ETERNAL CHILDREN 2 ~静かな夜明け~

ラサ

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16 壊れていく現実

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 信じられなかった。

 彼女を襲ったのは自分だと。
 何でもないことのように、シロウは言ったのだ。
 クローンに、そんなことができるものなのだろうか。
 そして、こんなにも穏やかに、そのことを告白できるものなのだろうか。
「――」
 混乱しているシイナは、ただ、シロウの顔を見つめることしかできなかった。
 ゆっくりと、シロウはそんなシイナへと一歩踏み出した。
 混乱のあまり、シイナは咄嗟に叫んでいた。
「傍に来ないで!!」
 後退った身体が壁にぶつかる。
 何もかもが、悪い夢のように思われる。
「心配しないで。もう何もするつもりはない」
 いつもどおりのシロウだった。
 穏やかに語る口調が、それなのに、シイナに限りない不安を与える。
「どうしてなの、どうして、あんなことを――」
「――女の胎内から産まれることができたあなたには、理解できないのも無理はない。
 あれは復讐のつもりだったんだよ。
 あなたにではなく、そう、〈人間〉に対してのね」
「――」
 その言葉の意味が、シイナにはわからなかった。
 復讐と、彼は言う。
 一体何のための復讐なのか。
 それ以前に、なぜ、シロウが。
 そんなシイナの心の内を見透かしてシロウは嗤った。

「博士、あなたにはクローン体の苦しみがわからないのかい? 寿命すら〈人間〉とは違う、僕等の苦しみが――」

「シロウ――?」
「決められた役割を演じる機械のように、僕等はただそれだけのために生きる。
 僕等には何の権利もない。死ぬまで、死んでも、僕等は自由になれない。
 クローンだと、ただそれだけで」
 予想だにしていなかったシロウの答えに、シイナは衝撃を受ける。

 クローンが思考している。
 苦しみを感じている。
 そんなことは有り得ないはずなのに。
 そんな感情も、クローンは持てるのだろうか。

 シイナの動揺は、シロウには手に取るように悟られていた。
「クローンにこんなことを考える知能があると、あなたは思ってもいなかっただろうね。 だが、あなたと僕と、何が違う?
 呼吸し、鼓動を響かせ、傷つけばたやすく流れる血も涙もある。
 何が違う、同じ人間なのに?
 ただ産まれるまでの過程が違うだけの、同じ生き物なのに?
 なぜ僕等は、僕は、生きる意味さえ見つけられずにたった三十年足らずで死ななければならない?」
 彼は、決して声を荒げたりなどしなかった。
 だが、シイナをその場に釘づけにするほどの強い何かがその声音には確かにあった。
 シロウは動かない。
 シイナを威圧しているわけでも、脅迫しているわけでも、乱暴しているわけでもない。
 なのに、なぜか彼女は動けなかった。
 シロウの言葉を、これ以上聞きたくないと思いながらも聞かねばならなかった。
「――気づかなければよかったんだ。こんな思いに。
 だが、僕は気づいてしまった。
 ただ何事もなく研究だけをしていた作業用クローンには、もう戻れない」
 言葉は虚ろだった。
 唇の端をあげながら語られるそれは、微笑っているようにも見えただろう。
 だが、その虚ろな口調の中に、確かに逃れがたいものがある。
 彼の言葉は、クローンを作業用としてしか扱わなかった人間への、彼らを人間として扱わなかった仲間への、静かで激しい告発だったのだ。
「自由になりたいんだよ、シイナ。
 僕は、全てのことから。
 こんな怒りにも、憎しみにもうんざりなんだ。
 教えてくれ、僕だけがこうなのか。
 こんなことを考える僕だけが、狂っているのか。
 オリジナルからコピーされたクローン体はみなこうなのか。
 それとも、オリジナル自体がそうなのか。
 あなた達は、なぜクローニングを繰り返す。
 こんな残酷で不自然な循環をなぜ繰り返す。
 こんな事態を誰も予想しえなかったのか。
 僕等が何をした。
 同じ命だろう?
 僕等だって生きているんだ。
 あなたと同じように、生きて、死んでいくのに。なぜ、僕だけが――」
「やめて!!」
 それ以上、シイナはシロウを直視できなかった。
 彼女には他人の痛みなど理解できない。
 そんな優しい感情などない。
 そう自身で思っていた。
 自分自身の感情でさえ持てあまし、苦しいのに。
 けれど、今このシロウの告白が、どうしようもない焦燥ともよく似た感覚で全身を震わせる。
 今、彼女はこの歪んだ世界が産み出した、自分とは別の形の、それでも自分と同じ、憐れな犠牲を知らなければならなかった。

