15 / 21
三の段
六
しおりを挟む
二十七日。
その日は加茂の臨時の祭があり、蔵人少将が舞人として行列に加わることになっていた。そこで、三の君をはじめ、中納言家の人々は皆で見物に行こうと、朝から大騒ぎだった。
落窪の発情期も収まったおかげで、典薬の助は今では塗籠に寄りつきもしない。その隙をついて、阿漕は内密に落窪のもとに参上し、遣戸越しに道頼の告白や必ず助けにくるという言葉を聞いた。落窪が素直すぎるため、自分は何事も疑ってかからねばと心してはいるものの、彼の言葉を信じたい気持ちが勝っていた。
(もし本当に右近少将様が救いに来てくださるのなら、今日をおいて他にないわ……)
そこで阿漕は、塗籠の錠がどこにしまわれるかを注視していたのだが、なんと北の方は用心深く、自らの懐に収めて出かけてしまった。
(どれほど警戒しているのかしら……!)
中納言家では、典薬の助を落窪のつがいにしたことで安心しているはずだったのに。錠がなくては落窪を助け出すのにどれほど時間がかかってしまうのか。屋敷の中は人少なではあるが、まったくいないわけではない。それに、典薬の助も足腰の悪さを理由に、このところはずっと北の対に滞在しているのだ。今日も見物には参加せず、部屋にこもっているはずだ。
そんな阿漕の不安を消し飛ばすかのように、助けは思わぬ形でやって来た。
門番たちの制止を振り切り、女車(女性が乗る牛車。やや小ぶりで、簾の下から下簾を出して垂らしている)が、突如として寝殿の北側まで侵入してきたのだ。
「何者だ! 招きもなしにこんなところまで押し入るとは無礼だぞ!」
「怪しい者ではありません。こちらにお勤めしている女房に会いに来ただけです」
「その者の名は!」
「……淡路」
「そんな者はおらん! ええい、怪しい!」
牛車の周囲を守る若侍に、中納言家の門番たちが掴みかかった。と、若侍たちは逆に当身を食らわせ、門番を次々に倒していく。
賊だろうかと、建物の陰からごくわずかな女房仲間たちとその様子を見ていた阿漕は、牛車から夫と右近少将が降りてきたのを見て、この牛車が右近少将の差し金であることにようやく気がついた。
「惟成!」
簀子縁まで駆けだし、身を乗り出す。
「おお、阿漕!」
惟成と会ったのは五日ぶりであった。しかし、久方ぶりの再会の余韻に浸っている暇はない。
「塗籠の錠は北の方様が持っていかれましたわ」
それを聞いた右近少将は、むしろ嬉しそうに口の端を吊り上げた。
「ならば多少手荒になっても仕方ないな」
そして、舎人(とねり)(牛馬などを扱う従者)を呼びつけると、自身が先頭に立って、戸に体当たりを始めた。
「もっとやれ! 盛大に壊してやれ!」
「ええい! やあ!」
男たちのいさましいうなり声とともに、戸はめりめりと音を立てて破壊されてゆく。阿漕は啞然としながら、その様子を見守っていた。
(男っていうのは、こんなに力強いものなのね……)
女とはまるで違う力の差を恐ろしいとすら思う。
倒れた戸を踏み越えて、右近少将が塗籠に足を踏み入れた。落窪は隅でたくさんの布に身をくるみ震えていたが、現れた人物を見ると表情を緩めた。
「姫! 迎えに来ましたよ!」
緊張の糸が切れた落窪は、道頼にもたれかかる。その身体を軽々と抱き上げ、道頼は瞬く間に牛車に乗りこんだ。
「阿漕! 早く来い!」
叫んだのは惟成だ。しかし、阿漕は弾かれたように飛びすさると、慌てて屋敷に舞い戻った。あっという間に戻ってきた彼女の両手には、北の方や中納言の曹司から回収した落窪の櫛箱や鏡などが山と載っていた。
「ちゃっかりしてるな」
「だって、取られっぱなしは悔しいでしょう」
どれも落窪の母親の形見で、たいそう立派なものなのだ。中納言家の面々が当たり前のように奪っていくのが、どれだけ口惜しかったことか。惟成と阿漕が小さく会話している横で、道頼は落窪を膝に載せて抱きしめていた。
「ようやくあなたを手に入れることができました」
きらきらと満面の笑みを浮かべながらささやかれた言葉が恥ずかしくて、落窪は身をすくませる。すると、道頼はますます身体を密着させ、「こんなに嬉しいのは私だけですか?」と聞くのだ。もちろん彼は、落窪が問いかけを無視できないと踏んで、あえて尋ねている。
「……わ、わたしも嬉しいです。ありがとうございます……」
それでも落窪から直接言葉にされると嬉しくてたまらず、道頼は口づけの雨を降らせた。
「これからはあなただけを愛すると誓います」
阿漕と惟成の夫婦は、主君たちの幸せな様子に自分たちも嬉しくなるのだった。
その日は加茂の臨時の祭があり、蔵人少将が舞人として行列に加わることになっていた。そこで、三の君をはじめ、中納言家の人々は皆で見物に行こうと、朝から大騒ぎだった。
