真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第五章 魔導帝国ベルゼリア編

第126話 拳は届かず、想いも届かず──けれども優しさは

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 地面に大の字に倒れた佐川颯太を見下ろしながら、鬼塚玲司は声もなく息を呑んだ。


 ──見た。確かに見た。


 “勇者”が、ただのくしゃみで吹き飛ばされた。

 地面には無残な体勢で転がる佐川。

 その顔には血の気が引き、意識は完全に途絶えていた。



 (……颯太を、ただのくしゃみ一発で……!?)



 鬼塚の喉がゴクリと鳴った。

 その目の前では、銀髪の少年が「やっべー……」と額に手を当てながら、申し訳なさそうに佐川の方を見ていた。


 ──アルド。あまりに無自覚な存在。


 だが、今の一撃だけで、彼が“規格外の存在"であると、鬼塚の全神経が理解していた。

 だが。

 

 「──颯太くんっ!!」

 

 天野唯の悲鳴に近い叫び声が、その場を切り裂いた。

 彼女は震える足で佐川へ駆け寄る。心配に押し潰されそうな顔で。

 その姿に、鬼塚の胸がズキリと痛んだ。

 

 (……そうだよな。天野にとって、佐川は──)

 

 彼の奥歯が軋む音を立てる。

 逃げたくなるほどの圧倒的な強さを前に、胸の奥が悲鳴を上げていた。

 けれど、もう逃げることはできない。

 

 (──もう、俺たちは……あいつらと敵対しちまった)

 (だから……どんな化け物相手でも……)

 

 拳を強く握る。爪が掌に食い込む。

 

 (俺が……佐川や天野を……クラスのヤツらを、“元の世界”に──!!)

 

 覚悟を決めた。

 鬼塚は吠えるように咆哮を上げながら、全速力でアルドに向かって駆け出す。



 「うおおおおおおッッ!!」



 魔装で補強された脚が、石畳を裂くように走り抜ける。

 紫の魔装がギィンと駆動音を響かせ、背中の装甲から放たれた推進力が加速をかけた。

 拳を振りかぶる。魂を込めて、すべてをかけて──。

 

 しかし──

 

 「おっ?」

 

 アルドの瞳がギン、と光った。

 次の瞬間だった。

 鬼塚の視界からアルドが“消えた”。

 直後。彼の身体の真ん前に、唐突に“現れた”アルドの顔。

 いや、違う──“現れた”のではない。“瞬間移動”したかのように、一瞬で眼前にいた。

 

 「えっ、な……」

 

 喉が凍りつく。

 全身が、金縛りにあったように固まった。

 

 「……あー、なるほど。地下で見た“魔導機兵”の仲間ね。ツノもあるし、たぶん……"隊長機"かな?」

 

 アルドの声は至って真面目だった。むしろ少し興味深そうですらある。



 「……リュナちゃんの命を狙ってる、って言ってたし。 とりあえず、これも──ぶっ壊しておくか」

 

 拳が引かれる。

 その構えに、何の無駄もない。


 無意識に鬼塚は、今まで自分が喰らってきたすべての暴力──


 幼い身で受けた父親の鉄拳、


 異世界で受けた紅龍の技、

 
 それらを超える“死”を直感した。

 

 (ああ──)

 

 スローモーションのように迫る拳。

 身体が動かない。

 喉が震える。

 思考が止まり、ただ──死を受け入れる準備を、していた。

 

 が。

 

 「──兄さんっっ!!ちょい待ったあああーーっっ!!」

 

 森の奥から、甲高い叫び声が聞こえた。

 

 「人間!! そいつ中身、人間っす!!」

 

 アルドの拳がピタリと止まった。

 鬼塚の顔の、ほんの数ミリ手前で。

 

 「えっ……?」

 

 寸止めの拳が、そっと鬼塚の額をかすめるように“コツン”と当たった。

 

 その瞬間──

 

 バシュッ!! 

