161 / 257
第五章 魔導帝国ベルゼリア編
第159話 貴女を守る、誓いの原点
しおりを挟む
傷付き、息を荒げるベルザリオンと、その傍らで震えるマイネ。
二人を庇うように、鬼塚玲司は紫の残光を背に立ち塞がっていた。
その背中は、鋼の壁のように揺るぎなく、マイネとベルザリオンの視界を黄龍から遮っている。
「お主は……」
マイネが、絞り出すように声を発する。
「かつて、妾のスレヴェルドを攻め落とした、異界の戦士の一人……じゃな……」
鬼塚は振り返らない。ただ拳を握りしめたまま、静かに言葉を紡ぐ。
「──言い訳はしねぇ。罪滅ぼしって訳じゃねぇが……」
その声は低く、しかし確かな決意を帯びていた。
「ここは、あんたらの為に、身体張らせてくれ……!!」
言葉と同時に、腰のバックル"獏羅天盤"に手を伸ばす。
歯車状のパーツを親指で二度、勢いよく回転させると、歯車の噛み合う甲高い音がフロアに響いた。
直後、機械的な咆哮が夜のビルに木霊する。
『──インカネーション! ブチブチ! ブッチ斬リ!!』
紫色の光が奔流のように鬼塚の両腕を包み込む。
その光は凝縮され、厚みのあるメリケンサック状の装甲を形成し、拳の側面からは鋭利なビームブレードがバチバチと音を立てて伸びた。
紫の閃光が散り、粉々に割れたガラス片に反射して宙を舞う。
その光景を見据えながら、黄龍は雷蛟鞭を構え、低く言い放った。
「複数の兵装を生み出すスキルか。……悪くない」
鬼塚の眉間に皺が刻まれる。怒りがその声音に混じった。
「……てめぇのその武器も……誰かから奪った”スキル”で出来てやがるのか……?」
黄龍の口元に僅かな笑みが浮かぶ。
「その通りだ。紅龍が喰ったスキルを組み合わせ、“本来の黄龍”の宝貝を再現したもの……それが、この雷蛟鞭だ」
雷光を纏う九節鞭が、不気味にうねりを上げる。
ビルの壁や床に雷の光が映え、全てが蒼白に照らされる中、鬼塚は拳を握り込み、ビームブレードが一層輝きを増した。
「……その力の核になっているのは……恐らく……俺のダチのものだ……ッ!!」
鬼塚の叫びは、血を吐くような怒声だった。
「てめぇが……一条の力を、使ってんじゃねぇッ!!」
獣の咆哮のような声と共に、鬼塚は床を蹴り、黄龍に飛びかかる。
黄龍は静かに雷蛟鞭をしならせ、周囲に十数個の震黄珠を浮かび上がらせる。
黄金の光球が浮遊し、壁やガラスを照らしながら不気味に回転を始めた。
「ならば、貴様が俺を喰らい、取り返してみるがいい」
雷光と紫光。
二人の戦士が激突する、その直前の空気は、ビル全体を震わせるほどに張り詰めていた。
◇◆◇
紫の閃光と金の雷撃が、フロアの中央で幾度も交錯した。
鬼塚のビームブレードが雷蛟鞭の節を火花ごと弾き飛ばし、黄龍の踏み込みに応じてコンクリートの床が爆ぜる。
互いの攻撃が衝突するたび、観葉植物は燃え、テナントのガラスは次々と割れていった。
そのすぐ後方で、ベルザリオンとマイネが身を寄せ合っている。
「ベル……! あやつが敵の気を引いているうちに、逃げるのじゃ……!」
マイネは必死の声でベルザリオンの手を取った。
しかしベルザリオンは動かない。
握られた手が震えていた。
「マイネ様…… 私は……」
その表情は、迷子の子供のように不安げで、いつもの冷徹な執事の顔とはかけ離れていた。
マイネの胸が、ズキリと痛む。
(いつも妾のためにいてくれたベルに……このような顔をさせてしまった……!)
(ああ……全ては妾のせいじゃ……もっと早く、勇気を出して、本当の事を話しておれば……!)
