宝石の花

沙珠 刹真

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第三章

夜に咲くアサガオ

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「えっ? 何これ? 病気?」
 綺麗な紫色だったアサガオの花が黄色に変色している。それだけじゃない。ところどころ花の白い部分はガラスのように透明な斑点模様ができている。
 血の気が下がる、頭の血が重力にひかれてすべて地面に吸い込まれていく、そんな感覚に襲われる。
「若林さんなら、何か知ってるのかな?」
 簡単にインターネットで調べてみても、そんな病気のことは書いていない。
 軽いパニックになりながら、貰った名刺を探す。
「あった。でもこんな朝早くだと失礼かな。いやでもこの子たちのこと考えたら怒られたって……」
 今は朝六時を少し過ぎたところ。普通ならほとんどの人が寝ている時間だ。もし起きていても起きたばかりでこんな時間に電話がかかってくるなんて思ってもいないだろう。
 そんな非常識な時間に電話を掛ければ、相手が不快になるのは自明の理。
「……出てくれるかな」
 溢れそうになる不安を抑えながら、周期的な呼出音を聞いて待つ。
 お願い、早く出て。
 お願いだから。
 ……。
「――はい。若林です」
 出てくれた!
 声から寝起きだと伺える。
「朝早くにすみません。以前からお世話になっている藤田です。育てていたアサガオが突然病気になってしまったみたいで、でも調べても原因とかわからなくて、若林さんなら何かご存じかと思って、居ても立ってもいられず、失礼を承知でお電話させていただきました」
 早口で要件を告げる。
 ちゃんと事情が伝わっているか怪しい日本語だけど、頭が混乱して現状を正しく伝えられる言葉が出てこない。
「ああ、はいはい。まずは落ち着いてください。写真でいいので撮って店に来てください。今日はお仕事でしょう? 夜遅くでもいいので、取り乱さず、他の誰にもその症状のことは言わずに来てください」
「このまま放置しても大丈夫なのでしょうか?」
「ええ、心配しないでください。水やりは忘れないでくださいね」
「はい、わかりました。仕事が終わり次第、できるだけ早く向かいます。本当に朝早くに失礼しました」
「落ち着いてくださいね。それで事故にでも遭われたら私の寝覚めが悪いですから」
「ありがとうございました」
「ええ、それでは」
 少し冷静になって今の会話を思い返す。
 具体的な症状のことを話していないのに、若林さんは分かったのだろうか?
 それとも、もう手遅れ?
 学校を休んででも話を聞きに行くべきだろうか?
 若林さんは大丈夫って言っていた。
 今年の春に初めて会って付き合いは短いし、友達とかそういう関係でもないただの花屋さんとそこのお客。
 言われるがまま流されるように育てていたけど、若林さんは私を騙すようなことはしなかった。
「若林さんを信じよう」
 とは言っても気になるのは仕方ない。
 出勤時間になり、しぶしぶベランダから玄関へと向かい、外に出て車を学校へと走らせた。





 うーん、そろそろかな?
 そういえば、仕事って言ってたけど、今って夏休みでは?
 ギリギリでもう終わったのかな?
 いや、先生は変わらず仕事か。
 しかし、あの慌てぶりは想像通りというか、想像通り過ぎて笑い堪えるのに必死だったよ。
 朝早くてごめんなさいって、こっちは笑い堪えててごめんなさいだよ。
 思い出すだけで、やばい堪えられない。
「ぷっふはは……」「すみませーん」
「いらっしゃいませ。どのようなお花をお探しでしょうか?」
 ……なんでこういつもタイミング悪いの?
