暁を追いかける月

ラサ

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2 侵入者

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 男がどんな商売をしているのか、女は知らない。
 聞いたこともない。
 何処で生まれて、どんな家族を持ち、なぜ統領と呼ばれ、男衆達に慕われているのか、本当に、何も知らずにいる。
 顔立ちや肌の色から西の血をひいていることは辛うじてわかるが、そんな男が、なぜ東の果ての国へやってきて、弟と知り合い、看取り、自分の復讐に力を貸したのか。
 それすら、聞いたこともない。
 今更聞いてどうなるというのだろう。
 弟は――リュマは、もういないのだ。
 産褥ですぐに亡くなった母親の代わりに、自分が育ててきた愛しい弟。
 優しく、賢く、いてくれるだけで自分と父親を幸せにしてくれる、そんな存在だった。
 父親も亡き後、弟を守るのは自分のはずだった。
 それなのに。
 弟を思い返すたび、死にたいと思う。
 せめて一緒に死ねたらよかったのに。
 弟のように餓えて苦しんで死んだら、冥府で会えるのだろうか。
 だが、男は女を死なせてはくれない。
 復讐を諦めてから、食事のときは自分を傍らに置いて、食事をするのを確かめる。
 女が口を付けるまで、決して自分も食事に口を付けない。
 商売で出かけるときは、必ず一人置いていく。
 刃物や長い紐になるものを全て遠ざけ、傍らで眠らせた。
 女は、それでも何も聞かない。
 男も、言わない。
 そうやって日々が過ぎ、移動を重ね、二月後、ここに来た。
 しばらくここに住むと言われた。
 大きな屋敷には、大きな厨房が備え付けられていたが、旅慣れていた男達でも、厨房で料理を作ることには慣れていなかった。
 彼らの食事は、旅をする際の時間のかからぬ、簡単な煮込みものや焼き物だ。
 厨房のオーブンや様々な調理器具の扱い、調味料までわかるはずもない。
 その日から、料理は女の仕事となった。
 当初は刃物を握らせることを男が許さなかったため、下ごしらえは男衆が傍らに控えてやっていた。
 だが、女が料理だけでなく、洗濯や掃除までやりだすと、男は刃物を全て厨房に戻し、女の好きなようにさせた。



 厨房の横を流れる川で洗濯の際、男衆達の衣服の汚れに、正直女は驚いた。
 水の豊富な東と違って、西は湿度がほとんどない代わりに、水源も乏しい。
 だから、男達は滅多に風呂に入るということをしないらしい。
 ましてや、衣服を何度も替えるということもしない。
 移動が当たり前だった男衆達は、寝るときもそのままの格好で眠る。
 洗顔や歯磨きなどもするにはするが全く以て適当だ。
 屋敷には風呂も備え付けられているが、それもほとんど入りたがらない。
 入っても、烏の行水程度だ。
 旅ではそれも仕方なかろうが、今は家があるのだ。
 女は十九人の男達の生活を、少しずつ、だが、徹底的に変えていった。
 衣服は毎度洗濯し、寝具も三日に一度は取り替える。
 朝起きたらしっかり石鹸で顔を洗わせ、髭を剃らせ、食事が終わったら歯を磨かせ、出先から帰ったら服を替えさせ、食事の前には汚れが取れるまで手を洗わせる。
 風呂に入らせ、身体や髪を洗わせ、湯船につからせる。
 最初の反発たるや凄まじいものがあったが、女は事前に全て準備し、どんな文句にも耳をかさなかった。
 全員が終わるまで、ただじっと待った。
 食事も作らず。
 女の作る美味い料理にすでに餌付けされていた男衆達は、自分達の統領が文句も言わず従うのを見て、諦めるしかなかった。
 だが、人間というものは不思議なもので、三日続き、五日続き、十日続き、さらに一月も続くと、すっかりその生活に馴染んでしまう。
 女が無理強いせずとも、今や全員が進んでするほどだ。
 それでも、女は毎日きっちりと一人一人の準備をし、確認を怠らなかった。
 そんな女に、男衆達もほだされたようだ。
 女が不機嫌そうに確認しては頷くのを、男衆達は楽しみにするようにさえなった。
 甲斐甲斐しく世話を焼く女を、いつしか男衆達は尊敬の意を込めて「姐さん」と呼ぶようになった。
 そんな馴染みの生活が、続いたある日のことだった。
 男はいつものように朝食を食べ終わると男衆達と出かけていく。
 残った女と男衆の一人――今日はジルが残った。
 やはり、西の血をひくジルは黒い髪に黒い瞳で、浅黒い肌をしている。
 男衆の中でもまだ若い方で、二十代の後半だろう。
 同じ年代の男衆はロスだけなので、たいていこの二人は行動をともにしている。
 統領である男もそのぐらいに見えるが、上に立つものとしての威厳が、それよりは大人びて見えさせているので、実際にはわからない。
 ジルとロスは若者特有の陽気さで、年かさの男衆達ともうまくとけ込んでいるように見えた。
 しかし、双子のように似通った二人が一人でいるのはどうも不思議な光景だった。
「姐さん、敷布の回収終わりました。交換も終わったし、あとは洗うだけです。やりますか?」
「そうして」
 短く答えると、女は開け放たれた部屋の床を順に掃き、拭いていく。
 二階の男衆達にあてがった部屋を全て掃除し終わり、寝具を確認し終えると、女は廊下と階段を同じように掃除しながら一階へ着いた。
 その時。
 厨房の方で物音がした。
 ジルだろうかと厨房へと向かうが、中へ入ると誰もいなかった。
 開け放たれた勝手口からは、鼻歌を歌いながら敷布を洗っているジルが見える。
 泡だらけのその様子から、真面目に洗濯をしていることがわかる。
 ざっと厨房を見回し、調べると、一点だけおかしなところがある。
 朝に焼いておいた朝食の残りのパンが二個消えている。
「――」
 男衆達が黙ってつまみ食いをすることはない。
 いつだって、律儀に聞いてくるし、食事はきっちり食べさせているので、小腹がすくことなどありえないのだ。
 可能性があるといえば残りはジルだが、それこそありえない。
 食が細いのでロスが無理矢理食べさせているのを何度も見ているからだ。
 厨房から聞こえた物音。
 なくなったパン。
 床を見ると、わずかに残る乾いた泥の足跡。
 勝手口から、女は外へ出て洗濯中のジルのところへ向かった。
 気づいたジルが動きを止める。
「あれ、姐さん。どうしたんですか」
 のんきな声がかかる。
 女は静かに呟いた。

