76 / 169
第二部
思いがけない告白
手首を取られたまま小さな馬車に押し込まれて連れていかれたのは、治療院から遠くない一軒家だった。こぢんまりしているけれど造りはしっかりしているから貴族向けかしら? 出迎えたのは平民のような服装の壮年の男性だけど、その所作から貴族か貴族家に仕えているらしいことが窺い知れた。
案内されたのは応接室で、ギルベルト殿は直ぐに腕を濡れたタオルで冷やしてくれた。かなり強く掴まれたのか手の跡がしっかり残っている。幸い痛みは思ったほどではないし、二、三日で痕も消えそうだけど、ギルベルト殿は苦々しい表情のままだった。
「あいつらの素行の悪さは前々から問題になっていたんだ。今度のことは許せねぇ。きっちり罰を受けさせて二度とあんなことはしねぇように躾し直す」
「そうしていただけると助かります」
腹は立つけれど、二度と同じようなことが起きないのならそれでいいわ。多分、もう二度と絡んでくることはなさそうだけど。怯え方が普通じゃなかったもの。
「それで、今日は一体どのような用件ですの? 子どものことはまだわかりませんが」」
話があると言っていたからその件だとは思うけれど、話せる状況になったのかしら。ギルベルト殿が使用人に視線を向け、小さく手を振ると使用人らしい男性が一礼して部屋を出て行き、室内は二人だけになった。
「ああ、急な話で悪ぃが、エーデルに行くことになった」
「エーデルに!?」
全く予想もしなかった内容に思わず大きな声が出てしまったけれど、エーデルだなんて行って大丈夫なの? 我が国では英雄でも彼の国では戦犯の一人かもしれないのに。
「ど、どうしてです? エーデルなんかに行ったらどうなるか……」
不吉な予感は言葉にすると現実になりそうで言えなかったけれど、それだけで彼には伝わったらしく眉間にしわを刻んでいた。彼もわかっているのね。なのに行くの?
「まさか……王家が?」
王女の輿入れと共に彼も連れて行くと? 確かに王女殿下の輿入れは慶事だけどそれは表向きで、実際は人質だと言われているわ。だったら……その先に待つのが決して明るくないことくらい私にだってわかる。そんな……目の前が急に暗くなって息が苦しい……いやよ、そんな……
「おい、待てって! そんな顔すんなよ」
「だって……エーデルなんかに行ったら!」
「俺は死にに行く気はねぇよ」
「だけど、彼の国では……」
「わかってるって。だけど俺は死にに行く気はねぇ。俺がエーデルに行くのは生きるためだ」
はっきりとそう言い切られたけれど、全く訳が分からなかった。生きるために? だけどエーデルの民をたくさん殺したのよ。そんな彼が彼の国に行ったら生きて帰れるかもわからないわ。
「いいか、一度しか言わねえからしっかり聞いて聞いてくれ」
両肩に手を置き、顔を覗き込むように真正面からそう言われた。いつもの怠そうな表情は今や真剣なそれに置き換わり、窓から差し込む夕日のせいか瞳がいつもよりも赤みを増しているように見えた。縋るような思いで小さく頷いた。
「俺はエーデル王に二つの提案をしに行く」
「提案?」
「ああ、一つはダーミッシュ領のエーデル編入、もう一つはリムス王家の打倒だ」
告げられた言葉に息を呑んだ。後者の方で。リムスを捨ててエーデルに付く話は前々から聞いていたわ。領民からもリムスよりもエーデルを望む声を何度も聞いたから。だけど、王家の打倒って……
「どうせリムスは長くねぇ。これまでもエーデル以外の国にちょっかいを出しては負け続けだし、民は重税に喘いで人心はとっくに離れている」
「ええ。だけど……」