 ていうか、私もロボットかよ。
 反射で定型文を発するとか、もうロボットだよ。
「なんでまた突っ伏してるんですか! しかも気持ち悪い笑い声だして、本当に幻覚とか見えてませんよね? ていうか、ロボットですか、あなたは!」
 おお、見事にすべてのことにツッコミを入れた。
 拍手、拍手。へーい、クラップ、クラップ。
「って、そんなことよりも」
「今朝の件ですね」
「はい。これです」
 レジに座る私に藤田さんはスマホを見せに入口から速足で駆け寄る。
「へー、これは初めて見る現象ですね」
「えっ? 若林さんでもわからないんですか?」
「あー、いえ。まあ、長い話になるので、どうぞそこの椅子使ってください」
 レジを挟み、私と対面になるように用意しておいた椅子へ藤田さんを促す。
「で、では、お言葉に甘えて。失礼します」
「面接じゃないんですから、固くならなくていいですよ」
 さて、本題と参りますか。
 久々に話す内容でちょっとだけ体に力が入る。
「まず始めに、私があなたに渡した種なんですが、あれらはただの種じゃありません。『宝石の花』という、特別な植物の種だったんですよ」
「……はい?」
「まあ、そうなりますよね。お気持ちはわかります。でも、ひとまず最後まで聞いてください。
 私たちが『宝石の花』と読んでいる特別な植物は、その名の通り宝石でできた花を咲かせます。ただ、育つ間は普通の植物となんら変わりない姿なので見分けがつきません。
 いつ正体がわかるのかというと、その植物がその命を終えようとする時、なんです。つまり、枯れ始めに突如として花に変化が現れるんです。ちょうど、見せてもらったアサガオの花の白い部分のように、透明なガラスのような斑点模様がついている、まさにそれです。
 この特別な花について、分かっていることは実は少ないんです。なぜそんな摩訶不思議な花をつけるのか、どう変質していくのか。一切不明なんです。判明していることと言えば、普通の植物を育てるのに必要な肥料が本当は要らないことや育て方が基本的に普通の植物と変わらないということです。ああ、肥料は要らなくても、もちろん水は要りますよ、あくまでも植物ですからね。今回については怪しまれないようにするためと、来年以降も、もしアサガオを育てる気があれば勘違いされると嫌なので、肥料を与えて育ててもらいました。
 では何が、成長の補助になっているかという点なのですが、それは生物のなんですよ。不安や不満、嫌悪、憎悪、苛立ち、エトセトラ。植物は光合成で二酸化炭素を取り込み栄養と酸素を作るでしょ? それと似たサイクルが『宝石の花』にはあるらしいのですよ。
 そんな摩訶不思議な植物、とても非科学的で世間に知れ渡るのは色々と都合が悪いんですよ、本当はね。
 でもあなたがこの店に初めて訪れてくれた時、私はあなたにこの花が必要だと感じました。そして、きっと真実を知ったとしても言いふらすことなく、モラルを守ってくれると、勝手ながら信用して種を渡しました。
 信じられないでしょうが、百聞は一見に如かず。信じてもらうしかありません」
 おー、頑張って情報を整理しようとしてる顔だ。
「え……っと、じゃあ病気でもなんでもない?」
「はい。だから"大丈夫"と言ったんです」
「不安を栄養に……そっか、じゃあ私の心のモヤモヤ、食べてくれてたってことなのかな……」
「まあ、そんなところです」
「でも、じゃあこの色の変化も?」
「んー、それが問題で、実は花の色が変化するのは初めてみる現象なんですよ。
少し話がずれますが、花言葉と同じように宝石や鉱物にも石言葉ってあるんです。眉唾もののはずなのですが『宝石の花』は、面白いことに、その育て親の感情に合わせた鉱物に変質するんですよ」
「はあ……」
「例えば今回だと紫色のアサガオということで、ほぼ確定でアメジストに変質すると私は予想しまして、その石言葉は――」
 流石に専門外なので、レジの下から辞典を取り出し、
「――あった。『心の平和』です。つまり、あなたにとってそれが必要だと、そのアサガオは考えていた。
