真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第六章 学園編 ──白銀の婚約者──

第246話 ダンジョン・サバイバル

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競技場の床が、軋んだ。

それは轟音ではなかった。
むしろ、絵本のページをめくるような、場違いなほど軽やかな音だった。

パキリ、と。
巨大な石畳の一部が歪み、色づき、輪郭を失っていく。

次の瞬間。

床だったはずの場所に、扉が現れた。

淡いパステルカラーで縁取られた、どこかおとぎ話めいた装飾。
取っ手までついた、どう見ても“迷宮の入口”とは思えない代物だ。



「……え?」



誰かが、間の抜けた声を漏らした。
その問いに答える暇すら与えぬように、扉は音もなく開いた。
重力が、消える。



「うわっ──!?」

「きゃあああっ!?」



四人一組で固まっていた受験生たちが、まとめて足元を掬われる。
悲鳴が上がり、手が伸ばされ、掴もうとした床はもう存在しない。

次々と、次々と。

競技場のあちこちで扉が開き、
若き挑戦者たちが“下”へと吸い込まれていく。

落下。
ただの落下だ。

だが、それは“地面に落ちる”類のものではない。
視界がひっくり返り、音が歪み、光が遠ざかっていく。



「──戻って来れるんだよな……?」



観客席のどこかで、誰かが小さく呟いた。

その声は、ざわめきに紛れてすぐに消えた。
だが、その不安は確実に、競技場全体に染み込んでいく。

数百人。
いや、正確には“約六百人、約百五十チーム”。

それだけの人間が、いま、地面の下へと消えていったのだ。

競技場に残ったのは、
空虚な床と、取り残された観客たちの息遣いだけだった。

その空気を、ぴたりと切り裂く声が響いた。



『慌てるでない』



幼い少女の声。
鈴を転がしたようでいて、異様なまでに通る声だった。

観客席の視線が、一斉に中央の高台へと集まる。

そこに立っていたのは、
巨大な魔女帽子を被った、小柄な少女──マリーダ・フォン教授。

フリル過多の魔法少女然とした衣装。
年端もいかぬ外見。

だが、その場に立つ“気配”だけで分かる。

──格が違う。

マリーダはマイクを手に取り、観客席を見渡す。
その視線は、慈愛でもなければ、親切でもない。
管理者のものだった。



『ダンジョン内での挑戦者どもの様子は、きちんと観測できるようになっておる』



そう言って、彼女は杖を軽く振る。
シャララーン、と、可愛らしい効果音。

だが次の瞬間。
空気が、震えた。

競技場の上空に、いくつもの巨大な球体が浮かび上がる。
透明な水晶のような球──いや、魔力球だ。

一つ、二つ、三つ。
いや、十を超え、二十を超え、観客達の視界を埋め尽くすほどに現れる。

そして、その中に。

映った。

落下していく受験生たちの姿が。



「……すご……」

「映ってる……中の様子が……」

「これが……“迷宮の主ダンジョン・マイスター”の力……」



観客席から、ざわめきと感嘆の声が溢れる。

水晶球の中では、
闇に包まれた通路へと落ちていく者。
咄嗟に体勢を立て直そうとする者。
仲間の手を必死に掴む者の姿が、鮮明に映し出されていた。

安全だ、と言われたわけではない。
だが、“見えている”という事実が、観客の不安を麻痺させていく。

マリーダは、その反応を楽しむように、口角を吊り上げた。



『さて』



マイク越しの声が、わずかに弾む。



『ワシはこれから、ダンジョン内に潜る』



一瞬、理解が追いつかなかった。



『ダンジョンの最奥から、挑戦者どもを──生かさず、殺さず、苦しめてやるつもりじゃ』



その言葉に、観客席から乾いた笑いが起こる。
冗談だと、そう思いたかったからだ。
だが、マリーダの目は笑っていない。



『──それに』



彼女は杖を肩に担ぎ、楽しげに言葉を続ける。



『万が一、ワシのダンジョンの最深部……地下50階まで到達する者が現れたなら』



空気が、張り詰める。



『ワシが直接、相手をしてやらねばならんからのう』



その瞬間、観客席の一部がざわついた。

地下50階。
それがどれほどの意味を持つ数字なのか、詳しく知らずとも理解できる。

“最深部”
“直接相手をする”