 

 鬼塚を包む紫の魔装が、光の粒子となって霧散した。

 装甲の一つ一つが塵のように砕け、夜風に消えていく。

 

 「──……!」

 

 鬼塚はそのまま腰を抜かすようにペタンと尻餅をつき、地面に手をついてガタガタと肩を震わせた。

 額から冷や汗が止まらない。

 拳を当てられたわけでもないのに、心臓がバクバクと跳ね上がっていた。

 ただ、恐怖があった。

 言葉では説明できない、“本能”が告げる絶対の力への恐怖。

 

 目の前で、拳を止めた銀髪の少年──アルドが、ふぅーっと胸に手を当ててため息をつく。

 

 「……あっっっっっぶねぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 今にもズボンの裾をつかんでガクガクしそうなほどの勢いで、額に冷や汗。

 

 「完全にロボだと思ってた!!だってツノあるし!?"隊長機"かと思うじゃん!?いやほんと、マジ焦ったぁぁあ!!」

 

 鬼塚は、ただ呆然と、少年の顔を見つめていた。



 ◇◆◇



 紫の魔装が霧のように消えたあと、鬼塚玲司はその場に尻餅をついたまま、身動きが取れなかった。

 両手は地面を掴んだまま。肩が、微かに震えていた。


 前に立つのは、銀髪の少年──アルド。


 少年の拳が自分の顔面の寸前で止まっていたことを、鬼塚の脳はまだ処理しきれていなかった。

 視線を上げる。

 あの透き通る様な双眸と再び目が合うと、全身がビクリと跳ねた。

 

 (……こいつは……)

 

 手が、膝が、唇が、勝手に震える。

 戦う覚悟はあった。

 どんな相手であっても、仲間を守るためなら命を懸ける覚悟は──あったはずだった。

 

 (……なのに、動けねぇ……!)

 

 それほどまでに、目の前の少年が纏う“圧”は異質だった。

 怒りでも、殺気でもない。どこか掴みどころのない、けれど底知れない“力”の塊。

 身体がその存在に怯えていた。

 

 ──父に殴られた日の記憶が蘇る。

 怒鳴り声。鉄拳。理解も反抗もできないまま、ただ殴られた。

 異世界に来てすぐ、紅龍に一撃をもらい壁に叩きつけられた。

 
 あの圧倒的な“格”の違い。

 
 ──そして今、自分はまた、“それ”を前にしている。

 

 (……やっちまった……! 俺は……また……!)

 

 歯がガチガチと音を立てた。

 敵意を向けるべきではなかった格上の存在に、牙を剥いてしまった。

 自分の覚悟など、鼻息ひとつで吹き飛ばされる。

 これは勝負にならない。戦いですらない。

 

 ──これは、“裁き”だ。

 

 恐怖が喉を掴み、全身の血を凍らせていく。

 

 (……また、殴られる……)

 (違う……こいつと俺の差は、そんな生易しいもんじゃねぇ……)

 (──殺される……!)

 

 アルドの手が、ゆっくりと伸びてきた。

 鬼塚は反射的に肩をすくめ、目をぎゅっと閉じた。

 身体がビクリと跳ねる。

 

 だが──

 

 「ご、ごめんね!? 大丈夫だった!?」

 

 その声は、驚くほどに焦っていて──優しかった。

 

 「俺、てっきり君のこと……魔導機兵とかいうロボットだと思っててさ……! ツノとか装甲とか、完全に“それ”っぽかったし!」

 

 戸惑いと恐縮が入り混じった声音。

 拳ではなく、そっと頬に触れる指先は、恐ろしいほど柔らかかった。

 

 「け、怪我はない? 痛いとこある? ごめんね、ほんと……!」

 

 鬼塚の肩や腕、頭をアルドの手がペタペタと触れる。

 確認するように。壊れ物を扱うかのように。

 

 「立てるかな? あっ、気持ち悪くなってたら言ってね? 急に来たから、ビックリしたよね……」

 

 ──わけが、わからなかった。

 

 鬼塚は目をパチパチと瞬かせた。

 さっきまで、自分を一瞬で爆散させようとしていた相手が、今は自分の心配をしている。

 

 (なんだ……?)

 

 頭が混乱する。

 

 (コイツ……俺の、心配……してるのか……?)

 

 信じられなかった。

 あれほどの力を持つ存在が、自分のような取るに足らない不良の安否を案じている。

 謝っている。

 優しく触れてくれている。

 

 「……なん、で……」

 

 喉から、かすれるような声が漏れた。

 

 (あんな鬼みてぇに強ぇヤツが……俺なんかに……)

 (喧嘩売って、敵だった……俺の事を……)

 (謝って……心配してくれてる……?)