 で、話を戻して、変色についてですが、えっと、たしか――」
 再び辞典の中からある宝石を探し、
「――あった、これこれ。シトリン。こいつの石言葉は『幸運の石』だそうです。ただ、まあ商売的な意味が大きいようですが、ポジティブな思考を促して前を向いて歩こう的な意味も強いみたいですね」
「つまり、前を向けとこの子に言われている?」
「言われてるというより、そうあって欲しいという花の願望のようなものです。育て親への親孝行といったところです。花にそんな明確な意思があるわけがない、なんて野暮なことは考えないでくださいね。どんなに非現実的、非科学的と言っても目の前で起きたことの否定にはなりませんので」
「はあ、病気じゃないってわかったら、なんかホッとしました」
 力んでいたであろう藤田さんの方がだらんと下がり、肩にかけていたカバンの紐もだらしなく落ちていく。
「さて、あのメモには書かなかった続きですが、まず一つ。最後まで育ててあげてください」
「もちろんです。今さら捨てられるわけないじゃないですか」
 おっと泣いてる。
 意外とすんなり受け入れてくれたな。
「二つ目。アサガオなのでわかりやすいのですが、夜も花が開いたままになったら花を収穫してください。その時、光を当てて全体が鉱物化しているか確認してから作業をしてください。その後、種ができ始めるので、茎や葉が完全に枯れたら種も収穫してください」
「花や種はどうするんですか?」
「ご足労かけて申し訳ありませんが、私のところで回収させてください。念のため言っておきますが、来年もその種を育てようとしても、おそらく今の藤田さんでは発芽すらしません」
「そっか、今年は新生活の不安とか親とのあれこれあったから」
「その通りです。不安や不満などが無い人間なんていないと思いますが、この種の発芽と成長にはちょっとしたそれらの感情では足りないんですよ。育てられるのなら私も育てたいんですがね」
「育てたこと、ないんですか?」
「昔に一度だけありますよ。この店の先代店主に私もアサガオの種を渡されて育てました。だからもう、今朝の反応とか、そのまんま私も同じで、失礼ながら笑いを堪えるのに必死でした」
 彼女のアサガオがそう願っているのだから、前を向かせてあげようじゃないか。
「ええ、ひどい。心臓破裂する思いで電話したのに」
 ほら、笑った。
「花と種を回収し終わった後の話もあるのですが、それはまた今度しますね。真っすぐ学校から来たんですよね? 早く帰って水を上げてあげてください」
「はっ、そうだ。今日も暑かったから早く帰ってあげないと」
「ではまた」
「ありがとうございました」
 相変わらず藤田さんは、店を出てからの礼を忘れずに帰っていった。
 案外あっさりと受け入れてくれて助かった。
 過去、両手の指でまだ数えられる程度しか渡していないけど、一度だけ心の傷をさらに深くしてしまった経験がある。
 慎重にお客を選んだつもりでも、間違えてしまった。
 説明する余裕すらなく酷く錯乱して、宝石の花が咲く鉢植えを投げつけられた。
「ふう、あんなことがあるのにまだ渡してるんだもんなー」
 ふと、その時に言われたことを思い出す。
『こんな気色の悪いもの育てさせやがって――』
 その後に何言われたのかはすっかり忘れてしまった。
 たしか、マリッジブルーの彼女?妻?への贈り物で何度も店に来て悩んでた人だったっけ。
 花を雑に扱う人の顔はすぐに忘れちゃうね。
 嫌な思い出はこうやってしっかりと残るくせにね。
 今はさらに慎重に相手を選んでるつもりだけど、他人の心ってのはわからないからね。
 今回は温厚にことが進んでよかった。
 自分勝手な善意だけど、それで救われる心があると信じているからお節介を焼いてしまう。
 他ならぬ、私が宝石の花に救われた一人なのだから。





「今日は、なんか疲れたな。一日くらい自炊サボってもいいよね」
 自分にそう言い聞かせて、自分で納得し、コンビニに寄り道していく。
 食欲があるわけではないので、百円パスタと惣菜を一つずつ買い帰宅する。