それはつまり──



『キサマら観客どもは、存分に楽しむといい』



マリーダは、にぃ、と幼い顔に似つかわしくない、意地の悪い笑みを浮かべた。



『予選会の観戦を、な』



そして。
再び、杖が振られる。

シャララーン。

今度は、彼女自身の足元に、ファンシーな扉が音もなく現れた。



「……教授が……?」



誰かが息を呑む。
マリーダは一歩踏み出し、扉の中へと身を投じる。

その姿が完全に消える直前、彼女は心の中で楽しげに呟いた。



(いかにラグナ殿下であろうと、六時間で最深部に辿り着くのは至難の業……)


(ましてや──あの、憎き“色欲の魔王”の使徒が、ワシの元へ来るなど……)



亜空間のトンネルを落下しながら、
幼女の顔に、歪んだ期待と憎悪が浮かぶ。



(……じゃが)


(万が一……万が一、ヤツが辿り着いたとしたら)



その時は。



(──ワシ自ら、引導を渡してやるとしよう……!)

(このダンジョンの中でなら、ワシは──誰よりも強い……!)



扉が、閉じる。
競技場に残された観客たちは、
水晶球に映る迷宮の光景を見上げながら、言葉を失っていた。

予選会は、すでに始まっている。

そしてそれは──
ただの選抜試験では、決してなかった。



 ◇◆◇



観客席のざわめきが、完全に落ち着くことはなかった。

空中に浮かぶ無数の水晶球には、すでに迷宮へと落下した挑戦者たちの姿が映し出されている。
暗転する視界、回転する床、必死に仲間の名を叫ぶ口元。
それらが同時多発的に映るせいで、観る側の神経まで引きずり込まれるようだった。

そんな中──。



「おいおい、もう始まってるじゃあないの」



やけに気の抜けた声が、後方から聞こえた。

リュナたちが座る一角の通路を、紙袋の山がずんずん進んでくる。
正確には、“山の様な紙袋を両手に抱えたヴァレン・グランツ”が、人ごみを強引に割ってきていた。

袋の中身は透けて見える。
ポップコーン。飲み物。しかも量が尋常じゃない。



「スタートの瞬間、見逃しちまったぜ。いい演出だったらしいな?」



そう言いながら、ヴァレンは水晶球を見上げ、少しだけ肩をすくめた。

その瞬間、リュナがギロッと振り返る。



「おせーよ、ヴァレン。兄さん達、もうダンジョン入っちゃったっすよ?」


「誰のせいだと思ってんだ?」



即座に切り返しながら、ヴァレンはリュナの前に紙袋を一つ差し出した。



「開始直前になって『ポップコーンが食べたい』とかワガママ言い出したのは誰だ?」


「……う」



言葉に詰まったリュナの鼻先に、袋が押し付けられる。

中身は出来立てらしい、まだほんのり温かいポップコーンと、冷えた飲み物。



「ほら。文句言う前に受け取れ」


「……ちっ」



悪態をつきつつも、リュナは素直に受け取った。

その様子を見届けると、ヴァレンは残りの袋を抱え直し、次々と配り始める。



「蒼龍さん、どうぞ」

「フレキくん、こぼすなよ」

「グェルくん……ストローいるかい?」


「えっ、あ、あの、ありがとうございますッ!」



さらにその後ろ、召喚高校生たちの列にも、流れるように袋を渡していく。



「はいはい、人数多いな……」

「ミサキちゃん達は、キャラメル味かな」

「流星くん達、飲み物はコーラでいいかい?」



一通り配り終えたころには、ヴァレンの腕から袋は消えていた。
リュナはポップコーンを一つ摘まみ、口に放り込む。カリッ、という軽い音。



(……コイツ、全員分買ってたから遅くなったのか)



