64年の闘病生活

あがつま ゆい

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64年の闘病生活

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 私がこの病を患ったのは17歳の高校2年生の2学期の1日目、転入生としてアイツがやって来たのがきっかけだ。

 アイツは中肉中背の身体で、顔は彫りが深いわけでも浅いわけでもなければ、一目見てコイツだと分かるような特徴的なポイントも無い。

 耳にはピアスの跡もないし、特に染めているわけでもない真っ黒の髪。アイツはそんな一見すればどこにでも居そうな、強いて言えば150センチ程度の私からすれば背が結構高い程度の、特徴のない事こそが特徴とでも言えるごくごく普通の高校2年生だった。でも、私にとっては違った。

 感染するのはほんの一瞬だった。アイツを見た瞬間、顔が熱くなり、胸の鼓動が早まるのを感じた。それ以来、私の半生はこの病との闘病生活で満たされることとなった。

 主な病状はアイツの事しか考えられなくなることと、アイツの事を考えているだけで心が躍る事。
 怒りや悲しみ、苦しみが無いのなら喜びも感動も要らない。穏やかで平穏、平坦な人生を望む私にとっては致命的なものだった。
 その病気はそれ以降、私の人生を徹底的にかき乱すことになった。



 その秋の文化祭の日、クラスの出し物の店番が終わってふとアイツを見たら一人でさびしそうな顔をしていた。
 「そう言えばアイツ学校になじめていないみたいだ」とクラスメートが噂していたのをうっすらと思いだした。

 その時の私は何を考えていたのか、無視すればいいのに、よりによってアイツに声をかけて「一緒に他の店を回ろうか?」なんていうとんでもない事を言ってしまった。

 自分からトラブルの元に燃料を注ぐなんて私としては信じられないような行為だ。何であんなことをやってしまったのか、今でも分からない。
 分からないけど、アイツの顔がパッと明るくなるのを見て、どうにかなりそうなくらい嬉しかったのは良く覚えている。何で赤の他人の笑顔で私も喜ばなくちゃいけないのだろうか。



 それから大体1年位時が流れた3年生の6月、私たちは修学旅行で京都に行くことになった。
 アイツには文化祭以降たびたび食事をおごってもらっている。クラス内では私とアイツは有名なカップルらしいが別にそんなつもりはない。ただ食事をおごってもらえるから会ってるだけだ。

 ただなぜかアイツと会いに行くとなると目一杯おしゃれしたり、それまでは男の子のように短くしていた髪を伸ばしてみたり、それまではこれっぽちも興味が無かった化粧に関する情報をネットから拾って試してみたり、と少しでもよく見せようとしてしまうのは私としては大いに疑問だ。

 それに「アイは最近オシャレや化粧をするようになってようやく女の子らしくなってきた」と親が安心しているが、それも分からない。私はただ私がやりたいことをやっているだけなのに。
 おまけに容姿をアイツに褒められると親から褒められた時よりも何百倍も嬉しいのはなぜだろう……分からない。世の中は分からないことだらけだ。



 肝心の修学旅行は清水寺、金閣寺といった定番スポットをクラス全員で回り、自由行動になったら結局余り物同士(後から聞いた話では友達はわざと私とアイツの2人きりにしたかったらしい)でアイツと2人きりで行動することになった。
 どこへ行ったかはよく覚えていない。ただアイツと一緒にいることが妙にうれしかった。それだけで満足してしまった。

 せっかく旅行に来たのにも関わらず、やってる事はいつもと同じこと。思い出も特にない。これじゃあ旅行に来た意味がない。何やってるんだろう私。それでも嬉しいと感じるのは2重の意味でおかしかった。



 それから1年が経ち、受験戦争を経て私もアイツも大学生になった。と言っても大学は別。お互い別々の場所に上京して離れ離れだ。
 高校にいた頃はアイツのせいで人生設計をメチャクチャにされたのでようやく私らしい穏やかで平穏、平坦な人生が始まる……はずだった。

