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一章
5話
しおりを挟む初めて歩く道と、初めて見る風景だった。
どうやら村の外へ向かっているらしい。母ライカがこうして俺を村の外へ連れ出すのは初めてだった。
狭い村のはずなのに、その外へ行くだけで旅へ出るようでワクワクした。これは初めて村長の家へ行く時にも感じた。そう言えば、この感覚は前世ではほとんど感じた覚えはない。家と病院メインの人生だっらから当たり前か。旅行でも、いつ発作が起きるかって不安しか感じなかったし。
「ここなら、誰にも迷惑かけないね」
母が脚を止めたのは東に廻冥の森、西に村を見る場所だった。人気が無くて平で周囲には草と石ころぐらいしかない。
母は俺から数歩距離を取り向き合った。
「それじゃ、どこから話そうかね……」
今世で感じたことのない緊張が俺の前に流れていた。知ることに対する恐れ。そんなこともあるんだ。
「えっと、母さんと俺はオニ族ってやつなんでしょ?」
自分から話を進めてやる。
「本で知ったかい? まあ、隠してた訳じゃないんだけどね」
母ライカが頭頂へお団子に結んだ髪を解く。バサリと髪が落ちると共に、天へ真っ直ぐ伸びるツノが姿を現す。母のこれは何度も見ている。その言葉通り、隠してた訳じゃない。
「リデルの疑問は、なんで自分の頭にはこれが無いかってことかい?」
俺はゆっくり頷いた。他にも聞きたいことはあったけど、それを知ればその他も知れると思ったからだ。
「そうだね……。まあ、手っ取り早く言っちまうと、お前の父親はヒト族だったからってことかね」
「つまり、俺はヒトとオニの混血ってこと?」
「ああ、その通りさ。通常は、オニ族の子供でもツノを生やしているもんなんだけど、ヒトの血が混じるとそうならないみたいだね」
「そうなんだ……」
それは予想していた。でも、俺の中に合一された闇神の魂の影響もあるんだろうけど。
「だけど、歳も体重も倍以上の相手が全力で押しても、少しも怯まない。普通のオニ族の子供もヒト族の子供に比べて力は強いが、あそこまで圧倒的じゃないよ」
母の眼光が、俺の眉間のそのまた奥に刺さった。一瞬でそれは消えたけど、自分の子へ向ける目じゃなかったような……。
(疑われている。確かに俺達の魂から漏れ出した力が、お前の肉体にも影響している)
俺の頭に闇神の声が響いた。こいつの言う通り、影響を疑われるのは嫌だよな。せっかく今世の母親とは良い関係なのにそれを崩したくない。
「あの、本で読んだんだけど、異なる種族の血が混じり合うと、その子供は純血よりも能力が高くなるんだって」
これは嘘じゃない。ちゃんとこの世界の本で得た知識だ。ただ、異なる種族間では、子供は授かりにくいらしい。
「そうだね。それはアタシも知ってる。まあ、リデルはアタシの子だからね。何でも天才さ。天才過ぎて、まさかこんなに早くこの時が来るとは思ってなかったんだけどね」
そう言うと、母は再び髪を頭頂へお団子状に結いツノを隠した。
「オニ族ってのは微妙な立ち位置でね。本当はエルフとドワーフみたいな亜人なんだけど、ゴブリンやオークみたいな魔物、またはもっと高等な知性を持った魔族だって勘違いするやつもいるのさ。迷惑な話だよね。アタシらはちょっと乱暴なところもあるけど、高慢なエルフや偏屈なドワーフよりも、よっぽどヒト懐っこくて豪気な種族だと思うんだけどね」
俺の前世で言うところの、日本の昔話に出て来る鬼に近い感じなのか。悪さもすれば、人助けもするみたいな。
「怪力と、オニ族特有の能力のせいかね。アタシらを恐れたり、逆に神聖視するおかしな奴らも多い」