そう思うと、少しだけ胸の奥が緩んだ。

ヴァレンはふう、と一つ息を吐き、リュナの隣に腰を下ろす。
背もたれに体を預け、水晶球を見上げた。



「さてさて……ブリジットさん達は無事に予選を通過できるかな」



どこか気楽な口調。
だが、視線は真剣だった。



「まぁ、相棒もいるし、大丈夫だとは思うが」



その言葉に、リュナが即座に噛みつく。



「は? 大丈夫に決まってっしょ」



ポップコーンをポリポリ食べながら、断言する。



「いくら真祖竜スキル使わねー縛りがあったとしても、兄さんに勝てるヤツなんている訳なくね?」



ヴァレンは一瞬だけ口角を上げ、それから首を振った。



「普通のバトルなら、な」


「……?」


「だが、この“ダンジョン・サバイバル”のルールじゃ、強い者が必ずしも勝つとは限らない」



その言い方に、周囲の空気が少し変わる。
猫の覆面の奥から、グェルの声が響いた。



「ど、どういう意味ですかッ!? ヴァレン様!」



グェルの隣、ちょこんと座っていたフレキが、尻尾を揺らしながら口を開く。



「もしかして……“脱落条件”の事ですかっ?」



ハッハッハッ、と犬らしい息遣い。
ヴァレンはフレキに視線を向け、満足そうに頷いた。



「流石はフレキくん。御名答」



そして、人差し指を立てる。



「たとえばだ。この場にいる俺たちフォルティア組全員が、このルールで“ダンジョン・サバイバル”に参加したと仮定しよう」



視線が自然と集まる。



「誰が勝つと思う?」



少し間が空いて、ミサキが首を傾げた。



「うーん……強さで言えば、ヴァレンさんかリュナさんじゃない?アルドくん抜きなら。」



流星も頷く。



「そーだなー。その二人には、正直太刀打ちできる気がしねぇもんな。」



もっともな意見だ。
だが、その時。



「……はっ」



藤野マコトが、目を見開いた。



「ヴァレン氏。拙者、正解が分かったやも知れませんぞ」



ヴァレンは、にやりと笑った。



「流石の洞察力ですな、藤野氏」



藤野は一拍置いて、静かに告げる。



「──勝者は……影山氏、ですな?」


「えっ!? お、俺!?」



突然名前を呼ばれ、影山が素っ頓狂な声を上げる。
ヴァレンは大きく手を叩いた。



「ご明察!!」



リュナは目を丸くする。



「えー!?影山っち!?いや、影山っち戦闘向きじゃねーし、それは無いんじゃね? たしかに、スキルはすげーけど……」



そこまで言って、はっと気づいた。



「……あ。」



ヴァレンは、その反応を待っていたように笑う。



「気付いたみたいだな」

「影山くんが“絶対不可視イグノーシス”を全開で発動させれば、俺やリュナですら影山くんの存在を認識できなくなる」



影山がごくりと喉を鳴らす。



「その状態で、影山くんが俺たち全員のネームプレートを、こっそり掻っ攫っていったらどうなる?」



一瞬の沈黙。



「……あ」


「……終わりっすね」


「そう。なす術もなく、ゲームオーバーだ」



ヴァレンは、どこか楽しそうに肩をすくめた。



「つまりだ。倒せない相手であっても、“プレートを奪う”という勝利条件が用意されている以上──強さが、そのまま勝利に繋がるとは限らない」



水晶球の中で、誰かが迷宮の分岐に立ち尽くしている映像が流れる。



「なかなかよくできたルールだねぇ」



その言葉には、評価と警戒が半々に混じっていた。
グェルが急に慌て始める。



「あ、アルド坊ちゃん達、大丈夫でしょうかッ……!? し、心配になってきましたッ!」



椅子の上でそわそわと身を揺らす。

だが、リュナは相変わらずポップコーンを食べながら、余裕の笑みを浮かべた。



「ま、大丈夫っしょ」

「ジュラっちも玲司も、なかなか頼りになるヤツらだし?」



一度、ポップコーンを噛み砕いてから、にっと笑う。



「それに……」

「ウチの兄さんと姉さんが、こんなとこで負けるはずねーし?」



ギザ歯が覗く、自信満々の笑顔。
