真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第五章 魔導帝国ベルゼリア編

第141話 "凶竜"のジュラシエル

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息を潜めながら、俺は瓦礫の影から顔を出した。

そこに鎮座していたのは──ビルの壁に背を預け、巨大な身体を折り畳むように眠るティラノサウルス。

図鑑や映画で見たのより俄然デカい。二倍はある。

そいつは口を半開きにして「シュ~ル……ピピピピピ……」と間の抜けた寝息を立てていた。


そして──その歯の隙間に。



「……か、影山くん……!?」



半透明の影山が、片脚を奥歯に引っかけるように挟まれ、ぐったりと舌の上に横たわっている。



(やっべえ……! なんであんな位置に!? もしこのティラノが寝返り打ったり、唾を飲み込みでもしたら──そのままごっくんじゃない!?)



冷や汗が背筋を伝う。

下手に刺激すれば、飲み込まれるのは一瞬だ。

俺は歯を食いしばり、そろそろと歩を進める。

夜気に混じって、ふわりと漂ってきたのは――



(……え? なんか……めっちゃいい匂いするんだけど……?)



花束を鼻先に押し付けられたみたいな、フローラルな香り。

巨大な恐竜から出ている匂いじゃない。

泥臭さとか、爬虫類の匂いとか、そういうのを想像していたのに。



(……いやいや、そんなこと考えてる場合じゃない! 影山くんを助けるのが先だ!)



俺は腹を括り、ついにティラノの顔の真正面に立った。

暗い口腔の手前、口先に赤黒い何かがへばりついているのが見える。



(……血……? うわ……マジでグロいやつ……)



だが怯んでいられない。

俺はゆっくりと、伸ばした指先をその巨大な口へ──


──パチリ。



「……っ!」



瞼が開いた。

黄金色の瞳がギラリと光り、真正面から俺を捉える。



(やっば……! 吠える!? 噛みついてくる!? どっちにしろまずいだろコレ……!)



背筋に氷柱を突き立てられたみたいに固まった瞬間。



「キャーーーーー!! 痴漢よーーーーーッ!!」



……え?

野太いオッサン声と、乙女じみた悲鳴が合体したような声が、夜の広場に響き渡った。

鼓膜を突き破るような声量。俺の銀髪は一瞬でオールバックになり、コートの裾までひるがえった。



(えええええええええええええええええ!? 思ってた反応と違う!?)



内心で絶叫しながら、俺はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。



 ◇◆◇



耳を劈くような悲鳴が、夜の街に轟いた。

反射的に肩を竦めた俺は、そのまま呆然と立ち尽くしてしまう。



「信じられない!!」



──ズシン。

地鳴りのような音とともに、ティラノサウルスが立ち上がった。

ビルの谷間がミシミシと悲鳴を上げ、ガラス窓に蜘蛛の巣状のひびが走る。

黄金の瞳が爛々と燃え、巨大な顎が開かれる。

そして、吐き出されたのは、野太いオッサン声──けれど口調は乙女そのもの。



「レディが寝てる間に……勝手にキスしようとするなんてっ!」


「えっ!? ご、ご誤解です!!」



なぜか敬語で謝ってしまう。

だがその度に、ティラノの奥歯に挟まった影山くんがグラグラと揺れる。



(ああああああ!? か、影山くんがギリギリだ……!?)



胃の底まで冷えるような冷や汗が背中を流れ落ちる。

この状況、ビジュアル的には笑えるはずなのに、笑えない。影山くんがシャレにならん。

ところが次の瞬間、ティラノは俺をまじまじと凝視し……ハッ、と息を呑んだ。



「あらっ……!! よく見たら……可愛らしい、シルバーブロンド男子じゃないっ!!」



──は?


まさかの反応に、思わず一歩下がる俺。

ティラノは頬をポッと赤らめた……いや、鱗のどこがどうなって赤くなってんの!?


