竪琴の乙女

ライヒェル

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六章

軍事パレードに向けて

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エリオットの指差す方を見れば、真っ黒い軍馬が向こうからこちらへ駆けてくるのが見える。
土煙でぼやける姿をじっと見ていると、確かに鎧を着たままのカスピアンだ。
つい先ほどまで剣を振り回し沢山の兵を容赦なくなぎ倒し、激しく怒鳴り散らしていた人かと思うと、怖くて思わず顔が引きつる。
当の本人は、悠々として、まるでさっきまで散歩していたかのような落ち着いた表情だ。あえて言えば、汗に砂埃がついて顔が汚れ、後ろで束ねている髪が乱れているくらいで、いつもと変わらず平然としている。
「セイラ、中に入ってこい」
闘技場と通路を挟む敷居の向こうで手招きをされ、困ってエリオットを振り返ったが、エリオットが鞭をあげて見せるので、どうやら自力でサンダーを動かさねばならないと知る。
嫌だなと思っているのに、兵がもう、敷居を外してしまった。
その向こうで、軍馬に乗ったカスピアンが待っている。
どうやら、私の乗馬の進み具合をチェックしようという魂胆なのか、面白いものを見ているような目でこちらを眺めている。
ここで恥をかく訳にはいかない!
私はサンダーのたてがみを撫でて、ピンと立っている耳に囁いた。
「お願い!ちゃんと歩いて!あっちの、黒い馬が居る方にね」
ちゃんと聞いてくれたのかどうかわからないが、サンダーは耳をピクピクと動かした。
よし。
今度こそ、一発で歩き出してもらわねば!
手綱を短く握り直し、鞭を振り上げ……
と、振り下ろす前に、サンダーがポコポコと歩きだした。
呆然としている私を背に揺らし、サンダーは悠然と闘技場へと入って行く。指揮官や兵士達の騒々しい号令や叱責の声に動揺するかと思えば、林道を歩いている時と同じように、のんびりと前に進み、カスピアンところまで行くと立ち止まる。そのまま、口をモゴモゴと動かし、ゆさゆさと首を振った。
「ほう……」
どういう意味かわからないが、カスピアンがそう呟いて、ニヤッと笑った。
慌てて、空に浮いたままだった鞭を後ろに隠す。
「む、鞭を入れずとも、話せば分かってくれるみたいで」
この状況をどう説明すればいいか分からず、苦しい言い訳をすると、隣に軍馬を寄せたカスピアンが、サンダーの鼻面を軽く撫でた。
「なかなか様になってきたぞ」
「ほんとに?」
思わぬ褒め言葉に頬が緩む。
カスピアンがサンダーの首に軽く手鞭を入れると、サンダーはゆっくりと歩き出した。
並んで闘技場の広場の周りをゆっくりと進みながら、カスピアンがこの闘技場の歴史や騎士団の役割、組織形態について説明をしてくれる。
王子時代の彼はまだ、血の気の多い暴君という印象が強かったけれど、今や自信と威厳に満ちた王者らしい風格を持つ、若き国王。これだけ巨大な国を統率するには、それだけカリスマ的な存在でなければならないだろう。周りを威圧する恵まれた強靭な体躯に、国を率いるために必要な頭脳と知識、決断力を備え、圧倒的な存在感で周りを惹き付ける魅力。そのすべてが、カスピアンには備わっている。
カスピアンを見る騎士達の目は熱い。
彼等がカスピアンに対し、並ならぬ畏敬の念を持っているのは一目で分かる。
カスピアンは皆の尊敬と憧れ、羨望を一身に集めていた。
指揮官の指示により、全員が整列、待機のポーズを取り、カスピアンはその最前列中央へと軍馬を進める。内心、緊張と不安でいっぱいだったけれど、サンダーも勝手にカスピアンの後をついて中央へ向かう。平静を装い、馬上から整列する兵士達へ視線を向けた。
こちらを見る数千の目に、ドキドキと緊張する心臓の音が聞こえてくるが、この場で取り乱し品格を落とすような振る舞いをするわけにはいかない。静かに深呼吸をして、視線をまっすぐに前方に向けた。
指揮官の指示により、国王と、その隣にいる私に向けての敬礼。
マゼッタ女官長に習った通りに、私は左胸に手を置いて応える。この答礼の意味は、彼等に私の命を任せるということだ。
彼等の完璧に揃った敬礼は見事なものだった。
指揮官の一人が、私達の前に立ち、パレードの当日の進行予定について説明をする。
闘技場の表の門から、楽隊の先導に続き、剣舞を披露する剣士が乗る舞台を引く馬が出庫。その後、上位騎士が軍馬に乗って行進。その後ろを軍馬に乗る国王、側近、そして歩兵総勢7000人が行進するらしい。このパレードには私は参加せず、正門の上に設置される立ち見席から眺めることになるとのこと。
話を聞き終わった時、なぜかあたりが静まる。
気がつけば、全員が私のほうを見ていた。
自分に集中している視線に気づき、一気に血圧が上がり、鞭を強く握りしめた。
パレードの説明は、どうやら何も知らない私に対してのものであったらしく、皆が私の反応を待っているのだと、今になって気がついた。
これは、つまり、私のコメントを待っているということなのだ。
何か、言わねば!