「ただいま。すぐ水あげるからね」
 戸の向こうまで声が届いているかわからないが、声を掛けずにはいられない。
 カバンも買ってきた夕飯もリビングテーブルの近くに置き、明かりも点けずにベランダへと向かう。
「ごめんねー、いつも遅いけど、もっと遅くなっちゃって」
 学校を出た時にはまだ空が明るかったのに、若林さんのところを出る頃にはもう周りは真っ暗だった。空にまだ明るさが残っていても、山に囲まれているせいか住宅地ともなると一層暗くなるのが早い。
 かなり遅くなってしまった水やりを終えても、なんとなく、鉢植えのそばから離れたくなかった。
 部屋の明かりが無くても目が暗闇に慣れ、変質し始めている異様な花の姿をはっきりと捉える。
「今日ね、若林さんのところ、君たちと出会ったところにまた行ってきたんだ」
 隣の住人がもし聞いていたら、気を病んだ危ない人のように思われるかもしれないけど、今は話しかけずにはいられなかった。
「私の悪いところ、食べてくれたんだってね。そんなことも知らずに、日ごろの不安とか愚痴とか、色々、自分じゃどうしようもなくなった時によく話してたんだ、私。元気いっぱいに育ってくれたのは嬉しいけど、それってそれだけ私が弱かったんだよね? 弱いからもっと強くなれって、私に元気くれるために、たくさん私の悪いところ食べてくれたんでしょ? ごめんねぇ、こんな、私が育て親なんて」
 残りの短い時間、人にとっては一年うちのほんの少し、ただの季節一つでも、アサガオにとっては一生、それも、もうその命を終えるカウントダウンに入っている、そんな短い間だけは、せめて笑顔で最後までいてあげようと思ったのに……やっぱり私は弱い。どんどん目から涙が溢れだしてくる。
「今まで、支えてくれてありがとう。いっぱい助けられた、全部を思い出してたら朝になっちゃうくらいだよ。また明日も明後日も来週も再来週も一か月後も最期まで元気な姿を見せてね、私も元気百パーセントで頑張るから!」
 ぐちゃぐちゃの笑顔で、いつまでもそばにいるより、いつも通りにした方がアサガオたちも安心してくれると思って室内に戻った。

8月〇◆日(月)  突然のことでびっくり!
 今朝、いつも通り水やりをしようとベランダへ出ると、花の色が紫から黄色へ変色し始めて、白い部分はガラスみたいに透明な斑点模様ができて、きっと顔面蒼白って状態になってたよ(笑)。
 いや、笑いごとじゃなかったんだけど、笑わないとって思って。
 早朝にも関わらず若林さんは電話に出てくれて、「心配ない、仕事終わりに来て」って言ってくれて少し落ち着きを取り戻して学校に行ったよ。
 丁度、今日は始業式で普段通りの学校が始まって若林さんのところに行くのが遅くなってしまった。そして、そこで信じられないけど、信じるしかない真実を語られたのです!
 なんと、春に貰ったアサガオの種たちは『宝石の花』という摩訶不思議な特別な植物だというではあーりませんか。
 何言ってるかわからないよね? 書いてる私も変なテンションにならないと書いてられないもん。チューハイおいしい。
 なんでも、ネガティブな心を栄養に育つんだって。育ててくれた人の心を食べて、それに応じた宝石に花が変質するらしい。斑点模様になるのはきっとまだアサガオとして花が萎むからなんじゃないかなって勝手に考えてみた。氷とシャーベットの違い?なんて表現すればいいんだろう?この予想はどうだろう、合ってるかな?
 今日はもう寝るまで時間がないから、明日宝石について調べてみる。若林さんが言うには紫はアメジスト、黄色はシトリンっていうらしい。流石に専門外なのか、レジの下から辞典みたいなのがドンって出てきて、またびっくり(笑)。それで調べてた。
 元気に育ってくれたってことは、それだけ私が栄養を上げてたってことなんだよね。元気に育ってくれたのは嬉しいけど、その反面、それだけネガティブだったってことだからね、なんか複雑……。
 もう残り時間が少ないから、笑顔で! それだと栄養上げないことになるけど、やっぱり笑顔で育てたいと思います!