さらに、どこからともなくコンパクトを取り出し、器用に前足で構える。



「やだ~! ギャタシったら、昨日お化粧落とさないで寝ちゃってる~! 超おブス~!」



野太い声で嘆きながら、小さな前足で器用に口紅をススッと塗り直していく。

その動作の妙な細かさに、俺は思わず目を細めた。

つーか、口の周りの赤いのって血じゃなくて、口紅だったの!?

さっきまでの緊迫感が、一瞬で崩壊した。

化粧直しを終えたティラノは、再び俺に顔を近づけてきた。

鼻先から吹き出す息は熱風そのもの。髪が乱れて、額に張り付く。



「どこから来たの~? ギャタシ好みの可愛い僕ちゃん~!」

「ヤダもぅ~! ホント可愛すぎ~! 食べちゃいたくなるわ~!」



ど……どっちの意味だとしても怖ぇー!!

でっかい顎が「パカッ」と開くたびに、影山くんの体がゆらゆら揺れる。

俺は直立不動、ただ祈るように見守るしかない。


喉は乾いてカラカラ。心臓はドラムみたいにバクバク。

額の汗が、夜風に冷やされて妙にひんやりとした。

お姉ティラノはウィンクをひとつ寄越し、さらに言葉を畳み掛けてくる。



「ギャタシって、こう見えても……タイプの男子の前だと、結構“肉食系”なとこあるのよね~♡」



でしょうね!!どう見ても!!

心の中で全力のツッコミを入れる。

笑うべきか、怖がるべきか、判断に困る。


──ただひとつだけ確かなのは。


この状況、影山くんの命がかかったコントだってことだ。



 ◇◆◇



ティラノサウルスは、奥歯に影山をひっかけたまま、ふと我に返ったように声を張った。



「あらヤダ、自己紹介がまだだったわね~! キュート男子!」



ズズンと地響きみたいに胸を張り、巨大な尾をバサッと振る。夜の広場に風が巻き起こる。



「ギャタシは、“強欲四天王”の『可愛い』担当。
──“凶竜”のジュラシエルよ~!」



黄金の瞳をきらきら輝かせながら、ティラノはバチーン!とド派手にウィンクした。

野太い声で、しかしやたら可愛く締めくくる。



「愛を込めて“ジュラねえ”って呼んでね♡」



……。



「えっ!? “強欲四天王”!?」



思わず素っ頓狂な声が出た。

内心ではさらに大騒ぎだ。

いや、これもベルザリオンくんの同僚なの!? 

え、マジで!? ハトとティラノサウルスと一緒の職場って、どういう環境!?

未来型動物園かな?

マイネさん、どういう基準で採用してんの?

ぐるぐると思考が渦巻くが、とりあえず自己紹介されたら、こちらも最低限の礼儀は尽くすしかない。



「は、初めまして。アルド・ラクシズと申します。……はい」



深く頭を下げる俺。

ティラノ──いや、ジュラ姉は満足そうに頷くと、器用に前足をひょいと持ち上げ、爪を見せた。



「それで、アルドきゅんは何の用事でこんな所にいるのかしら~?」



前足の爪に、赤く光る液体が塗られていた。

それを器用にちょんちょん塗り直すジュラ姉。

爪に付いてた赤いのも、マニキュアだったの!?

