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一章
4話
しおりを挟む村長宅へ本を読みに通う。それが俺の日課になった。親バカの母ライカは俺を一人で送り出してくれた。中身が思春期の俺には有り難かった。
レオナルドさんは毎日忙しいらしく、ほとんど留守だった。森へ行って危険な魔物を狩ったり、畑に出かけて作物の生育を確かめたりしているそうだ。
家主の代わりにアディが俺を迎え入れてくれた。毎回ぶっきら棒だけど、必ずお茶と、スコーンに似た甘じょっぱいお菓子を出してくれた。このお菓子に口の中の水分の大半を持ってかれるので、お茶との配分を考えさせられた。でも、このお茶は何茶なんだろう? 紅茶にしては香ばし過ぎる。玄米茶とトウモロコシ茶を足して二で割ったような味だ。
「これ、モロウ茶。モロウの実を乾燥させたものを、お湯で煮出した」
ある日、頼んでもないのにアディが唐突に教えてくれた。聞けばモロウの実ってのは、レオナルド村長が『大霊の円卓』って所で見つけた植物らしい。見た目はほぼ地球のトウモロコシだ。村長が栽培方法を確立して、今じゃこの村の名物になっている。栄養価も高く、小麦や芋を育てるよりも手間がかからない。ってことをアディがスラスラと教えてくれた。
それにしても、こんな作物を発見して栽培法まで確立してしまうなんて、レオナルド村長の功績ってかなりのもんだよな。
「冒険者の仕事は、魔物退治や宝探しだけじゃない。珍しい植物や動物を見付けたり、それを栽培や飼育する方法を考えたりもする」
アディはそう無味に言った。だけど、その大きな眼は言に反して輝いていた。
「アディも大きくなったら冒険者になりたいの?」
何も考えず、俺は頭に浮かんだ質問を口にしていた。
「うん。そのつもり。だって、世界にはいっぱい知りたいことある。それに……」
「……それに?」
アディは言おうか迷っているか、或いは頭の中の言葉をまとめているようにも見えた。
「アディは、アディを知りたい」
自分探しの青春延長戦をずっとしてる青年みたいなこと言う。でも、この子は違うんだ。
「アディはこの村に来る前のこと、覚えてるの?」
俺の問いにアディはゆっくり首を横へ振った。やっぱりか。彼女の自分自身を知りたいは、意味が違う。
「アディは自分の名前しか覚えていない。歳も分からない。でも……」
突然、アディは俺の目の前に立った。彼女の息を感じる距離だった。俺は心臓が高鳴るのを覚えた。こんな幼女に俺は何ドキドキしてんだ。あ、いや、俺も今は幼児か。
「アディの方が背が高い。だから、アディの方がリデルよりお姉さん」
アディが自分の頭頂へ手の平を置いて、俺の頭の上へ真っ直ぐその腕を伸ばした。彼女の手の平が、俺の頭頂の上をスカスカと通り過ぎる。
ちょっと気にしてたんだよな。俺の方が背が低いってことを。
「リデルは、将来何になる?」
アディが大きな眼で俺の顔を覗き込んでくる。
「え? 分からないよ。俺、まだ三歳だし」
そう言えば、将来なんて考えたことない。今世はもちろん、前世でもだ。前の人生じゃ長生き出来ないって分かってたから。
「じゃあ、戦士になって。アディは魔法使いになる。前衛がいる」
「戦士……前衛?」
あれか。パーティを組めってことか。ロールプレイングゲームじゃ、戦士が前出て肉弾戦して、魔法使いが後ろから魔法を放つってのが常道だ。
「そんな気が早いよ」
俺は二歩ばかり後ずさった。至近距離で女の子と向かい合うのは限界だった。
「リデルはオニ族。オニ族は体が強いって本で読んだ。戦士が向いている」
「俺がオニ族?」
そんなの初めて聞いた。
「リデルにはツノは生えていないけど。ライカ姐さんにはツノ生えてる。あれはオニ族の証。本で読んだ」
そう。母ライカの頭頂に生えたツノから、そんな感じの種族だってことは薄々は勘づいてた。俺の頭にツノがないことから、何か訳ありみたいで確かめることはしなかった。でも、オニ族って、母さんの口から聞きたかったな。幼児が博識なのも考えものだ。
「えっと。あの……考えとく。考えとくから、今日は帰るね」
アディがコクンと頷くのを横目で見ながら、俺は逃げるように村長の家を後にした。
足取りがいつもと違った。家路へ向かう脚が重い。冒険者、体が頑強な戦士か。俺は自分の頭頂へ手の平を置いた。オニ族か……。俺もそうなのかな? だとしたら、俺の頭にツノがないのは何故なのか? それも母さんから聞くか……。自分がどんな生まれなのかいい加減知っとかないと。
目の前を、村の小さな男の子の集団が大声を上げながら何やら遊んでいた。俺の年頃なんて、ああやって棒振り回して走り回ってるのが普通なんだろう。体が弱かった前世でもやったことないけど。
「おい、あいつ!」
男の子の一人が立ち止まって俺を指差した。見たところ、集団の中でも一番体が大きい。歳は十歳前後かな。歳に不相応の肩当てと胸当て、腰には木剣を差している。将来の夢は冒険者になるって感じか。どこの誰だろう? まあ、俺が村で知っているのは、母と村長一家だけなんだけど。
「え? 俺?」
そう答える俺の目の前に、そいつはやって来た。ズンズンと息巻いている。への字に結んだ口を見るからに、友好的ではなさそうだ。悪い予感がした。
「お前、村長のところで本ばっかり読んでるみたいだな。このガリ勉。ムカツク!」
それは、子供ならではの理不尽さだよ。自分達と違うことをする奴を許せない。いや、大人でもこんなのいるかも。俺は思わず溜息を吐いた。
「お前、生意気だぞ!」
そうか、俺は今三歳のガキか。そりゃ、今の態度は生意気か。そう納得してるところへ、男の子の腕が伸びて来た。ドンとその手の平が俺の胸を押す。でも、なんだか軽かった。思ったような衝撃がなかった。加減してくれたのか?