当たり前だが、ありがとう、お疲れさまです、などのありきたりな言葉じゃ済ませない。
数千の好奇の目が自分一人に集まっているこの状況。
絶対に隣のカスピアンに助けを乞ってはダメだ。
彼が止めないということは、自由に発言してよいという意味なのだろうから。
必死で、これはライアーの演奏会と同じだと自分に言い聞かせる。
ライアーの演奏会では、全然緊張などしなかった。演奏後、観客に何か質問されても、心の赴くままに答えていたじゃないか。
そうだ、自分の思った通りのことを言わないと、上辺だけの空っぽな言葉になってしまう。
血の滲む厳しい鍛錬を日々繰り返し、国を守るために命をかけている兵士達。
恐らくこれまで沢山の尊い命が失われてきただろう。
これからも、カスピアンや私も含む、ラベロア王国を皆を守るために、自分の命を捧げる覚悟でいる彼等のことを考えてみる。
彼等に敬意を表すると同時に、私も共に、この国のために全てを捧げる覚悟であると伝えたい。
すべては、この国の平和と繁栄、そして皆の笑顔の為に。
鞭をぎゅっと握り、手の震えを抑えた。
まっすぐに前方を見ると、ついに覚悟を決め口を開いた。
「素晴らしい演習を見せていただき、有り難うございました」
まずはお礼を述べ、ゆっくりと皆の顔を見渡した。
「私は今日初めて皆さんにお会いしました。この場を借りて、皆さんにお伝えしたい事があります」
ひとつ深呼吸をして、心に浮かぶ言葉を彼等に投げかける。
「私達は、ラベロアという名の、ひとつの大家族だと思っています。私達国民は、皆さんに守ってもらうだけではなく、一人一人が国のために何をできるかを考え行動する責任があります。皆が笑顔でいられる幸せな未来に近づくには、全員の心を完全にひとつにすることが最も重要です。平和があって初めて繁栄に繋がり、信頼があって初めて幸福が生まれます。私は、このすべてを望むのは決して欲張りではなく、必ず実現可能なことだと思っています」
そこまで言って、一度、黙って呼吸を整える。
じっと私を見ている彼等に、出来るだけ明るい笑顔を向け自分の気持ちを口にした。
「今回のパレードは、きっと、国民の連帯感を高める素晴らしい結果を出してくれると信じています。ですから、皆さん。鍛錬も、パレードも、くれぐれも事故や怪我のないように留意し、自重してくださるよう、私からのお願いです。国民の皆に大きな感動を共有してもらえるよう、パレードの成功を心から祈ります」
出来るだけはっきりと聞こえるよう声を張り上げたせいか、最後は少し震えた。
広がる静寂の中、遠くに王宮の鐘の音が響くのが聞こえた。
気づかれないようにゆっくり深呼吸をしたら、誰かが声を挙げたのを皮切りに、兵士が一斉に剣を掲げ歓声を挙げた。
闘技場を震わすような、何千人という屈強な兵士達の雄叫びに度肝を抜かれ、思わず鞭を取り落とす。闘技場いっぱいに轟く兵士達の歓声は、青空を突き破る迫力で、全身に鳥肌が立った。
隣のカスピアンに視線を移すと、満足そうな微笑みを浮かべ、目の前で勇ましく吠える兵士の群れを見ていた。
「セイラ様」
声をかけられて振り向くと、私が落とした鞭を掲げている指揮官の一人が目に入った。
「三等指揮官のアデロスと申します。こちらをどうぞ」
「どうも有り難う、アデロス」
名乗られた場合、必ずその人の目を見て、その名前を口にするように気をつけている。
私より少し年上と思われるアデロスは、日焼けした肌に短いブロンドで、人当たりの良さそうな笑顔の人だった。
やがて、鎮まるようにと指揮官達の指示があり、闘技場での演習が再開となった。
カスピアンと共に、闘技場の出口へと戻りながら、演習の様子を眺める。
一仕事が終わった感じで、ほっと胸を撫で下ろす。
今回のように、大勢の前で言葉を述べるような機会が増えるわけだから、本当に徹底的に知識や作法を叩き込まなくてはならないと痛感する。
前もって練習出来る儀式や祭事はともかく、突然こういう場に遭遇して、何か言わなければならない状況になることも絶対にある。今日はまだ、自分の思った事を口にしても特に問題はなさそうな場だったが、特に政治的な場面では、軽々しく意見など言ってはならない。分かりもしないのに、下手な事を口にし嘲笑されるような振る舞いをして、カスピアンに恥をかかせる訳にはいかないのだ。
勉強が全然、足りない!
