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20 満足と後悔
しおりを挟む動かない女に気づいて、キリが背後から声をかける。
「あったのか?」
「あったわ」
振り返って、胸元でしっかりと抱きしめている様子に、キリは小さく笑った。
立ち上がって、手や膝に付いた土埃を払う。
「よかったな。切れた紐は、カーラフに直してもらえばいい。あいつ、そういうの得意だから」
言って、キリは空を見上げ、太陽の位置を確認した。
女も立ち上がり、土埃を払っていると、キリは少し考え込むようにしていた。
「こっからなら、帰るより屋敷に戻った方がいいな。夜の移動は、二人じゃ無理だ。明日の朝早くに戻るぜ」
そうして、馬を呼ぶ。
「ごめんね、キリ。我が儘ばかり言って」
その言葉に、キリは驚いたように女を見つめた。
「我が儘ばかりって、本気で言ってんのか? お前が俺等に我が儘言ったことなんて一度もねえぜ。今日が初めてだ。とことん水くせえな」
がっかりしたキリの口調に、女は戸惑う。
「リュシアはホントに男心がわかんねえよな。まあ、女心がわかんねえ統領とどっこどっこいだから、お似合いっちゃあお似合いなんだけど、通りで進まねえわけだ」
がりがりと頭をかいて、キリは女を見据えた。
「リュシア、冷たすぎる。統領は、お前のことが好きなんだぜ。それ、ホントにちゃんとわかってんのか?」
面と向かってあけすけに問われ、女は気まずげに、それでも答えた。
「……同情なんだと、思ってた。弟に頼まれたから、だから、面倒を見てくれてるんだと、そう思ってた――ううん、そう、思いたかった」
純粋な愛でなく、複雑に入り交じった憐憫と罪悪感。
いつか、男がそのことに気づいたら、どうなる?
本当に愛する女に出逢ったら、自分とのことをきっと後悔する。
だから、自分の想いにも男の想いにも気づきたくなかった。
だから、触れてくる男に素直に身を預けられなかった。
「弟の頼みなんて、口実に決まってんだろ? そりゃ、最初はそうだったかもしんないけどさ、お前に逢っちまったら、他の女なんて、もう目にも入んないよ。他人に無関心な統領が、お前だけは意地でも傍に置いておくんだぜ? 次の仕事にも連れてくつもりだって、ハラスに言ってたの聞いたし」
「――」
傍にいろ。それだけでいい。
そう言った男の声音に、偽りはなかった。
自分はどうしたいのだろう。
負い目も罪悪感もなく、ただ心のみで決めるのなら――
傍に、いたい。
罪も、許しも、関係なく、ただ、男の傍に。
そうして、ダンとエイダのように、寄り添い合って生きていきたい。
今、はっきりと女は気づいた。
「……許されるのかしら」
「誰に許してほしいんだよ? 誰が許せば、お前の気は晴れるんだ? 誰か、じゃないだろ。お前自身が許してないだけだ」
キリの言葉は容赦なく、女を突く。
「それともリュマにか? でも、リュマはもういない。
リュシア、死んだ人間は帰ってこない。リュマはもう、帰ってこない。
死んだ弟に義理立てして、残りの人生を諦めたまま独りで過ごすのか? お前の弟は、そういう人生をお前に望むのか?」
「――」
「統領がいまわの際の言葉を叶えてやろうとするほど大切にしてたぐらいだ。優しいだけじゃない、きっと立派な男だったはずだ。そんなリュマが、今のお前を見たら、きっと悲しむよ。自分が大切にしていた姉さんが、自分が死んだ後も不幸だったら、安らかに眠ってられないと思うぜ。
だから、リュマは統領にリュシアのことを頼んだ。統領は受け入れた。あとはリュシアが、納得するだけだ」
男も、似たようなことを言った。
自分の心が迷っているから、だから、リュマには会えないのだと。
許しても、いいのだろうか。
弟を護れなかった自分が、この先も生きていくことを。
幸せになっても、いいことを。
「――」
心の内で葛藤する女に、キリは肩を竦めた。
「今夜一晩、じっくり考えてみろよ。そんで、統領に自分が思ってること全部言え。それでも駄目なら――」
言いかけて、キリは止めた。
「駄目なら?」
聞き返した女に、キリは肩を竦めた。
「――諦めろ。何があっても、統領はリュシアを手放せないから」
キリにまた馬に乗せられて、二人は前に住んでいた屋敷へと向かった。
馬車を使わなかったので、最短距離を走り、女が思った以上に早く、ぽつんと佇む屋敷と、それを囲む柵と門扉がどんどん近くなる。
だが、たどり着く前に、キリが馬を止める。
「出がけに門に板打ち付けていったのに、取られてんな。リュシア、隠れてろ。俺、ちょっと中の様子を探ってくる」
馬を裏手の森へと連れて行って隠した後、キリは一人で屋敷の中に入っていった。
隠れていろと言われたが、キリの様子が気になって、女は裏手から門の方へゆっくりと近づいていった。
だが、キリが戻ってくる気配はない。
まさか、中で待ちかまえていた何者かに捕まったのでは?