母は遠い目をして溜息を吐いた。これ、自分の種族のせいで過去に厄介な何かがあったよな。
「オニ族特有の能力って?」
「戦い好きのオニ族にぴったりの能力さ。まあ、後で見せてやるよ。それより、あんたの力、見定めるよ。遠慮はいらない。まずは、思いっ切り殴りかかって来な」
母ライカは、仁王立ちになって両腕を大きく広げた。いきなり殴れって、これがオニ族特有の教育なのか。
「そんな……無理だよ」
出来るわけがない。俺は今世はもちろん、前世でも人を殴ったことなんて一度もない。格闘技や武道の動画は好きで前世で散々観たけど、観るとやるとでは大違いだ。しかもその相手は、大好きな実の母親だ。
「うーん。リデルは父親に似て優しい子だね。でも、今からそれだと、宿命に喰われちまう。最初から厳しくいくよ」
そう言い終わるのが先か。母の姿が眼前にあった。体制を低くして俺の腹に掌を当てている。何歩も向こうにいたはずなのに、瞬きするより速かった。
「はっ!」
母が息吹を発すると同時に俺は吹き飛んでいた。押された? 殴られた? 腹に重い衝撃があった。
痛い。何メートル、いや、何十メートル吹き飛んでいる? 地面が迫る。このまま打ちつけられたら、痛いで済むか? どうする? 俺の頭の中が凄まじく回転しているようだった。
体が勝手に動いていた。空と地面とがクルクル入れ替わり、気付くと俺は地へ足をつけて立っていた。宙返りをして勢いを殺したんだ。こんなこと教えられてもいないのに。
(闇神か?)
俺は魂に巣食うであろうそれに話しかけた。きっとこいつが何かしたんだ。
(フッ。お前は面白い。俺は見物してただけだ)
頭の中にその声が響いて応えて来る。どう言うことだ? 俺自身の力でやったのか?
「こいつは驚いた! クゥ~」
母ライカが身悶えをしていた。親バカなのは分かるけど、気味悪がってもいいんじゃないかと思う。俺は自分が気味悪い。
「じゃあ、次はこれくらい平気なはずだね」
母が楽しそうに笑みを浮かべた。かと思うと、再び凄まじい速さで間合いを詰めた。俺の視界に、その拳や蹴りが鋭角に捩り込まれて来る。次々と暇がない。躱わしている? 母の猛撃を身を翻して躱しているんだ。自分自身がしていることを気付くのに、何度瞬きをしたか。まるで信じられない。
(魂と肉体の力からすれば、胡乱に思うことでもない)
また闇神の声が響いた。そうは言うけど、これは……。
「リデル! 打ち込んで来な!」
母が突如両手を広げた。胴がガラ空きだった。思わず俺は、そこへ握った拳を伸ばしていた。硬いゴムタイヤでも殴った感触だった。母が目を丸くしているのが見えた。それと堪えた脚の踵を、後ろへ滑らして止まるのも。
「クククッ、いいよ、いいよ……何だ、これ……最高じゃないか……」
母ライカは俯いて何やらブツブツ呟いていた。
「あの、母さん……大丈夫?」
強く殴り過ぎちゃったかな。
「大天才だぁ! アタシに拳骨で痛みを感じさせるなんて! 痛い! 痛いよ!」
母は俺を抱き抱えてグリグリと頬擦りをした。親バカなのか、ド変態なのか。とにかく、前世の日本人の感覚は通用しない。これがこの世界のオニ族の感覚なのか。
「よぉし! これは英才教育をしなきゃね。目指すは世界最強の戦士! それにはまず腹ごしらえさ。今日は美味いもん作るよ!」
「え、待ってよ、母さん」
母は俺を肩車すると、鼻歌を唄いながら歩き出した。世界最強の戦士って、なに? 「息子にオリンピックで金メダル取らせる」とか、よくいるスポーツバカ親みたいなこと言ってるよ。俺、どうなるの? スポ根生活になってしまうの?
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