暁を追いかける月

ラサ

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3 子ども

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「キリ、何でお前がここにいる?」
 不機嫌に、男が問う。
「何でって、約束したからだ!」
 負けじとキリが言い返す。
「俺もう十三になった。統領、俺が十三の誕生日迎えたら一緒に連れてってくれるって言った!」
 ハラスが溜息をついた。
「キリ、まさか、その約束のために、村を出てきたってのか?」
「そうだ」
 レノが呆れたように首を振った。
「あほか、おめえは! 状況が違うだろうが!! 今の俺らに、おめえを連れて行ける訳がないだろ! 統領、こいつは明日、俺が首根っこ捕まえて村に戻してきますから!」
 キリはふて腐れたように言い返す。
「連れ戻されても、俺、何度でも来るから。統領とみんなと一緒にいる」
 そっぽを向くキリに、男は再度問うた。

「キリ、本当に俺達と一緒にいるつもりか?」

「うん」
「――なら、ここにいろ」
「統領!」
「統領!? 本気ですか!」
「ただし、仕事には連れて行かん。この屋敷で、掃除洗濯でもしてろ」
「なんだって? 嫌だよ、そんなの!」
「嫌なら帰るんだな」
「――」
 男は女を振り返る。
「そう言うわけで、一人食いぶちが増えた。こきつかっていい。真面目に仕事しないんならすぐに追い出すからいつでも言え」
「統領!!」
「こきつかうのは明日からよ。お腹をすかせてる子に、食事もさせないつもりなの?」
 冷たく言い放って、女はキリの前に進み出る。
 キリは女の顔を間近に見て、ぽかんとしている。
「手を、洗っていらっしゃい。それから食事よ。すんだらお風呂に入ってくるのよ」
 唇の横についた野菜のくずを指で拭われて、キリはかっとなる。
 女の手を払いのけて叫ぶ。

「子ども扱いすんな! 何が手を洗えだ!」

 女は表情を変えない。
「子ども扱いされて、腹が立つの? でも、あんたは子どもよ。その証拠に、手も洗えやしないじゃないの。一人前に見てもらいたいなら、まず、自分ができることとできないことをきちんと理解しなさい。きちんと手を洗ってくるのよ。それから食事をしなさい」
「偉そうな口たたくな! 知ってるんだぞ、お前のせいで、統領は村を出て行かなきゃいけなくなったんだ。この疫病神!」
 その言葉に、女は初めて表情を変えた。
 眉根を寄せ、キリを見つめる。
「馬鹿、キリやめろ!」
 ジルが慌てて口を塞ごうとする。
「みんな言ってら! 統領は女に騙されて掟を破ったって。だから村を追い出されたんだって。この女なんだろ!! 村の後継ぎは統領しかいないのに、俺達には統領がいてくれなきゃ困るのに、こんなとこで商売しなきゃいけなくなったのは、この女のせい以外何があるって言うんだよ!?」

「キリ、黙れ」

 男の静かな怒りに、キリは一瞬ひるんだ。
「ジル、ロス。手を洗わせてから食事させろ。後はまかせる」
「わ、わかりました」
 男はそのまま女の腕を捕まえ、キリから引き離し、厨房を出た。
 真っ直ぐに部屋へ向かう。
「もう寝ろ」
 短く言い捨てて、男は寝具の上に横になった。
「駄目よ。あの子の着替えを準備しないと」
 衣装棚の引き出しから、女は自分の衣服の中で男の子が着てもおかしくない色を選ぶ。
 それから、裁縫道具を入れた篭を引き寄せ、針と糸と鋏を取り出す。
 男が小さく息をつくのが聞こえた。
「キリがお前に言ったことは嘘だ」
「あの子はとても怒ってた。嘘は、言ってない」
「違う。俺に、腹を立ててるんだ。その腹いせに言っただけだ」
 そうして、男はいつものように背を向ける。
「――」
 男は気づいていない。
 そのように言い訳を口にする方が、キリという子どもの言葉の真実を裏付けていると言うことに。
 自分の復讐のために、男達は村を追われたのかと、女は唇を噛みしめる。

 そんなつもりじゃなかったのに。

 自分の投げた復讐という小石が、大きな波紋となって男達を巻き込んだ。
 女は窓の外に浮かぶ、欠けた月を見上げた。
 冴えた光が、冷たく辺りを照らしている。
 慈悲のないその光は、ひっそりと、女の罪を暴いているように感じた。



