前世は聖女だったらしいのですが、全く覚えていません

夏目

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戦争に至る

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「シャイロック様は、魔王なのですか」

 手を掴まれ、逃げることも出来ない。
 ドロシーはシャイロックが歩くまま、街を歩く。
 彼は残忍なその本性を隠さなくなっていた。

 カフェテリアが半壊したことでやってきた警邏の人間も、ギルドの傭兵達も、詰め所からやってきた騎士達も、地面に伏せさせ、時には聖騎士のようにぐちゃぐちゃの肉塊に変えた。

 至る所に飛び散った血が、根のように町中に走る。
 地獄。その言葉以外に言葉があるだろうか。

 吐瀉物を吐き出すと、ドロシーは彼に尋ねていた。

「魔王か。オズマの代わりに俺がなってやっても良いとは思っているが」

「こんな、ことをしでかしてどうされるのですか。西の街の人々を虐殺する貴方は、もはやジュダ様よりも罪深い」

「罪。罪か。確かに、人を殺めるのは罪過だ。報いを受けるに相応しく、その主張に一遍の歪みもない。だが、襲ってきたのはあちらだろう。俺は手を出されなければ応戦していない」

「シャイロック様のお力ならば、力加減だって出来たはずです」

 元に、警邏の人間は気絶させるだけで済ませている。
 シャイロックは六英雄の一人。魔法の手加減もお手のものだろう。
 けれど、傭兵や騎士達はにべもなく殺している。彼らには命乞いの暇さえなかった。

「剣を持つ人間は、強い弱いの違いなく人を傷つける覚悟を持っているものだ。死ぬ覚悟のないものはそもそも武器を手にするべきではない」

「……それは、そうかもしれませんが」

 それでもこの街の騎士とは、自警団が帯刀しているだけで小遣い稼ぎのようなもの。

 本物の騎士など程遠い。

 それこそ、領主様の家臣ならば別だろうが、街にいる騎士など、騎士と名乗れるものではない。

 シャイロックのなかでは深い線引きがあるのだろうか。
 確かに前の世界でも、彼は街の人達を自分の手では人を殺さなかった。
 殺しあうのは無機質に見つめているだけだった。
 けれど、あれは彼が起こしたことだから、シャイロックが殺したということに間違いはないはずだ。

「……シャイロック様。どこにむかっているんですか」

「領主の屋敷だ。死んだというあの王女について話が聞きたい」

「どうして、ですか」

 高貴な王族だ。魔女として扱われた屈辱に耐えきれなかったのではないか。
 彼女が街の人間に殴り殺されたのを思い出し、胃液がこみ上げる。

「正確には、その亡骸が欲しい。いまから、ボリビア卿の称号は俺が貰う。昔、妖精が去り、名無しになったこの街を守ったのは、六英雄たる俺だ」

 逃げ出してしまいたくて、くるりと背を向けていた。
 手だけ、がっちりと掴まれているせいで離れられなかった。
 もし、掴まれていなかったとしても、シャイロックはドロシーを逃がすことはなかっただろう。

 彼の魔法の前では逃亡は無意味だ。

「名誉を返して貰う。ただ、それだけだ」





 それから、シャイロックは騎士達に守られていた領主を捕らえ、街の人々の前に突き出した。
 処刑場とかした広間で、ボリビアは妻と息子とともに跪かされた。
 街の人々はまた麻の服を着ていた。

 まるでこれから起こることに暗示しているように、黒のレースがかかった帽子をかぶっている。

「それで、誰を呼んだのだったか」

「賢人会のお一人、ロズウェル様……」

「その老僧に何をさせたと?」

「王女を、魔女ではないことを調べていただくために……」

 汗を垂れ流しながら、ボリビアは呻いた。

 ロズウェル。ドロシーに鞭打ったあの僧侶を呼びつけた?
 嫌な予感がした。
 ジルはロズウェルを、魔女と姦通したものと断じていた。
 魔女を捕らえ、嬲り殺しにして最期は豚の餌としたと……。

「あんなことになるとは、思わなかった! 一夜明けて、自殺されていたのだ! 私の、私のせいでは……」

「お前達は王女の死体をどこに隠した? あの女は魔女ではなかったのだろう」

「わ、分からない! ロズウェル卿は魔女だろうと仰ったのだ。魔女が姿を変えて王女を模していたのだと。だから、死体は、死体はもうどこにもない。燃やした。燃やし尽くした」

「事実を口にしなければお前のあとを妻と息子が追う事になる。お前は俺にあの聖騎士をけしかけただろう。王女は魔女ではなかった、そうだな?」

「お、お前こそ、魔法使いではないか! 何がデコスタ製薬だ、ランカスターだ! お前こそお針子達を殺した魔王の手先なのだろうが!」

 この数日で目の下に深く刻まれた隈のせいでボリビアは病人のように見えた。

「はあ……。王女の死体はもうないのか。せっかく、あの【年増】への挑発に使おうと思っていたのに」

「何を考えている、この魔法使いが! このようなこと、モナーク神がお許しになるわけがない」

「天の座から人々を見下すだけの神の威を借りたところでお前の命運は変わるまい。それともモナークはお前のために金槌を振り下ろすとでも? 聖剣ベルセルクを持った聖騎士さえ俺には敵わなかったというのに?」