落窪の発情期も収まったおかげで、典薬の助は今では塗籠に寄りつきもしない。その隙をついて、阿漕は内密に落窪のもとに参上し、遣戸越しに道頼の告白や必ず助けにくるという言葉を聞いた。落窪が素直すぎるため、自分は何事も疑ってかからねばと心してはいるものの、彼の言葉を信じたい気持ちが勝っていた。
(もし本当に右近少将様が救いに来てくださるのなら、今日をおいて他にないわ……)
そこで阿漕は、塗籠の錠がどこにしまわれるかを注視していたのだが、なんと北の方は用心深く、自らの懐に収めて出かけてしまった。
(どれほど警戒しているのかしら……!)
中納言家では、典薬の助を落窪のつがいにしたことで安心しているはずだったのに。錠がなくては落窪を助け出すのにどれほど時間がかかってしまうのか。屋敷の中は人少なではあるが、まったくいないわけではない。それに、典薬の助も足腰の悪さを理由に、このところはずっと北の対に滞在しているのだ。今日も見物には参加せず、部屋にこもっているはずだ。
そんな阿漕の不安を消し飛ばすかのように、助けは思わぬ形でやって来た。
門番たちの制止を振り切り、女車(女性が乗る牛車。やや小ぶりで、簾の下から下簾を出して垂らしている)が、突如として寝殿の北側まで侵入してきたのだ。
「何者だ! 招きもなしにこんなところまで押し入るとは無礼だぞ!」
「怪しい者ではありません。こちらにお勤めしている女房に会いに来ただけです」
「その者の名は!」
「……淡路」
「そんな者はおらん! ええい、怪しい!」
牛車の周囲を守る若侍に、中納言家の門番たちが掴みかかった。と、若侍たちは逆に当身を食らわせ、門番を次々に倒していく。
賊だろうかと、建物の陰からごくわずかな女房仲間たちとその様子を見ていた阿漕は、牛車から夫と右近少将が降りてきたのを見て、この牛車が右近少将の差し金であることにようやく気がついた。
「惟成!」
簀子縁まで駆けだし、身を乗り出す。
「おお、阿漕!」
惟成と会ったのは五日ぶりであった。しかし、久方ぶりの再会の余韻に浸っている暇はない。
「塗籠の錠は北の方様が持っていかれましたわ」
それを聞いた右近少将は、むしろ嬉しそうに口の端を吊り上げた。
「ならば多少手荒になっても仕方ないな」
そして、舎人(とねり)(牛馬などを扱う従者)を呼びつけると、自身が先頭に立って、戸に体当たりを始めた。
「もっとやれ! 盛大に壊してやれ!」
「ええい! やあ!」
男たちのいさましいうなり声とともに、戸はめりめりと音を立てて破壊されてゆく。阿漕は啞然としながら、その様子を見守っていた。
(男っていうのは、こんなに力強いものなのね……)
女とはまるで違う力の差を恐ろしいとすら思う。
倒れた戸を踏み越えて、右近少将が塗籠に足を踏み入れた。落窪は隅でたくさんの布に身をくるみ震えていたが、現れた人物を見ると表情を緩めた。
「姫! 迎えに来ましたよ!」
緊張の糸が切れた落窪は、道頼にもたれかかる。その身体を軽々と抱き上げ、道頼は瞬く間に牛車に乗りこんだ。
「阿漕! 早く来い!」
叫んだのは惟成だ。しかし、阿漕は弾かれたように飛びすさると、慌てて屋敷に舞い戻った。あっという間に戻ってきた彼女の両手には、北の方や中納言の曹司から回収した落窪の櫛箱や鏡などが山と載っていた。
「ちゃっかりしてるな」
「だって、取られっぱなしは悔しいでしょう」
どれも落窪の母親の形見で、たいそう立派なものなのだ。中納言家の面々が当たり前のように奪っていくのが、どれだけ口惜しかったことか。惟成と阿漕が小さく会話している横で、道頼は落窪を膝に載せて抱きしめていた。
「ようやくあなたを手に入れることができました」
きらきらと満面の笑みを浮かべながらささやかれた言葉が恥ずかしくて、落窪は身をすくませる。すると、道頼はますます身体を密着させ、「こんなに嬉しいのは私だけですか?」と聞くのだ。もちろん彼は、落窪が問いかけを無視できないと踏んで、あえて尋ねている。
「……わ、わたしも嬉しいです。ありがとうございます……」
それでも落窪から直接言葉にされると嬉しくてたまらず、道頼は口づけの雨を降らせた。
「これからはあなただけを愛すると誓います」
阿漕と惟成の夫婦は、主君たちの幸せな様子に自分たちも嬉しくなるのだった。
10
あなたにおすすめの小説
捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~
水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。
死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!?
