竪琴の乙女

ライヒェル

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十一章

婚儀の始まり

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朝日が差し込む渡り廊下。
この向こうは、ラベロア王国の大神殿だ。
鏡のように磨かれた白大理石に日光が反射している。
私はこの神々しい光の空間に立ち、その眩しさに何度か瞬きをした後、ひとつ、静かに深呼吸をした。
左右に立つのは私を迎えにきた神官達。彼等は穏やかな微笑みを浮かべ、渡り廊下の向こうを手で指し示した。
あぁ、ついにこの日が来た。
緊張と期待に震える両手をお腹の前で重ねると、神殿への一歩を踏み出す。
ゆっくりと歩みを進めながら、私は、この日が来た事がまるで夢のように思えて仕方がなかった。
今日は、ついに婚儀の日。
……私は異世界の国王と結婚するのだ。
心の中でそう呟くと、ドキドキと胸が高鳴り呼吸が乱れてしまう。


婚儀前夜の昨夜は、しきたりに従って浄めの儀式があった。
少しでも眠れたのかどうかよくわからない状態で朝を迎えてしまったため、時差ぼけのように頭に霧がかかっている。歩くのも無重力空間をふわふわと歩いているような感覚だ。


この婚儀は、厳密に言えば3日前から始まっている。ただ、最初の2日間は、神官達による婚儀に向けた準備であり、カスピアンと私が関わるのは婚儀前夜からだった。
昨夕、パレードの興奮冷めやらぬ時に、神殿からの使いがやってきた。
彼らが到着した瞬間から、浄めの儀式は始まるため、私語は禁じられる。
まず、祭儀用に特別に栽培されたホワイトローズマリーの束を浸した湯船での湯浴み。
それが終わると、神殿内の儀式で浄められたという白絹のナイトドレスを着用。
朝日が昇る東の方角に準備された祭壇には、古代から燃え続けているという聖火が灯された特別なキャンドルと、ラベロア王国の神話を纏めた王家代々の巻物が置かれている。
私は祭壇前に跪き、目を閉じて無言で祈りを捧げた。
この祈りの中で、全ての邪念を振り払い、無垢な魂だけで神々と向き合わなくてはならない。
ほぼ瞑想に近い祈りの儀式の中、これまでの人生や、出会った人々のことを回想していた。
まるで映画を見ているかのように、フラッシュバックする数々の場面。
およそ1時間くらいが経ち、祈りの時間が終わると、大神官ロドリゲスが到着していた。大神官は、私のこめかみに聖油を塗布する。
辺りにふわりと漂うローズマリーの香り。
この聖油の香りが、夜通し私をすべての悪や魔力から守ってくれるのだ。
大神官は、翌朝私が口にする聖水が注がれたグラスを祭壇に置く。そして、彼は神官達を連れて退室した。
私はすぐにベッドで休まなくてはならないのだが、サリー達は寝ずにずっと、キャンドルの火を守っていなければならなかった。
なぜなら、この特別なキャンドルの火が消えてしまうと、神々はこの婚儀を承認しなかったという結果になってしまうからだ。彼女達は3人揃って、ものすごく真剣な表情でゆらゆらと揺れる炎を見つめていた。

婚儀前夜にカスピアンと私は会ってはならない。
私同様、カスピアンのところでも婚儀前夜の浄めの儀式が行われているからだ。
物音ひとつしない完全なる静寂に、リラックスするどころか逆に緊張が高まってしまう。夕食抜きで空腹だったせいもあるだろう。睡魔が訪れる様子はなく、何度も寝返りをうっているうちに夜明けを迎えたのだった。


