真祖竜に転生したけど、怠け者の世界最強種とか性に合わないんで、人間のふりして旅に出ます

難波一

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第3章 巨大な犬編

第24話 黒き翼!リュナ、怒りの大変身

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 ──静寂だった。
 

 地鳴りも、咆哮もない。

 だが、緊張だけが肌を刺すように漂っていた。

 

 フェンリルの里の地下施設"試練の闘技場"。天井の見えぬ空洞の中、地鳴りのように広がる獣の気配。

 円形の広場の中心に、ひとりの少女が立つ。

 

 黒マスクに、褐色の肌。金茶色の長髪が、地下から吹き上げる風にふわりと舞う。

 

 リュナ。



 かつて“咆哮竜ザグリュナ”として恐れられた存在は、今やただの黒ギャル姿で、フェンリル百の牙と対峙していた。


 戦場は、スキル効果を封じるフェンリル達の地下"試練の闘技場 (ドッグラン風)"。


 ──咆哮は、使えない。


 "ザグリュナ"として爪牙を振るえば、フェンリル達を引き裂く事など容易いだろう。

 ──でも、自分が貰った優しさを、少しでも真似てみたかった。

 

「……さて。どう、っすね」

 

 誰にも聞こえぬよう、マスクの下で呟いた。



 吠えることなく、獣たちは一斉に跳んだ。

 黒、白、灰、茶。四足の獣(犬)たちが地を蹴り、牙を剥いて迫る。

 

 その全てが、巨大な犬型のフェンリル。

 だが、その姿の可愛さなど一切関係ない。五メートルを超える巨体に、生まれつきの戦闘本能。


「——っふ」
 

 リュナが、微かに息を吐いた。

 そのまま、最初の一体の鼻面めがけて足を振る。

 

 カッ!

 

 回し蹴り。右脚がしなるように振り抜かれ、フェンリルの鼻面にクリーンヒット。

 

 「キャインッ!!」

 

 重厚な肉体が地を転がり、尻尾を巻いて仰向けに倒れる。

 

 即座に、二体目が斜め後方から飛びかかる。

 リュナは振り返らない。むしろその場で膝を折り、低い体勢からの後ろ回し蹴り。

 

 「キャンッ!!」

 

 獣は横に弾かれ、転がり、岩壁にぶつかってずるりと崩れた。

 

 三体目。四体目。五体目——

 

 蹴り。蹴り。また蹴り。

 

 全て鼻面。全て急所を外し、しかし痛みは最大限。

 

 涙目になったフェンリルたちは、鼻を押さえながらごろごろと転がり、口々に「ひゃいぃ」「にゃいぃぃ」と呻く。

 

 リュナの足は、風のように軽やかで。

 それでいて、山をも砕くほどに鋭く。

 

 そして、何より——誰も、死んでいなかった。

 

 「……っし。次、ラスト一周っすよ~」

 

 軽く腕を回しながら、リュナは走り出す。

 地面を蹴って、壁に。垂直に登る。天井へ向かうかと思わせて、そこから円を描くように壁面を疾走。

 

 ——地下闘技場の“円”を使った高速移動。

 

 フェンリルたちの意識が、走るリュナに集中する。

 

 「追え!逃がすな!」

 

 グェルの号令と共に、残った90匹以上のフェンリル達が、一斉に跳ぶ。走る。吠える。

 

 壁の上に、多数の足音が響く。

 フェンリル達がリュナを追い、闘技場の壁沿いに輪を作る。

 そしてそのすべてを引きつけきった瞬間——

 

 リュナは、跳んだ。

 

 高く。深く。軽やかに。

 まるで舞う蝶のように。


 「中央だ!逃すな!」

 司令塔であるグェルの号令で、フェンリル達が一斉に闘技場中央のリュナ向けて飛びかかる。



 「——あいよっと」

 

 両手を地面につけて、カポエラのような回転姿勢。

 その脚が、回る。回る。回る!