 「ただいま」

 今までの癖で下宿先に帰ってきたらただいまという。でも誰も返事してくれない。当然と言えば当然である。一人暮らししているから。

 「……ハァ」

 私は重いため息をつく。


 孤独だ。


 ホームシックにかかったわけじゃない。アイツに会えない事が何よりもつらいし、キャンパスライフの楽しさを全部吹き飛ばしてしまう。

 「もしもし」
 「ああ、アイか? 今日も暗い顔だなぁ」

 いつものような調子でアイツは私を小突く。誰のせいだと思ってる。お前のせいで私は今こんなにも苦しんでいるというのに。

 私とアイツとは上京してからもパソコンを使って毎日決まった時間にビデオ通話している。アイツの顔を見て、アイツの声を聞いている間はこの孤独感は和らぐ。

 ふと気づいた。ああ。これはいわゆる麻薬だ。私は病気になった末にいつの間にか麻薬中毒患者になってしまったようだ。
 ゴールデンウィーク、お盆、正月といった連休は必ず実家に戻り、アイツと出会う。相変わらずアイツと会ってる間だけは幸せだ。
 この野郎、いつの間に私にクスリを盛りやがって。いつ盛った? 出会った時? 文化祭の時? 修学旅行の時? それとも卒業式の日か?



 大学生時代はまぁ人並みには楽しめたと思う。ゼミやサークルで出来た仲間とは今でも直接会う機会こそないがやり取りは続いてるし、関係も良好だと思う。
 女友達に関しては人並みだとは思うが問題は男関係だ。

 サークルやゼミでの男友達は何人かいて、時には迫られた時期もあったが最終的に肉体関係にまで発展することはなかった。

 在学中に何度もナンパされて(しかも周りの友達が言うには相手は相当良いレベルらしい)食事を一緒にする時もあったが、いつもそのナンパ相手をアイツと比べていた。
 そして必ず「でもアイツ程じゃないな」という結論が出てしまい、電話番号の交換もせずにその時限りの関係になってしまうのだ。

 友人からは「アイってば理想高すぎ」なんて言われたが、私も何でか知らないがいつもアイツと比べて、いつもアイツの代わりにはならないなという結論を出してしまうのだ。決して理想が高いとかそんなんじゃないのに。



 「なぁ、アイ。俺、やっと内定決まったから……結婚しようか」


 パソコンのカメラごしにそう唐突に切り出してきたのは大学4年の1月。お互い内定も出て、あと2ヶ月で大学卒業という時期だ。
 しかもダイヤモンドがはめ込まれていた指輪までカメラの前に差し出して、だ。

 「結婚なんて考えてない。仕事する」

 そうスッパリと切る。結婚なんて私の人生設計の中には無いし、何より誰かのさじ加減で自分の行く末を決められてしまう結婚なんて最悪と言っていいものだった。
 それよりも自分の責任で自分の人生を決められる仕事する方が良いに決まってるからだ。

 4月になり家に帰ってきて働き始めると、地元の同僚から職場の人間に私にとってのアイツの事が伝わったらしく、休憩時間になるとほぼ必ず「良い人いるのに何で結婚しないの?」とか、「アンタ若いんだから結婚できるときに結婚しときなさい。年取ると子供産めなくなるよ」なんていう事を来る人から来る人から言われる始末だ。

 余計なお世話だ。私は一人で生きていくと決めていたんだ。それの何が悪い?



 働き始めてから2か月後の梅雨空の6月。アイツと来たら懲りずに2度目のプロポーズを仕掛けてきた。その際アイツは趣向を変えて「お前を病気にさせてしまった責任を一生かけて償わせてくれ」と願い出た。
 なるほど。そもそも私がこうなったのはコイツのせいだ。ならその責任とやらをとってもらおうではないか。そういう思いで

 「分かった。じゃあ一生かけて償ってちょうだい」

 と返事をした。

 そしたらあれよあれよという間にウェディングドレスを着せられ結婚式の主役になってしまった。
 私とアイツの親兄弟に親戚友人、全員が私を祝福するが私にとっては「メチャクチャ動きにくい服を着せられ終始張り付いた笑顔を強いられる苦痛に満ちた日」だった。