「え?」
男の子が驚いている。もしかして、突き飛ばしたつもりなのに、俺が微動だにしなかったのが予想外だったのか?
「えっと、あの。なんか……ごめん」
何がごめんなのか。自分でも言っていて分からなかった。で、得手してそんな言葉は相手の心を逆撫でしてしまうこともある。
「このやろ!」
その男児は激昂したようだった。今度は両腕。しかも勢いよく、全体重を乗せてって感じで俺の胸を押した。
だけど、俺にはそれが、子猫が戯れついているような程度の圧にしか感じなかった。体格の良い男の子は顔を真っ赤にして押し続けているけど、俺に尻餅をつかせるどころか、胸を反らす力もない。これって、この子が弱いんじゃなくて、俺が強いってことなのかな、やっぱり。
「もう……もう、いいかな? 俺、ウチに帰らないと。えへへ……」
男の子を刺激しないようにと笑顔を浮かべ、優しくその腕を俺の胸から外して上げた。しかし、その選択も正しくなかったみたいだ。男児の顔が半口開きの驚きから、徐々に引き攣りその度合いが濃くなっていく。この顔は嫌悪か、いや、恐怖かもしれない……。
「バ、バケモノ!」
男児は腰に差していた木剣を引き抜くと、俺の頭上へ振り上げた。
俺の頭を打つつもりか。これ、喰らっておいた方が良いかな? でも、多分効かない。でも、さらりと避けたらそれはそれで怖わがらせてしまうだろうし……。そんなことを考えていると、木剣が俺の眼前に迫っていた。あ、これ当たる。と思った瞬間、ピタリとその切先が止まった。
「いい度胸だね。アタシの子に、何してくれてんのさ」
その影はいつもより大きく見えた。母ライカだった。いつの間に駆けつけたんだろう? 男児が振り下ろした木剣を、右の人差し指と親指だけで掴んでいる。体格のいい男の子が顔色を変え懸命に木剣を引き抜こうとしているが、微動だにしない。
大人と子供とか、そう言う次元じゃない。生物としての根幹が違う。そんなものを母から感じた。
「ごめんなさいは?」
母がことも無げに木剣を奪い取ると、それで男児の頭を軽く小突いた。「ヒッ」そう堪らず彼の口から漏れた。
「ご、ごめんなさい……」
体格のいい男の子が、自分より遥かに小さい俺へ向かって深く頭を下げた。なんか、あまり良い気分はしない。
「うん。よろしい。ほら、帰んな」
母ライカが木剣を返してやると、男児は突如遭遇したバケモノから逃げ去って行った。その様子を遠目から見ていた男の子集団も血相を変えて駆けて行く。
「あの、母さん?」
「すまないね、リデル。しばらくお前に友達出来ないかもしれない」
母は、散り散りになっていく子供たちを見ながら溜息を吐いた。
「いいよ、友達ならアディがいるし。それよりも……」
「ああ……まあ、それは、これからから話してやるよ」
母ライカは明らかに何かを察していた。多分今の一部始終を見てたのだろうし、俺が知識をつけて疑問を抱き始めた頃合いだと分かっているのだろう。
「行くよ。オニ族の母として教育しなきゃいけないからね。それにおあつらえ向きの場所がある」
「教育……」
なんか怖い。お仕置きでもされるのかな。しかし、母がこんなことを言い出すのも初めてだ。
「さぁ」
母が手を差し出し、俺がそれを握る。親子が手を繋ぐ。なんら珍しくもない日常の一コマだ。だけど、そこへ通い合ってる力はヒトとはかけ離れたものなんだ。
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