「家の中に、誰かいるわ」



「誰かいるって、どういうことだ」
 帰ってきて、ジルに報告を受けるなり、男は女のところに来た。
 食事の準備をしながら、女は答えた。
「子どもが、隠れてるわ。1階のどこかに」
「子ども?」
「パンがなくなってたから、お腹をすかせた子ね。床に残っていた足跡も大人にしては小さすぎる」
 女が指さした床に大股で近づき、しゃがみこむと、男は残っている足跡を確認した。
 そして徐に立ち上がる。
「どうするつもり?」
「決まってる。全員で家捜しだ」
「そんなことしなくてもいいわ。まずは食事よ。みんなお腹をすかせてるんだから」
「――リュシア」
「捕まえるのは食事がすんでからよ。それまではいつも通りに」
 いつもと変わらぬ様子に、男は溜息をつく。
 腕を伸ばして女をこちらに向かせる。
「怪我はしてないな」
「姿も見せないのに、怪我も何もあるわけない」
 不機嫌に答える女が、下から睨んでくる。
 だが、男はそんな女をじっと見据えたまま動かない。
「放して」
 捕まれた腕の痛みに耐えかねて、女が再び言う。
「放して。腕が痛い」
 そこで、男がようやく力を抜く。
「怪我がないならそれでいいが、捕まえるのは俺達だ。いいな」
「――いいわ」
 女の不本意そうな答えを聞いてから、男は手を放した。
 そこに、男衆達がぞろぞろといつも通りやってくる。
 何事もなかったかのように、食事が始まった。



 みんなが食事を終え、風呂をすませ、眠りについたのは日が落ちてしばらくしてからだった。
 静まりかえった屋敷の中、ひたひたと厨房へ向かう足音がする。
 二階からは扉を閉めていても男衆の鼾が聞こえている。
 厨房にするりと入り込んだ影は、月明かりを頼りに、食事の残りの入った鍋へと向かう。
 蓋を取り、玉杓子ですくい上げたスープにそのまま口を付ける。
 二杯目に口を付けようとしたところで、
「動くな」
 背後からの低い声に、影は驚いて玉杓子を鍋に落とした。
 逃げようとしたところで、腕を捕まえられ、押さえつけられる。
「放せ! 放せよ!」
「ん? この声――」
 そこで、厨房の扉が開き、明かりが室内を照らした。
「ジル、ロス。捕まえたな」
 男の声とともに、さらにもう一つ明かりを持っていた女が顔を出す。
 さらに後ろにはハラスとレノがそれぞれ明かりを持って入ってくる。
 おかげで厨房は昼のように明るくなった。
 男達はジルとロスが捕まえている侵入者を見て、一様に苦虫を噛みつぶしたような表情になる。
「統領!」
 両側からジルとロスに捕まえられている子どもは叫んだ。
 知り合いなのかと女は子どもと男を交互に見た。
 男は渋い顔で唸るように言った。

「キリ、お前か――」


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