 日記に書くと少し頭の中がすっきりする。
「今日もしっかり寝て、明日に備えよう」
 寝る前にガッツポーズするのもどうかと思うけど、気合を入れておきたくなったのだから仕方がない。
「ふふっ、おやすみ」


8月△〇日(金)  夜に咲くアサガオ
 アサガオって品種によっては夜に咲くのもあるらしい。私が育てていたのは確かに朝には咲いていて、夕方になるころにはすべての花が閉じる、よくある、普通の、何の変哲もないアサガオのはずだった。
 今日、丁度全ての花を収穫した。他の誰にも見せることはできないけど、何枚か写真も撮った。月明かりを受けて紫色や黄色、中には紫と黄色半々のものもあったけど、どれも晴れた夜空の下に花を咲かせ、幻想的な風景を見せてくれた。
 収穫した花は、最初は新聞紙を緩衝材にタッパに入れてたんだけど、全然足りなくて、結局スーパーで買い物した時に段ボール一つ貰ってきて、そっちに入れることになった。欠けると可哀そうなので、慎重に若林さんのところまでもっていかないと。
 あとは種ができるのを待つだけ。それが最期。
 来年も育てたいけど、今の私だと発芽もしてくれないんだって。4月ごろの私はどれだけネガティブだったのさ(笑)。
 普通のアサガオでもいいし、他の花もアリかも。若林さんの手のひらでクルクル踊ってるみたいだけど、それでもいい気がする。あの人、変人だけど凄く優しいもん。
 本当に、ありがとう。一生この思い出は忘れないよ。





「結婚式かー、結婚ねー、ケッコン……」
 毎度、式場からの注文を受けるのはいいんだけどさ、なんか担当の人と打ち合わせする度に哀れんだ目で見られるんだよ。
 日曜の昼間からこんな気分にされる気持ちわかる?
 私だってこれでも人間だし、女だからちょっとは考えることあるっての。
 よーく考えた結果、頭が花畑になるだけで、全く考えないわけじゃないんだよお。
「って、誰の頭が花畑だあー!」「だからなんで来る度に奇行に走ってるんですか!」
 突っ伏していた頭を勢いよく上げる。
「いらっしゃいま……すじたさん」
 偶然通り越して、もうこれ奇跡だよ。
 悪い意味で奇跡だよ、ほんと。
「今、スジタって言いましたよね? 絶対『いらっしゃいませ』のせから無理やり繋げましたよね?」
「はい? なんのことでしょうか?」
 こういう時は営業スマイルでやり過ごすに限る。
「はあ、もういいです」
 よし、勝った。
「それよりも、持ってきましたよ、花」
 よく見ると藤田さんは段ボールを抱えている。よく見なくても分かるか。
 さてさて、間引きもせずに育てたのだから相当な量を期待してるけど……
「段ボールはレジに置いてください。それよりも――」
 レジの下から『臨時休業』と書かれた札を取り出し、
「――今日はもう閉店にしないと」
「えっ? どういうことですか?」
「ああ、中に入っていてください」
 入口に掛かる掛札を『CLOSE』にし、上から臨時休業の札を掛ける。
 入口の戸を閉め、念のため施錠もする。
 さらにカーテンも閉めて外から中の様子が見られないようにする。
「以前もお話した通り、世間に知れ渡るのは避けたいんですよ。だから、こういう時は臨時休業にして、誰も店に入らないようにするんです」
「凄い徹底ぶりですね」
「とはいえ、渡した方々が何かをふとした時に言いふらしてしまえば終わりですがね」
「今の時代、ネットに簡単に書きこめちゃいますからね。でも、中々信じる人もいないと思いますよ。ほら、百聞は一見に如かずだって若林さんも言っていたじゃないですか」
「ふふ、そうですね」
 準備を済ませ、レジを間に挟み藤田さんが対面に座る。
「見させていただきますね」
「はい、どうぞ」
 段ボールを開け、中にある宝石の花を確認する。
「綺麗な深い紫ですねー」
「鑑定できるんですか?」
「いえいえ、専門じゃないんでお金勘定は専門の人に任せますよ。ただ、それなりの数は見ているので、なんとなくならわかります」
 アメジストのアサガオが十八個、シトリンのアサガオが十二個、アメトリンが七個で合計三十七個の花か、ほんとに大漁、豊作、ありがたや。
「アサガオだけじゃなく、他の花も見たことがあって、それなりに私も知っているつもりだったんですが、今回のように完全に鉱物化する前に別の鉱物に変質するのは初めて見ました」
「調べたんですけど、全部同じ水晶なんですってね。私も担当は数学で専門じゃないのであんまりわからないですけど、中に入る不純物がどうのって話で発色が変わるらしいですね」
「『アメジストは高温で熱すると黄色から褐色、緑、最後には無色になる』らしいです」
 手元に調べておいたそれぞれの鉱物について淡々と読み上げていく。
「『そのうち黄色のものをシトリン。アメジストからシトリンへの変色中になんらかの要因で変色が止まりそのまま産出されるものをアメトリンという』だそうです」
「相変わらず手書きなんですね」
「一応、パソコンは使えますよ?」
「個人でプリンターは家庭用でも本当に使うひとじゃないと邪魔ですもんね。私も授業用のノートは手書きです」
「では、こちらは当店で回収させていただきますね」
「ちなみに回収してどうするんですか?」
「それを説明するためにも、まず少しこちらへ来ていただけますか?」
 椅子から立ち上がり、店の裏へと案内する。
 案内するほど広くないけどね。
 店の裏を隠すための垂れ幕を手で避け、裏口の戸に手を掛ける。
「いいですか? これは宝石の花と同じで絶対に口外しないでいただきたいことです。でも、勝手に私が信用したことですから、気に食わないとか受け入れられないとかあれば言いふらしても構いません」
「若林さん、言い方がずるいです」
「なんのことでしょうか?」
 まあ、勝手なのは私だし、酒の席とかで言いふらしても責任は負わなくていいよってことなんだけど、気づいてくれたのかな?
