名前を付けただけなのに。――家憑きのかみさまに気に入られてしまいました

二辻

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1話 各務屋家の習慣

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 早朝の、まだ空気が澄んでいる時間帯。私は小さなお盆に硝子のコップを二つ乗せ、自宅の渡り廊下を歩いていた。
 この先にあるのは離れのようになっている奥の間。普段は誰も使っていない部屋だ。そこには綺麗な布のかけられた立派な鏡台があって、毎朝その部屋の掃除とお酒をお供えするのが我が家の習慣だった。普段はおお母さんさんの仕事なのだけど、先日腰を痛めて起き上がれなくなってしまったので、この数日は私がやらされていた。
 奥の間に向かいながら、窓から庭を眺める。かなりの広さがある庭は、定期的に庭師さんに整えてもらっているから整った状態しか見たことがない。塀の向こうに見える裏山も、うちの土地であると聞いたことがある。昔からの名家と言えば聞こえはいいが、ただ古いだけの田舎の家だ。ギシギシとなる床板を踏みしめながら、小さく溜息を吐く。

「ちさの家広いもんね。誰も使ってない部屋があるとかうらやましー。わたしなんて妹と同じ部屋だよ? もうプライベートとかあったもんじゃないよー。部屋余ってるならわたしに使わせてー」

 友人の菜々子からそんなことを冗談交じりに言われて「古いだけだって。ナナの家の近くはカラオケもあるし、駅前で買い物もできるし、マンションの一階はコンビニでしょ。絶対そっちの方が良いよ」と、お互いにないものねだりだ、と笑ったこともある。友人が家の大きさを知っている程度には、地元で知られている一族がうちだった。
 奥の間の襖を開けると、朝日を反射してキラキラと埃が光る。とは言え、毎日掃除しているからかび臭いとか埃っぽいということはない。入り口近くに置かれている小さなテーブルにお盆を置いて、襖を大きく開け放して空気を入れ替え、鏡台から布を取る。

「さっさと終わらせよ」

 独り言を言いながら袖を捲り、廊下にある小さな物置から掃除道具を取り出してから、庭の手押しポンプをきぃきぃ鳴らしつつ水を汲み上げ、空のコップに注ぐ。もう片方にはすでにお酒が入っているから、これで両方のコップが満たされたことになる。
 毎日掃除している誰も使っていない部屋にはゴミなど一切見えないのだけど、箒で部屋の隅から掃いていく。部屋の掃除の手順は決まっていて、小さい頃から手伝わされていた私は完璧に覚えている。

千紗登ちさと千紗登だけ特別ね」

 いつもお母さんはそう言って、私にだけお手伝いを頼んだ。小さな頃はただお母さんの近くで掃除している様子を眺めているだけだったが、そのうちに鏡を拭かせてもらえるようになり、お酒を供える係もやらせてもらえるようになった。妹の美海みうや弟の千宙ちひろが「お手伝いしたい!」とどれだけ言ってもお母さんの許しが出ることはなく、お姉ちゃんだけいいなぁと言われることに優越感を覚えていた。しかし、徐々に友達と遊ぶことに夢中になり、中学になって部活の朝練などが始まると手伝いが出来ないことも増えた。
 本当のことを言えば、学校のことを口実に、面倒になった掃除をサボっていただけだ。しかし、私がやらなくなってからも、女性の仕事であるという奥の間の掃除を、美海が手伝うように言われている場面は見たことがなかった。元からお調子者で大雑把、小学生高学年からは徐々にギャル化していった美海に、細かな手順を守ったお供えが出来るとも思えない。幼い頃からそのような気質を見抜いていたのだろうお母さんが、手伝わせなかったのもわかる。
 ――にしても、今時女だけの仕事って……感覚古すぎ。
 昭和か明治か大正か、あまりにも古い感覚すぎて寒気がする。でも、お父さんも千宙もやり方を知らないのだし、私がやるしかない。毎日続けていたことを急にやめてしまうのが気持ち悪いというのも理解は出来た。
 嫌だなぁと思いながら、黙々と掃除を続ける。きらりと昇ってきた太陽の光を反射して鏡が光って顔を照らされる。眩しい、とそちらに視線を移すと、なにかが動いたように見えた。

「……あれ?」

 なんだろう、と鏡を覗き込む。
 まだ弟妹は寝ているし、お父さんはお母さんの代わりに朝ごはんと下の子たちのお弁当を作っているからここに来る余裕はないはずだ。動物でも庭に入り込んできたのかな? と庭を振り返るけれど、なにもいない。
 気のせいかと思いながらまた鏡を見ると、部屋の隅に小さな子供が立っていた。

「ひっ!?」

 なに?! と慌てて背後を見る。しかし、なにもいない。

「え? なに? ちょっとやめてよ、一人の時に怖いのとか」

 しかも今は朝。お化けとか、そういうのが出てくる時間ではない。
 絶対見間違い! と自分に言い聞かせつつもう一度鏡を見て、いつも通り部屋を映しているだけだったことに安堵の溜息をもらす。速攻で掃除を終わらせ、鏡の前に二つのコップを並べて形だけ手を合わせた私は、そそくさと奥の間を立ち去ったのだった。
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