーデルはリムスよりも国力は上だけど、周辺国の中で突出して力があるわけじゃないわ。エーデルがリムスを属国にしなかったのも、同程度の国を丸ごと抱えるには力が足りないから。そのためリムス王家を追放して新たな王朝をと考えたのでしょうけれど……

「ギルはエーデルで処刑されそうになったために逃げ出したことになっている。エーデルに属するダーミッシュには戻れない、ザウアーでは自分を売ったリムス王に復讐するために協力したいと申し出ると」

 ブラッツ様は苦しそうにそう告げた。愛する弟、しかもダーミッシュを守った功労者の彼をそんな風に扱わなければならないことへの葛藤と苦しみが見えた。でも……それはギルが望んだのでしょうね。彼は辺境伯やブラッツ様のことを大切に思っていたから。エーデル国王との話し合いは彼の思うようには進まなかったのかもしれない。もしエーデルが最初から乗り気ならこんなに時間はかからなかったはずだもの。

「リムス王は一筋縄ではいかない御仁だ。ギルにも丸め込まれなかったのだろうな」

 自嘲的な呟きの中に弟への絶大な信頼が伺えた。そうね、ブラッツ様は真面目な方だから交渉事はギルの方が適任よね。

「ローズ、君の望みを優先するようギルに頼まれている。あいつはいつ戻るか、いや、生きて帰れるかもわからない。もうあいつのことは忘れてやってくれ」

 ブラッツ様が痛ましい声でそう告げる。忘れる? 彼を? そんな言葉が聞きたくてこの三月を過ごしていたわけじゃないわ……

「君のことはダーミッシュ家が最大限に支援する。店を持ちたいというのならそれもいいし、他の縁談を望むなら用意しよう。君が想う相手が出来たならダーミッシュ家の養女として送り出すことも出来る。君が幸せになるように……」

 ブラッツ様が何かを言っていたけれど、それは片方の耳から入ってそのまま反対側に抜けていくようで頭には何も残らなかった。ただギルが戻らないと、戻れないのだと、私との約束よりも役目を果たす方を選んだのだと、そのことが頭の中で巡るだけだった。それはここにする私のためなのかもしれないけれど……その時の私は約束を反故にされたと、裏切られたような思いに囚われていた。



 数日ぶりの下宿の自分の部屋に戻った。出かけた時と何も変わらない、最低限のものしかない部屋はギルと別れたあの日と殆ど変わらない。入口の扉を後ろ手で閉めて鍵をかけると、そのまま足がなくなったように力が抜けてその場にへたり込んだ。扉に背を預けると勢いがあり過ぎたのか背が痛んだ。どうやってここに戻ってきたのか、その記憶すら曖昧だった。ただ、虚しくて、心の中が空っぽだった。

 背中の痛みが薄れると、左の二の腕に微かな痛みを感じた。そこに手をそっと添える。服の下にはギルと同じ柄の刺青がある。これは二週間ほど前にようやく出来上がったもの。彼と同じ空を飛ぶ燕の絵、そしてギルの名が飾り文字で掘られている。一生消えないこの印は彼との絆の証だった筈なのに……

 王都よりも暖かい冬のダーミッシュだけど、季節のそれにふさわしく部屋の中はひんやりとしていた。頬が一層冷たさを増した。

「は……ははは……」

 出てきたのは冷たく乾いた笑いだった。こんな時なのに何が可笑しいのか……自分でもわからなかったけれど、それから私は笑いながら泣いていた。何をやってもどう頑張っても、誰もが私から離れていってしまう……祖母も、両親も、リーヴィス様も……ギルも……側にいたいと、いてほしいと願う人ほど離れていってしまう。

(なんか、もう……疲れた……)

 泣き笑いながら目を開けているのも億劫で、身体が促すまま目を閉じた。



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