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一章
6話
しおりを挟むと、その時だった。馬の嘶きと、その地鳴りにも似た蹄の音が聞こえた。見ると、廻冥の森から騎乗した一団が飛び出して来る。
「お、レオナルドだね」
母の言う通り、その一団の先頭をレオナルド村長が馬を走らせていた。
「……あれは、何かあったね」
母の声が鋭くなる。村長や、その他の人達の表情か、或いは馬の走らせ方から読んだんだろうか。
「おい、ライカ!」
村長達一団が母の前に止まる。
「急いで村の中へ戻れ。門を閉じる」
「中々強そうな魔物だね」
母ライカは森の奥の暗がりの向こうを見遣りながら言った。気配とかそんなもので分かったのか? 俺にはただ嫌な感じがする程度にしか思えないけど。
「シルバーウルフだ。一匹狼が迷い込んでしまったみたいだ」
「みたいだね。シルバーウルフは本来、高潔で頭がいい。矢鱈に人間に出会さないよう森の奥地で集団生活しているもんだ。だけど、一匹狼となると話は別だ。獰猛で高慢が故に群れから追い出された個体。厄介だね」
母の魔物に対する知識も中々だ。キャラに反して脳筋って訳でもなさそうだ。
「丁度いい。復帰戦にはもってこいの相手さ。レオナルド、リデルを頼むよ」
母は村長の跨る馬の上へ俺を乗せた。
「シルバーウルフは獣種の魔物でも上位。それの一匹狼ともなれば、更に強い。一人で大丈夫なのか? 何年武器を振るってないと思ってる?」
「だから、こいつで相手するのさ」
母は拳を高々と上げながら森へ歩いて行く。
「待て、ライカ! せめて俺の剣を使え!」
村長が叫ぶが、母は脚を止めない。背の高い、細身の女性。その後ろ姿のはずだった。俺の眼には凄まじく大きな背に見えた。なんだ、これ? この立ち上るオーラみたいな。本当に俺の母なのか?
周りの大人達も俺と同じように感じているのだろうか、誰も止めようとしない。母の行く手を馬で囲えばいいはずなのに。
「村長さん、母さんを止めなくていいの?」
「……リデル。冒険者は一つから七つ星まで、その強さ実績でランク分けされているのは知ってるな?」
俺は頷いて見せた。それも何かの本で読んだ知識だ。
「ライカは冒険者だ。その星の数は教えてもらったことはあるか?」
俺は首を横へ振った。
「七つだ……」
「えっ!」
それって最高位じゃないか。そんなこと、母さんからは一度も聞かされたことがない。
「ほらワンコロ出てこい。強い奴と闘いたいんだろ?」
森の奥の暗がりへ声を発すると共に、母の纏う空気が重く揺らいで見えた。黒か、深い紫か。そんな色付きだ。俺は眼を擦って見たけど、確かに見える。
「何だ、あれ……」
「うむ、リデル。あれが見えるか。あれは『大禍時』と呼ばれる魔技だ。自らが発する魔力で周囲の魔力を包んで圧縮し、澱みを作り出す。魔力の澱みは、魔物を惹き寄せる。見ていろ」
レオナルド村長が髭を摩る。魔力って、ファンタジー世界でよく聞く魔法を使うのに必要な力か? 魔技って言うのは分からない。勉強不足だ。まだその知識は本で得ていない。なんかこの世界特有の用語が出て来た。
森の闇から唸り声が聞こえた。動く影が近付いて来る。四足でしっかり地を掴んでいる。銀色の艶やかな毛並みが逆立っている。鈍く閃く眼が睨め付けてくる。狼の姿形だ。だけど、大きさが出鱈目だ。馬二頭分。控え目に言ってもその位はある。
「村長。私らは避難します」
レオナルド村長に付き従っていた大人達が次々と馬を駆って逃げて行く。無理もない。あの魔物からは大きさ以外にも禍々しい何かを感じる。今の俺にはその何かを言語化出来ないけど。
俺は……怖くない? 何だろう? この胸の高鳴りは。ワクワクしているのか。
「来い」
母が半身になり拳を構える。同時にシルバーウルフの牙が母へ迫っていた。重い金属でも噛み合わされるような音がその顎から響いた。
「消えた……」
母ライカの姿が無い。シルバーウルフは空を噛んだんだ。
「速い速い。でも、無作法だね。まあ、魔物に言っても仕方ないか」
母の姿はその魔物の背後にあった。シルバーウルフは振り向きざまに噛み付く。が、再び母は消え、今度は大狼の側面へ現れると同時に、腕を伸ばし銀の毛並みの脇腹に触れていた。
「はっ!」
母の息吹と共に、シルバーウルフが吹き飛ぶ。あの巨体が強風に煽られる葉っぱのようだ。あれ、多分さっき俺にも放った技だ。
シルバーウルフは数十メートル空を泳ぎ身を捻らせて着地した。と同時に牙を見せて戦闘体勢を取る。
「レオナルドさん。今の母さんのあれ、触れただけで吹き飛ばす攻撃も魔技ってヤツなの?」
「そうだ。己が練った魔力を放出し相手の無を揺らがす。『無勁』という技だ」
「魔力で……無を揺らがす?」
「その概念はリデルにはまだ早かったな。とにかく、本来はライカのように鼻唄混じりで放てる技ではない」
村長が冷静に言った。最高位の七つ星冒険者となれば、あの程度当たり前ってことなのか。
「今度はアタシから行くよ」
言い終わるのが先か。母の姿がシルバーウルフの巨大な懐にあった。銀色の魔物の顔に驚きの表情が現れると同時にそれは歪んでいた。母ライカがその横っ面を掌底で払っていたからだ。
グラリと崩れるシルバーウルフ。しかし、意地で巨大な右前脚の爪を母ライカの顔面へ突き入れる。
「よっと」
母が、その巨大な爪を紙一重で横へ躱す。と同時に左前脚を軽く蹴り払った。小石でも蹴り上げるような風情だった。が、シルバーウルフは盛大に背を打ち付けて、腹を天へ見せた。母はただ力任せに蹴り上げたんじゃない。相手の力を利用する柔道か合気のようだ。
「はははっ。一本取ったよ」
母ライカはまるで遊んでいるかのようだ。いや、実際遊んでいるんだ。
シルバーウルフは地面で身をくねらせ母ライカの脚を噛み砕こうと牙を向ける。が、それも母は分かっていたかのように低く跳んで躱すと、大狼の鼻先を踏み台にして後方へ跳び距離を取った。
シルバーウルフは素早く起き上がると、姿勢を低くした。その銀色の体から陽炎のように立ち昇る何かがあった。
「獣種とは言え、上位の魔物は魔力を練る。ああして己の力を増幅させているのだ。やつなりの魔技だな」
「魔力を練るか。それが、魔技ってやつを使うのに必要なんだね」
「そうだ。それはリデルも覚えることになる。いや、覚えなければならない」
村長、義務みたいに言ってくれる。でも、興味はある。
「リデル。オニ族の能力教えてなかったね。見せてやるよ」
突然、何の前触れ予備動作なしに、母ライカの周囲を黄色の閃光がバチバチと音を立て走った。あれは電気?
「オニ族はね。魔法を介さなくても雷を呼ぶことが出来るのさ」
母の右掌が雷を帯びていく。なのに、その顔色は微塵も変わらない。
「当然、アタシらに雷は無効さ」
母の右掌にあった雷が人差し指一本へ集約された。電撃の塊を弄る様は、おもちゃを扱うかのようだ。これがオニ族の能力か。
シルバーウルフが動いた。さっきまでの直線的な動きじゃない。円を描いて母ライカの周りを疾った。凄まじい速さからそれは銀色に光る輪にしか見えなかった。
「バカだね……」
母の詰りの呟きが合図だったか。銀色の輪から母へ向け、白の光線が伸びたかのように見えた。
「雷縛」
次の瞬間、雷鳴と共に母の足元へシルバーフルフが横たわっていた。銀色の巨体にグルグルと巻き付くように電撃の縄が走っている。狼の魔物は争うことを許されず、ただ小刻みに体を痙攣させ続けるだけだった。
「母さん!」
俺は村長の馬から飛び降りて、母の元へ走っていた。居ても立っても居られずだったからだけど、母を心配したからじゃない。今母が見せた一連の能力と技に、俺は惹かれたからだ。前世から引き継いだ強さへの憧れか、それとも今世のこの体に流れる血か。理由はどっちだろう? 両方かもしれない。
「待ちな、リデル」
母ライカが、俺とシルバーフルフの間にスッと身を入れた。
「勝負はついているが、こいつは魔物でも高潔だ。敗北した今、自分を下した奴以外近付くのを許さない」
その時、シルバーフルフが俺をギラリと睨んだ。電撃で身を痙攣させ続けているのに、眼は死んでいない。俺の背を冷たいものが這い上って行った。
「母さん。こいつどうするの?」
「うん。こうするのさ」
言うと母はパチンと指を弾いた。途端に電撃の縄が解除される。
「え!」
俺は一瞬身構えたが、シルバーウルフはゆっくりと立ち上がって母をジッと見るだけだった。
「ワヲオオオオン!」
突如シルバーウルフは一度大きく遠吠えをしたかと思うと、廻冥の森の闇へ走り去って行った。
「ど、どう言うこと?」
「魔物はね、執着の強いものも多いのさ。冒険者が仕留め損なって、復讐されたなんて話山ほどあるよ」
「じゃあ、なんで逃したの?」
「あのワンコロの一匹狼は面白くてね。相手と自分の力の差を推し測って、ちゃんと敗北も認められる。しかも、一度負けた相手に必ずまた挑んで来る。鍛錬を積んで何倍も強くなってね。そん時はリデルが相手するんだよ。あんたも何倍も強くなってね」
「……ええ」
「逃げられないよ。もう、匂いは覚えられたからね。シルバーフルフの鼻の良さは魔物でも群を抜いている」
「おいおい、ライカ。いくらオニ族の子だと言っても、それは厳し過ぎじゃないか? リデルはまだ三歳だぞ」
レオナルド村長が馬から降りてやって来た。そう。あなたの言う通りです。親バカ故の、スパルタ教育だ。幼児虐待だ。
「シルバーウルフも強くなる為に、ここいらの強い魔物を狩るだろうさ。あんたの仕事も減るよ。好都合だろ。それに……うちの子が単なる天才じゃないことぐらい分かってるだろ?」
「……うむ」
いや、村長さん急激なトーンダウンはやめて。
「リデル。アタシだって無茶なこと言ってるって分かってるよ。でもね、あんたは特別さ。特別が故に試練も……宿命も乗り越えなくちゃいけない」
「宿命って?」
いや、だいたい分かっているよ。前世の記憶を持ったまま転生して、闇神が俺の魂の中にいる時点で何か背負わされれているって、とっくに察している。
「それは、いつか必ず話すよ。何年先になるか分からないけどね。まあ、オニ族の親はみんなバカでね。自分の子を世界最強の戦士にしたがるのさ」
母はそう言うと、俺を抱き上げた。俺と同じ目線に母の顔があった。その顔は柔らかく微笑んでいた。厳しい、それこそ鬼のような(いや、そのものか)こと言っているのに、暖かく感じる。なんだか、不思議だ。
「強い戦士になる。オニ族の子にとって最大の親孝行さ。でっかい親孝行をしておくれ、リデル」
母ライカが俺を肩車して歩き出した。その足取りは地をしっかり掴んで力強かった。まるで、決意を固めているかのようだった。
きっとこれは厳しい修行になる。いきなり突きつけられた理不尽のような、好機のような。その混じり合った感覚に、俺はまるで覚悟なんて決まらなかった。
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