ETERNAL CHILDREN ~永遠の子供達~

ラサ

文字の大きさ
17 / 22

17 ともに生きる

しおりを挟む

 よく晴れた一日だった。
 風は強すぎることもなく、眩しい日差しに穏やかな余韻を与えている。
「ユウ、海だわ」
 マナが浜辺へかけていく。途中、靴を脱ぎ捨て、海へと入っていこうとする。
「マナ、危ないよ」
「大丈夫よ。こうしてみたかったの。いい気持ちよ。ユウもどう?」
「まだいい。行っていいよ。ここで見てる。見て、いたいんだ」
 マナは頷いて、海へと駆け出した。
 打ち寄せる波にためらうことなく入り、浅瀬を歩いていく。
 風が長い髪を後ろにさらい、靡いていた。
 楽しそうに、マナは笑っていた。
 そんなマナを見て、ユウも知らず穏やかに笑っていた。
 初めて海を見せてくれたのは、老人だった。
 でも、その時は、もっとたくさんで来たのだ。大勢で、お弁当を持って。
 だが、自分は今のマナのように明るく楽しむこともせず、ただじっと、海を見ていた。
 ユカを失った痛みを癒せずに、差し伸べられていたあたたかな手を拒んでいた。
 そんな自分にも、みんなは優しかった。惜しみない愛情をそそいでくれた。
 優しい想いに満たされて、癒されない傷も、やがて忘れることを覚えた。

 流れていく、穏やかな日々。

 本当に、たくさんの人が、ユウの人生にかかわってくれた。
 ユカが自分を見てくれなくても、幸せになれることも知った。
 だが、自分はいつでもおいていかれる者なのだ。
 どんなに愛されていても、彼らは死んでいく。自分よりも確実にはやく。
 たくさんの死を見てきた。
 本当に、たくさんの死を。
 おいていかないでくれと、一緒に連れていってくれと、何度泣いて縋っただろう。
 それでも、願いは叶うことなく、一人、また一人と逝ってしまった。
 いつしかおいていかれることにも慣れ、静かに、死を受け入れるようになった。
 本当は、ずっと恐れていたのだ。

 一人になってしまうことを。

 老人を失った。
 母親も失った。
 それでも、まだ生きている自分がいる。
 恐怖さえ、今はもうない。
 マナがいるからだ。
 マナがいるから、まだ生きていられる。
 老人の言葉が、今あざやかに脳裏に響く。

 私達が与えてやれなかったものを、マナがおまえに、惜しみなく与えてくれるだろう――

 その通りだった。
 癒されないと思っていた傷も、渇いた孤独も、自分に欠けた全てのものを、癒してくれたのは、あの少女だった。
 マナでなければ、駄目だったのだ。
 なぜこんなにも、彼女だけが、特別なのだろう。
 愛せるものなら、いくらでもいたというのに。

(みんな優しくしてくれた。
 みんな大好きだった)

 それでも、愛せたのは母親だけだ。
 母親しか、愛せなかった。
 だから求めるのか、あの少女を。
 もうすでに、復讐のためですらなく、ただ彼女が欲しいから。
 彼女しか、もう愛せないから。

「ユウーっ、見てぇ、こんな大きな貝殻ぁ!」

 遠くで手を振る少女に、ユウは笑って手を振り返す。
 彼女を愛していた。
 誰よりも、強い想いで。
 自分はもう、こんなに強く誰も愛せないだろう。
 この少女以外、愛しいと思えないだろう。
 例えどれほどの人間が、再び自分の傍にいるとしても。

「ユウもこっちに来てみてぇ! 本当にすごいのよぉー」

「今行くよ」
 ユウは自分も靴を脱いで立ち上がった。そうしてゆっくりと海辺へ向かう。
 幸せだった。
 例え罪だとしても、まだ、愛せる自分が幸福だと理解した。

 彼女を愛する度に、心の内に沁みわたる、このやるせない泣きたくなるほどのあたたかな感情を、嬉しいと思えるから。





 陽が、傾いていた。
 一日が終わる。
 二人は裸足のまま砂浜を歩いていた。
 両手に靴を持って、まだあたたかな砂の感触を確かめるようにゆっくりと。
「マナ――」
 小さな声に、ユウよりもほんの少し先を歩いていたマナは、静かに振り返る。
「何?」