 まあいいや、勢いに任せてこのまま行っちゃえ!
「当店の裏にはなんと異世界がー!」
 戸を開くと、レンガ造り家が建ち並ぶ異国情緒溢れる大通りに出る。時間はこちらと同じ昼時で、太陽も一つだから実感が湧かないが、夜ならば月が二つあるので自然とこちらが自分の住む世界と違うことを受け入れられただろう。
 ……。
「……」
 ……。
「……」
「えっと、さすがに事情は話すと長くなるので省きますけど、色々あって地球とは別の世界に繋がってるんですよ、うちの裏口。昔から流行っているラノベに出てくるアレみたいなやつです。ちなみにうちの裏口はその辺のよりも、もっと歴史があるらしいです」
 無反応は困るって。
 もうちょっと驚いていいじゃん?
 勢いよく「当店の裏にはなんと異世界がー!」なんて、数十秒前を思い出すだけで心臓破裂するレベルんの羞恥心さらしたのに、無・反・応!
「いや、もうなんか驚きって振り切るとどう反応していいのかわからなくなりますね」
 苦笑を浮かべる藤田さんに私も苦笑を返すしかない。
 戸を閉め、レジの方へと戻る。
「とまあ、宝石の花は特別な植物と表現しましたが、異世界の植物とも表現できるんです。あっちでは一般に知れ渡っているので、回収させていただいた花たちはあちらの商人に任せて売ることになります」
「もしかして、いや失礼なのでやめておきます」
「ええ、この花たちはインテリアとしてそれなりの額で流通するんです。もちろ向こうとこちらの通貨は違いますが、あちらの通貨であちらの花を仕入れてこちらで売れば利益がそれなりに出たりもします。ちなみに食費も向こうの品を向こうの通貨でってやると日本円が浮きます。さらに金と交換なら色々融通も聞きます。
 色々不思議に思うかもしれませんが、向こうは別にゲームのようにモンスターとかそういうものは出ませんよ。文化や技術こそ違いますが、向こうも普通の世界です。まあ、普通じゃない宝石の花が存在している時点で普通の意味が問われてしまいますが、名前が異なるだけで、通常の植物も咲いています。
 他にもこの世の中、うちみたいに繋がっているところは多いらしいです。一部の植物はこちらから流れたものだったり、その逆もあるらしいですよ。大昔のことで私の知ったことではありませんがね。あとはそういう場所は互いに他言無用で干渉しないのが暗黙の了解となっています、本来ね。なので、私も他にどこに繋がっている場所があるのか、なんてのは一切知りません。知りたいと思ったこともありませんが」
「はあ……」
「宝石の花の存在以上に受け入れ難い現実ですよね。私も始めはそうでしたよ。向こうの人は本当に人なのか、襲ってきたりしないか、なんて考えて怖がっていました。なんせ知ったのは中学校の時ですからね」
「はあ……」
「仕事の関係で向こうの人とも付き合うようになって、そんなこと考えていた自分がバカだったって思いましたよ。私は科学者じゃないんだし、非科学的だ、非現実的だとか言う前に花が好きな一人の人間で、向こうも花が好きで店に来てくれる一人の人間だってね」
「はあ……」
 宝石の花のことを話した時以上に頭の上にクエスチョンマーク出してるね。
「そして、ここからが藤田さんにとって重要なことです」
「もう、はい。受け、入れ、ます」
「ロボットですか?」「違います」
「おう、即答」
「なんでしょうか?」
 ガチャと裏口の戸が開く音がした。
「あれ、裏にも休みって札下げといたのに。予約も入ってないんだけどな」
 振り返るとそこに、黒髪碧眼の女が立っていた。
「ルミィ、休みって書いてあったでしょ……」
「あなたがアサガオ子ちゃんでしょ」