 

 竜巻のように広がる蹴撃の嵐。

 空中にいたフェンリルたちが、次々と巻き込まれ、鼻面を蹴られ、宙を舞い、地面に落ち、転がる。

 

 「キャインッ!!」「ふぎゃんっ!」「ひぃぃいいぃっ!!」

 

 嵐が過ぎたあと——

 

 地に倒れた数十のフェンリルが、全員鼻を押さえ、目に涙を浮かべ、腹を見せていた。

 

 ——生きている。

 

 だが、誰ひとりリュナに近づけない。

 

 (……はー、“咆哮”無しでこの数とか、マジめんど……)

 

 呟きの温度は低いが、確かな疲労感が滲んでいた。

 

 殺さず倒す。

 痛みだけを与え、心を折る。

 それがどれほど面倒な行為か、本人だけが知っている。

 

 リュナは、無表情のまま、じっと立ち尽くしていた。

 

 そしてこの時点で、グェルもまた悟っていた。

 ——「ただの人間」ではない。



 ◇◆◇



 鼻を押さえて転がるフェンリルたちを横目に、リュナはひとつ、長く息を吐いた。



「はー……手加減って、マジメンディーっすね……」



 地面に手をついて、スッと立ち上がる。

 蹴り飛ばしたフェンリルは全員、気絶もせずに地面を転げまわっている程度。

 いわゆる“ノックアウト寸前”の見事な手加減だった。


(……このあーしが、ほんとにこんな戦い方するようになるとは、ね。)


 肩をすくめながら、ふと目を伏せた。


 脳裏に、アルドの姿がよぎる。神にも近しい圧倒的な力を持ちながらも、穏やかで、優しい笑顔。


『なるべく、フェンリルたちを殺さないであげて』


 そう言った彼の声が、確かに、胸の奥に残っていた。

 思い出すのは、ブリジットの瞳。自分のブレスで瀕死になりかけた少女が、それでも笑って、こう言った。


『ありがとう、リュナちゃん』


 敵だったはずの自分を“ちゃん”付けで呼び、無条件で受け入れてくれた人。


 かつて、自分が世界の敵としてしか扱われなかったあの時代とは——あまりに違っていた。


(……やっぱ、変わってきてんのかもな、あーしも)


 優しさなんて、爪も牙もない“弱さ”だと思っていた。


 だが今は——そうじゃないと思う。


 優しさは、誇れる“強さ”だ。少なくとも、あの二人に出会って、そう信じたくなった。


 リュナは静かに顔を上げ、グェルに向けて足を踏み出す。


「なー、もうわかったっしょ?
あんたらじゃ、あーしには勝てないって」


 その言葉は、傲慢でも威圧でもなく、ただ“事実”として放たれた。

 大気が静まり返る中、リュナの言葉はまっすぐに響いた。



 ◇◆◇



「ぐ、ぐぬぅ……!」

 獣のような低い唸り声が、グェルの喉から漏れた。

 唇の端が引き攣り、しわくちゃの額がさらに倍に寄る。

 全身から「くやしさ」が滲み出ている。だが、フェンリル王族たる彼のプライドが、まだ言葉を吐かせた。

 

「確かに……確かに貴様、ただのアバズレではないようだな……!」

 

「そーそー、あーしはただのアバズレじゃなくて……って……………あ?」

 

 一瞬、リュナの返しも自然だった。


 だが、その語尾が消える寸前——彼女の顔が、ピクリと動いた。


 マスクの奥で、何かがカチリと音を立てて切り替わる。

 

「……あば……あば……?
──テメ、今、なんつった?」

 

 ぞわり、と空気が揺れた。

 冗談のような空気が、一瞬で冷気に変わっていく。

 だが、グェルはそれに気づかない。

 気高く胸を張り、語気を強めながら——むしろ、誇らしげに言葉を続けた。

 

「なに、知らんのか?アバズレとはだな、貴様のように……厚かましくも、やたら布面積が小さすぎる衣装を着て、肌を無駄に露出し、恥知らずにも外をフラフラと徘徊する女子のことを言う!」

 

 鼻息は荒く、目は輝き、態度はどこまでも堂々。

 

「我々の“ペット”になるからには、
そのような頭も貞操観念もユルそうな装いは、
断じて認められん!(注:グェルの偏見です)」

 

 黒マスクの下のリュナの口元が、怒りでピクピクと痙攣していた。

 それでもグェルは構わず続ける。

 

「よろしいか! 我らフェンリルが求めるペット像とは——白いワンピースに麦わら帽子、そして肩からは麻のトートバッグ!」

「家庭菜園で収穫したラディッシュを持って、犬の散歩を楽しみながら、清楚に微笑む“癒し系日常ヒロイン”なのだ!!」

 

 言い終えた瞬間、グェルはドヤ顔で胸を張る。

 

 だが、その周囲では——

 

「……また始まったぞ、グェル隊長の“癖(へき)”が……」

「この前も言ってたよな、『ペットにする女子なら、花柄のエプロンこそ至高』って……」

「『あざといロングスカート系女子』が理想とか、戦闘会議で語ってたよな……」

「いや、普通に引くわ……」

 

 ざわ……ざわ……

 明らかに空気が引いている。

 いや、正確には、フェンリルたちの大半が“そっと心の距離を置いている”。

 そんな周囲の空気に気づくはずもなく、グェルはまだ自分のペースに酔いしれていた。

 

 その中で——唯一、完全に違う“沈黙”に包まれていた存在があった。

 

 リュナである。

 

 その金茶の瞳が、じわじわと見開かれていく。

 瞳孔が細り、爬虫類の様な鋭さが増していく。

 こめかみが震え、空気がびりっと裂けたように感じられる。

 
 ピキ……ピキピキ……!


