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1章.妹君は少年伯と出会う

9.妹君は予想と違った②

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「だ、ダメです、こんな……私には似合いません」

「大丈夫大丈夫。絶対似合うよ」

「でも」

「ほら、まだ仕事もあるしさっさと着替えた着替えた」

 こんな押し問答が繰り広げられた昼下がりの使用人控室。観念して言われた通り着替えたリーゼロッテは、「終わりました……」と蚊の鳴くような声でカーテンの向こうのデボラに声をかけた。

 一言声をかけカーテンを開けたデボラは、一瞬目を見開き嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。その笑みを直視できなかったリーゼロッテは恥ずかしさで俯いた。

 先ほどまで身につけていた古い黒のメイド服は、薄いピンク色に変わっている。スカートの裾や袖口に小さなレースが付けられ、リボンが華美になりすぎない程度に散りばめられている。新たにヘッドドレスが加わったそれは、採寸から縫製までデボラが作ったものだ。目にも留まらぬ速さで手を動かす彼女にベテラン使用人の意地を見た気がした。

「やっぱりねぇ。アタシの見立ては間違いなかったわ。よく似合ってるよ」

「そ、そうですか……?」

「うんうん、アンタ髪が綺麗な黒だから、服はこういう明るい色のがいいね」

 落ち着かない様子のリーゼロッテに対し、デボラは上機嫌だ。というのも、彼女の主人が今までと違う反応を見せたからだ。

 今まで奉公人という名の婚約者候補は何人も来たが、そのほとんどは主人が追い出している。理由は殆どが主人の仕事を邪魔したからか、仕事をしなかったからだと聞いているが、挨拶早々に辞めさせられた者もいるため、本当のところはデボラも把握していない。

 ただ不思議なことに、辞めさせられた者は全て、領地に帰ってから大小何かしらの問題を起こしている。その一点で見ると、主人の人を見る目は確かだと言わざるを得ない。

 噂が噂を呼び、いつからか「辺境伯家に奉公に行くものは陰で何かやらかした人間だ」と間違った噂が定着してしまったためか、不祥事を起こした貴族令嬢が不定期に送られてくるようになった。

 これにはデボラ含め使用人たちも流石にうんざりして直訴した。その結果、主人のお眼鏡に叶わなければ即帰還させられるようになったため、仕事を共にすることはほとんど無くなった。

 しかしリーゼロッテの受け入れに関しては話が別だ。なんと言っても聖女を害した稀に見る悪女であり、それを監視する役目もある。どんな悪女がユリウスに媚びへつらうのか、若干の好奇心はあった。

 が、そんな野次馬根性は何処かへ消えてしまった。

 実際リーゼロッテと仕事を共にすればわかる。彼女は今まで辞めさせられた令嬢たちとは違う。令嬢らしからぬ技能もそうだが、彼女は使用人を見下したりしない。むしろこの家に必死に馴染もうとしている節さえあった。しかも、服など着れればいいとばかりに無頓着なユリウスですら、今までになく彼女を気にかけている。

(メイド服の新調を提案なんて、あの朴念仁ぼくねんじんのユリウス様がねぇ……)

 思い返してニヤけるデボラ。そんな彼女の様子にリーゼロッテはほんの少しだけ眉を潜めた。

「あ、あの……ありがとうございます。こんな可愛らしいメイド服……初めてです」

「ああ、礼ならユリウス様によろしく。ユリウス様がなんでもいいから新しいのを作ってやれって言ってたもんだから。ちょーっとだけアタシの趣味も入ってるけど」

「は、はぁ……でも作ってくださったのはデボラさん、ですしその……ありがとうございます」

 眉尻を下げ、小動物のように謝辞を述べるリーゼロッテに、デボラは抱きつきたい衝動に駆られた。

「……なにこの子可愛すぎじゃないか……」

「? どうされたんですか?」

「なんでもないよ。さて、仕事に戻ろうか」

 妙に上機嫌になったデボラにリーゼロッテは戸惑いながらもついていく。必死で背中を追った先ほどとは違い、彼女はリーゼロッテの隣で歩調を合わせてくれていた。

(デボラさんって、少し苦手かもって思ってたけど本当は優しい人なのかも)

 デボラの顔を見上げると、ちょうど相手もこちらを見ていたのか目が合ってしまった。軽く微笑む彼女に、リーゼロッテは何か言わなければならない気がして変に慌ててしまう。

「あの、ええと……とても失礼なことかもしれませんが、ご主人様はその、もっと怖い方なのかと思っていました」

「え? ああ……」

 リーゼロッテはなんてことを口走ったんだとはっとして口元を押さえたが、時すでに遅し。デボラはくだんの噂を思い出して視線を逸らしただけなのだが、リーゼロッテは踏み込んではいけない部分に踏み込んでしまったと後悔した。

 デボラにとったらユリウスはただの朴念仁の堅物主人なのだが、噂を鵜呑みにした人間からしたら怖いと思われていても仕方がないとも思った。むしろ、これまで奉公人に聞かれていた「なぜ辺境伯は子どもの姿なのか?」という疑問を投げかけられなかったことに内心驚いていた。

「まぁ一歩間違えたらドンパチするような辺境のボスだしねぇ……」

(ドンパチ……? ちょっと怖い言葉だわ)

 リーゼロッテは曖昧に頷く。それを小さな肯定と捉えたデボラは言葉を続けた。

「しかも貴族社会の中じゃ若すぎるって話だろ? ご両親も早くに亡くしてるし、一時は領地返上してたし、そりゃうちらみたいな他人が理解できないような気苦労も多いんだろうさ。髪だってほら、元は奥様譲りの綺麗な紺色だったってのに」

「そう、なんですね。領地返上まで……」

「ご両親が亡くなったときはまだ十歳かそこらだったからねぇ。そりゃ十歳でいきなり領主はちと厳しかろうね。その後すぐ戦争で武勲を立てなきゃ爵位の方もどうなってたかわからないよ」

 そんな話は聞かなかった、とリーゼロッテは目を見開いた。この国では基本的に、爵位ある者はそれにあてがわれた領地を治める。しかし、なんらかの理由で領地を治められない場合は一時的に領地を王家に返すことが認められている。その理由が長期的に解消できない場合は爵位返上を薦められる。確かに、当主が未成年で親戚などに後見を頼めない場合は領地返上は順当な流れだろう。

(……ということはご主人様は頼れるご親戚もいないということに……)

 リーゼロッテの心にある思いが去来した。

 幼い頃に両親を亡くした彼はさぞ孤独だっただろう。彼女も母親を事故で亡くしたため悲しみや痛みはわかる部分がある。

 が、彼女の場合はまだ意地悪でなかったディートリンデや、今ほど冷ややかではなかった父が共に悲しんでくれた。その存在が支えでもあり救いでもあった。もしも自分の周りに誰もいなかったらどんな人生を歩んだか、想像もつかない。

 だからこそ、今までどんなに家族に冷遇されても我慢し続けられた。

 ──なのに。

 どんよりとした気分に囚われたリーゼロッテは視線を床に落とした。

 罪を着せられて悔しい、ていよく追い出されて腹が立つ、というよりも、こうした事態になるまでうまく立ち回れなかった自分が情けなく、同じかそれ以上に過酷な過去があるにもかかわらず再び辺境伯領に返り咲いたユリウスの強さが眩しく思えたのだ。

 あからさまに落ち込んでいる彼女に、デボラはつとめて明るく「さ、次はこの部屋でも掃除してもらおうかね」と声をかけた。
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