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8 死ねない女
しおりを挟む馬車と馬は、駆けに駆け、ある集落へと入った。
そこは、男達が住んでいた村だった。
村の入り口には、キリが待っていた。
「統領!」
女を抱きかかえて馬車を降りた男は、真っ直ぐにキリの元へ向かう。
「準備できてる、こっちだ」
キリが村の入り口からさほど遠くない医者の家の扉を開ける。
「大先生、来たぜ!!」
「大声出さんでも聞こえとるわい。奥に運びな」
白髪頭を掻きながら、まだまだ元気な老人が奥の扉を開ける。
「――爺様、腕は鈍ってないな」
男が足早に部屋へ入る。
「減らず口なんぞ十年早いぞ、ジェス。ようやく帰ってきたと思ったら、怪我人を連れてくるとは。一体何してた!?」
「話は後だ。死なせないでくれ。大事な女だ」
「斬られて二時間だな。傷口を診んことには何とも言えん――ユファ、患者が来たぞ」
「準備はできてるよ。連れてきて」
少し低めの、だが間違いなく女性の声。
男は栗色の髪を邪魔にならないよう後ろで纏めている四十代らしき女を訝しげに見た。
「誰だ――?」
「医者だよ。あんたが若統領かい? 親父に似ていい男じゃないか。患者を寝かせな。傷を診るから」
診察台に俯せに寝かせられた女は朦朧としながらもまだ意識はあった。
髪をかき上げられ、うっすらと、目を開ける。
「大丈夫かい? 今から傷を診るよ。傷を縫うから、先に鍼をうつことになる。安心して。鍼をうてば痛みはなくなるよ」
ユファと呼ばれた女医者は、自分の患者の唇が、動くのを見て、耳を寄せた。
「――」
ユファの眉根が寄る。
それから、顔を離し、
「安心おし」
もう一度、そう言った。
痛覚を麻痺させる経穴と、止血のための経穴に手際よく鍼をうち、それから、傷口に巻き付いている血の滲んだ布を鋏で切る。
肩から斜めに走る長い傷口を診て、
「こりゃひどい――」
顔をしかめた。
消毒液を浸した清潔な布で傷の周りを拭き取る。
幸いなことに血は止まっていた。
傷の深さを確かめる。
「腕は確かなのか?」
男の言葉に、ユファが横目で睨みつける。
「若造が。誰に向かって口聞いてんだい。えらそうな口聞く前に、大事な女にこんな傷つけんじゃないよ。それでも男かい?」
「――」
言いながらも、ユファは消毒した針と糸で器用に女の傷を縫い始めた。
宥めるように老医師が男の背をたたく。
「ジェス、安心しろ。ユファの腕は確かだ。儂の数少ない弟子の中でも、これほど器用に傷を縫える医者はおらんよ」
「もっと言ってやってくださいよ、大先生。最近の若いもんときたら、目上に対する敬意ってもんを知らんらしい。神経は切れてない。運良く肉を切られただけだね。肩口が一番深いから大量に血が出たろうが、止血は効いたみたいだ。縫えば終わりだ」
「――傷跡は?」
「残るに決まってんだろう!? 残念だが、色白な娘だから、肩や背中の開いた服を着るなら、目立つだろうよ」
言い方は乱暴だが、確かに傷を縫う手さばきはたいしたものだった。
あれよあれよという間に、傷口が閉じていく。
「そら、終わりだ。今日は動かせないよ。ここで休ませる。いいですよね、大先生」
「ああ。この様子じゃ、今夜は熱が出るな」
最後にもう一度綺麗に背中を拭いてやる。
こびりついた血の後は消えたが、縫ったところから滲む血の痕が、縫ったばかりの傷口とともに白く華奢な背中をいっそう無惨に見せた。
鍼を抜いて、洗い立ての掛け布で、傷に障らぬようそっと身体を包んでやる。
「俺が看る――すまなかった。腕は充分すぎるほど確かだった。感謝する」
女の傍へ寄ろうとする男を、ユファが止める。
「看るのは構わないが、その前に着替えておいで。自分がどんな格好か気にもしないんだろうが、返り血と娘の血でひどい有様だ。血の臭いをさせて看病されたんじゃ、病人だってたまんないよ」
高熱が続き、虚ろな意識の中、目が覚めるといつも男がいる。
時には額の汗を拭いてくれていたり、時にはただじっと女を見つめていたりする。
見知らぬ女が視界に映るときもあるが、決して女の傍を離れようとしない男を、可哀想にも思う。
様々な感情が夢と交じり合い、どこまでが現実で、どこまでが夢なのかもわからず、女は眠っているのに疲れていた。
だが、高熱がようやく引いた明け方、女は意識を取り戻した。
「――」
男は椅子に座って腕を組んで目を閉じていた。
いつもは男が女を見つめるから、女はいつも目線を逸らしていた。
だが、今は、女は男を見つめていられる。
背が高く、声も低く、無愛想で怖いと思われているが、いつだって、男は優しかった。
きっと、弟には、もっと優しかったろう。
あの子に笑いかけられて、笑い返せない人間などいない――いつもそう思っていた。
だから、自分を見つめる眼差しの中に、憐憫と罪悪感の入り交じったものを見つけると、いたたまれないのだ。
愚かな男。
誤った罪悪感で、無意味な贖罪を重ねている。
あんたには、償うべき罪などない。
あたしへの贖罪など、必要ない。
むしろあたしが、あんたに償わなくてはならない。
そう言えれば――もっと早くそう言っていれば、何かが変わったのだろうか。
「――」
熱のせいなのか、それとも傷のせいなのか、起きあがる気力も体力もなかった。
だから、また目を閉じて泥のような深い眠りに落ちていった。
次に目を覚ましたとき、部屋が変わっていることに気づいた。
朦朧とした意識の中で視界に映る広い棚いっぱいの部屋ではなく、普通の、寝室のようだった。 俯せに寝かされているため、見える範囲は片面だけだが、間違いない。
寝具の位置も、ドアの位置も違った。
だが、男だけは変わらない。
明け方目を覚ましたときに見たように、椅子に座り、背もたれに背中を預け、腕を組み、目を閉じている。
起きあがろうと、肘を支えに身体に力を入れて少し持ち上げると、右肩から背中にかけて激痛が走った。
「……う……」
思わず、呻き声がもれる。
そのまま寝具に身体を預ける。
そんなに大きな声ではなかったように自分では思ったが、男はぱっと目を開けた。
「いきなり力を入れるな。傷が開く」
身体を動かしたせいでずれた掛け布を男が戻す。
そうして、また椅子に座る。
今度は男がじっと見つめるので、女は視線を逸らした。
「剣の前に割って入るなんて、どういうつもりだ」
不機嫌そうな声に、女は男に視線を戻す。
声音通り、不機嫌な表情だった。
「あんたが切られると思ったのよ。あんたがあそこで死んでたら、あんたの仲間はみんな殺されていたでしょう」
「死にたいのか」
「あたしはあんたのものだもの。あんたの代わりに死んでもおかしくはない」
「俺のものならなおさら、死ぬのは許さん」
苛立たしげな男の言葉に、女は息をつく。
どこまでいっても、自分達は平行線を辿るだけだ。
死にたい女と死なせてくれない男。
どうやら自分は天に見放されているらしい。
いつも、男の勝ちだ。
今回も、自分は死ねなかった。
「この傷でも死ねないなら、生きるしかないわね――」
「リュシア――」
「眠るわ。あんたもちゃんとご飯を食べて、眠って……」
答えを待たずに目を閉じる。
そして、いつものように思う。
このまま、目を覚まさなければいいのにと。
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