自責の念が喉を詰まらせる。だが、その時だった。
「──俺が言えた義理じゃねぇかもだけどよ!!」
轟音の中、鬼塚の怒声が響き渡った。
雷撃を払いながら、黄龍と刃を交えつつ叫ぶ。
「執事のあんた!! そこの女魔王を守るため、ここまで必死でやってきたんじゃねぇのかよ!!」
ビームブレードが火花を散らし、雷蛟鞭が竜のように唸る。
その狭間で、鬼塚の叫びは揺るがない。
「一時の感情で、本当に大事なモン見失ってんじゃねぇ!!」
ベルザリオンの目が見開かれる。鬼塚は更に叫んだ。
「何があったか知らねぇけど……すれ違ったなら、後でいくらでも、腰据えてゆっくり話し合えばいいんじゃねぇのか!? 」
「──その為に、今はこの場を生き残る事を考えろ!!」
その一喝に、ベルザリオンはハッと我に返った。
横を見ると、マイネが不安と悲しみに揺れる眼差しでこちらを見つめている。
(マイネ様に……お嬢様に、こんな顔をさせるなど……私は執事失格ですね……)
(たとえ、お嬢様が私に全てを話してくださっていなかったとしても……だから何だと言うのです!?)
(私の使命は……身命を賭して、お嬢様をお守りすること……!!)
強い決意が、再び胸に燃え上がる。
ベルザリオンは両の掌で自らの顔をパァンと叩いた。乾いた音がフロアに響く。
突然の行動にマイネがビクリと身を震わせる。
だがベルザリオンはスクッと立ち上がり、乱れた執事服の埃をパンパンと払い落とすと、胸に手を当てて深々と一礼した。
「……お見苦しいところをお見せし、申し訳ありません。お嬢様」
その声は、いつもの冷静な執事のものだった。
だが次の瞬間、少し照れたように口元を緩め、静かに微笑んだ。
その笑みを見たマイネの胸に、安堵の温かさが広がる。
自然と、彼女の口元にも笑みが浮かんだ。
「ベルよ……この戦いが終わったら……話したい事があるのじゃ……」
小さく息を呑み、真剣な眼差しで問う。
「──聞いてくれるか?」
ベルザリオンは胸に手を当て、深く頷いた。
「お嬢様の御心のままに」
その言葉に、マイネは確かに救われたような笑みを見せた。
ベルザリオンはボロボロの身体でなお、腰の剣に手をやり、静かに呟く。
「……それにはまず、あちらの彼と協力してでも……ヤツを止める必要がありますね」
瞳に宿る炎は、もはや揺らぎを知らない。
鬼塚と黄龍がぶつかり合う戦場を、鋭い眼差しで見据えていた。
───────────────────
まだ五歳だったはずの自分の身体は、既に大人と変わらぬほどに膨れ上がっていた。
骨ばった指、異様に伸びた四肢、土色に濁った肌──それは“魂の呪い”と呼ばれる、忌まわしい烙印の証。
その日、目覚めた時には、父と母の姿はどこにもなかった。
冷たい朝霧に包まれた渓谷の淵に、一人ぽつんと置き去りにされていたのだ。
叫んでも、泣いても、返事は無い。
岩壁に響くのは、己の嗄れた声だけ。
幼心にも理解していた。
──両親に愛されてはいなかったのだ、と。
ただの厄介者。忌み子。人の形をした呪い。
腹を空かせ、獣に追われ、泥にまみれて必死に逃げた日々の中で、彼は一振りの剣に出会った。
漆黒に鈍く輝く刃。まるで持ち主を選ぶかのように、腐れ落ちた骸の中に突き刺さっていた。
それが"魔剣・アポクリフィス"だった。
触れた瞬間、胸の奥に熱が灯った気がした。
呪われた己と同じく、剣もまた“呪い”を宿していた。
互いに似た傷を抱える者同士のように、剣は彼を拒まなかった。
その日から、彼はアポクリフィスと共に魔物を狩り、命を繋ぐ術を得た。
(誰も……俺を愛さない。信じられるのは、この剣と俺自身だけだ)
そう固く心に刻み、孤独の闇に身を沈めていた。
──そんな彼の前に、ある日現れたのが“強欲の魔王”マイネ・アグリッパだった。