「は、はい、いいいい!?」
 挨拶代わりに抱擁、日本人じゃ馴染みのない行動に藤田さんは固まっている。
 というかルミィは頬擦りまでしてくるから慣れてる人でも固まる。
「丁度散歩してたら店の中からホタルが出てきたのを見て、これはってビビっときたから、お邪魔しまーす」
「さっさと帰るなら居ていいよ。丁度、ルミィの仕事の話するところだったから」
「私の? あっ、ユキチ貰ってない!」
「あんた、あの日そのまま夕方まで寝て帰ったでしょうが」
「貰ってないものは貰ってない! そんで明日出かけるもん」
「あの、えっと、どちら様ですか? アサガオ子ちゃんって?」
 おっと、存在を忘れかけた。
「これはルミルチア・フロール。向こう側の人間で宝石を使った装飾品とかインテリアとかをデザインから制作までこなす腕だけは一流の芸術家ってところだね」
「腕だけとは失礼なー。ルミィって呼んでねー」
「えっと、藤田稔です。よろしくお願いしますうっ!?」
「アサガオ子ちゃんはミノリって言うのね、よろしくー」
 ハグの回数が多いんだよ、阿呆。
「はいはい、いい加減そのくらいにして話戻させて」
「なんの話だっけー?」
 んもー、一発引っ叩きたい!
「まず、あんたはコレでも鑑定してろ」
「あはは、若林さん、口が露骨に悪くなってますよ」
「はっ、すみません。本当は話が飛ぶからこれは呼びたくなかったのですが、まさか散歩に出歩いてるとか、思いませんよ、クソっ」
「仲良いんですね」
「腐れ縁みたいなもんです」
 ルミィは隣で花を見てはしゃいでいる。
「私らはこれを引き取って利益にするわけですが、せめて育ててくれた方へのお返しがしたいんですよ。そこで、このバカの出番です」
「そうそう、この前言われてたから一応デザイン案は持ってきたよー」
 バカが差し出してきた紙を受け取る。
「花の形をしている以上、できることは限られてきますが、アクセサリーや少し特別な日用品に宝石をあしらったものを用意させていただいています。言い方を変えると口止め料ってやつですね」
「砕いちゃうんですね……」
「場合によりますね」
「ピアス、指輪、ミニライトスタンド、風鈴まで……綺麗なものばかりですけど、こう、授業で使える何かがあれば……うーん」
「すぐに売りに出すわけでもありませんし、悩んでいただいて結構です。後日、口頭でもデザイン絵でも教えていただけたら対応しますので」
「ノートに挟む栞ってできませんか?」
 紙とペンを手渡しイメージを描いてもらう。
 いつの間にか、子供のように興奮していたルミィは仕事モードの顔でデザインの様子を見ている。
「あんまりじっくり見られると恥ずかしいですね」
「気にしないでー、ミノリー」
「こんな感じの栞ありますよね、その先端に――」
 フック形状をした栞の片方の先端に何か装飾を付ける。装飾はおまかせね。
「装飾は任せて、ぜーったい気に入るようなの作るから」
「はい、よろしくお願いします」
 話が終わったところで、入口のカーテンや施錠を開ける。
「もう夕方!」
「北海道は早いですよ。九月なんてもう秋ですから」
「静岡の方はまだまだ夏だったんですが、秋服買いに行った方がいいかな」
「頑張って慣れてください。花屋の店主とその客とはいえ、ここまでの付き合いですから花以外でも困ったことがあったら相談に乗りますよ。花以外の相談は常識的な時間でお願いしますね」
「ふふ、はい」
 店の外に出て、すでに撤去してしまったプランターのあったところを一瞥してから、持ってきてくれた段ボールに視線を向けて藤田さんの目は一瞬だけ輝いた。
「あの子たちはきっと幸せでしたよ」