焦って茂みから飛び出し、門へと向かう。
その時。
門の東、丁度女の前方から土煙と蹄の音がした。
馬と馬車だ。
一瞬、男と男衆達が戻ってきたような錯覚にとらわれた。
だから、反応が遅れた。
近い。
そう思ったときには女は自分の間違いと失敗に気づいた。
「おい、あの女、あいつらの連れじゃねえか?」
下卑た怒鳴り声が、一瞬女を凍り付かせた。
向かってくる男達は、自分達を襲った連中だ。
瞬時に悟ると、女は門へと駆け寄り、中に飛び込んだ。
閂を下ろし、屋敷へと向かう。
「捕まえろ、お頭のとこへ連れて行くんだ!!」
門の向こうから怒鳴る声が聞こえた。
開いたままの屋敷の扉へと走る。
「リュシア?」
「キリ、出てこないで!」
女は屋敷に飛び込むと、扉にも鍵をかけ、キリの手を引いて奥へと走った。
「何だよ、リュシア。どうしたんだ?」
「静かに!! あたし達を襲った連中が来たわ。あたし、見られた」
奥の部屋に飛び込み、さらにそこにも鍵をかける。
「こんなとこに隠れたって見つかるだろ!! 逃げないと!!」
「無理よ、逃げ切れない。あんたは逃げられてもあたしは無理」
作り付けの戸棚を開けると、縦に仕切りがあって、さらに下方にも横の仕切りがついて交差し、二段になっている。
角の隙間に指をかけると、奥の縦板が外れた。
隠し棚だった。
前に見つけて男に話したとき、何かの時に身を隠せと教えられていた。
隠し棚にキリを押し込んで、首飾りを握らせる。
「ここにいて、隠れていて。一人で村に戻るのよ。そしてあの男に伝えるの。あたしは連れていかれる。あたし一人なら、やつらはあたしを殺さない。だから、もしあたしを本当に愛しているなら、どんなあたしでもいいのならもう一度迎えに来いと――そう伝えて」
キリの顔色がさっと変わる。
「なら、俺が行く。お前は統領のもんだ。俺には身寄りもない、捕まったってどうってことない!」
「ばかね、あたしが見られたのよ。隠れたって無駄よ。でも、あんたは見つかってない。奴らは男なら生かしてはおかないわ。女なら少なくとも殺しはしない。あんたは生きるのよ。死ぬことは許さない。あたしより先に死ぬなんて、絶対にさせないわ」
「リュマの代わりにか? そんなの嬉しくねえ!!」
隠し棚から出てこようとするキリの頬を女の両手が優しくとらえて自分の方を向かせた。
「あんたに、生きていてほしいからよ。リュマじゃないあんたが、とても大事だからよ」
その言葉に、大きな目が、さらに驚愕で見開かれる。
「嘘だ……」
「嘘じゃない」
近づく足音と次々と扉を開けていく乱暴な音が重なる。
女が隠し棚の板を元通りにはめ込もうとする。
キリの顔が見えなくなる寸前に、これだけはと言い残した。
「リュマの代わりとして、愛したんじゃないわ。あんたはあんたとして愛したのよ。あたしは、確かに冷たい女かもしれない。勝手だったかもしれない。だからといって、誰も愛さなかったわけじゃない。愛してたわ、弟を。今も、心から愛してる――あんたもよ」
戸棚の扉を閉め、窓に手をかけたところで、部屋の扉を壊された。
飛び降りようとしたところを髪を捕まれ引きずり倒される。
痛みに動けないところを、顎を捕まれ上向かせられる。
男衆達とは違う、下品な嗤いを浮かべた男達がこちらを見ている。
「この女だ、間違いねえ」
「お頭の読み通りだったな。今日来ることにしてよかったぜ。上玉だ。お頭が喜ぶ」
「違いねえ。急いで戻るぞ」
猿ぐつわをはめられ、両腕を後ろ手に縛られ、馬車に乗せられる。
キリが動く気配はなかった。
遠ざかっていく夕暮れの空を幌の隙間から見つめながら女は満足した。
あの子は無事だ。
ちゃんと守れた。
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それでも、男は堪えぬいた。
そうするしかないことを、すでに悟っていたからだ。
あんなにも大事にされていたのに、今ようやく気づくなんて。
愚かな自分を、女は悔やんだ。
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