「これはまだ確証はねぇんだが、北で王家打倒を掲げて秘かに人を集めているって噂がある」
「北の? それって……ザウアー家の?」
ギルベルト殿が口の端を上げて頷いた。北を治めていたザウアー辺境伯は二年前に絶えた家よね。美しい令嬢がいると評判で、王が娘を差し出すように命じたのは戦争が始まってすぐの三年ほど前だったかしら。王には妃が三人と妾が二十人、それ以外にも数えきれないほどの愛人がいると言われているわ。そんな中に娘を加えることを良しとしなかった辺境伯は病弱を理由に固辞したところ王の逆鱗に触れてしまい、娘を差し出さなければ反逆罪に問うとの通告を受けた。辺境伯とその家族は名誉を重んじ、また抗議の意を示すために自死し、ザウアー家はそこで途絶えてしまった。
今は王家が派遣した文官が治めているけれど、人格者で過不足なく治めていた領主とその一族を慕っていた領民の反発は激しく、統治は思うように進んでいないとか。それもあってあの地には反国王派が集まっているとも噂されているけれど……
「エーデルの国王が俺の提案を蹴ったら、俺はザウアーの連中に加わることも考えている」
「……本気、なのですか?」
「こんなこと冗談で言えるかよ」
そりゃあそうだけど……でも、そんなことをしたらダーミッシュ家は反逆者になってしまうわ。そんなことになったら……
「親父や兄貴と話し合って、俺は自らエーデルに出頭したと王家には報告する」
「でも、そんなことをしたらギルベルト殿が戦犯だと認めるようなものでは……」
「いや、そうはならねぇだろう。エーデルが求めているのはあくまでも第二王子だ。そこは兄貴が知り合いを通じて確認している」
そう言うと安心させるつもりなのか、いつものにやっとした笑みを浮かべた。だったら大丈夫なの? わからないわ、エーデルがどう考えているかなんて。そりゃあ、リムス王家よりは真っ当な考えの持ち主だとは思うけれど……
「そういうわけですまねぇ。俺の子がいるかもしれねぇお前さんを置いていくことになる」
一瞬前とは一転して、今度は苦しそうに眉を下げて謝られた。話があるって、そのことだったのね。
案内されたのは応接室で、ギルベルト殿は直ぐに腕を濡れたタオルで冷やしてくれた。かなり強く掴まれたのか手の跡がしっかり残っている。幸い痛みは思ったほどではないし、二、三日で痕も消えそうだけど、ギルベルト殿は苦々しい表情のままだった。
「あいつらの素行の悪さは前々から問題になっていたんだ。今度のことは許せねぇ。きっちり罰を受けさせて二度とあんなことはしねぇように躾し直す」
「そうしていただけると助かります」
腹は立つけれど、二度と同じようなことが起きないのならそれでいいわ。多分、もう二度と絡んでくることはなさそうだけど。怯え方が普通じゃなかったもの。
「それで、今日は一体どのような用件ですの? 子どものことはまだわかりませんが」」
話があると言っていたからその件だとは思うけれど、話せる状況になったのかしら。ギルベルト殿が使用人に視線を向け、小さく手を振ると使用人らしい男性が一礼して部屋を出て行き、室内は二人だけになった。
「ああ、急な話で悪ぃが、エーデルに行くことになった」
「エーデルに!?」
全く予想もしなかった内容に思わず大きな声が出てしまったけれど、エーデルだなんて行って大丈夫なの? 我が国では英雄でも彼の国では戦犯の一人かもしれないのに。
「ど、どうしてです? エーデルなんかに行ったらどうなるか……」
不吉な予感は言葉にすると現実になりそうで言えなかったけれど、それだけで彼には伝わったらしく眉間にしわを刻んでいた。彼もわかっているのね。なのに行くの?