自信なんて、全然ない!
猛烈な焦りを感じつつも、まだ、自分はスタート地点から出発したばかりだからと言い聞かせる。そう簡単に知識や自信がつくはずもない。
焦らず、落ち着かねば。
ともかく、さらに真剣に学ばなければならない。
お妃教育に向けた決意も新たに、闘技場と通路を挟む敷居のところまで来ると、待っていた兵が敷居を開けた。
「セイラ」
カスピアンが、通路の方へ向かおうとしたサンダーの手綱を掴み、止めるように引く。
サンダーが歩みを止めると、カスピアンが軍馬を隣に寄せた。彼は、片手で私の肩を掴み寄せたかと思うと、迷う素振りもなく突然唇を重ねた。
驚いて咄嗟に身を引こうとすると、逆に腕まで掴み寄せられさらに深く口づけてくる。
また、不意打ちだ!
一気に血圧があがる。
大勢の兵士が演習に励んでいる闘技場で!
エリオットや他の護衛も遠巻きに見てるのに!
最後に仕上げでもするかように、意図的に音を立て唇を離したカスピアン。
激しい動悸と羞恥で涙目になっている私を見下ろす彼は、余裕どころかむしろ満足そうに笑みを浮かべている。
カスピアンは、私の唇についた砂を指で拭いながら、何かに気づいたように目を留めた。
「この傷はどうした」
燃えるように熱くなっている私の頬に指を触れたカスピアン。
眉間に、深い皺が寄っている。
「傷?あ、さっきよそ見して小枝が当たったからかな?」
「すぐに手当をしておけ」
「放っておいてもすぐ治ると思うけど」
呆れてそう言うと、じろりと睨まれた。
カスピアンは私の怪我には過剰反応する。
骨が折れたとかのレベルならともかく、かすり傷でも異常に心配するのだ。
先日も、私が書庫の鍵で誤って自分の手の甲にひっかき傷をつけた時も、そのまま放置していることに気づいて、くどくどと説教してきた有様だ。ことある事に、おまえ一人の体ではない、大事にしろ、と説教される。
サリーの話だと、私がヴォルガの河で気絶したり、突然発熱して二日間も目を覚まさなかったりしたものだから、カスピアンが私の体調や健康状態をひどく気にするようになったということだ。
「わかりました……戻り次第、サリーに手当してもらいます」
反抗するほどのことでもないし、過保護なだけだから、言われた通りにしていればすべて丸く収まる。
素直に答えたものだから、カスピアンも表情を和らげ、他に傷がないか確認するようにじっと私の顔を見つめた。
優しい光を含んだ苔色の目に捕われると、胸が高鳴ってくるのを止められない。離れがたくなってじっと見つめ返していると、カスピアンがクスッと小さく笑った。
「今晩は早めに戻る。書庫に行かず、部屋にいろ」
「ほんと?」
嬉しくて声が上ずってしまう。
「改装の進み具合もまた見せてやろう」
このところ、夜もろくに話せていなかったこともあり、嬉しくて胸がドキドキする。
出来るだけ平静を装い、小さく頷いてみせた。
「楽しみにしてる!」
他の誰にも聞こえないようにそう言うと、カスピアンは右目で短くウインクする。ドキッとした時にはもう、軍馬を駆けさせ演習へと戻って行くその後ろ姿しか見えなかった。
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