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第2章
女戦士の失言
しおりを挟む昨夜遅くに北の町で変えた、以前より外観が質素な馬車の中で、イルグレンは食事の手を止めた。
「イルグレン様。もう召し上がらないのですか?」
給仕をしていたウルファンナが心配そうに問う。
「もうよい。食欲がないのだ」
「お体の調子でもお悪いのですか? エギルディウス様にお知らせ致しましょうか?」
「いや、心配はかけたくない。少し休めば良くなるであろう。眠るので、しばらく誰も入るな。声もかけるな」
「…お薬は、お持ちせずともよろしいのですか?」
「いらぬ。ただ眠りたい。そなたも私のことは気にせず馬車にもどって休め。夕食まで眠れば元気になるだろう」
「――わかりました。何かありましたら、すぐにお呼びくださいませ」
食事の皿を全て盆に片付けると、ウルファンナは下がった。
イルグレンは、昨夜のうちにウルファンナに用意させておいた、護衛の着る洗いざらしの普段着に素早く着替え、寝台の内幕を閉めて、馬車の扉を開けただけでは不在に気づかぬよう細工した。
剣を持ってから、剣帯を用意させていなかったことに気づいたが、今日のところはいいだろうと、扉を少し開けて、外の様子を窺う。
「――」
ちょうどみな昼食と休憩のため、馬車に注意を払っているものはいない。
護衛も近くにはいなかった。
滑るように外へ出ると、急がずに列の最後尾へと向かう。
護衛と同じ衣服を着ているため、誰も皇子だと気づく者はいなかった。
最後尾は、さすがに護衛はおらず、馬車から離れたところで、四人の渡り戦士たちが座って何やら楽しげに話しているのが見える。
亜麻色の長い髪を後頭部で高く結い上げて垂らしている女戦士の後姿を見つけ、
「見つけたぞ」
満足げに微笑むと、イルグレンはそちらへと向かった。
食事を終え、談笑していたリュケイネイアス、ソイエライア、アルライカ、アウレシアのうち、最初に気づいたのは、アルライカだった。
「護衛の一人が近づいてくるぞ」
リュケイネイアスとソイエライアは目線を上げ、アウレシアは振り返る。
「隊長の言伝かもしれん」
リュケイネイアスが腰を上げかけ、
「いや、あれは――皇子じゃないのか」
ソイエライアが訂正する。
四人は、一斉に近づいてくる姿を凝視した。
「ソイエの言うとおりだ」
リュケイネイアスの呟きに、アルライカとアウレシアは顔を見合わせる。
「嘘だろ。何だって、皇子様がこんなとこに、しかもお供も連れずに一人で出てくんだよ……」
「幻を見てんじゃないだろうね、あたし達? それとも、蜃気楼かい?」
「――残念だが二人とも、現実だ」
無常にかかるソイエライアの声。
もう一度二人が視線を皇子へと向ける。
アウレシアの視線が、皇子のそれと重なった。
皇子は、ぱっと表情を変え、足早にこちらへ来る。
近くまで来ると、アウレシアに向かって言った。
「お前を探していた」
「はぁ?」
訳のわからぬアウレシアに、皇子は不思議そうに首を傾げた。
「言ったではないか。悔しかったらまた来いと。だから、来たのだ。私が勝つまで、これからは何度でも来る」
あんぐりと、アウレシアは口を開けた。
「――」
アウレシアとしては、皇子の鼻っ柱を思いっきりへし折ってやって、捨て台詞を決め、憂さを晴らして、それで終わるはずだった。
事実、彼女の中では、皇子との一件はすでに終わった出来事だった。
まさかその捨て台詞を真に受けて、剣を片手にやってくる皇子様が実際にいるとは思わなかったのだ。
「――レシア。こりゃ、気の済むまで相手してやるしかなさそうだぜ」
「何寝言言ってんだよ、ライカ。昨日でもう、あたしの気は済んだよ」
すかさずアルライカの突込みが入る。
「馬鹿、お前じゃねえ、皇子様のだよ」
「さあ、私も内緒で出てきたので、のんびりしている時間はないのだ。
まさか、戦わずに負けを認めるのではないだろうな。それは許さんぞ」
「――」
何と言い返すか迷うアウレシアに、
「俺達は片づけをしといてやるから、相手をしてやるんだな」
言いながら、ソイエライアはその場の片づけをはじめる。
リュケイネイアスは、いつの間にか姿を消している。
助けを求めるようにアルライカを見るが、肩を竦めてソイエライアの手伝いを始めるのを見ると、どうやら、皇子の相手をしてやるしかないらしい。
アウレシアは頭を抱えた。
「何だって、こんなことに……」
「そりゃ、今度は皇子様のじゃなく、お前の失言のせいさ」
アウレシアが皇子の相手をする羽目になってしまっているとき、リュケイネイアスはソイエライアにことわってその場を離れ、エギルディウスのもとへ向かっていた。
皇子のための馬車の後ろは、エギルディウスのものだ。扉をたたくと侍女のウルファンナが扉を開けた。
「エギル様は?」
ウルファンナが答える前に、
「入るがよい」
穏やかに響く声が返る。
中に入ると、エギルディウスは食事中だった。
しかし、あまり手がつけられた様子もないところを見ると、食欲がないらしい。
「皇子様が一人で俺らのところに来ましたよ。勝つまで、これからは剣の勝負をするそうです」
「えぇ!?」
エギルディウスより、侍女のウルファンナが叫んだ。
「ファンナ。イルグレン様は馬車にいないのか?」
「ゆ、夕食まで眠るとおっしゃって、お食事も少ししか召し上がりませんでした…先ほど様子を見に行きましたら、寝台の幕がかかっておりましたので、てっきりお休みなのかと…確かめて参ります!!」
慌てて、出て行く侍女を一瞥してから、
「女戦士は皇子の申し出を受けたのか?」
困ったように問うた。
「とりあえず、今日のところは。不本意そうでしたが。これから、どうします?」
「馬車に閉じ込めておくのも限界のようだ。もしも女戦士が引き受けてくれるなら、護衛がてらに剣の相手をしてやってくれ」
「いいんですか?」
「皇子自身が望んでいるのなら良い。自分の命は自分で護れねば。女戦士には、その分の報酬はすると伝えてくれ。代わりに、皇子を鍛えてくれるようにともな。世間知らずだと思うだろうが、心根は優しく、素直なお方だ」
扉が開いて、涙目のウルファンナが駆け込んでくる。
「旦那様、イルグレン様がいらっしゃいません!!」
エギルディウスは片手を挙げた。
「良いのだ。ファンナ、これからは、皇子は女戦士に剣の稽古をつけてもらうことになる。準備はお前が整えて差し上げろ」
「よ、よろしいのですか? このようなときにイルグレン様を外にお出しになるなど」
「馬車には身代わりをたてる。このようなときのために身代わりとなる者を護衛の中に入れておいた。ファレスを呼んで来い」
「は、はい」
ウルファンナは慌てて出て行く。
「ファレスが来たら、三人で今後のことを話し合いたいのだが、よいか?」
「いいですよ、そのつもりで来ましたから」
「すまぬな。だが、私はそなた以上に強く、信頼できる戦士を知らぬのだ。昔のよしみで、最後の我侭をきいてくれ」
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「お疲れのように見えますよ」
「老いただけだ。そなたに出会った頃とは違う。二十年も経った。私はもう、年老いたのだ――」
「エギル様――」
「それでも、行かねばならぬ。最後の主命だ。生き残った者を全て、西へ連れて行かねばならぬ」
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