サリー達のお陰でキャンドルの火は無事、朝まで燃え続けた。
早朝は再度、ホワイトローズマリーの香りの中での湯浴み。聖水を飲んだ後、儀式用に浄められた、純白のシルクのドレスに身を包む。髪は一筋の乱れもないようにしっかりと結い上げられた。そして最後に、頭から純白の長いベールをすっぽり被る。宝石類などの装身具は一切無く、とても身軽に感じた。
床に届くほど長く、全身を覆う純白のベールは、すべての悪や魔力から身を守る効力があるそうだ。
朝日が明るくあたりを照らし始めた頃に身支度が終わると、神官達が迎えにきた。そして私は今、ついに、婚儀が執り行われる神殿へ向かっている。
神殿の公式出入口は二カ所あり、王族専用の出入口と、貴族達が使う出入口がある。
神官も王族に近い者は王族専用の出入口を使い、王族と血縁関係のない、あるいは位が低い者は、貴族達の出入口。神に仕える聖職者の中にも、はっきりとした階級があるらしい。
今回初めて、王族専用の扉から神殿に入った。
神器を持つ神官達が左右にずらりと並ぶ廊下を通ると、完全に密室状態になっている空間に入った。
そこは、神々の像がいならぶ王族専用の聖堂だ。
四方の壁には窓が無い。それは、外部から神々の像が見れないようにするためだと聞いた。
代わりに、高い天井に取付けられたステンドグラスから太陽光が差し込む、まさに神聖な雰囲気に満たされた空間だった。
カスピアンはもうここを通過している。
彼は先に聖堂に入り、その後、宝物庫の間にて婚儀用の衣装を身につけ、最終地となる祭殿で私の到着を待つのだ。その祭殿にはもうすでに婚儀の列席者が入っているはず。
聖堂では、私の到着を待っていたロドリゲス大神官がいた。
慈しみ深い笑みを浮かべた大神官の前で、心を込めてお辞儀をする。
この聖堂での儀式を見守ってくれるのは、大神官一人だ。
すべての神々の中央に立つ太陽神テグロスと大地の女神ディアナの像の前に来る。私はここで、神々に誓いを立てなくてはならない。
ラベロア王国に身も心も捧げ、生涯神々に忠実であり続けることを誓う言葉。
隣に立つロドリゲス大神官が見守る中、私は太陽神テグロスと大地の女神ディアナの像の前に跪いた。
ラベロア王国の王族は神々の末裔、つまり神聖な血筋だと崇められている。王家に嫁ぐということは、神々の子孫を産みこの世に送り出すということになるのだ。その許しを得るため、神々が使っていた古代ラベロア語で誓いをたてなければならない。
ここで一句でも間違えると、婚儀は許されない。
言ってみれば、試験のようなものだろう。
毎晩繰り返し練習した誓いの言葉を、巨大な神々の像の前で口にすると、鳥肌が立つような緊張に襲われ、声が掠れ、心なしか震えてしまう。昨晩から一言も発していなかったこともあるだろうが、決して間違いを恐れているからではなかった。太陽神テグロスと大地の女神ディアナに、私がカスピアンを愛し、永遠に共にラベロア王国のために生きていくと誓うことに、想像を絶するほどの幸福感を感じていたからだ。
一語一句間違えることなく誓いの言葉を述べ終わると、大神官ロドリゲスは、私に付き添って来た神官から、昨晩守り通された炎の揺れるキャンドルを受け取った。
そしてそれを、ずらりと並ぶキャンドルの列に並べた。
ここにあるキャンドルは、現在存命の王族の皆の分。少し前に生まれたテオドールのキャンドルもある。ここで、神官達は、存命の王族のキャンドルの火を守り続け、誰かが亡くなった時、初めてその火を吹き消すのだ。
私の命の火も今日からここで私が死ぬ時までずっと守られていくことになる。
ひとつ増えた命の火。
それは、真新しい銀の燭台の上で、ゆらゆらと揺れている。
胸が震えるような高揚感に、心臓がドキドキと早鐘を打つ。