豪奢な馬車に腰掛け、黒紫の衣を纏い、妖艶に微笑む女魔王。
怪物のような己を見下ろしながら、興味深げに目を細めた。
(……なんと悪趣味な女だ)
初めて出会った時、ベルザリオンは軽蔑すら抱いた。
世間の噂では、マイネ・アグリッパはこの世の全てを欲する蒐集家。
珍しい物は全て手中に収めずにはいられない、冷酷な魔王。
ならば、自分を拾ったのも、呪われたこの醜い身体を“珍品”として物珍しがっただけに違いない──そう思った。
だが、それは誤解だった。
部下が傷付けば、彼女は自らの“魔神器”で立ち所に傷を癒した。
配下の魔物たちが生活に困れば、惜しげもなく私財を投じて助けた。
その姿は、噂に聞く冷酷な蒐集家ではなく、むしろ慈母のようですらあった。
ある時、マイネは笑いながらこう言った。
「妾は強欲じゃからのう。妾の元に集う全ての者は、最高の状態でいてもらわねば困るのじゃ。何せ、お主らは皆、妾の大事な大事な“コレクション”じゃからな」
自分をただの“所有物”と呼ぶ言葉。
しかし、その声には温もりがあった。
道具のように扱うのではなく、心から“大事な宝物”として誇らしげに語るその姿に、ベルザリオンの胸は揺さぶられた。
(……この人は……違うのかもしれない)
気づけば、ベルザリオンは自覚もなく、彼女に惹かれていたのだ。
◇◆◇
燭台の揺れる光に照らされた執務室。
重厚な机に腰掛けて書類を整理するマイネの横で、ベルザリオンは壁際に立ち尽くしていた。
十九歳──まだ若いはずなのに、その姿は五十路を越えた男にしか見えなかった。
魂の呪いによって肌は浅黒く濁り、頬はこけ、眼窩には深い隈が刻み込まれている。
自分の影すら、醜悪に思えるほどに。
不意に、口を突いて出てしまった。
「……何故、私のような者を……お側に置いてくださるのですか」
マイネの手が止まる。
紫緑の髪がふわりと揺れ、振り返ったその顔には驚きはなく、静かな関心だけが宿っていた。
ベルザリオンは視線を伏せ、苦笑を浮かべる。
「呪いを受けた、この醜い身を……。
誰も愛さず、忌避して当然の、出来損ないを……」
自嘲の言葉は重く落ち、沈黙が部屋を満たした。
やがて、マイネは立ち上がると、机を離れてベルザリオンの目の前に歩み寄った。
その瞳が正面から射抜く。
「──妾は、お主を“醜い”などと思ったことは、一度も無い」
その声音は驚くほど柔らかく、しかし力強かった。
「他者を傷つけ、地を這い泥を啜ってでも、生という希望を掴み取ろうとする……その執念、その"欲望"こそ……美しいとすら思う」
ベルザリオンの胸が、強く打たれたように揺れる。
誰からも疎まれ、嫌悪され続けた己を、美しいと断じる者がいるなど──想像すらしたことがなかった。
マイネは小さく微笑んだ。その笑みは魔王のそれではなく、どこか懐かしさを帯びていた。
「……お主のその直向きな“欲”。少し、昔の知り合いを思い出すのじゃ」
ベルザリオンは息を呑む。
胸の奥に熱が広がり、目の奥がじんと熱を帯びる。
(ああ……こんな言葉を……かけられたのは、初めてだ……)
涙は零れなかった。
だが、その瞬間から彼の世界は変わった。
孤独に縋るための生ではなく、守るべき誰かのために生きる道が、確かに心に刻まれたのだ。
───────────────────
意識の底で、ベルザリオンはひとつの記憶を反芻していた。
──あの日、魂の呪いに蝕まれ、すべてを失っていた自分に、ただ一人「美しい」と言ってくれた存在。
(そうだ……なぜ、大事なことを忘れていたのだ……)
(最初に私を地獄の底から救ってくださったのは、マイネ様ではないか)
(たとえ、マイネ様が私に話していない秘密を抱えていたとして──それが何だというのだ……!)
(私は……贅沢になりすぎていた……!)