 逃げようと身悶えた妻の肩を踏みつけて、シャイロックは周囲の人間に声を張り上げる。

「人民ども、お前達の領主が王女を殺した。犯し、その屈辱に耐えきれなかった憐れな女が死んだのだ。王都から、騎士達がやってくるぞ」

「王都から? 俺達は、殺されるのか?」

「領主様が王女様を魔女として捕らえたせいよ! 殺されるの、私達、殺されちゃうの!?」

「お前のせいじゃないか! あの時、お前があの女が魔女だと言った!」

 ふうんとでも言いそうな生温い視線で、シャイロックは街の人々の声を聞いた。
 声というより、彼にとっては音なのだろうか。絶叫に近い責め立てる声も、音楽のように聞き流す。

「私は死にたくない! 死にたくないわ……」

「騎士達と戦うというのか!? 王都から来る無類の力自慢達だぞ……! 俺はごめんだ。絶対に嫌だ」

「逃げるしかない、この街から、出るしかない!」

「ならば、この領主を殺した者にこの街から逃げる権利を与えよう」

 申し出に町中が静まり返る。
 訥々としたシャイロックの声だけが厳かに響く。
 天上の声のようだった。
 言葉は残酷なのに、誰も無視できない。

「シャイロック様!」

 叫んだドロシーの声を街の人々の足音が掻き消す。
 がつん、がつん。
 石を振り上げる音とともに血飛沫が飛ぶ。
 領主の悲鳴も、妻の悲鳴も、息子の悲鳴も、すぐに消えた。




 どぉぉぉおん。どぉぉぉぉおん。
 打ち付ける槌の音が門から聞こえてくる。
 領主が死に数ヶ月。西の街は軍勢に囲まれていた。
 シャイロックは何一つ変わらなかった。
 料理をつくり、ドロシーに給仕をさせ、ぼんやりとスープが震えるのを見遣る。

 街の人々ももうすっかり大人しくなってしまった。
 最初こそ、食料を求めて殺し合いが起こっていたが、今ではその元気すらないのか、皆がぼんやりとしている。

 領主が死に、彼に付き従う騎士達もシャイロックが殺した。
 街の人々は信徒のようにシャイロックに頭を下げ、慈悲を乞うたが誰の嘆願も聞き届けられなかった。
 領主を殺したものーー男だったーーは確かに逃がされた。だが、それだけだ。
 他は死体になる以外でこの街から出ることは叶わなかった。

 乗り込んできた兵士達は驚くだろうか。街の人々は武器を持たず、ずっとシャイロックがいる方向に祈りを捧げているのだ。

「どうされるのですか、シャイロック様」

「どう、とは?」

「これは戦争、なのですか? 私には、もう何も分かりません……」

 どうしてシャイロックは突然街を支配し、王都の人々と諍いを起こしたのか。どうして、ドロシーは彼の隣で兵を見下ろしているのか。
 どうしてドロシーはシャイロックの側にいるのか。
 どうして、領主の屋敷で過ごしているのか。

 どうして、ばかりが頭の中を占拠する。

 逃げたい。……でも、どこにも逃げるあてなどない。
 そもそも、こうも残虐で、魔王のような人なのにドロシーはシャイロックがだらりと髪を下ろしていると、結んであげたくなってしまう。
 シャツをちゃんと着ていないと、ボタンをとめてあげたくなるし、裸足のままウロウロしていると靴を履かせてしまう。

「あぁ、お前が害される心配をしているのか」

「そうではなくて! ……シャイロック様。西の街から出ましょう。もう、王都の兵が雪崩れ込んできます」

「有象無象がいくら攻め込んでこようと変わらん」

「シャイロック様。本当に、何をされたいんですか? 私には無用の争いを起こそうとしているようにしか思えません」

 理解不能だ。シャイロックは何がしたいのだろう。
 彼が無類の強さを持つ魔法使いであることは疑いようもない。
 王都に力を誇示したくなったのだろうか。
 六英雄の一人、竜であるといえば誰もが首を垂れるだろうに?

「国家転覆……?」

「こ、こっかてんぷく、ですか?」

「あるいは世界征服」

「せかいせいふく」

 ……なんだろう。
 そこはかとなく、からかわれている気がする。

「シャイロック様は魔王ごっこをされたいのですか?」

「魔王ごっこか。……まあ、大ごとになってしまったからな。いっそのこと目指してみようかと」

「えっと」

「お前が言ったのだろう。魔王なのか、と」

 首を傾げると、シャイロックも首を傾げた。
 もしかして、この人。適当に過ごしていたらこんなことになったのだろうか?
 考えもなく、この屋敷でダラダラと生活していたのか?
 名誉を返して貰うといっていたのは、本当に屋敷を手に入れるためだけの行為だったと?

