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13 提案
しおりを挟む微熱が完全にひくまで、さらに二日かかった。
目眩も、起き上がる時ぐらいにしか起こらないし、嘔吐感もなくなった。
点滴を外し、お粥も食べられるようになった。
ただ、体力はあからさまに落ち、そんなシイナのために、フジオミは車椅子を準備してくれた。
電動なので、これなら、シイナ一人でも楽に移動できた。
「シイナ、今日は僕に付き合ってくれる?」
部屋に入ってきたフジオミは大きなバッグを肩にかけていた。
手には丸められた敷物が。
「いいけど、どこに行くの?」
「気分転換だよ」
そう言って、フジオミがシイナを連れていった先は、何とドームの外だった。
「――」
フジオミは驚いているシイナの車椅子を押して、コーティングされたアスファルトが途切れ、草地が広がるところまで進んだ。
敷物を敷いて、その上に肩にかけていたバッグを置いて自分も座る。
シイナは車椅子に座ったままそんなフジオミと景色を交互に見ていた。
穏やかな風が吹いている。
日差しは暖かく、緑の草地がずっと続いている。
シイナの知らない、野生の花がまばらに咲いていた。
「どう? 外の景色は」
問われて、どう返答すべきか迷った。
「――妙な感じだわ。いつも見ているものと違うから」
「僕も、そう思ったよ。本来なら当たり前の景色が、妙に思えるって」
フジオミがバックからポットとカップを取り出した。
スープの匂いがシイナにも届いた。
フジオミに手渡されて、シイナは戸惑う。
膝の上には、食べやすいように切られたサンドイッチが置かれる。
「野外で飲食したりするの?」
「ああ。昔はみんなしてたって。別に衛生面を心配することはないよ」
「――」
穏やかな日差しの中で、カップに口を付ける。
温かな飲み物が喉を流れていく感覚が、心地よかった。
サンドイッチを一口囓る。
久しぶりの固形物だった。
柔らかく、咀嚼にも支障ない。
ゆっくりと、食べるという感触を味わった。
フジオミはそんなシイナを見つめていた。
そんな視線にももう慣れ、シイナは静かに食事を終えた。
「もう戻る?」
「もう少し、見ていたいわ」
「わかった。じゃあ、僕は少し休むよ。帰りたくなったら声をかけて」
出したものをバッグにしまい込むと、敷物の上に横になり、フジオミは目を閉じた。
自分の世話をして疲れたのだろう。
シイナは車椅子を動かして、ほんの少しフジオミから離れた。
外の景色を見たのなど、数えるほどしかない。
ユウを連れ出した時と、マナを迎えに行った時だけだ。
そして、景色などどうでも良かった。
何の感慨も彼女に与えるものではなかった。
だが。
今見る景色は違っていた。
空は青く、雲は形を変えながらゆっくりと流れていく。
穏やかな風に足の長い草が揺れていた。
草の擦れ合う微かな音。
揺れる花。
見ているうちに、訳もなく込み上げてくる感情がある。
「――」
疲れた。
全てのことに。
こんなに、疲れていたのだ。
心が、今、理解した。
自分が苦しんできた年月が、あまりにも長すぎて、心を閉ざしていた年月が、あまりにも虚しくて、泣きたくなる。
どうすれば良かったのだろう。
取り戻せるわけでもない年月を、今になって取り戻したいと思っている自分が愚かなのか。
だが、今、ここにはそう思っても許してくれる人がいる。
彼もまた、失ってきた年月を悔やんでいる。
幸せだったあの頃のようにやり直したいと願っている。
そして、そのために新たにやり直せる人間なのだ。
自分はどうなのだろう。
自分はどうしたら、失ったものを取り戻せるのだろう。
わからない。
自分が何をしたいのか。
わからないから苦しい。
混乱していた。
だから、シイナは目を閉じた。
何も見ずに、何も感じずにすむように。
身体にかけられる温かな毛布の感触に、シイナは目を覚ました。
「……フジオミ?」
辺りを見回すと、陽が傾いていたが、青空を変えるほどではない。
風はやや冷たくなっていた。
「ごめん、寝入ってしまったようだ。寒くない?」
「大丈夫よ」
自分も眠ってしまっていたのだ。
フジオミが気にすることはない。
だが、フジオミはシイナがまた倒れたのではと気が気ではなかったらしい。
熱がないかと触れる手も脈をとる様子も真剣だった。
フジオミの温かい手が触れることが、嬉しかった。
同時に後ろめたかった。
そんな風に優しくしなくていいのに。
大切にされればされるほど、どうしていいかわからなくなる。
フジオミの優しさが、自分の罪悪感を増長するのだ。
以前のように扱ってくれたら、自分の罪悪感も少しは薄れるだろうに。
だが、その反面、フジオミの優しさを求めている自分もいる。
これ以上傷つくのは嫌だった。
全てを失った今、もうこれ以上傷つきたくない。
意味が欲しかった。
この世界で、生きていく意味が。
そうでなければ、どうしていいかわからない。
自分で自分がわからない。
だから苦しくて、疲れ果て、こんなにもその苦しみから逃れたいと思う。
今の自分が生きる意味は?
