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17 すれ違う心
しおりを挟むフジオミは第二ドームでの問題を解決し終えるとすぐに戻ってきた。
シイナが心配で、気が気ではなかった。
戻ってみると、案の定、シイナは多量の睡眠薬とともに普段飲みもしないアルコールを摂取して、ベッドに倒れ込んでいた。
息があるのを確認するまで、自分の方が死にそうな気分だった。
一人にするのではなかった。
ただでさえ不安定なのに、青ざめてやつれ、弱り切っていた。
眠れなかったと涙を零すシイナは、以前の張りつめたような怜悧な美しさを失っていた。
だが、それでもシイナは美しかった。
愛しさとともにどす黒い感情がわき上がるのを恥じた。
弱っているシイナを見て、自分に頼り切っている彼女を見て、欲望を感じるなんて。
「フジオミ」
「?」
「抱いて……」
シイナの呟きは、小さかった。
だが、フジオミには聞き取れた。
一瞬、自分の心を見透かされたように思ったが、そういう意味ではないと言い聞かせた。
「――ああ」
フジオミは、シイナを優しく、けれど少し強く抱きしめた。
前より細くなってしまった愛しい身体を安心させるように。
だが。
シイナは抗い、フジオミを見据えた。
その表情は、苦痛を堪えたように歪んでいた。
鏡を見るように、今、自分もまた同じ顔をしているのだ。
決して重ならない想いを抱きながら。
「はぐらかさないで! 私の言っていること、わかっているくせに」
「シイナ――?」
戸惑うフジオミにしがみついて、シイナは激しく泣きじゃくった。
「苦しいのよ。お願い、救けて。どうすればいいのかわからないの」
「シイナ、何があった?」
彼女らしからぬとりみだしように、フジオミも動揺した。
自分の受けた恐怖でも、抑えた感情しか表さなかったのに、今はたがが外れたように声をあげて泣いている。
こんな状態の彼女を見るのは初めてではない。
一度目は、マナが去ったときだ。
だが、それ以上に彼女を脅かす事態など、存在しようもないはずだ。
それなのに。
「何があったんだ、君がこんなにとり乱すなんて――まさか、また襲われたのか?」
だが、シイナは答えない。
ただ首を振って答えることを拒み続けた。
「抱いて。お願い。前のように」
義務を果たさなくては。
彼らクローンが受けている苦しみと同じものを受けなければ、自分は壊れてしまう。
苦痛を感じれば、少しでも償えるかも知れない。
だが、フジオミは、シイナの望みを叶えてはくれなかった。
泣きじゃくる自分を優しく抱きしめてくれるだけ。
「今は、抱かない。でも、今夜はずっとこうして君を抱きしめている。君が望んでくれるなら、ずっと。
愛してる、シイナ。君だけだ」
「――」
「ずっと君の傍にいるよ。決して君から離れたりしない」
抱きしめる腕が、伝わる温もりが、いっそう自分を惨めにする。
違う。
そうじゃない。
愛してほしいんじゃない。
滅茶苦茶にしてほしいのだ。
以前のように。
世界の全てを、呪っていたあの頃のように。
生ぬるい世界で、結局は独りよがりな苦しみを抱えて生きてきた。
全てが、崩れていく。
残ったのは、惨めな自分だけ。
信じてきた全てが壊れ、取り戻す術がない。
今となっては、何が真実だったのか。
「……」
言葉にならない苦しみに、嗚咽が漏れる。
フジオミの愛情が、苦痛となってこの身を苛む。
義務さえないのに、どうして、今更優しくするの。
いつまで、この責め苦のような愛情は続くの。
それすらも失ったら、これから何を信じて、生きていけばいいのか。
わからない。
もう何も。
ああ、いっそ――
死んで、しまいたい――
シイナが泣き疲れて眠るまで、フジオミは優しい言葉を繰り返した。
彼女の不安を、少しでも取り除けるように。
何かが彼女を追いつめている。
その数多くの要因の中で、一番の原因は自分なのか。
苦しめたいわけではなかった。
それでも、結果として、自分は彼女を苦しめている。
見返りすら求めずに、ただ、愛したいだけだ。
穏やかに、気の済むまで、死ぬその瞬間にさえ忘れられないように強く深く。
だが、心は正直だ。
もうそれだけでは満たされなくなっている。
きれいごとでは、この感情は殺せない。
彼女が欲しくてたまらない。
彼女の全てが、欲しいのだ。
心ごと、独占したい。
他の何も見ずに、自分だけを見てくれればいい。
自分だけを愛してほしい。
そう。
愛してほしいのだ。
自分が想うのと同じくらい、彼女にも。
それが彼女を追い詰めることになっても、求めずにはいられない。
『フジオミ、シイナをこれ以上追いつめてはいけない。君を愛せないことを、彼女は苦しんでいる。愛したくないのではなく、愛せないのだ。そしてそれは、君のせいでもなく、ましてやシイナのせいでもない。決して持てない感情を、彼女にこれからも求め続けていくなら、いずれ君も不幸になる』
先日のカタオカの言葉が脳裏に甦る。
だが、自分には信じられなかったのだ。
そして、今も信じていないのだ。
永遠に、彼女が誰も愛さないのだということが。
自分でさえも持てるこの感情が、彼女の中にないのだということが。
シイナは確実に変わってきている。
険のとれた眼差し。
自分にかけられる穏やかな言葉。
時折見せる優しい感情。
以前と違って、笑顔さえ、自分には向けられる。
彼は初めて、微笑みだけで、幸福になれるのだということを知った。
そして、彼女の笑顔を見るために、何でも出来た。
それ以上を求めて、何が悪い。
もう彼女は、自分を嫌ってはいない。
あんなに嫌っていた、自分をだ。
顔も見たくないといった態度を知らず知らず見せるということもない。
だから、フジオミは確信したのだ。
愛すれば、いつか愛は返ってくると。
「君を苦しめて、それでも決して離さない僕を、君はいつか憎むだろうか――」
フジオミはシイナの細い首筋にそっとくちづけた。
「それでも、君を、愛してる……」
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