 藤田さんは声を出そうとしたが出なかった様子で大きく頭を下げ、広場の方へと歩いていった。
「ホタルー、これいくつか先に貰っていい?」
「いいよ。その辺に小さな箱あるでしょ、それ使っていいよ。さっさと作ってやって」
「りょーかーい」
 再びカーテンを閉め、閉店作業を始める。
「流石に量が多いから早めにクラウスに来てもらうかな」
「連絡しとくよー。ついでにお酒も飲もうって言っておいてあげる」
「よろしく」
「じゃあ、私は帰るねー」
 目星をつけたものを箱に入れたルミィは早々に裏口から出ていった。
 しんとした店内に花の香りだけが漂う。
「ほんと嵐かよ」
 騒がしい親友のことを嘲るが、それとは裏腹に口角が緩んでいることを嬉しく思う。





――十月のある日、花屋裏口の向こう側にて


「「「かんぱーい」」」
「先言っておくけど、クラウスのおごりで」
「おいおい、そこはホタルのおごりだろ?」
「女性にお金を払わせるのはご法度らしいですよ、クラウス君」
「そうそう、うちの方では常識だよ」
「お前、外に友達いないの知ってるからな」
 うっ、嫌なところついてくる。
「あんなに豊作なんだし、あとはあんたがどう上手く捌くかでしょ?」
「それを見込んで、ここはクラウスが払うべきだと思うなー。私お金持ってきてないしー」
「もう子供じゃないんだから少しは金持つくらいしろよ。一人はどうせ、ろくに飲めないだろうからな、仕方ない。良いよ、僕持ちで。それより、今回の花のことだが、鉱物化の途中で変質するのは初めてだろ?」
「色々推測はあるよ」
「聞かせてくれ。見た目だけでも通常より価値を吊り上げる効果はあるが、しっかりとしたストーリーがあった方がいい。特に研究してる三人が食いつく。親父のため込んだ金を搾取してやりたい」
 おぉ、滅多に表に出ないクラウスの欲望だ。
「アサガオを育てる時は摘芯をやるっていう先入観がどっちの世界にもある。だけど藤田さんは、初めてできた蕾を摘むことをためらった結果、摘芯なしで一部の株を育てた。だから、その摘み取られなかった蕾は他の蕾たちより長い間、藤田さんの感情を栄養に育って開花した。最初はアメジストを選択した花だったけど、ちょうど変質期に差し掛かったあたりか、あるいはもっと前か、藤田さんの心境の変化に中てられて変化するに至ったんじゃないかってね。
 何にせよ、私たちは普通の花も宝石の花も、すべてを理解できているわけじゃない。でも、そこに確かに命がある。あんまり売り出しに使えるバックストーリーじゃないよ」
「ふむ。確かに失礼になるな。ただでさえ、こちらの都合で大切に育てた花を回収しているんだから、そこは礼儀を通さないとな」
「ぶー、難しい話は抜きで飲もうよー」
「はいはい、ごめんって、ルミィ」
 たまたま自然界でも変質する可能性のあるアメジストとシトリンだったとは言え、あんな姿を見せられると宝石の花には命だけじゃなくて、意思すらあるのではないかと思わずにはいられないね。
「難しい顔するのも禁止ー」
「ったあーもう、髪引っ張るなー」
「ほんと君たちと出会えてよかったよ。見てるだけでも退屈しない」
「見てないで助けろ、クラウス! ほんとに痛いって、最近抜け毛とか気にし始めてるんだから!」
「ほらルミィ、次のお酒を頼まないと」
 やっとルミィから解放された。
 あー、いったい。でも楽しいや。
 クラウスの言う通りだ。私は口にしないけどね。


――賑やかな三人の宴会は日付が変わる頃まで続いた。


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