「シャイロック様。敵は王都から来ているんですよ。エルフ様がいらっしゃるかもしれない」

「もしそうならばあの【年増】と対決するのか。御前試合ぶりだな。とはいえ、俺が負けるわけはないが」

「シャイロック様。シャイロック様。お願いです。きちんときいて。状況、きちんと把握されていますか? 私達は討伐されそうになっているんですよ。捕まれば、殺されてしまいます」

「討伐しに来た馬鹿で、俺を殺せたものなどいないが」

 緊張感がないわけだ。
 シャイロックはこういう光景に慣れきっているのだろう。日常的なことで驚くこともないのかもしれない。
 恐怖的な思考だった。

「そ、そうではなくて。シャイロック様だけじゃないんです。西の街、全体が敵対心があると見られているんですよ。占領されちゃう」

「所詮はいくつもある名無しの西の街の一つだろう」

「……? シャイロック様のいうことは変なことばかりです。西の街は西の街では? いくつも、あるんですか?」

「? そんなこともしらないのか? 西の街は王都の西側にある街という意味で、本来ならば街の名前で区別される。名前を呼ばれたのは名前奪いの魔女に名前を取られたからだ。妖精が負けたと、前に言っただろう」

「……名前奪いの魔女ですか?」

「名前を取られた街は魔法使いや魔女を嫌う。この街の魔法使い嫌いもそこからきているのだろうな」

 西の街が他にもあって、それは昔名前奪いの魔女が名前を奪ったから?
 そのせいでこの街は、魔女や魔法使いへの嫌悪が激しい?
 初めてのことばかりだ。ドロシーはどれだけものを知らないのだろう。
 いや、大人達だって知っていたのだろうか?

 街で生まれたものは、死ぬまで街にいるのが普通だ。
 オズのように、王都に行くものの方が稀有なのだ。
 他の街の名前も西の街だとは知らない人がほとんどなのではないか。


「……いくつもある西の街だからといって、私の住んでいる街がなくなるのは悲しいです。王都の人間に押し入られたくないとも思います」

「そう心配するな。あの【年増】が出張ってくることはあるまい。あれでもう寿命が近い。王都を出てくる余裕もないだろう」

 だからと、続けようとした言葉がかき消される。
 雄叫びとともに、兵士達が雪崩れ込んできた。
 扉は無惨にも破られ、街の中に銀色の甲冑が入ってくる。
 ものの三時間もすると、西の街は事実上、占拠されたのだった。



「シャイロック様、シャイロック様。囲まれています」
「あぁ……」
「ああではなく!」

 本を読んでいる場合ではない。
 シャイロックには音楽隊の調べに聞こえるのか、優雅に本の文字に目を通していた。
 ドロシーにはタイトルさえ読めない。聖書ではなさそうだ。
 屋敷にあった蔵書の一つだから、前の領主が読んでいたものなのだろう。
 ちなみに屋敷にいた何十人もの使用人達は、シャイロックが追い出してしまった。
 だから、今の屋敷には誰もいない。

 ドロシーが掃除をしているが、行き届かず、窓には軽く埃が溜まってしまっていた。

「今にも乗り込んでくるかもしれないんですよ。……あッ、誰か前に出てきた」

「勅使か何かだろう。紋章の入った上着を羽織っているはずだ」

 シャイロックの言う通り、派手な上着を羽織った男だった。
 何か言っているが、よく聞こえない。

「何を……言ってるんでしょうか」

「降伏しろとかそういう文言だろう。それにしても聞こえんな。魔具の類も使わないとは。指揮官は魔法嫌いか?」

「あ、帰っていきました」

「ならばそろそろやってくるな。少しばかり、面倒を省くか。お前がせっかく掃除した屋敷が汚れるのも忍びない」

「シャイロック様は」

 ぐっと胸のあたりを握る。

「私が掃除した屋敷のことは配慮して下さるんですね」

「それ以外を思いやる必要があるか?」

 椅子から立ち上がり、シャイロックは窓を開けた。
 突風が吹いているらしく、轟音と共に風が入り込んでくる。

 風にのまれて、シャイロックの亜麻色の髪が宙を舞う。
 雷が落ちた。
 晴天だというのに。

 光に目を閉じ、再び見開いた瞬間。
 屋敷を囲んでいた一軍は壊滅していた。
 真っ黒に焦げた何かがごろごろと岩のように転がっている。
 落雷を外れた騎士達はのほうほうの体で逃げ出した。

「たわいもないな。魔法嫌いの将では歯が立たんとあの【年増】も理解しただろう」

「……」

 ――ああ。本当に、戦争になってしまった。

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