さっきまでの不気味さが、謎の女子力で一気に崩壊する。

俺は喉を鳴らしつつ、正直に切り出すことにした。



「いや、実はですね……今、貴女あなたの……」

「“貴女”なんて他人行儀な呼び方はよしてぇ!」



ビシッと前足で俺を指さすジュラ姉。

黄金の瞳が爛々と光り、声がひときわ高くなる。



「ジュラ姉って呼んでっ!」

「ひ、ひえっ!? じゅ……ジュラ姉の奥歯にですね……そのー……」



冷や汗が首筋を伝う。俺は引きつった笑みを浮かべ、勇気を振り絞る。



「……僕の仲間っていうか……友達? が、挟まってるんじゃないかなー……って思ってまして……」



おそるおそる言葉をつむぐと、ジュラ姉は「あらぁ!?」と目を丸くした。



「えっ……!? どこ? 寝惚けてあくびした時に、何か落ちてきたものでも挟まっちゃったのかしら? ギャタシったら、おっちょこちょい!」



またもやどこから取り出したのか、コンパクトの鏡を器用に前足で掲げる。

大きな口をガバァと開け、角度を変えながら口内を覗き込むジュラ姉。

だが──。



「……あら!? おかしいわね~……?」



眉をひそめるジュラ姉。

鏡の中には、影山の姿は映っていない。



「アルドきゅんの言うように、歯に何か挟まってる感覚はあるんだけど……何も見えないわぁ?」



そう言いながら、長い舌をぬるりと伸ばす。



「んん~~……ここかしらぁ~?」



ぬちょり。



「ひぃ……!!」



影山くんの顔面を舌先がコロコロと転がす。

半透明な彼の頭が、ベットベトの唾液でテカテカに濡れていくのが見えて……。



(うわぁ……!)



いや、きっつ。

思わず内心で声を漏らしてしまった。

影山くんの姿が見えるのは、俺だけ。

その影山くんはと言えば、あらゆる意味でとんでもない事になっている。

彼の顔が唾液でぐっしょり光っているのを見て、俺の背筋に寒気が走った。



 ◇◆◇



「……あ、あの! よかったら、俺取りますよ!」



思わず手を挙げてしまった俺に、ティラノ──いや、ジュラ姉の黄金の瞳がカッと見開かれ、ぎらりと光を帯びる。

巨大な顔面が近づくたびに、風圧で前髪が揺れる。心臓が耳の奥でドクドク鳴った。



「ええっ!? アルドきゅんがぁ!? でもぉ~……口の中じっくり見られるのって、恥ずかしいっていうか~……♡」



クネクネと身体を揺らすジュラ姉。

可愛い仕草のつもりなんだろうけど、その度に地面がミシミシと軋み、ビルの窓ガラスがカタカタと震えてる。

照れの仕草一つが地震規模だ。

俺の足元までガクガクしてるんだけど。



「じゃ、じゃあ! 目ぇつぶって取りますから! ね? それなら恥ずかしくなーい! でしょ!?」



冷や汗を垂らしながら必死でフォロー。自分でも何言ってるか分からない。

ジュラ姉は一瞬ぽかんとした後、口角をぐにゃりと緩め、鱗の頬をポッと赤く染めた(どうやって赤面してんのか、謎すぎる)。



「それじゃあ~……お願いしちゃおっかな♡」



ガパァァァァッ!!


いや、っわ。

夜空を切り裂くように巨大な顎が開かれる。

闇の奥、奥歯の間に──ぐったりとした影山くんが引っ掛かっているのが見えた。

半透明の身体が口内の唾液で煌めいている。



(……うわっ……近くで見ると、ティラノの口腔内、迫力ハンパないな……)



俺は思わず喉を鳴らす。

覚悟していた血や肉の臭いはなく、代わりにふわりと甘いフローラルなシトラスの香りが鼻をくすぐった。



(……なんかいい匂いする……? ジュラ姉、ブレスケアまでしっかりしてる!? 何なの、その謎の女子力……)



頭の中で必死にツッコミを入れながらも、足は止まらない。

俺は一歩、また一歩とジュラ姉の口の中へと足を踏み入れる。

舌が床のように広がり、べっとりと濡れていて、足音が「ぺちゃ、ぺちゃ」といやに生々しく響いた。

吐息が熱風のように頬を撫で、鼓動が加速する。



「……よしっ」



奥歯まで辿り着き、両腕で影山くんを抱え上げる。

ぬるりとした唾液が肌を伝ったが、背中に背負った瞬間、胸の奥から安堵の息が漏れた。



「はぁぁぁ……助かった……」



張り詰めていた息をようやく解放した、その時──。


──バフンッ!



