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一章
1話
しおりを挟む俺は憧れていた。弱かったからだ。
強ければ、きっと俺もまともな家庭環境で過ごせたのかもしれない。公園で友達と走り回る。そんなことすら、親に許されていなかった。
俺は生まれつき体が弱かった。細い。小さい。それに加えて心臓も弱い。なんか穴空いてたらしい。詳しい病名は知らない。知りたくもなかった。入退院は当たり前。なんなら、病院こそが我が家だった。
そこへ通ってくる俺の、父、母、妹。一応家族だった。交わす会話、見せる笑顔。それらが全て遠く向こう側にあるように感じていた。家族なのに、俺は同じ側にいなかった。そんな想いは俺が思春期になると更に深まり、それに対する苦慮も家族達は露骨に顔へ表すようになっていった。
俺はお荷物だった。家族からすれば、金と心をすり減らせるだけの存在だったんだ。
岩石のように筋肉を鍛え上げたボディビルダー。百メートル十秒を切る速度で走るスプリンター。四百戦無敗の格闘家。どんな人間でも綿毛のように投げ伏せてしまう、武術の達人……。こんな風に強かったら、俺も家族のお荷物にならなくて済んでいたのかもしれない。
憧れていた。だけど、憧れは憧れでしかない。それに成ることは出来ない。そんなことは分かっていた。
俺は世界から愛されていない。だから、特別だ。なんて厨二が陥りがちな、悲劇のヒーロー症候群に浸ってどうにか生きてた。
そんな悲劇のヒーローの人生は悲劇のヒーローらしく、突然終わった。流行病に罹ったんだ。あれは俺みたいな弱者には特に容赦ない。肺と心臓が握りつぶされて豆粒になるんじゃないかって、そんな苦しみの中で俺の命は消えたんだ。享年十六歳だった。
気がつくと、俺は灰色の空間に立っていた。目の前には、長髪の、おそらく男が俺の顔をじっと見つめていた。目だけが光っていた。顔も体型もはっきり分からない。霧の向こうへ立っているようだった。
「その魂……苦難と羨望を残した歪。奴の理から遠い世界の者。条件通りか……」
その声は低く、頭に直接流れ込んでくると同時に、どこか遠くから木霊のように響いて俺の鼓膜を震わせた。
ここはどこだ? あの世? それとも夢の中? この男は誰? 天使? 死神? そんな疑問が頭を埋め尽くす。しかし、その男の眼光は威圧的で、俺は口を開くことが出来なかった。
男の顔が霧の向こうで歪んだ。笑ったのか?
「幸運な奴だ。まあ、俺にとってもだが」
「幸運? どういう意味?」
向けられた言葉への反発なのか、好奇心なのか、俺は言葉を選ばなかった。ギロリ。男の眼光で、俺の眉間が貫かれたように錯覚した。いや、錯覚じゃない。男の意識が俺の脳みその中に入ってくる。そんなこと感じたことがないはずなのに、それが分かった。
「荒井武蔵」
男が低く鋭く言った。俺は心臓を捻り上げられるようだった。それは俺の名前だ。強く育って欲しい。そんな想いで親が名付けた。日本史上最強の剣豪の名。だけど、名は体を表さないもんだ。
「その人生クソだったようだな。喜べ。お前はこれから生まれ変わる。しかも、そうだな、そっちの世界で言うところのチート能力を持ってな。まあ、歪なお前だからこそ獲得し得る力だ。ズルとは思うな」
「生まれ変わる……チート……」
「転生するのだ。武蔵から見れば異世界へな」
異世界へ転生って、よくあるラノベ小説か? ファンタジー世界。剣と魔法、ドラゴンにダンジョン。そこでチートスキルを使って活躍する。ベタな想像だ。だけど、胸が高鳴ってしまった。
男の顔は霧の向こうで再び歪んだ。そして何度も頷いている。俺の頭の中を覗き込んでの反応だろう。
「そっちの世界には、こっちと似た物語がいくつもあるようだな。そうだ。胸を高鳴らせる冒険が武蔵を待っているだろう。しかし、それは同時に命の危機とも隣り合わせということだ」
「……そんなの、今までと一緒じゃん。冒険はなかったけど」
俺の口から思わず出た言葉に、男は大声を上げて笑った。グハハハって。それが俺の頭の中で響くもんだから、拷問にも感じた。
「確かに。その通りだ」
「あの、俺には選択権はないの? その異世界へ転生するか、しないかって」
「ない。俺にもない」
「え? あんたが俺を呼んだんじゃないの?」
「俺もお前も立場は同じようなものだ。前の役を下され、新たな役を与えられる。もっとも、俺は自ら役を下りたのだが」
「……役か。あなたは一体、誰?」
「闇神とだけ覚えておけ。もう、時間がなさそうだ。新たな人生が始まる。せいぜい楽しむとしよう。武蔵とは、共に面白い旅が出来そうだ。フラクタルを壊す旅がな」
「共に……フラクタル?」
「そのうち分かる」
その言葉が合図かのように、突如目の前に光の塊が現れた。俺は思わず手の平で視界を覆うが、それは無駄だった。瞬きをする間もなく、全てが光になっていったからだ。真っ白だろうか、真っ黒だろうか、それすら分からなくなる。俺の意識らしきものは消えた。その前、最後に感じたのは、どろりとする何かが溶け込んでくる。その不快だった。
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