「帰っても、いいよ」

「え――?」
 聞き返したマナに、ユウは繰り返す。
「帰ってもいいよ。今なら、止めない。あんたは戻りたい場所がある。フジオミと、行けばいい」
 その言葉に、マナは驚きを隠せなかった。
 彼の口から、そんな言葉を聞こうとは思ってもいなかったのだ。
 ユウはマナと目を合わせないままだ。
「ユウ、あなたはどうするの」
「――俺は、もとに戻るだけだ。ただそれだけだ」
 そう言うと、ユウは再び何もなかったかのように歩きだした。マナを通り過ぎ、ただ静かに。砂を踏む音も波に重なり聞こえない。
 マナはしばし、その場に立ち尽くした。
 ユウの気配がそっと離れていくのがわかる。

 もとに戻る。

 簡単な言葉だった。
 けれど、そんなことはもうできはしないのだ。
 それを、二人が一番よく知っていた。
 老人はもういない。
 自分がドームへ帰ったら、彼は一人になるのだ。
 たった一人で、残る生涯を過ごすというのか。
「――い、一緒に行きましょう、ユウ。そうよ。博士に頼むわ。あなたが一緒に暮らせるように」
 振り返りざま、マナは言った。
「できない」
 振り返らずに答えるユウ。口調は苦しげだった。
 だが、マナにはわからなかった。手に持っていた靴を放り出し、駆けよる。
「一人なんて、だめよ。あたし、あなたをおいては行けない。お願い、一緒に行きま――」
「そうして、あんたとフジオミを見てろって言うのか!! 一生黙って!?」
 マナの言葉を、ユウが遮る。
 両手を伸ばし、力を込めマナを引き寄せた。
「――」
 マナの驚く間もなく唇が重なった。
 前とは違う、ほんの一瞬の、ただ求めるだけのくちづけ。
「なんでだ……」
 強くマナを抱きしめて、ユウは呟いた。
「あんたが好きだ。誰にも渡したくない。でも、わからないんだ。これがどんな気持ちなのか。あんたを母親として愛してるのか、違う女として愛してるのかわからない。ただ、あんたが好きだ。それしかないんだ」
 彼の身体は、震えていた。
「好きだ――好きなんだ、マナ。こんなに好きなのに、どうして駄目なんだ……っ!!」
 激しい感情が伝わる。
 ぎりぎりの理性を、危うい激情を、相反しながら内に保つことに、ユウもまた疲れていた。
 愛しているのに、こんなにも求めているのに、許されない想いに。
 マナは、そんなユウが愛しかった。だから、腕をのばして彼を強く抱きしめた。
 ユウの身体が強ばったのがわかった。
「ユウ。あたしも好き。あなたが一番好き。この気持ちは、なかったことになんてできない。あなたを愛してる」
「マナ――」
「あたし、もうドームへは帰らない。あなたと生きるの」
 ぎこちなく、ユウは抱きしめていたマナの身体を離した。
 狼狽えた瞳が、見返す真摯な眼差しのマナを見下ろしていた。
「マナ。俺はあんたに未来をやれない。残るものを、与えてやれない。それでも、俺を選べるのか」
「選ぶのではないの。そんな感情じゃ、ないの。あなたを好きなの。一緒にいたいの。未来の何も、関係ないの」
 一途な想いで、マナはユウを見つめた。
 それを感じとったユウは、恐れるように震える手でマナの頬に触れた。
「本当に、マナ…?」
「ええ」
「不便な生活しか、ないよ…」
「あなたがいるわ」
「子供も、やれない……」
「あなたがいればいい。ドームにあるどんな幸せより、あなたがいる幸せのほうがいいの」
 ユウはきつく唇を噛みしめた。泣きだしそうな顔で、マナをずっと見ていた。
「――俺も好きだ。あんたを愛してる。あんた以外欲しくない。こんなに、好きだ……」
 そのまま、二人は唇を重ねた。
 マナは、これを罪だとわかっていた。
 ユウも、わかっていた。
 けれど、二人とも溢れる想いを止められなかった。
 そして罪だとわかっていても、それでも二人は幸せだった。
「ユウ――」
「愛してる、マナ…」
 ささやきだけで、こんなにも嬉しい。
 抱きしめてくれるだけで、こんなにも愛しい。
 自分達は、会ってはいけなかった。
 惹かれてはならなかった。
 けれど、会ってしまった。
 惹かれてしまった。

 波の音が聞こえる。

 自分達は、たった二人でなんて遠くまで来てしまったのだろう。

 もう戻れない。
 戻れないのだ。





 遠くで、自分を呼ぶ声がする。

 マナはその呼び声に、驚いた。
 これが夢なのだということを忘れていた。
 近づく声は、やがて懐かしい姿を現す。

(おじいちゃん!!)