 同僚も多分寿退社する私の事を妬んでいるのだと思う。何でこんな恨みを買うようなことをしなくてはならないのか、全く分からなかった。

 おまけに式を挙げてからというもの吐き気が酷くなり、横になる日が増えた。それが収まったと思ったらお腹がどんどんと膨らんでいった。子供が出来たのだ。私のお腹の中に私ではない別の人間がいる。嬉しい反面、今まで体験したことが無い恐怖もあった。

 アイツがそんな私を優しく支えてくれていたのは悪い感じはしなかった、というよりははっきり言って嬉しかった。いまだにこの病気は治る気配すら見せない。どうしたものか。
 お腹が大きくなるにつれてやたら暴れて中身がしきりにお腹を蹴飛ばすようになり、破れてしまわないか不安になる日を過ごしていたが、何とかなった。



 そしてあの日。突然耐え難いほどの激痛が私を襲った。アイツは大声でスマホに叫んで救急車を呼び、私はそれに担ぎ込まれて病院へと直行した。耐え難いほどの激痛に何時間もさらされた末に、赤子の泣き叫ぶ声が私の股の部分から聞こえてきた。女の子だった。

 これからの私の人生は彼女が主役かと思うと何とも言えない気持ちになった。良いとか悪いとかそう言うものではない。ただ誰かから主役交代を告げられたような気がした。



 娘の世話ははっきり言ってキツイ。

 ミルクは飲まないしオムツを1日に何度も取り替えなくてはいけない。ものすごく手間がかかる。
 ベッドに寝かせようとするとスイッチが入ったかのようにオギャーオギャーと泣きじゃくり暴れる始末だ。しかも夜中に何度も泣き出してそのたびに授乳をしなくてはいけないので朝なると睡眠不足で足取りがおぼつかなくなる。

 でも何とか寝かしつけてすやすやと眠る彼女を見ると不思議と安堵する。なぜだろう。

 アイツはと言えば私が必死こいて寝かしつけた娘を見てデレデレの間抜け面をさらしている。少しは引き締まった顔をしたらどうだ? ただの親バカにしか見えないじゃないか。それに、キリリとしている顔の方がいいのに。

 休日はアイツが育児をしてくれているが、出産経験のある年上の友人たちは「アンタはまだマシな方よ。うちの旦那は「子育ては女の仕事だ。休日くらい息抜きさせろ、こっちは仕事で疲れてるんだぞ!」なんて言う始末だから」
 という「本人に言えよ」としか言いようがない愚痴を垂れ流す。付き合ってられない。

 そうこうしているうちにそれから2年後には長男が、さらに3年後には次女が産まれ、長男が産まれた頃からアイツの両親の家に住むようになり、私の家族は総勢7人の今時としては珍しいかなり大きな家族へと成長した。

 アイツの両親が子育てに参加してくれたおかげで私の負担はだいぶ減ったのが幸いだ。もし3人の子供を1人で見ろと言われたら多分怒り狂ってたと思う。



 次女が4歳になってイヤイヤ期も抜けた頃、およそ10年ぶりに家族7名で外食に行った。

 日に日に背が高くなりそろそろお子様ランチは卒業かなと思う長女。
 料理にがっついてのどに詰まらせ慌てて水を飲む長男。
 私の義理の母親にフーフー冷ましてもらって麺をすする次女。
 みんなかわいかった。TVをにぎわすアイドルにも余裕で勝てると思う。

 「楽しそうだなお前。笑ってる」

 3人の子供を見ていた私にアイツは声をかける。アイツとは学生時代の頃から数えればかれこれ15年以上になる。「そんなに長く付き合って飽きないのか?」なんて言われることもある。が、私に言わせてもらえばなぜか一向に飽きる気配はない。

 アイツは毎日毎日違う顔を見せる。まるで幅広い役柄を演じ分ける名女優のように「こんな顔も出来るのか!」と驚くばかりだ。それにTVに出てくるどんな美形で性格の良い俳優でも「ここはちょっと」と思う所はあるのにアイツに関してはそう言った部分が全く出てこないのも不思議な話だ。