ヴァレンも、その言葉に異論はなかった。



「ま、そういう事だな」



そう言って、椅子に深く腰掛ける。
視線は、水晶球の一つ──
ブリジット・チームが落ちていった先を、じっと捉えていた。

迷宮は始まったばかり。
観る側もまた、試されているのだ。



 ◇◆◇



少し離れた観客席。

水晶球が放つ淡い光が、観客たちの顔を不規則に照らしている。
その明滅の合間で、佐川颯太と天野唯は、並んで空中の球体を見上げていた。

映し出されるのは、闇に飲み込まれていく迷宮の入口。
次の瞬間には別の球体へと映像が切り替わり、そこには既に戦闘を始めたチームの姿がある。
視線を移すたびに、アルドたちのチームと、ラグナたちのチームを、無意識のうちに探してしまう。



「……大丈夫だよね」



天野が、ぽつりと呟いた。
いつもの委員長然とした声よりも、ほんの少しだけ弱い。



「ラグナくんも……アルドさん達も……」



颯太はすぐに返事をしなかった。
その代わり、胸の奥に引っかかっていた感覚が、ゆっくりと形を持ち始める。



「……そうだな」



そう答えつつも、視線はスクリーンから離れなかった。

迷宮に落ちる直前の、ラグナの後ろ姿。
背筋を伸ばし、迷いなく歩いていく、あの時の光景が、脳裏に蘇る。


───────────────────

「この予選会の“ダンジョン・サバイバル”はね」



あの時、ラグナはやけに楽しそうだった。
胸を張り、少し得意げに、佐川の前で語っていた。



「“ラグヒス6”でも、思い出深いイベントなんだ」

「自動生成型ダンジョン。構造はランダムで、決まった道筋は存在しない」



まるで懐かしいゲームを語るような口調。
目の奥には、確信めいた光が宿っていた。



「でもね、颯太」



ラグナは指を一本立てて、笑った。



「ラグヒス6をやり込んだ僕には、この手のダンジョンの攻略法が、しっかり頭に刻まれてるんだ」

「だから安心して見ていてくれたまえ!」



そう言って、予選会場へ向かっていった背中。
振り返りもしなかった、自信に満ちた足取り。

───────────────────


再び、現実に目を向ける。



「……」



颯太は、無意識のうちに拳を握っていた。



(ラグナのやつ……)



胸の奥で、言葉にならない違和感が膨らんでいく。



(この予選会も、“ラグヒス6”のイベントだと思ってたみたいだ……)



だが。



(少なくとも、俺のいた日本では――)

(“ラグヒス6”なんてゲーム、存在しなかったはずだ)



一瞬、水晶球の光が強くなり、颯太の視界を白く染めた。
その眩しさが、逆に思考を鋭くする。



(ラグナは、俺たちとは別の世界の記憶を持ってるのか……?)

(それとも――)



そこまで考えたところで、胸の奥に、ひやりとした感覚が走った。
得体の知れない、不吉な予感。

理由は分からない。
だが、“何かがおかしい”という直感だけが、はっきりと残る。



「……颯太くん?」



天野の声に、はっと我に返る。
彼女は、不安そうにこちらを見上げていた。
手を胸の前で握りしめ、水晶球と颯太を交互に見ている。



「……ごめん」



颯太は小さく首を振り、無理やり思考を切り替えた。



(──いや、今は考えても答えは出ない)



ここで悩んでも、迷宮の中にいる彼らに届くわけじゃない。



(まずは……)

(ブリジットさん達と、ラグナ達を応援しよう)



そう自分に言い聞かせるように、颯太は視線を上げた。

水晶球の一つが、切り替わる。
そこには、深い階層へと進もうとするチームの背中が映っていた。
天野も、それに気づき、ぐっと息を呑む。



「……始まったね」


「ああ」



二人並んで、同じ映像を見つめる。

迷宮は、容赦なく挑戦者を選別していく。
その残酷さを、まだ誰も知らないまま。

颯太は、胸の奥に残る小さな違和感を押し込みながら、ただ静かに、スクリーン球を見つめ続けていた。
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