 次の日の昼近くになって、キリはばたばたと階段を駆け下りてきた。
 女はちょうど厨房の掃除がてら、使われていない食器を洗っていた。
「俺の服、何処だよ!?」
 怒りで顔を真っ赤にしたキリは、掛け布に身をくるんでいる。
 昨日食事を済ませた後、風呂に入っている途中で寝こけてしまったので、ジルとロスが身体を拭いて、そのまま寝かせたと聞いていた。
「洗ったわ」
 汚れた服をそのまま着せなかったのは、教育の賜だろう。
 残り湯に漬けておくという気の利いたことまでしていた。
 おかげで洗いやすく、汚れもすぐに落ちた。
 今日は天気はさほどではないが、風が強いので、日が暮れるまでには乾くだろう。
「何で余計なことすんだよ! 頼んでないだろ!」
「乾くまでは、用意してある着替えを着ていなさい」
「俺は、あの服がいいんだ!」
「あの服を着るななんて言ってない。乾いてから着ればいい」
 あくまでも淡々と答える女に、キリははっとして、問う。
「統領達は?」
「仕事に行ったわ」

「――もういい!!」

 掛け布にくるまったまま、キリは部屋へと駆け上がった。



 男達が帰ってきても、キリは部屋から出てこなかった。
 様子を見に行ったロスは、頭から掛け布を被って寝ていると女に告げた。
 自分の分を食べ終わると、女はキリの分の食事を盆にのせ、明かりを持って二階へ上がる。
 薄暗い部屋の中、キリはロスが言ったように頭から掛け布を被って寝ていた。
 明かりを脇に置いて、女はそっと肩を揺すった。
 反射のようにキリが飛び起きる。
「――え?」
 明かりの揺らめく中、女はキリに濡れた手拭いを差し出す。
「手を拭きなさい」
 うっかり受け取ってしまってから、キリは睨むようにこちらを見つめる。
「何でだよ」
「きれいに見えても、手には見えない汚れがたくさんついているの。汚い手のまま食事を取れば、病気になりやすくなるのよ。だから、きちんと手を拭いて食べなさいと言っているのよ。ここにいるみんながそうしているのよ」
 最後の言葉に、キリは反応した。
「――そうなのか? 統領も?」
「そうよ。全員よ。別に、あんただけに言ってる訳じゃないわ」
 驚いたように女を見て、キリは小さく呟いた。
「知らなかった――」
「じゃあ、次からはちゃんと手を洗って食事ができるわね」
 キリは小さく頷いた。
「いい子ね。さあ、食べなさい」
 大人しく手拭いで手を拭くと、キリは食事に手をつけた。
 しゅんとして、心細げに、それでも黙々と食べ続ける。
 全部きれいに平らげた後は、掛け布を頭からかぶって、膝を抱えてしまった。
 女は静かに声をかける。
「あたし、全員の世話をしているけれど、本当はすごく大変なの。あんたに手伝ってもらえたらとても助かるんだけど、どうかしら?」
「――女の仕事をするのか?」
「女の仕事ではないわ。生きるために必要な手伝いよ。誰かが必ずすることよ。あたしがいないときは、彼らも交替でやっていたもの」
「でも、俺は統領について行きたいんだ」
「今のあんたでは無理よ。本当は、自分でもわかっているんでしょう?」
「――」
 どんなに肩肘を張っていても聡い子どもだ。
 自分が無茶を言っているのはわかっているのだ。
 だが、それでも傍にいたいのだろう。
 それほどに、男を慕っているのだ。
「――俺が、もう少し大きくなったら、統領は俺を連れて行ってくれるかな……」
 呟くような声音に、女は答える。
「あんたの統領は、一度した約束は決して破らない。そうでしょう?」
「うん」
「じゃあ、大丈夫。あんたがきちんと食べて、大きくなったら、ちゃんと連れて行ってくれるわ」
 掛け布に隠れた肩をあやすようにぽんぽんとたたくと、キリはおずおずと顔を出した。
 決して笑ったり、優しい顔を見せない女だが、触れる手は、とても優しいことにキリは気づいた。
「今日はもう寝なさい。ここに来るまで、きちんと休んでなかったんでしょう?」
 キリは驚いたように女を見つめた。

 誰も、そんなこと気づいてくれなかったのに。

「――うん。明日から、仕事、するよ」
 もぞもぞと動いて横になった。
 食器を片づけて立ち上がる女に、

「統領が俺達をおいて行っちまったとき」

 呟くような小さな声が漏れる。

「すごく腹が立ったけど、今なら、わかる気がする――」



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