「わっ!?!?」



世界が真っ暗になった。

ジュラ姉の巨大な顎が音を立てて閉じ、俺は影山を背負ったまま完全に暗闇へ閉じ込められる。

湿った熱気が肌を包み、口腔の中の空気が一気に重くなる。



「ちょ、ちょっと!? ジュラ姉!?」



慌てて声を上げる俺。

しかし返ってきたのは耳からではなく──頭の中へ直接響く声だった。



《……ごめんなさい、アルドきゅん。 ギャタシ、分かってたの。アルドきゅんが、紅龍サマ達の……敵だって》



ぞわりと背筋を這い上がる感覚。

脳髄を掴まれるような圧迫感を伴った念話が、容赦なく押し込まれてくる。



《今のギャタシは“強欲四天王”じゃなくて、紅龍サマ達のしもべ……つまり、アルドきゅんの敵なの……!》



舌がぬるりと蠢き、俺と影山くんをゆっくりと喉奥へ押しやろうとする。

唾液が服にまとわりつき、ぞっとするほど生々しい感触が背筋を伝った。



《貴方の事、忘れない……! アルドきゅんは、ギャタシの血肉となり、共に生きていくのよ……!》



「うわっ!? いやいや、それはちょっと困るんだよねぇ」



俺は冷静を装い、わざと軽口を返した。

舌が迫る直前に、足元を蹴ってふわりと跳び上がる。


──ヒュッ。


滑らかな舌の動きをヒラリとかわし、一瞬で前歯の方へ移動。

右手を上顎に添えた。



「……ほいっ」



グイッ、と押し上げる。


バギギギギィ!!


ティラノサウルスの咬合力が、あっさりと俺の片手でこじ開けられていく。

目の前にオレンジの光が差し込み、街灯の輝きが闇を裂いた。

俺は影山くんを背負ったまま、身軽に口の中から飛び出す。


──ドンッ。


地面に着地。足に伝わる衝撃と共に、張り詰めていた呼吸を吐き出した。



「よっと……っと」



背中の影山くんを支え直す俺の耳に、背後から震え上がるような悲鳴が響いた。



「えっ!? ……鋼鉄の戦闘艇すら一噛みで食い千切る、ギャタシの咬合力を、片手で軽々と……!?」


ジュラ姉の目が、驚愕で見開かれる。


「アルドきゅん……貴方……ギャタシが思うより、遥かにパワフル系男子だったのね……!」



黄金の瞳が見開かれ、巨体がガクガクと震える。

その姿は畏怖と興奮が混ざり合った奇妙な熱に包まれていた。


俺は振り返り、敢えて口元に薄い笑みを浮かべる。



「そうだね。 まあ、見た目よりは……二億倍くらいはパワフルだと思うよ」



シルバーブロンドの髪を揺らし、冗談めかして言う。

だが、その一言が──ジュラ姉の内奥を直撃したようだった。



「……男子相手に、こんなに本気になるなんて、生まれて初めてよ……アルドきゅん!!」



ドォンッ!


大地を抉る一歩。

ジュラ姉は前傾姿勢で踏み込み、肉食獣そのものの構えを取った。

爪先がコンクリートを削り、地面が砕ける音が耳をつんざく。

黄金の瞳が俺を射抜き、獲物を逃さぬ捕食者の気配を放つ。

俺は影山くんを背負ったまま、ゆっくりと瞳を細めた。



(……やっぱりかぁ。マイネさんの部下達は、高校生の子達とはまた別のスキルで操られてるんだよな)

(時間もそうかけられないし……さて、どうするかね)



ジュラ姉を正面から見据えながら、心の中だけは妙に呑気に考えていた。
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