 マナはかけより、老人に抱きついた。

――これこれ、マナ。

(会いたかったの。おじいちゃんに、本当に会いたかったの)

 しがみついたまま、マナは顔を上げた。
 前と何ら変わることのない、懐かしい老人の顔がある。

(今おじいちゃんはどこにいるの? 死んだ人達が行く場所に、いるの?)

――私達はどこにも行かないよ。ずっとここにいるんだよ。おまえたちと同じ世界に。

(土に、なったの?)

――そうでもあるし、そうでないとも言える。私達は、地球と同化したのだ。

(地球? 今、あたしが立っている、球体のことよね?)

――そうだ。死もまた消滅ではありえなかった。肉体は失われても魂はここにある。私達は、全ての命を産み出した世界へ、もう一度還ったんだよ。

(命って、何なの? どこから来るの?)

 聞いた瞬間、マナは風を感じた。海から来る、あの風を。
 さあっと足元を水が包んだ。
 下を見ると、マナは海にいた。足首までの水が風にさざめいていた。

――命は、太古の海から産まれた。海は、地球から産まれた。地球は、宇宙から。たくさんのほんの些細なきっかけから、たくさんの奇跡が産まれた。今ここにおまえさんやユウが存在していること、これこそが、奇跡なんだよ。

(海の向こうには何があるの)

 老人は静かに腕を上げ、指差した。

――ありのままの命が。全ての命が存在する世界が。

(そこでなら、あたしたち生きていける?)

 マナの言葉に、老人が満足げに頷いた。

――マナ。自由になりなさい、全てのことから。全てのしがらみを断ち切って、ただ、あるがままに。どこまでも続く海の向こうへでも、おまえさんは行ける。ユウが、連れていってくれる。

(おじいちゃん。あたし、ユウと一緒にいてもいいの?)

 老人は答えなかった。ただ、微笑んでマナを見ていた。

――憶えておきなさい。例えどんなことが起きようとも、私達の還る場所は、この世界しかないのだということを。

 光が降ってきた。

――そろそろ、行かねばならんようだ。

(おじいちゃん?)

 老人の身体が、光に融ける。同時に質感がなくなる。

――いつもおまえさんたちが幸せであるように祈っているよ。

 声すら希薄になる。
 マナは老人を捕らえようと必死で手を伸ばした。

(待って、おじいちゃん!!)

 マナの願いは届かなかった。
 光がマナの視界から老人を奪った。
 そしてそのまま輝き、全てを隠した。




「…ナ」
 ユウの声に、マナは目を開ける。
 心配そうに覗き込むユウ。
 手を伸ばし、確かめた。
「ユウ」
 木のはぜる音。
 焚火があたたかに周囲を彩っていた。
 風の当たらぬ場所に起こした焚火を前に、寄り添ったまま眠ってしまっていたのか。
「泣いていた。何か、恐い夢でも見たのか」
「ううん。おじいちゃんが、来たのよ」
「おじいちゃんが?」
「自由になって行きなさいって。全てのしがらみを断ち切って、ただ、あるがままに。そう言ったの」
 マナは腕を伸ばしてユウにしがみついた。抱きしめかえす強い腕を感じる。
 この少年とともに生きると、自分で決めたのだ。
「遠くへ行きましょう」
 微笑って、マナは言った。
「マナ――?」
「ここを離れて、もう誰もいない海の向こうへ行きたいの。ユウ、連れていって」
「本気なのか、マナ?」
「ええ」
 ユウは身体を離し、不安げにマナを見つめていた。
「何があるかわからないよ。食べるものだって、ないかもしれない」
 マナは笑って首を横に振った。
「あなたがいればいいの。だから、二人で行きましょう。海を越えて、世界の果てへ」
「マナ――」
 幸福な未来を確信して、マナはまだ見ぬ世界を思った。
「あなたと見るなら、世界はきっとどこでも美しいでしょうね。そうして、二人で生きていくのよ。まだ見たこともない世界で、まだ見たことのない美しい色と、光と、たくさんの生命の群れを、あなたと見るの」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム

ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。 けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。 学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!? 大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。 真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

同じアパートに住む年上未亡人美女は甘すぎる。

ピコサイクス
青春
大学生の翔太は、一人暮らしを始めたばかり。 真下の階に住むのは、落ち着いた色気と優しさを併せ持つ大人の女性・水無瀬紗夜。 引っ越しの挨拶で出会った瞬間、翔太は心を奪われてしまう。 偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。 ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。 優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。 大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。

レオナルド先生創世記

ポルネス・フリューゲル
ファンタジー
ビッグバーンを皮切りに宇宙が誕生し、やがて展開された宇宙の背景をユーモアたっぷりにとてもこっけいなジャック・レオナルド氏のサプライズの幕開け、幕開け!

処理中です...