 

 アルドは申し訳無さそうに、にこっと笑って──

 

 「ほんと、ごめんね。俺、気づくの遅くてさ」

 

 と、また素直に頭を下げた。

 

 「ほら、立てる? 手、貸すよ」

 

 すっと、手を差し出してきた。

 まるで敵だったことなど一度もなかったかのような、柔らかい笑顔。

 

 鬼塚は──反射的に、その手をじっと見つめた。

 指は細く、小さく、傷も無い。

 けれどその手は、不思議なほど“温かそう”だった。

 

 (なんだ……コイツ……)

 

 心の奥の、氷のような恐怖が、わずかに解けていくのを感じた。

 鬼塚はおずおずと、差し出されたその手に──そっと、自分の手を伸ばした。

 

 ◇◆◇



 ──その瞬間だった。

 

 「皆さんっ!! その銀髪ショタくんと戦ってはダメです!! 負けイベです!!逃げます!!」

 

 鋭い叫び声が空気を裂いた。

 

 草むらの陰から飛び出してきたのは、地味目の美少女──与田メグミ。

 制服姿のまま、転びそうになりながらも必死に走り出し、その手には一つの光る石を握っていた。

 

 「これ使います!! 今すぐ!!」

 

 ――カチン!

 

 石を叩きつけた瞬間、鈍い光が瞬いた。

 空気が振動し、空間が歪む。

 そして──

 

 鬼塚、天野、佐川、流星、タケル、イガマサ、そして与田──

 全員の身体が、淡く輝く転移の光に包まれた。

 

 「──っ!?」

 

 突如として消えゆく彼らの姿に、誰もが息を飲む。

 

 「っ……逃げられちまったか」

 

 ヴァレンが眉間に皺を寄せ、小さく舌打ちするように言った。

 その瞳には警戒とわずかな悔しさが滲んでいる。

 

 「まさか……あんな魔導具を、隠し持ってたとはな……」

 

 “帰還石”──本来なら転移系の魔導具は希少性が高く、そうそう世に出回ってはいないはずの代物だ。

 

 「……終わった……の、かな……?」

 

 ブリジットが小さく呟きながら、膝をついた。

 その場に、へたり込むように座り込む。

 張り詰めていた緊張が一気に解け、彼女の呼吸は少し荒くなっていた。

 

 ポルメレフも、しっぽをバフンと床に落としながら息をつく。

 フレキはグェルのそばに寄りかかり、ぐったりとしたまま空を見上げていた。

 

 騒がしかった広場に、急に静寂が戻る。

 

 アルドは、しばらくぽかんとしたまま、鬼塚が立っていた地面をじっと見つめていた。

 

 「……結局、何だったんだろうな、あの子たち」

 

 ふと漏らしたその声は、誰に向けたわけでもない。

 ただ、その場の空気に問いかけるように、独りごちた。

 

 ──その背後。

 

 「兄さ~~ん!!」

 

 手をぶんぶん振りながら、森の奥からリュナが駆けてきた。

 黒マスクの下の顔には、いつもの無邪気な笑み。

 息も切らさず、どこか楽しそうに。

 

 「戻ったんすね~! ……も~~、帰るの遅いっすよ~?」

 

 「リュナちゃん……!」

 

 アルドはくるりと振り向き、思わず笑顔になる。

 

 「止めてくれてありがとね! ほんっとに危なかったよ!!」

 

 胸を押さえて、心底ほっとしたように息を吐く。

 

 「……もうちょっとで、スプラッタな事態になるとこだった……!」

 

 ──あの時、リュナの声がなかったら。

 自分は、鬼塚を“魔導機兵”だと思い込んだまま、殴っていた。

 冗談抜きで、身体が丸ごと吹き飛んでいたかもしれない。

 

 「でもさ、なんで……俺があの子を“ロボット”だと勘違いしてるって、分かったの?」

 

 リュナはきょとんとした顔で首を傾げ、それからくすっと笑った。

 

 「え、そんなの……当たり前っすよ?」

 

 「兄さん、人間相手にあんな強めのパンチ、絶っ対しないっしょ?」

 「だから、何か勘違いしてんだろーなーって思って。」

 

 その言葉に、アルドは一瞬だけ目を見開いた。

 

 「……あ」

 

 思わず口から零れた声。

 リュナの目は、真っ直ぐだった。

 笑ってはいるけど、それは“信頼”からくる笑顔だった。

 

 (リュナちゃんは……)

 

 (俺が、“優しくある”ってこと……当然みたいに、信じてくれてるんだ……)

 

 心の奥に、じんわりとした温かさが灯った。

 

 どんな力があっても、間違って使えばただの暴力だ。

 その境目を、信じてくれている存在がいる。

 それが、嬉しかった。

 

 「……そっか」

 

 静かに、けれど確かに微笑んで、アルドは答えた。

 

 ──少しだけ、胸を張って。
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