己の心を握り直した瞬間、頭上から冷たい液体が降りかかった。
「っ……!?」
パシャッ、と濡れる感触。
傷口がじわりと熱を帯び、次の瞬間には不思議なほどの速度で癒え始める。
驚いて振り返ると、そこには瓶を傾けるマイネの姿があった。
彼女の手から、最後の一滴が零れ落ちる。
「そ……それは……!? まさか、“神霊薬”では……!」
ベルザリオンの目が大きく見開かれる。
「あれほど大事にしていた……先日のオークションで、やっとの思いで競り落とした……お嬢様のコレクションの一つ……!」
「それを……私などに使うなど……何という事を……!」
慌てるベルザリオンの額を、マイネは空になった瓶でコツンと小突いた。
「こらっ!」
思わず呆気に取られるベルザリオンに、マイネは高飛車に鼻を鳴らす。
「バカを言うでないわ! こんな薬なぞ、ベルに比べれば大した価値などありゃせんじゃろ!」
わざと突き放すような調子。
だが、その声音には隠しきれない必死さと、確かな想いが滲んでいた。
マイネはくるりと振り返り、指先で戦場を示す。
鬼塚と黄龍が雷光の奔流の中で激突している。
「今宵は大奮発じゃ! 妾も秘蔵の魔導具を放出して、あやつと戦う!」
「──あの異界の小僧と共闘し、道三郎が来るまでの時間を稼ぐのじゃ!」
その背は小柄でありながら、強欲の魔王の名に恥じぬ覇気を放っていた。
ベルザリオンはふっと笑みを浮かべる。
「……お嬢様の、仰せのままに」
深く一礼すると、彼は立ち上がり、腰の愛剣に静かに手をやる。
剣を抜き放つ瞬間、その声は鋼鉄のように研ぎ澄まされていた。
「──至高剣・ベルザリオン……推して参るッ!!」
黒い執事服が翻り、銀の閃光が走る。
黄龍の雷が咆哮する戦場へ、ベルザリオンは再びその身を投じた。
二人を庇うように、鬼塚玲司は紫の残光を背に立ち塞がっていた。
その背中は、鋼の壁のように揺るぎなく、マイネとベルザリオンの視界を黄龍から遮っている。
「お主は……」
マイネが、絞り出すように声を発する。
「かつて、妾のスレヴェルドを攻め落とした、異界の戦士の一人……じゃな……」
鬼塚は振り返らない。ただ拳を握りしめたまま、静かに言葉を紡ぐ。
「──言い訳はしねぇ。罪滅ぼしって訳じゃねぇが……」
その声は低く、しかし確かな決意を帯びていた。
「ここは、あんたらの為に、身体張らせてくれ……!!」
言葉と同時に、腰のバックル"獏羅天盤"に手を伸ばす。
歯車状のパーツを親指で二度、勢いよく回転させると、歯車の噛み合う甲高い音がフロアに響いた。
直後、機械的な咆哮が夜のビルに木霊する。
『──インカネーション! ブチブチ! ブッチ斬リ!!』
紫色の光が奔流のように鬼塚の両腕を包み込む。
その光は凝縮され、厚みのあるメリケンサック状の装甲を形成し、拳の側面からは鋭利なビームブレードがバチバチと音を立てて伸びた。
紫の閃光が散り、粉々に割れたガラス片に反射して宙を舞う。
その光景を見据えながら、黄龍は雷蛟鞭を構え、低く言い放った。
「複数の兵装を生み出すスキルか。……悪くない」
鬼塚の眉間に皺が刻まれる。怒りがその声音に混じった。