聖堂を後にすると、次は宝物庫に入る。
ここは、ラベロア王国の国宝が保管されている場所だ。
あちらこちらに警備の兵士が直立不動で立っている。彼等は、軍服に身を包んだ聖職者。神官と軍人という二足のわらじを履く、いわゆる超エリートらしい。
なんといっても、国宝が保管されているのだから、24時間体制で警備していて当然だ。
マゼッタ女官長に、何度もくどくどと聞かされた。
王宮、神殿内で働く者は皆、国王、王妃に仕える立場であると。
簡単に言えば、視界に入る人々は全て、カスピアンの部下。
婚儀が完了し、私が王妃になれば、彼等は、この私の部下でもあるわけだ。
こんな、至極平凡な私に仕えてもらうなんて、申しわけない限りだが……
視線は1ミリたりとも動かさず、感情も一切見えないほどプロ意識が高い彼等の前で立ち止まり、私はそっと微笑みかける。
特殊任務に就き、銅像のように立ち尽くしていたって、感情のある人間だ。例え彼等に私の表情が見えていなくても、感謝の気持ちを伝えたかった。全くの自己満足かもしれないけれど……
カスピアンは、私の竪琴もここで保管したいと言っていたが、普段使っているため、結局そのアイデアは実行されていない。離宮に休暇に行くなど、しばらく王宮を離れる間は、この宝物庫に預けよう、ということになった。
初めて目にするラベロア王国の国宝の数々。
想像を絶するほど豪華な冠のコレクションや、眩しく輝く様々な装身具。金銀、色とりどりの宝石に精巧な彫刻が施された楽器や絵画、彫刻や家具など、まさに芸術品と呼ぶべき国宝が数えきれないほどあった。
古代から伝わるという神器の他に、巨大なメノウの彫刻類がずらりと並んでいて、それこそ私の世界では美術館に保存されているようなものばかり。私はひとつのメノウの彫刻の前で立ち止まった。
深い紺色に乳白色が浮かび上がるメノウの彫刻は、大きさが1メートルはあった。滑らかで美しい光沢のあるその彫刻こそ、音楽の女神エランティカ。
私は今、ずっと前にアンリに聞いた、その国宝を実際に目にしているのだ。
まるで幻を目にしたかのような衝撃。
さっきの聖堂でも、竪琴を抱えて立つエランティカの像はあったけれど、このメノウの彫刻のエランティカは、生命が宿っているように見えた。深い紺色の長い髪を背に垂らしたエランティカは、乳白色の衣を身に纏い湖畔に座っている。膝に竪琴を置き、両手で弦に触れていた。目を閉じて、柔らかな微笑みを浮かべているその横顔はとても穏やかで、竪琴の音色が聴こえてくるような気がした。エランティカの姿を見ているだけで、早鐘を打っていた心臓が落ち着いていく。
しばらくの間、エランティカの彫刻に目を奪われていた。
「セイラ様、こちらへどうぞ」
神官の一人に指示された通りに、所定の位置に立つと、大神官が目の前にやってきた。
満足そうに穏やかな微笑みを浮かべたロドリゲス大神官。
神々のことも、古代語も、全く何も知らない私に、辛抱強く教えてくれた大神官。
無事にここまで辿り着くことが出来たのは、本当にロドリゲス大神官のお陰だ。
感謝の気持ちを示そうと、心を込めて深くお辞儀をした。


神官達は宝物庫から出した装身具を運んで来ると、私の全身を覆い隠していたベールを外した。
「これより、婚儀用の装身具を身につけていただきます」
金糸の刺繍に宝石が縫い付けられた純白の帯。
神官が滑らかな光沢が美しい深紅のマントを見せてくれた。背の中央にくる部分に、ラベロア王国の王家の紋章が金糸で縫い込まれている。厚みのあるマントを肩にかけてもらうと、予想外にずっしりと重く、思わず後ろに仰け反りそうになってしまった。
ダイヤモンドが何重にも重ねられた首飾りが放つ、凄まじい輝き。眩しさに下を向く事が出来なくなる。耳にかけられた大粒のダイヤモンドの耳飾りが揺れると、首筋にひんやりとした感触がして鳥肌が立った。
さっきまでドレス一枚であれほど身軽だったのが、数キロの重しが乗ったように全身が重い。王妃になる責任と覚悟、その重みだと思うからこそ、尚更重く感じるのかもしれない。
両足を踏ん張って、まっすぐに前方を見つめた。
両腕にダイヤの5連ブレスレットがはめられ、最後に、婚儀用のベールを着用する。
準備が整うと、ようやく最終地の祭殿へと案内されることになった。
宝物庫を出て、神官が左右に立ち並ぶ回廊を歩く。
体が重い!
よろめかないように、注意深く、バランスに気を配り、ゆっくりと歩く。
祭殿の入り口で、カスピアンが待っているはずだ。
またもやドキドキと胸の鼓動がうるさくなってくる。
ついにここまで来た!
祭殿の扉が開かれると、藍色のマントの背に輝く、金色の王家の紋章が目に入る。
彼がこちらを振り返った。

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