「まさか……王家が?」
王女の輿入れと共に彼も連れて行くと? 確かに王女殿下の輿入れは慶事だけどそれは表向きで、実際は人質だと言われているわ。だったら……その先に待つのが決して明るくないことくらい私にだってわかる。そんな……目の前が急に暗くなって息が苦しい……いやよ、そんな……
「おい、待てって! そんな顔すんなよ」
「だって……エーデルなんかに行ったら!」
「俺は死にに行く気はねぇよ」
「だけど、彼の国では……」
「わかってるって。だけど俺は死にに行く気はねぇ。俺がエーデルに行くのは生きるためだ」
はっきりとそう言い切られたけれど、全く訳が分からなかった。生きるために? だけどエーデルの民をたくさん殺したのよ。そんな彼が彼の国に行ったら生きて帰れるかもわからないわ。
「いいか、一度しか言わねえからしっかり聞いて聞いてくれ」
両肩に手を置き、顔を覗き込むように真正面からそう言われた。いつもの怠そうな表情は今や真剣なそれに置き換わり、窓から差し込む夕日のせいか瞳がいつもよりも赤みを増しているように見えた。縋るような思いで小さく頷いた。
「俺はエーデル王に二つの提案をしに行く」
「提案?」
「ああ、一つはダーミッシュ領のエーデル編入、もう一つはリムス王家の打倒だ」
告げられた言葉に息を呑んだ。後者の方で。リムスを捨ててエーデルに付く話は前々から聞いていたわ。領民からもリムスよりもエーデルを望む声を何度も聞いたから。だけど、王家の打倒って……
「どうせリムスは長くねぇ。これまでもエーデル以外の国にちょっかいを出しては負け続けだし、民は重税に喘いで人心はとっくに離れている」
「ええ。だけど……」
「これはまだ確証はねぇんだが、北で王家打倒を掲げて秘かに人を集めているって噂がある」
「北の? それって……ザウアー家の?」
ギルベルト殿が口の端を上げて頷いた。北を治めていたザウアー辺境伯は二年前に絶えた家よね。美しい令嬢がいると評判で、王が娘を差し出すように命じたのは戦争が始まってすぐの三年ほど前だったかしら。王には妃が三人と妾が二十人、それ以外にも数えきれないほどの愛人がいると言われているわ。そんな中に娘を加えることを良しとしなかった辺境伯は病弱を理由に固辞したところ王の逆鱗に触れてしまい、娘を差し出さなければ反逆罪に問うとの通告を受けた。辺境伯とその家族は名誉を重んじ、また抗議の意を示すために自死し、ザウアー家はそこで途絶えてしまった。
今は王家が派遣した文官が治めているけれど、人格者で過不足なく治めていた領主とその一族を慕っていた領民の反発は激しく、統治は思うように進んでいないとか。それもあってあの地には反国王派が集まっているとも噂されているけれど……
「エーデルの国王が俺の提案を蹴ったら、俺はザウアーの連中に加わることも考えている」
「……本気、なのですか?」
「こんなこと冗談で言えるかよ」
そりゃあそうだけど……でも、そんなことをしたらダーミッシュ家は反逆者になってしまうわ。そんなことになったら……
「親父や兄貴と話し合って、俺は自らエーデルに出頭したと王家には報告する」
「でも、そんなことをしたらギルベルト殿が戦犯だと認めるようなものでは……」
「いや、そうはならねぇだろう。エーデルが求めているのはあくまでも第二王子だ。そこは兄貴が知り合いを通じて確認している」
そう言うと安心させるつもりなのか、いつものにやっとした笑みを浮かべた。だったら大丈夫なの? わからないわ、エーデルがどう考えているかなんて。そりゃあ、リムス王家よりは真っ当な考えの持ち主だとは思うけれど……
「そういうわけですまねぇ。俺の子がいるかもしれねぇお前さんを置いていくことになる」
一瞬前とは一転して、今度は苦しそうに眉を下げて謝られた。話があるって、そのことだったのね。
あなたにおすすめの小説
【完結】魔女令嬢はただ静かに生きていたいだけ
⚪︎
恋愛
公爵家の令嬢として傲慢に育った十歳の少女、エマ・ルソーネは、ちょっとした事故により前世の記憶を思い出し、今世が乙女ゲームの世界であることに気付く。しかも自分は、魔女の血を引く最低最悪の悪役令嬢だった。
待っているのはオールデスエンド。回避すべく動くも、何故だが攻略対象たちとの接点は増えるばかりで、あれよあれよという間に物語の筋書き通り、魔法研究機関に入所することになってしまう。