 それは何という苦痛なのだろう。

「――」
「傲慢なシイナ。あなたは不完全な女性体である自分を呪っているが、そんなものは些細なことだよ、僕にとっては。
 あなたは、結局は自由に生きられるじゃないか。
 フジオミに愛され、カタオカに守られ、それ以上の何を、あなたは求めるのだ。
 僕等の苦しみより遥かに、あなたは幸せでありながら――」
 不意に。
「けれど」
 シロウは酷薄な笑みを、その唇に宿した。
 それは、以前の、自分が忌み嫌っていた頃のフジオミの笑い方に似ていた。
「いつかあなたは、フジオミも失うよ。愛されながらも愛し返さない傲慢なあなたは、全てを失い、何も残さず、僕らのように死ぬだろう。それが運命だ」
「――」
 シイナは戦慄した。
 シロウの言葉はまるで逃れられない確実な未来を示唆しているように思えた。
 忘れかけていた胸の痛みが、今までよりももっと強く、シイナを苛む。
「――あなたには」
 思わずシイナは問いかけていた。
「愛するということがわかるというの?」
「ああ。わかる」
 シロウは誇らしげに微笑った。
「なぜなら、僕はこの世界全てを愛すると同時に憎んでいられるからだ。愛と憎しみは表裏一体だ。愛が届かないからこそ、愛した分だけ憎むことができる。
 だが、あなたは違う。
 あなたには何も憎めない。嫌うことはできても憎むことはできない。
 愛を知らないから、憎むこともできないんだ」

 それは、真実だった。






 部屋へ戻るなり、シイナは寝室のサイドテーブルの引き出しに締まっておいた睡眠薬を取り出した。一番近い洗面所で、水とともに飲み干す。
 だが、即効性でないため、すぐに眠れるわけもない。
「――」
 シイナは洗面所を出て、入口のロックをもう一度確認する。
 それからリビングに備え付けの端末で、カタオカへ夕食の辞退をメールする。
 メールを終えると、キャビネットに並べられた洋酒のなかで、一番アルコール度数の高いものを選び、グラスとともに寝室に戻った。
 お飾りで置いてあるだけで、シイナはそれまで手をつけたことはなかったが、今こそ、アルコールが必要だった。
 キャップを開け、そのままグラスに注ぐ。
 並々と注がれたアルコールを、シイナは一気に流し込んだ。
 呑み込んだ途端、喉がかっと熱くなり、きついアルコールの辛さが口内に広がる。
 だが、やめることなく、最後まで飲み干した。
 空になったグラスをサイドテーブルに置くと、ベッドに倒れ込む。
 まるで毒を飲んだように、身体が熱くなり、吐き出したい衝動にかられた。
 だが、両手で口元を押さえ、必死で吐き気を堪える。
 口内に辛さと苦さ、アルコール臭さが残って消えない。
 だが、空っぽの胃はすぐにアルコールを吸収したのか、横になっていても視界が回った。
 まるで、目眩がぶり返したかのように。
 シイナは目を閉じて、意識が遠のくのを待った。

 夢も見ないで、眠ってしまいたい。
 死んだように。

 意識が途切れるまで、ひどく長く、苦しかった。




「シイナ、シイナ!!」
 身体を大きく揺すられて、シイナはようやく目を開ける。
「……フジ、オミ……」
 自分の声が重く頭に響き、鈍い痛みを感じた。
「帰って、来たのね……」
「ああ。それより、一体どうしたんだ? アルコールと一緒に睡眠薬を飲むなんて、無茶もいいとこだ。下手をすれば死ぬかもしれないのに」
 サイドテーブルに散らばる薬の包装紙と、アルコールを見たのだろう。フジオミの口調は優しかったが、内心の怒りは隠せていないのは感じられた。
 自分はまた、フジオミに迷惑をかけている。
 それとも、心配か。
 その違いが、シイナにはわからなかった。
 わからない自分が、惨めだった。
「眠れなかったのよ……」
 言葉は震えて洩れた。
 何も考えずに眠りたかった。
 ただそれだけだったのだ。
 それさえも、自分には許されないのか。
「――」
 涙がこぼれた。
「シイナ?」
 心配そうに名を呼ぶフジオミ。
 知っているのか。
 その名の意味を。

 シイナ。

 実をつけぬ木。
 何も残さず、残せぬ存在だと、そう呼んでいるのだということを。
「――」
 苦しかった。
 フジオミを見ていると、苦しくてたまらない。
 涙を抑えられない。
 彼が嫌いだった。
 憎んでいたと、思っていた。
 だが、それさえ嘘だった。

 愛を知らない自分が、彼を憎むことなど出来るはずもなかったのだ。

 そんな資格さえない。
 何もかもが――自分が信じてきたもの全てが、嘘だったのだ。
 自分には、何もなかった。
 最初から。
 それなのに、苦しみだけからは逃れられない。
 愛がないなら、誰も何も愛せないなら、いっそ何もかも感じなければいいのに。

 どうして自分は、こんな風にしかなれなかったのだろう。

 苦しみから逃れたかった。
 だが、この苦しみから逃れるには、新たな苦しみを受けるしかなかった。
 他には自分にはないのだから。
「フジオミ」
 だから。
「抱いて……」
 そう呟いた。


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