「……てめぇのその武器も……誰かから奪った”スキル”で出来てやがるのか……?」
黄龍の口元に僅かな笑みが浮かぶ。
「その通りだ。紅龍が喰ったスキルを組み合わせ、“本来の黄龍”の宝貝を再現したもの……それが、この雷蛟鞭だ」
雷光を纏う九節鞭が、不気味にうねりを上げる。
ビルの壁や床に雷の光が映え、全てが蒼白に照らされる中、鬼塚は拳を握り込み、ビームブレードが一層輝きを増した。
「……その力の核になっているのは……恐らく……俺のダチのものだ……ッ!!」
鬼塚の叫びは、血を吐くような怒声だった。
「てめぇが……一条の力を、使ってんじゃねぇッ!!」
獣の咆哮のような声と共に、鬼塚は床を蹴り、黄龍に飛びかかる。
黄龍は静かに雷蛟鞭をしならせ、周囲に十数個の震黄珠を浮かび上がらせる。
黄金の光球が浮遊し、壁やガラスを照らしながら不気味に回転を始めた。
「ならば、貴様が俺を喰らい、取り返してみるがいい」
雷光と紫光。
二人の戦士が激突する、その直前の空気は、ビル全体を震わせるほどに張り詰めていた。
◇◆◇
紫の閃光と金の雷撃が、フロアの中央で幾度も交錯した。
鬼塚のビームブレードが雷蛟鞭の節を火花ごと弾き飛ばし、黄龍の踏み込みに応じてコンクリートの床が爆ぜる。
互いの攻撃が衝突するたび、観葉植物は燃え、テナントのガラスは次々と割れていった。
そのすぐ後方で、ベルザリオンとマイネが身を寄せ合っている。
「ベル……! あやつが敵の気を引いているうちに、逃げるのじゃ……!」
マイネは必死の声でベルザリオンの手を取った。
しかしベルザリオンは動かない。
握られた手が震えていた。
「マイネ様…… 私は……」
その表情は、迷子の子供のように不安げで、いつもの冷徹な執事の顔とはかけ離れていた。
マイネの胸が、ズキリと痛む。
(いつも妾のためにいてくれたベルに……このような顔をさせてしまった……!)
(ああ……全ては妾のせいじゃ……もっと早く、勇気を出して、本当の事を話しておれば……!)
自責の念が喉を詰まらせる。だが、その時だった。
「──俺が言えた義理じゃねぇかもだけどよ!!」
轟音の中、鬼塚の怒声が響き渡った。
雷撃を払いながら、黄龍と刃を交えつつ叫ぶ。
「執事のあんた!! そこの女魔王を守るため、ここまで必死でやってきたんじゃねぇのかよ!!」
ビームブレードが火花を散らし、雷蛟鞭が竜のように唸る。
その狭間で、鬼塚の叫びは揺るがない。
「一時の感情で、本当に大事なモン見失ってんじゃねぇ!!」
ベルザリオンの目が見開かれる。鬼塚は更に叫んだ。
「何があったか知らねぇけど……すれ違ったなら、後でいくらでも、腰据えてゆっくり話し合えばいいんじゃねぇのか!? 」
「──その為に、今はこの場を生き残る事を考えろ!!」
その一喝に、ベルザリオンはハッと我に返った。
横を見ると、マイネが不安と悲しみに揺れる眼差しでこちらを見つめている。
(マイネ様に……お嬢様に、こんな顔をさせるなど……私は執事失格ですね……)
(たとえ、お嬢様が私に全てを話してくださっていなかったとしても……だから何だと言うのです!?)
(私の使命は……身命を賭して、お嬢様をお守りすること……!!)
