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第4章
回想 死を告げる
しおりを挟む「すみません、せめて明かりを使うことを許していただけないでしょうか」
「何を言っているの!? 姫様が眠っているのよ。明かりが洩れたらお起こししてしまうかもしれないわ。大きな音をたててもいけないわよ、これ以上、姫様の御不興を買いたくはないでしょう」
中庭の木立の影で、男はそんな声を聞いた。
姫という言葉が聞こえた。
ここで働く侍女に違いない。
こんな時間まで起きているなら、下働きだろう。
音を立てないように慎重に近づく。
観賞用の大きな窓と、その横に出入り口が一つ見える。
その出入り口の近くに立って命令している侍女は窓を背にしてこちらを向いていた。
そして、男からは後姿しか見えないもう一人の侍女は、頭を垂れてその命を聞いていた。
「リュシア」
「はい」
「いいこと、見つけるまで戻ってくるのは許さないわよ」
「はい――」
意地悪そうに言い捨てて、年上の侍女は屋敷の中へと消えた。
「――」
男は驚いた。
年上の侍女は、もう一人をリュシアと呼んだ。
リュマの姉だ。
生きている。
こんなにすぐに見つかるとは、思ってもいなかった。
外には出してもらえないとしても、手紙と仕送りだけは欠かさなかった姉が、急に手紙も仕送りもしなくなったのだから、病気にでもなったか、最悪、主人の不興を買って殺されてしまったかとでも思っていたのだ。
生きて働いているのなら、なぜ――
その時、女はこちら側を向いた。
女の顔が、男からも見えた。
淡い月明かりの下でさえ、美しい女だとすぐにわかった。
本来、皇族の目にとまり、愛妾として召されても不思議ではないほどに。
今年で二十歳だと聞いていたが、華奢な体つきが歳よりも若く、思わせている。
そして何より、弟とよく似ていた。
見間違えることなどありえないほどに、眼差しや唇の形、顔の輪郭が、似ていた。
リュマも生きていたなら、背の高い、端正な面立ちの若者になったことだろう。
小さなため息の音が聞こえた。
男が我に返る。
暗闇に頼りなげに立っている女の瞳には、強い意志がみてとれた。
男は様子を伺いながら、女へ近づいた。
手探りで、女は耳飾りを探していた。
この広い中庭を明かりもなく探すのは容易なことではない。
しかし、探すほかはないのだろう。
すでに中へ入る扉には錠が降ろされた。
それは夜明けまで探せという意思表示に他ならない。
嫌がらせなのは女にもはじめからわかっているのだ。
だから、耳飾りなど本当は落ちているはずもない。
それでも、女は黙って耳飾りを探していた。
そうするしかないことも、この二年近く、いやというほど思い知らされてきたのだ。
年季が開けるまでは、ここにいるしかない。
あと少しでそれも終わる。
そうしたら、弟のところに戻れる。
また一緒に暮らせる。
それだけが彼女を支えていた。
その内、雲が淡い月明かりさえも消してしまった。
いっそう暗くなった中庭に、女はふと、何かの気配を感じたような気がした。
「誰かいるの?」
小さく、女は呟いた。
手を止め、中庭の暗闇を見据えた。
誰もいるはずはない。
ここは曲がりなりにも皇族の居住区だ。
だが、確かに誰かに見られているような気がする。
首を横に振って、女は再び、手探りで耳飾りを探そうと下を向いた。
その時。
「!?」
大きな手が女の口元を塞ぎ、もう一方の腕が華奢な身体を抵抗できないように後ろから抱き込んだ。
「リュシアだな、リュマの姉の」
耳元で低く響く男の言葉に、女は身体を強ばらせた。
「驚かせてすまん。俺はリュマの使いだ。お前に危害を加えるつもりはない。手を離しても騒ぎ立てたりしないと誓えるか?」
押さえ付けられながらも、女は二度、大きく頷いた。
男がゆっくりと口元を押さえていた手を離す。
だが、身体を押さえ付ける腕は未だ離れない。
「どこか、落ち着いて話せるところはないか。できれば、誰も近づかないところだ」
もう一度頷くと、女は短く言った。
「ついてきて」
押さえつけていた腕を離すと、女はすぐに男の先を歩き出す。
無駄な事は何一つ言わなかった。
茂みの奥を抜けて、中庭のちょうど裏側にあたるところに、地下へと通じる階段がある。
入り口のすぐ脇のランプに素早く火を灯すと、女は先を急いで階段を下りた。
扉を開け、中に入る。
どうやら何かの作業小屋らしい。
「ここは音が洩れないようになっているから声を気にしなくても大丈夫。さあ、はやく入って」
男は中に入った。
女は入り口の脇の作業台にランプを置き、扉を閉めた。
そうして振り返るなり、
「リュマは、元気なの!? 何度手紙を送ってもこの半年返事が来なかったわ。あの子に何かあったの!?」
そう聞いた。
「どういうことだ? 返事を出さなかったのは、お前の方じゃないのか? リュマは何度手紙を出しても返事が来ないと、会いにいっても取り次いでももらえないと言っていたんだ」
「何ですって!? そんなはずはないわ、お金と一緒に、毎月ちゃんと手紙を書いて送ったわ。ここを動けないから、いつもカリナに頼んで――」
女の美しい顔が強張った。
「待って――手紙が渡っていないとしたら、お金も渡っていなかったのね。じゃあ、あの子は、この半年、どうやって暮らしていたの?」
女は嫌な予感に身を震わせた。
目の前の男は、警備の厳しい皇宮にその身一つでやってきたのだ。
もしも見つかれば生命はないというのに。
そうまでしてやってきたということは、何かただならぬことが起こったに違いない。
「リュマに、何かあったの? あの子は、無事でいるの……?」
最後の言葉は頼りなげにそっと響いた。
「――」
蒼白な女を見つめながら、男はその時が来たことを知った。
生きているとは思わなかった少年の姉を見つけて、男のほうも動揺していた。
少年が姉を愛していたように、姉もまた、弟のことを案じている様子がありありとわかった。
そんな女に、できることならば告げたくなかった。
だが、言わねばならなかった。
残酷な真実を。
「リュマは、死んだ――」
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