 背景に、『!?』というマークが浮かびそうなほど、リュナは無言のままキレていた。

 

 やがて、言葉にならない吐息とともに——

 

「……おい、もう一回言ってみろコラ」

 

 その一言で、場の空気が完全に凍った。


 全身を緩やかに緊張させながらも、その身体は微動だにせず。

 黒マスクの奥の口元、表情は仮面のように固く、読み取れない。

 

 だが。

 

 ……ほんの僅かに、動いた。

 

 ギギギ……と、機械の軋むような、いや、怒りが無理やり口元を引き上げたような、そんな笑み。

 黒マスクの奥。口角が、ゆっくりと、だが確実に吊り上がっていく。

 

 それは——笑顔ではなかった。

 明らかに“怒り”の中で浮かぶ、沈黙の牙。

 

 そしてその時、リュナの胸の奥に、ある言葉が灯のようにともる。

 

 アルドの声だった。

 

 『いいと思う!そのままの君でいて!』

 

 ——あの時、自分のこの姿を否定せず、まっすぐに肯定してくれた、あの声。

 

 『その姿、すごく……可愛いと思う、うん……』

 

 恥ずかしいほどストレートな言葉なのに、それが胸の奥にすっと入ってきて、あたたかかった。

 ……それが、自分にとって、どれだけ救いだったか。

 

 ——それを、今、この場で踏みにじったやつがいる。

 

 平然と、勝手な理想像を押し付けて、“あたし”を否定して。

 

 その思いが、臨界点を超えた。
 
 

「……あーしの、この格好の“布面積が小さすぎる”って……?」

 

 声は、低い。静か。

 だが、その中には刃のような怒気がひそんでいた。

 

「……じゃあ、お望み通り——“デカく”してやんよ」
 
 

 その瞬間。

 

 空気が、震えた。

 地面が、ほんの少し、低く唸った。

 

 リュナが纏っていた、うろこラメのミニスカボディスーツ。

 それが、音もなく——変質し始める。

 

 まるで生き物のように、背中の鱗が波打ち、せり上がり、膨張する。

 それは“服”ではなかった。

 肉体でもない、魔力でもない。

 

 あらゆる要素の境界を曖昧にした、“変身する鱗”。

 魔と竜と少女の意思が重なった、唯一無二の変貌。

 

 ——ばさっ。

 

 音が遅れて空間に響いた。

 暗く黒い翼が、闇を切り裂くように展開される。

 滑らかに広がったその羽ばたきは、風の衝撃を伴い、辺りの砂を一斉に巻き上げた。

 

 そして、更にスーツの背面から——

 重く、力強い、2本の巨大な黒竜の腕が滑るように突き出す。

 

 鱗に覆われ、しなやかで、圧倒的な存在感を放つ“魔竜の六肢”の残り二つ。


 人と竜の形を持ち合わせた、異形の姿。
 

 そのシルエットは、まさに——“黒の竜人”。

 

 「…………」

 

 沈黙の中、フェンリルたちが、一斉に言葉を失った。

 

 誰も、咆哮を上げない。

 誰も、飛びかかろうとしない。

 

 目にしたのは、“ただの人間”ではなかった。

 

 闘技場の中央に立つ少女の身体が、黒い風と鱗とともに変貌するその様は、

 支配と暴威を司る“竜の支配者”のそれだった。

 

「……な、なんだ……?」

「……え、あれ……やばいやつじゃないか?」

「…あ、あの翼と腕、何か見覚え無いか……?」

 

 ごくりと喉を鳴らす音が、いくつも重なった。

 誰もが、気づき始める。

 ——自分たちは、取り返しのつかない存在を怒らせてしまったのではないか、と。

 

 震える足元。こわばる耳。鼻先から流れる冷や汗が、砂に吸い込まれていく。

 

 そして、リュナの瞳が。

 その黒マスクの奥で、ひときわ鋭く、淡く輝いた。


「……ブッコロ。」
 

 静かなる竜が、今——“本気”を、その翼で告げようとしていた。

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