強い決意が、再び胸に燃え上がる。
ベルザリオンは両の掌で自らの顔をパァンと叩いた。乾いた音がフロアに響く。
突然の行動にマイネがビクリと身を震わせる。
だがベルザリオンはスクッと立ち上がり、乱れた執事服の埃をパンパンと払い落とすと、胸に手を当てて深々と一礼した。
「……お見苦しいところをお見せし、申し訳ありません。お嬢様」
その声は、いつもの冷静な執事のものだった。
だが次の瞬間、少し照れたように口元を緩め、静かに微笑んだ。
その笑みを見たマイネの胸に、安堵の温かさが広がる。
自然と、彼女の口元にも笑みが浮かんだ。
「ベルよ……この戦いが終わったら……話したい事があるのじゃ……」
小さく息を呑み、真剣な眼差しで問う。
「──聞いてくれるか?」
ベルザリオンは胸に手を当て、深く頷いた。
「お嬢様の御心のままに」
その言葉に、マイネは確かに救われたような笑みを見せた。
ベルザリオンはボロボロの身体でなお、腰の剣に手をやり、静かに呟く。
「……それにはまず、あちらの彼と協力してでも……ヤツを止める必要がありますね」
瞳に宿る炎は、もはや揺らぎを知らない。
鬼塚と黄龍がぶつかり合う戦場を、鋭い眼差しで見据えていた。
───────────────────
まだ五歳だったはずの自分の身体は、既に大人と変わらぬほどに膨れ上がっていた。
骨ばった指、異様に伸びた四肢、土色に濁った肌──それは“魂の呪い”と呼ばれる、忌まわしい烙印の証。
その日、目覚めた時には、父と母の姿はどこにもなかった。
冷たい朝霧に包まれた渓谷の淵に、一人ぽつんと置き去りにされていたのだ。
叫んでも、泣いても、返事は無い。
岩壁に響くのは、己の嗄れた声だけ。
幼心にも理解していた。
──両親に愛されてはいなかったのだ、と。
ただの厄介者。忌み子。人の形をした呪い。
腹を空かせ、獣に追われ、泥にまみれて必死に逃げた日々の中で、彼は一振りの剣に出会った。
漆黒に鈍く輝く刃。まるで持ち主を選ぶかのように、腐れ落ちた骸の中に突き刺さっていた。
それが"魔剣・アポクリフィス"だった。
触れた瞬間、胸の奥に熱が灯った気がした。
呪われた己と同じく、剣もまた“呪い”を宿していた。
互いに似た傷を抱える者同士のように、剣は彼を拒まなかった。
その日から、彼はアポクリフィスと共に魔物を狩り、命を繋ぐ術を得た。
(誰も……俺を愛さない。信じられるのは、この剣と俺自身だけだ)
そう固く心に刻み、孤独の闇に身を沈めていた。
──そんな彼の前に、ある日現れたのが“強欲の魔王”マイネ・アグリッパだった。
豪奢な馬車に腰掛け、黒紫の衣を纏い、妖艶に微笑む女魔王。
怪物のような己を見下ろしながら、興味深げに目を細めた。
(……なんと悪趣味な女だ)
初めて出会った時、ベルザリオンは軽蔑すら抱いた。
世間の噂では、マイネ・アグリッパはこの世の全てを欲する蒐集家。
珍しい物は全て手中に収めずにはいられない、冷酷な魔王。
ならば、自分を拾ったのも、呪われたこの醜い身体を“珍品”として物珍しがっただけに違いない──そう思った。
だが、それは誤解だった。
部下が傷付けば、彼女は自らの“魔神器”で立ち所に傷を癒した。
配下の魔物たちが生活に困れば、惜しげもなく私財を投じて助けた。
その姿は、噂に聞く冷酷な蒐集家ではなく、むしろ慈母のようですらあった。
ある時、マイネは笑いながらこう言った。
「妾は強欲じゃからのう。妾の元に集う全ての者は、最高の状態でいてもらわねば困るのじゃ。何せ、お主らは皆、妾の大事な大事な“コレクション”じゃからな」
自分をただの“所有物”と呼ぶ言葉。
しかし、その声には温もりがあった。
道具のように扱うのではなく、心から“大事な宝物”として誇らしげに語るその姿に、ベルザリオンの胸は揺さぶられた。
(……この人は……違うのかもしれない)
気づけば、ベルザリオンは自覚もなく、彼女に惹かれていたのだ。
◇◆◇
燭台の揺れる光に照らされた執務室。
重厚な机に腰掛けて書類を整理するマイネの横で、ベルザリオンは壁際に立ち尽くしていた。
十九歳──まだ若いはずなのに、その姿は五十路を越えた男にしか見えなかった。
魂の呪いによって肌は浅黒く濁り、頬はこけ、眼窩には深い隈が刻み込まれている。
自分の影すら、醜悪に思えるほどに。
不意に、口を突いて出てしまった。
「……何故、私のような者を……お側に置いてくださるのですか」
マイネの手が止まる。
紫緑の髪がふわりと揺れ、振り返ったその顔には驚きはなく、静かな関心だけが宿っていた。
ベルザリオンは視線を伏せ、苦笑を浮かべる。
「呪いを受けた、この醜い身を……。
誰も愛さず、忌避して当然の、出来損ないを……」
自嘲の言葉は重く落ち、沈黙が部屋を満たした。
やがて、マイネは立ち上がると、机を離れてベルザリオンの目の前に歩み寄った。
