【完結】戦死認定された薬師は辺境で幸せを勝ち取る

灰銀猫

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無謀な川渡り

「…………し、信じ、られま、せん……」

 どれくらいの時間が過ぎたかしら……このまま流されて死ぬかと思ったけれど、私は生きていた。奇跡的に。ギルベルト殿と馬たちも。何度も溺れかけて水も飲んで、溺死寸前だったわ……泥水を……うう、気持ち悪い……後でお腹が痛くならなければいいけど……

 

マルトリッツ家のアンネマリー嬢に追われたギルベルト殿が選んだのは、増水した川に飛び込むという荒業だった。もう悪夢としか言いようがない。マントで辛うじて繋がっていたのと、必死でしがみ付いていたお陰で離れ離れにならなかったけれど、身体の自由が利かなかったせいで何度溺れたことか……何かがぶつかったのか足からは血が出ている。服はずぶ濡れで泥だらけだし、それが肌に張り付いて寒いし気持ち悪い。鞄の中も水浸しで、せっかく手に入れた薬草たちも全滅だわ……

「ははっ、無事渡れたな」
「ど、どこが無事、ですかっ!! 死に、かけた、んですよ……!! 私、泳げない、って……言った、のにっ……!!」

 相手が格上だろうとそんなこと気にしていられなかった。何かが僅かでも違っていたら死んでいたわ。本当に死ぬかと思ったんだから……!!

「悪かったな。あいつらを撒くには他に方法が浮かばなかったんだよ」

 だからって増水した川に飛び込む? 死ななかったのは運がよかっただけよ。

「もう少し先に小さいが村があるはずだ。そこまで我慢してくれ」
「……わかりました」

 返事をする気力もないわ……私たちはずぶ濡れのまま東を目指した。ここは既にダーミッシュ領。アンネマリー嬢たちがあの川を越えて追ってくることは思えないけれど、ギルベルト殿は領境に警備兵がいるわけじゃない、少しくらい侵入してもわからないからまだ安心出来ない、少しでも川から離れたいと言ってそのまま馬を走らせた。彼の言い分はわかるけれど、着替えたい。いえ、乾いた服なんかないのだけど……

「ティーナとベルト、お前らもよく泳ぎ切ったな! 偉いぞ」

 そう言って馬の首を撫でて労わっているけど、危険に晒した張本人が何を言っているのよ。いえ、馬はよく耐えてくれたと思うわ。私たちが生きていたのも彼らのお陰だもの。馬って泳ぎが上手かったのね。あの流れを泳いで渡れるなんて凄いわ。それはいいのだけど……

「その名前、確定なんですか?」
「いい名前じゃねぇか」

 いい名前って……どう考えても私とギルベルト殿の名前の一部よね。それも偽名で使っていない部分の……安直すぎないかしら。ダーミッシュ領に入ったし、付き合いはもう少しで終わりそうだからもうどうでもいいけど……

 村までの道中、私はギルベルト殿の後ろで彼にしがみ付く形で馬に揺られていた。前だと風が当たって寒いからと私を後ろにしてくれたのだけど、それでも身体が冷えて辛い……それでもギルベルト殿は休むとは言わなかった。





「そろそろだと思うんだが……」

 どれくらい走ったかしら。身体が冷えきったせいか、落ちないように抱きついているギルベルト殿の背中が温かいせいか、眠気がおりてきて頭がぼーっとし始めた頃、ギルベルト殿の呟きが耳に届いた。森が切れて小さい畑がちらほらと見える。人が住んでいる気配を感じるわ。

「何者だ!?」

 鋭い男性の声が響いて一気に眠気が覚めた。左手に男性が二人立ってこちらに鋭い視線を向けているけれど、この辺りに住む人かしら? 一人は親くらいの年齢で、もう一人はずっと若いわ。私と同じくらいかしら? ギルベルト殿が歩みを止めて馬から降りたので私もそれに倣った。

「ああ、王都に出稼ぎに行って戻ってきたんだ。アールデンまで帰る途中なんだが、運悪く川に落ちちまって」

 彼らに話しかけるギルベルト殿は話し方も態度も平民にしか見えなかった。平民の騎士たちと行動を共にしていたら馴染んでしまったと言っていたわ。

「ああ、出稼ぎ者か。最近戻ってくる奴が多いな」
「だろうな。治安が悪くなっちまったし、仕事も減ったからな。きな臭くなってきたから帰ってきたんだ」
「そうか。いい気味だ。勝手に戦争始めたツケが回ったんだろうよ」

 壮年の男性が王家への不満を露わにした。ダーミッシュは国の都合に振り回されて昔からリムスとエーデルの間を行ったり来たりしている。隣接するエーデルの領地とは元々一つの領地で親戚や友人がいるのに敵対する羽目になったから、ここの人たちは未だにどっちの国にも反感を持っている。最近はリムスの横専が目立って民の心は離れつつあった。

「どこかで湯に入れるところはねぇか?」
「だったら村長の家だな」
「そうか。水浴びでも構わねぇ。あと一晩でいい、宿と服を貸してくれるとありがたいんだが」
「それくらいなら家でも構わねぇが、まずは村長に話してくれ。勝手に余所者を入れられねぇからな」

 田舎の寒村は身内意識が強くて余所者を警戒する。夜盗が旅人を装って下見に来ることもあるから初見の相手は特に厳しいのだとか。

 彼らに案内されて村長の家に向かった。ギルベルト殿は陽気に今の王都やこれまでに通った街の話を彼らに話して聞かせていた。外の情報は田舎にはなかなか入ってこないから些細に思われることでも重宝される。彼らの話では最近は商人の姿も減っていて、色んなものが不足し始めているのだと言った。

 ずぶ濡れだけど元気な彼に対して、私は寒さに震える身体を動かすので精いっぱいだった。村に入るとあちこちに人の姿があってそのことにホッとしている自分がいた。ずっと森の中で、稀に会うのがマルトリッツ家の騎士たちばかりだったせいかしら。

「村長ー! いるかー!」

 壮年の男が一番目立つ家の玄関の扉を開けて叫んだ。直ぐに誰かが出て来たらしく、男性が話をしている。程なくして祖父母くらいの年齢の白髪の男性が出てきた。この方が村長かしら。

「村長、旅行者だ。領都に帰る途中の出稼ぎ者だとよ」

 そう言って男性が身体をずらして私たちを村長の前に晒した。村長が胡散臭げに私たちを見やったけれど……

「ギ、ギルベルト様っ!?」

 年寄りの掠れた声が村に響いた。




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