フジオミに、応えることか?
「具合は悪くない?」
「ええ。大丈夫」
「もう戻ろうか。先に荷物を片付けてくるよ」
「ええ」
安堵して、フジオミが手を放す。
離れた温もりを、寂しく思う。
フジオミにもっと触れていて欲しいと思うなんて、どうかしている。
前は、吐き気を催すほど嫌悪していたのに。
だが、今はフジオミが自分に触れることに全く抵抗や嫌悪はなかった。
それどころか、気持ちいいとさえ思った。
彼が優しく触れているのがわかるから。
労りを、感じることが出来るから。
荷物を片付けるために戻っていくフジオミ。
シイナは黙ってそれを見ていた。
「――」
すぐにフジオミが戻ってくる。
「じゃあ、戻ろうか」
車椅子を押して、ドームへ向かう。
シイナは大人しくそれを受け入れていた。
部屋へ戻ると、フジオミは抱き上げてベッドへ戻してくれる。
「何か欲しいものはある?」
「ないわ。ありがとう」
シイナの言葉に、フジオミが優しく微笑む。
優しさを受け入れられるなら。
愛情がなくても、それを心地よく感じられるなら。
今なら、抱かれても苦痛や屈辱もなく受け止められるかもしれない。
フジオミは喜ぶだろうか。
この罪悪感は、消えてくれるのだろうか。
わき上がる感情を、確かめてみたくなる。
「フジオミ」
「何?」
「あなたは、私が嫌だから、もう抱かないと言ったわ」
「――ああ」
「じゃあ、私が嫌じゃなければ、あなたはまだ私を抱きたいと思うの?」
「――」
フジオミは、訝しげにシイナを見た。
話の流れがどこに行き着こうとしているのかわからないといった顔つきだった。
「あなたがもし、そうしたいのなら、私は構わないわ」
シイナは驚いて固まっているフジオミを見据えた。
フジオミは暫し動かず、シイナの言ったことを頭の中で反芻しているようだった。
それから、
「なぜ、そんなことを?」
ようやく、それだけを口にした。
シイナは、問い返されるとは思ってもいなかった。
フジオミが喜ぶだろうことを考えただけだったから。
だが、フジオミは全く喜んでいる様子ではなかった。
「――そう、思ったから。私がそんなことを思ったらおかしい?」
慎重に、言葉を選んだ。
「いや、そうじゃないけれど――」
フジオミの反応に、シイナは内心苛立っていた。
フジオミの喜ぶことがわからない。
彼が未だに自分を抱きたいと思っていると感じたのは錯覚だったのか。
だったら、何故クローン任せにしないで自分の世話をしているのか。
それとも、彼は、嫌がる自分を抱くことの方が良かったのか。
それはない。
嫌がる自分に、もうそんなことをしないと誓ってくれた。
あの言葉が嘘の筈がない。
では、なぜ彼は自分の提案を拒むのだろう。
フジオミの反応に振り回されることに疲れていた。
「――シイナ、君、無理をしているんじゃないのか?」
ようやく語られた言葉は、シイナの望んでいるものではなかった。
「いいえ。無理なんかしていないわ。あなたこそ、私のことで無理をしないで欲しいの。それだけよ」
「――」
だが、フジオミはそれを信じていないようだった。
感情を表さないが、彼も苛立っているように見えた。
「僕は、無理なんかしていない。君のために何かできることが、今の僕のしたいことで、喜ぶべきことなんだ。君に無理強いしてきた分、君の望むようにしてやりたいだけなんだ」
「――」
「シイナ。したくもないことを、無理にしようとしないでくれ。もう、君は自由なんだ。昔のように、自由に自分の言いたいことを言って、したいようにしていいんだよ」
優しくシイナの手を握ってから、フジオミは敷物とバッグを片付けるために部屋を出て行った。
「――」
フジオミの言葉が心に響かないのは、自分がそれを求めていないからなのだろうか。
自由。
今更、そんなものを与えられても、どうしていいかわからない。
常に自分は義務を強いられてきた。
無理を重ねてきたのだ。
それが苦痛であることを抑え、当然のこととなるように。
それが、この世界で自分が生きるための手段だった。
無理をしていたらどうだというのだ。
受け入れようとしているのだ。
何故喜ばないのだろう。
結局は、こうしてフジオミを受け入れることを望んでいたのではないのか?
シイナはまた混乱する。
フジオミの態度がわからない。
自分がどのような返答や態度をすれば、彼は満足するのだろう。
フジオミが与えてくれるものを、自分も返したいと思うのはおかしなことなのか。
微笑まれたら微笑みを。
労りには労りを。
優しさには優しさを。
愛せない自分が返せる唯一のものだ。
愛は、返せない。
自分には、ないものだから。
愛する振りなどできない。
愛自体がわからないのに。
それに似たものを返してはいけないのか。
「――これ以上、どうしろと言うの」
思わず漏れた呟きに、シイナはどうしてか惨めな感覚を振り切れなかった。
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