 今だにこの病は治る1歩すら踏み出せないままで、むしろどんどん酷くなっているとさえ言える。



 「ウルセエ黙れクソババア!」
 「誰がクソババアだって!?」

 14歳になった息子がブチ切れる。長女の高校受験もひと段落したというのに家の中がまた荒れだした。いわゆる反抗期とか言う奴らしい。

 「お前自分の母親にクソババアとかいう奴がいるか!? メシも全部用意してくれて、服もパンツも洗ってもらってるくせに何がクソババアだ! 自分一人じゃ何もできないガキの分際で偉そうに!」
 「何だクソジジイ! やんのか!?」
 「親を何だと思ってやがる! こっち来いテメェ!」

 あの子はこんな事するような子供じゃない、そう思ってはいるのだが目の前で起こっていることに頭の処理が追いつかない。はっきり言ってかなりショックだ。
 アイツは息子の頭を掴んで荒々しく怒鳴り散らすように説教したり、取っ組み合いのケンカにまで発展している。息子に大して毅然とした態度で立ち向かうのはちょっとだけ、ほんのちょっとだけど頼りになる。

 あの子が私の手の中でミルクを飲んていた頃や、幼稚園に通い始めた頃が酷く懐かしく感じられた。



 年をとればとるほど時間の流れは速くなる。多分私の父親が言ってたことだがそれは本当だ。3人の子供も次々と大学に入学したり、就職したりで独立して家を出て行った。

 「母さん、紹介したい人がいるの」

 ゴールデンウィークに久しぶりに帰ってきた長女が男性を紹介してくる。いつのまにかいい人を見つけたそうだ。
 そう言えば私もあの日、6月にアイツにプロポーズされた後、アイツの両親に会いに行ったっけ。今思うととても懐かしい。

 あの頃は、結婚は人生の墓場。自由の無い束縛されたディストピアのようで嫌な感じばかりしかしなかったが、今ではあの選択肢がベストだったと思えるのはなんでだろうか。それだけ私が年を取って丸くなった。とかいうやつなのだろうか?

 その男性はちゃんとそれなりの仕事に就いているようで彼なら安心して娘を預けられるだろうなとは思っていた。

 それから2か月後、長女はその男の人と結婚式を挙げることになった。
 アイツと来たらあの子の結婚式が始まるやいなや涙と鼻水が混ざった液体をだらしなくダラダラとたれ流している。

 「ううううう……」
 「しっかりしなさいよ。アンタあの娘の父親でしょ?」
 「ア゛イ゛ィ゛……そんなこと言ったって、そんなこと言ったって、咲が、咲がお嫁に行っちゃうんだぞぉ? うぐおおおおお……」

 そう言って本日何度目か分からない涙腺崩壊をかます。情けないやつめ。
 でも何となくだがその気持ちは完全に分からないわけではない。日に何度もオムツを変えたりミルクを与えたりと手塩にかけて育てた娘が嫁に行くとなるとさびしいというのはある。

 そうこうしているうちに子供たち全員が結婚し、その子供……私にとっての孫が産まれ、おばあちゃんになってしまった。でも私とアイツの関係は、それだけはずっと変わらなかった。



 私が病を患ったあの日からもう57年が経った。私は気が付いたらもうしわくちゃのおばあちゃんになっていた。
 アイツもまだ足腰はしっかりしていて杖を使わずに自分の足だけで歩けるが、ヨボヨボのおじいちゃんだ。

 もうかれこれこの病とは50年以上の付き合いだ。さすがの私もここまで来たら生きているうちにはもう治らないのだと半ばあきらめている。

 気が付けば町内じゃ有名なおしどり夫婦になっていて、地元のケーブルTVで紹介されて夫婦円満の秘訣とかを取材される時もあった。
 その際は「自分でも何でこんなに長く続けられるのかはわからない」と正直に述べたところ記者たちは残念そうな顔をしてたのを覚えてる。

 年をとると色々なものを赦せるようになってきた。
 私にこの闘病生活を強いたアイツのことも赦そうと思う。……死ぬまで離さないからね。
 ……涼二さん。
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