その瞳が正面から射抜く。
「──妾は、お主を“醜い”などと思ったことは、一度も無い」
その声音は驚くほど柔らかく、しかし力強かった。
「他者を傷つけ、地を這い泥を啜ってでも、生という希望を掴み取ろうとする……その執念、その"欲望"こそ……美しいとすら思う」
ベルザリオンの胸が、強く打たれたように揺れる。
誰からも疎まれ、嫌悪され続けた己を、美しいと断じる者がいるなど──想像すらしたことがなかった。
マイネは小さく微笑んだ。その笑みは魔王のそれではなく、どこか懐かしさを帯びていた。
「……お主のその直向きな“欲”。少し、昔の知り合いを思い出すのじゃ」
ベルザリオンは息を呑む。
胸の奥に熱が広がり、目の奥がじんと熱を帯びる。
(ああ……こんな言葉を……かけられたのは、初めてだ……)
涙は零れなかった。
だが、その瞬間から彼の世界は変わった。
孤独に縋るための生ではなく、守るべき誰かのために生きる道が、確かに心に刻まれたのだ。
───────────────────
意識の底で、ベルザリオンはひとつの記憶を反芻していた。
──あの日、魂の呪いに蝕まれ、すべてを失っていた自分に、ただ一人「美しい」と言ってくれた存在。
(そうだ……なぜ、大事なことを忘れていたのだ……)
(最初に私を地獄の底から救ってくださったのは、マイネ様ではないか)
(たとえ、マイネ様が私に話していない秘密を抱えていたとして──それが何だというのだ……!)
(私は……贅沢になりすぎていた……!)
己の心を握り直した瞬間、頭上から冷たい液体が降りかかった。
「っ……!?」
パシャッ、と濡れる感触。
傷口がじわりと熱を帯び、次の瞬間には不思議なほどの速度で癒え始める。
驚いて振り返ると、そこには瓶を傾けるマイネの姿があった。
彼女の手から、最後の一滴が零れ落ちる。
「そ……それは……!? まさか、“神霊薬”では……!」
ベルザリオンの目が大きく見開かれる。
「あれほど大事にしていた……先日のオークションで、やっとの思いで競り落とした……お嬢様のコレクションの一つ……!」
「それを……私などに使うなど……何という事を……!」
慌てるベルザリオンの額を、マイネは空になった瓶でコツンと小突いた。
「こらっ!」
思わず呆気に取られるベルザリオンに、マイネは高飛車に鼻を鳴らす。
「バカを言うでないわ! こんな薬なぞ、ベルに比べれば大した価値などありゃせんじゃろ!」
わざと突き放すような調子。
だが、その声音には隠しきれない必死さと、確かな想いが滲んでいた。
マイネはくるりと振り返り、指先で戦場を示す。
鬼塚と黄龍が雷光の奔流の中で激突している。
「今宵は大奮発じゃ! 妾も秘蔵の魔導具を放出して、あやつと戦う!」
「──あの異界の小僧と共闘し、道三郎が来るまでの時間を稼ぐのじゃ!」
その背は小柄でありながら、強欲の魔王の名に恥じぬ覇気を放っていた。
ベルザリオンはふっと笑みを浮かべる。
「……お嬢様の、仰せのままに」
深く一礼すると、彼は立ち上がり、腰の愛剣に静かに手をやる。
剣を抜き放つ瞬間、その声は鋼鉄のように研ぎ澄まされていた。
「──至高剣・ベルザリオン……推して参るッ!!」
黒い執事服が翻り、銀の閃光が走る。
黄龍の雷が咆哮する戦場へ、ベルザリオンは再びその身を投じた。
63
あなたにおすすめの小説
足手まといだと言われて冒険者パーティから追放されたのに、なぜか元メンバーが追いかけてきました
ちくわ食べます
ファンタジー
「ユウト。正直にいうけど、最近のあなたは足手まといになっている。もう、ここらへんが限界だと思う」
優秀なアタッカー、メイジ、タンクの3人に囲まれていたヒーラーのユウトは、実力不足を理由に冒険者パーティを追放されてしまう。
――僕には才能がなかった。
打ちひしがれ、故郷の実家へと帰省を決意したユウトを待ち受けていたのは、彼の知らない真実だった。
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
家族転生 ~父、勇者 母、大魔導師 兄、宰相 姉、公爵夫人 弟、S級暗殺者 妹、宮廷薬師 ……俺、門番~
北条新九郎
ファンタジー
三好家は一家揃って全滅し、そして一家揃って異世界転生を果たしていた。
父は勇者として、母は大魔導師として異世界で名声を博し、現地人の期待に応えて魔王討伐に旅立つ。またその子供たちも兄は宰相、姉は公爵夫人、弟はS級暗殺者、妹は宮廷薬師として異世界を謳歌していた。
ただ、三好家第三子の神太郎だけは異世界において冴えない立場だった。
彼の職業は………………ただの門番である。
そして、そんな彼の目的はスローライフを送りつつ、異世界ハーレムを作ることだった。
ブックマーク・評価、宜しくお願いします。
白いもふもふ好きの僕が転生したらフェンリルになっていた!!