「こんなところで寝られるか!」
極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く!
ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。
すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……?
「……貴様、私を堕落させる気か」
(※いいえ、ただ快適に寝たいだけです)
殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。
捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!
沈黙のΩ、冷血宰相に拾われて溺愛されました
ホワイトヴァイス
BL
声を奪われ、競売にかけられたΩ《オメガ》――ノア。
落札したのは、冷血と呼ばれる宰相アルマン・ヴァルナティス。
“番契約”を偽装した取引から始まったふたりの関係は、
やがて国を揺るがす“真実”へとつながっていく。
喋れぬΩと、血を信じない宰相。
ただの契約だったはずの絆が、
互いの傷と孤独を少しずつ融かしていく。
だが、王都の夜に潜む副宰相ルシアンの影が、
彼らの「嘘」を暴こうとしていた――。
沈黙が祈りに変わるとき、
血の支配が終わりを告げ、
“番”の意味が書き換えられる。
冷血宰相×沈黙のΩ、
偽りの契約から始まる救済と革命の物語。
ほたるのゆめ
ruki
BL
恋をすると世界が輝く。でもその輝きは身体を重ねるといつも消えてしまった。そんな蛍が好きになったのはオメガ嫌いのアルファ優人だった。発情したオメガとその香りを嫌悪する彼に嫌われないように、ひたすらオメガである事を匂わさないようにしてきた蛍は、告げることの出来ない思いに悩んでいた。
『さかなのみるゆめ』の蛍と(木佐)優人のお話です。時間軸的には『さかな・・・』のお話の直後ですが、本編主人公達はほとんど出てこないので、このお話だけでも楽しめるかと思います。けれど『さかな・・・』の方も読んで頂けると幸いです。
完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう
水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」
辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。
ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。
「お前のその特異な力を、帝国のために使え」
強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。
しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。
運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。
偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!
ウサギ獣人を毛嫌いしているオオカミ獣人後輩に、嘘をついたウサギ獣人オレ。大学時代後輩から逃げたのに、大人になって再会するなんて!?
灯璃
BL
ごく普通に大学に通う、宇佐木 寧(ねい)には、ひょんな事から懐いてくれる後輩がいた。
オオカミ獣人でアルファの、狼谷 凛旺(りおう)だ。
ーここは、普通に獣人が現代社会で暮らす世界ー
獣人の中でも、肉食と草食で格差があり、さらに男女以外の第二の性別、アルファ、ベータ、オメガがあった。オメガは男でもアルファの子が産めるのだが、そこそこ差別されていたのでベータだと言った方が楽だった。
そんな中で、肉食のオオカミ獣人の狼谷が、草食オメガのオレに懐いているのは、単にオレたちのオタク趣味が合ったからだった。
だが、こいつは、ウサギ獣人を毛嫌いしていて、よりにもよって、オレはウサギ獣人のオメガだった。
話が合うこいつと話をするのは楽しい。だから、学生生活の間だけ、なんとか隠しとおせば大丈夫だろう。
そんな風に簡単に思っていたからか、突然に発情期を迎えたオレは、自業自得の後悔をする羽目になるーー。
みたいな、大学篇と、その後の社会人編。
BL大賞ポイントいれて頂いた方々!ありがとうございました!!
※本編完結しました!お読みいただきありがとうございました!
※短編1本追加しました。これにて完結です!ありがとうございました!
旧題「ウサギ獣人が嫌いな、オオカミ獣人後輩を騙してしまった。ついでにオメガなのにベータと言ってしまったオレの、後悔」
借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる
水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。
「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」
過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。
ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。
孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる