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第5章
切望
しおりを挟む「それでは、私とギルス殿はエギル様に報告がてら、周囲を見回ってくる。お前達は火の番を頼む」
「畏まりました。レオン殿とギルス殿におかれましては、くれぐれもお気をつけください」
「うむ。お前達も油断するな。さあ、行こうではないか、ギルス殿」
吹き出したいのをこらえるように表情をひきしめながら、
「承知いたしました。レオン殿」
アルギルスがイルレオンに向かって敬礼する。
イルグレンも面白そうに付き合う。
「レオン殿、エギル様に皇子様は今日も一日健やかに過ごしたとお伝えしていただいてもよろしいかな」
「お任せあれ。グレン殿のお言葉、しかと伝えましょうぞ」
芝居がかったお辞儀をして、二人がにやにやと笑う。
周りの男達も生真面目に敬礼を返すが、表情は笑いをこらえているのがありありとわかる。
それでも、誰一人実際には吹き出したり笑ったりしない。
できないのだ。
声を出して笑った者には罰として休憩なしのアルライカとの稽古が課せられているからだ。
それは、野営場所への帰り際に、アラムが思いついたことだった。
皇子の口調を真似て、ごっこ遊びを楽しむ。
なかなかに良い作戦だった。
真面目に対応すると疲れるものだが、遊びと割り切れば、面白くもなる。
五人の中で一番順応が早いイルレオンが、率先してやりだすと、残りの四人も付き合ってやりだした。
一度やって慣れてしまえば、あとは笑いをとるようにわざと大げさに演技する。
おかげで、ますます誰が皇子だかわからなくなり、そうして笑いを堪え合っていると、育ちのいい貴族の子弟が戯れあっているようにも見えるから不思議だった。
「さあ、皇子様方、そろそろ交代でお休みだよ」
アウレシアが付き合って相手をしてやる。
「明日も早めの移動だから、ちゃんと休んどくれ」
「レシア殿。うまい夕食をご相伴に預かり、恐悦至極でござる」
「我ら、うまい夕飯に餓えていたので、実に幸せでござった」
「ぜひとも後ほど味付けの仕方をご伝授いただきたい」
あまりにも畏まった仰々しい物言いに、くすりと笑う。
「あんなのでよかったら喜んで。残さず平らげてくれてありがとよ」
「では、これにてお暇申し上げる」
「御前、失礼」
「よい夜を」
残りの三人も、これまた大げさにお辞儀をして三人そろって厳めしく歩き去っていく。
「面白い護衛だねえ」
アウレシアは感心したように呟いてから、イルグレンに視線を戻す。
「何考えてるんだい?」
心ここにあらずといった感じのイルグレンに気づき、声をかける。
「いや、何でもない。私も休む。お休み――」
眠りについて、何かが動く気配に気づいた。
天幕の中は暗く、入り口近くのアルライカの大きな姿はなく、空の毛布だけが置かれたままだ。
アルライカが火の番を交代しに行ったのだろう。
もう一度眠りにつこうとうとうとしかけ、不意に、天幕の中に人の気配を感じた。
アルライカではない。
刺客か。
咄嗟に枕元の短刀に手が伸びる。
だが、殺気もない。
そっと目を開ける。
暗闇にほのかに浮かび上がる長い髪を結い上げた輪郭。
この気配は――
「レ、レシア?」
声を潜めて問う。
間近になって、ようやく判別できた。
「あ、気づいたか。殺気も出してないのに気づくとは、やるな」
身体を起こすと、アウレシアはすぐ近くにいた。
「どうしたのだ。何かあったのか?」
一瞬、何か起こったのかと思ったのだ。
だが、アウレシアは人差し指を口にあて、静かに告げる。
「夜這いに来た」
「はぁ?」
訝しげな顔つきで、イルグレンはアウレシアを見つめた。
「――というのは嘘で、話をしに。帰り際、様子が変だったからさ」
「何だ。それでわざわざ来てくれたのか」
納得したようにイルグレンは微笑んだ。
「別に、大したことではないのだが。私は、本当に何も知らないのだなと思って」
自嘲気味に答えるイルグレンに、アウレシアは眉根を寄せる。
「何だよ、今更」
「今日、私の護衛達と初めてまともに話をしたのだ。とても――楽しかった」
昼間の彼らとの会話を思い出す。
「仲間というものは、あんなにも親しげで、気さくに触れ合えるものなのだな」
心底羨ましいと思った。
自分にはない人生。
望んでも得られぬ人生が。
「私とは違う人生が、そこにあった。それを今日、思い知った。私には、あんなふうに歳の近い友と過ごした時間はない。血の近い弟達でさえ、他人と同じだった」
「他の兄弟達とは、仲良くなれなかったのかい?」
「弟達は、私を兄とすら思っていなかった。下賤の血をひく者は、兄とは認められなかったのだろう。まるで、その場にいないように扱われたな。自分が、誰からも見えぬ空気のような存在になったようだと思っていた。だが、彼らの人生は終わり、今は彼らこそ、空気のような存在だ。私達の人生を隔てたもの――この血の半分が、こんなにも大きく互いの人生を変えてしまうとは皮肉なものだ」
初めて人を殺したあの日から、イルグレンは考えている。
自分の、これからの人生を。
生きながらえることだけを考える人生から、生きていたいと思える人生を。
西で、それは見つかるのか。
西の大公国の娘婿として生きる人生を受け入れられるのか。
別の生き方もあると、思い知ってしまった後で。
受け入れることが当然で、疑問の余地のないはずの己の人生は、今は遠くに感じられる。
「私の人生とは、何なのか考えてしまう。死んだ母に誓って、最後まで、決して命を、生きることをあきらめたりはしない。だが、そうするだけの値打ちが、価値が、私の人生にはないように感じる」
「グレン――」
「それでも、お前達と出会えたことは、私の人生の中で、最も価値のあることだ。例え旅の半ばで死んでも、そのことは悔いたりしない」
「そんな、今から死にに行くみたいな言い方――ホントになったら困るから言わないどくれ」
そんなアウレシアの頬を引き寄せ、イルグレンは愛しそうにくちづけた。
「以前の稽古のように二人きりになれないのは辛いな」
「――今、二人きりじゃないか」
笑うアウレシアに、イルグレンは困ったように笑い返す。
「人が近すぎる。くちづけ以上のことはできないだろう」
そしてもう一度、今度は丁寧に、長く、感触を確かめ合う。
互いの吐息が乱れるまで。
「ライカなら、気づかない振りをしてくれるよ」
「本当に?」
「ああ。それとも、我慢するかい? それなら、帰るけど」
「――駄目だ」
身を引きかけるアウレシアを再度引き寄せる。
「我慢など――できるわけがない」
くちづけながら、毛布の上に倒れこむ。
そうして、できるだけ音を漏らさぬよう、密やかに求め合った。
互いの熱が引いて、乱れた息が落ち着いても、イルグレンはアウレシアの肩を抱いて、寄り添ったままで横になっていた。
薄闇に見える天幕の天井を見上げて、
「夜明けが近いな――」
そう呟く。
アウレシアは顔を少し上げて、イルグレンを見た。
「まだ夜明けを淋しいと思うかい?」
「――いいや」
密やかに、イルグレンは微笑んだ。
見返す眼差しは愛おしさに満ちていた。
「あの時のようにお前がいるから淋しくない。
お前がいてくれるなら、どこにいても、きっと私は淋しくない――」
今、二人でいるこの時は、全てを忘れていられる。
自分のこれまでの人生も、これからの未来も、死の危険も、己の価値も。
夜が明けるまで寄り添ったまま、この時がずっと続けばいいと願った。
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