ひたすら静かに過ごすことに努めるエマを、研究所に集った癖のある者たちの脅威が襲う。日々の苦悩に、エマの胃痛はとどまる所を知らない……
どうぞお好きに
音無砂月
ファンタジー
公爵家に生まれたスカーレット・ミレイユ。
王命で第二王子であるセルフと婚約することになったけれど彼が商家の娘であるシャーベットを囲っているのはとても有名な話だった。そのせいか、なかなか婚約話が進まず、あまり野心のない公爵家にまで縁談話が来てしまった。
何もしなかっただけです
希臘楽園
ファンタジー
公爵令嬢であり王太子の婚約者であった私は、「地味だ」という理由で婚約を破棄され、王宮を去った。
それまで私が担っていた役目を、誰も知らないまま。
――ただ何もしなくなっただけで、すべては静かに崩れていく。
AIに書かせてみた第14弾は、「追放ざまぁ」系の短編。
ゲームには参加しません! ―悪役を回避して無事逃れたと思ったのに―
冬野月子
恋愛
侯爵令嬢クリスティナは、ここが前世で遊んだ学園ゲームの世界だと気づいた。そして自分がヒロインのライバルで悪役となる立場だと。
のんびり暮らしたいクリスティナはゲームとは関わらないことに決めた。設定通りに王太子の婚約者にはなってしまったけれど、ゲームを回避して婚約も解消。平穏な生活を手に入れたと思っていた。
けれど何故か義弟から求婚され、元婚約者もアプローチしてきて、さらに……。
※小説家になろう・カクヨムにも投稿しています。
モブで可哀相? いえ、幸せです!
みけの
ファンタジー
私のお姉さんは“恋愛ゲームのヒロイン”で、私はゲームの中で“モブ”だそうだ。
“あんたはモブで可哀相”。
お姉さんはそう、思ってくれているけど……私、可哀相なの?
虐げられた人生に疲れたので本物の悪女に私はなります
結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
伯爵家である私の家には両親を亡くして一緒に暮らす同い年の従妹のカサンドラがいる。当主である父はカサンドラばかりを溺愛し、何故か実の娘である私を虐げる。その為に母も、使用人も、屋敷に出入りする人達までもが皆私を馬鹿にし、時には罠を這って陥れ、その度に私は叱責される。どんなに自分の仕業では無いと訴えても、謝罪しても許されないなら、いっそ本当の悪女になることにした。その矢先に私の婚約者候補を名乗る人物が現れて、話は思わぬ方向へ・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
偽聖女として私を処刑したこの世界を救おうと思うはずがなくて
奏千歌
恋愛
【とある大陸の話①:月と星の大陸】
※ヒロインがアンハッピーエンドです。
痛めつけられた足がもつれて、前には進まない。
爪を剥がされた足に、力など入るはずもなく、その足取りは重い。
執行官は、苛立たしげに私の首に繋がれた縄を引いた。
だから前のめりに倒れても、後ろ手に拘束されているから、手で庇うこともできずに、処刑台の床板に顔を打ち付けるだけだ。
ドッと、群衆が笑い声を上げ、それが地鳴りのように響いていた。
広場を埋め尽くす、人。
ギラギラとした視線をこちらに向けて、惨たらしく殺される私を待ち望んでいる。
この中には、誰も、私の死を嘆く者はいない。
そして、高みの見物を決め込むかのような、貴族達。
わずかに視線を上に向けると、城のテラスから私を見下ろす王太子。
国王夫妻もいるけど、王太子の隣には、王太子妃となったあの人はいない。
今日は、二人の婚姻の日だったはず。
婚姻の禍を祓う為に、私の処刑が今日になったと聞かされた。
王太子と彼女の最も幸せな日が、私が死ぬ日であり、この大陸に破滅が決定づけられる日だ。
『ごめんなさい』
歓声をあげたはずの群衆の声が掻き消え、誰かの声が聞こえた気がした。
無機質で無感情な斧が無慈悲に振り下ろされ、私の首が落とされた時、大きく地面が揺れた。
【完結】婚約破棄寸前の悪役令嬢は7年前の姿をしている
五色ひわ
恋愛
ドラード王国の第二王女、クラウディア・ドラードは正体不明の相手に襲撃されて子供の姿に変えられてしまった。何とか逃げのびたクラウディアは、年齢を偽って孤児院に隠れて暮らしている。
初めて経験する貧しい暮らしに疲れ果てた頃、目の前に現れたのは婚約破棄寸前の婚約者アルフレートだった。