ろき
ファンタジー
ブラック企業で消耗する社畜・白瀬陸空(しらせりくう)の唯一の癒し。それは「白いもふもふ」だった。 ある日、白い子犬を助けて命を落とした彼は、異世界で目を覚ます。
ふと水面を覗き込むと、そこに映っていたのは―― 伝説の神獣【フェンリル】になった自分自身!?
「どうせ転生するなら、テイマーになって、もふもふパラダイスを作りたかった!」 「なんで俺自身がもふもふの神獣になってるんだよ!」
理想と真逆の姿に絶望する陸空。 だが、彼には規格外の魔力と、前世の異常なまでの「もふもふへの執着」が変化した、とある謎のスキルが備わっていた。
これは、最強の神獣になってしまった男が、ただひたすらに「もふもふ」を愛でようとした結果、周囲の人間(とくにエルフ)に崇拝され、勘違いが勘違いを呼んで国を動かしてしまう、予測不能な異世界もふもふライフ!
「お前は無能だ」と追放した勇者パーティ、俺が抜けた3秒後に全滅したらしい
夏見ナイ
ファンタジー
【荷物持ち】のアッシュは、勇者パーティで「無能」と罵られ、ダンジョン攻略の直前に追放されてしまう。だが彼がいなくなった3秒後、勇者パーティは罠と奇襲で一瞬にして全滅した。
彼らは知らなかったのだ。アッシュのスキル【運命肩代わり】が、パーティに降りかかる全ての不運や即死攻撃を、彼の些細なドジに変換して無効化していたことを。
そんなこととは露知らず、念願の自由を手にしたアッシュは辺境の村で穏やかなスローライフを開始。心優しいエルフやドワーフの仲間にも恵まれ、幸せな日々を送る。
しかし、勇者を失った王国に魔族と内通する宰相の陰謀が迫る。大切な居場所を守るため、無能と蔑まれた男は、その規格外の“幸運”で理不尽な運命に立ち向かう!
元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした
月神世一
ファンタジー
「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」
ブラック企業で過労死した日本人、カイト。
彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。
女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。
孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった!
しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。
ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!?
ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!?
世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる!
「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。
これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!
この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~
夏見ナイ
ファンタジー
「泥水神官」と蔑まれる下級神官ルーク。彼が作る聖水はなぜか茶色く濁り、ひどい泥の味がした。そのせいで無能扱いされ、ある日、無実の罪で神殿から追放されてしまう。
全てを失い流れ着いた辺境の村で、彼は自らの聖水が持つ真の力に気づく。それは浄化ではなく、あらゆる傷や病、呪いすら癒す奇跡の【創生】の力だった!
ルークは小さなポーション屋を開き、まずいけどすごい聖水で村人たちを救っていく。その噂は広まり、呪われた女騎士やエルフの薬師など、訳ありな仲間たちが次々と集結。辺境の村はいつしか「癒しの郷」へと発展していく。
一方、ルークを追放した王都では聖女が謎の病に倒れ……。
落ちこぼれ神官の、痛快な逆転スローライフ、ここに開幕!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる