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2章.妹君と少年伯は互いを知る
22.妹君は赤髪の優男に翻弄される
しおりを挟む「あれ? ユリウス、もういいのかい?」
書斎で本を探していたユリウスの背後から、呑気な声が掛けられた。
(こいつはいつも急だな……)
ユリウスはやれやれ、と本人に気付かれないよう小さくため息をつき、振り返った。
「……テオか。この間はすまなかった。いつものが」
「ははは、水臭いな。僕と君との仲だろ」
テオ、と呼ばれた青年は快活な笑顔を浮かべた。
年の頃は二十五、六といったところか。
一見すると有力貴族の放蕩息子、という出で立ちのその男は、ユリウスの唯一の友と言ってもいい。
所々はねた襟足の長い赤毛をそのままに、地につきそうなほど長い真っ黒なマントを羽織るなんともアンバランスな様相の彼は、悪戯っぽくウインクした。
「今回は復活が早くて正直驚いたよ。明日に間に合わないかと思ってたくらいだ。一体どんな手を使ったんだい?」
「……お前には絶対言わん」
「つれないなぁ。ま、こうして早く仕事に復帰できたならそれでいいんだけどさ」
机の上の書類の山を一瞥すると、テオは軽く笑ってソファに腰を沈めた。
食事を摂れたおかげか、ユリウスはいつもより一日ほど早く出歩けるようになった。
まだまだ本調子ではないが、書斎にこもった彼は書類整理と調べ物に勤しんでいる。
本来なら大事をとって静養するはずのところだが、そうも言っていられない事情があった──数日前に騎士団の詰所に赴いた件である。
(あれから報告は受けているが特に進展はなし、か……予想以上に骨が折れそうだ)
本を探し当てたユリウスは、とある書類を手にテオの向かいに座った。
「まぁた随分と厄介な案件を抱えてるようだね」
と言いながら、テオは頬杖をついた。
「じゃなきゃお前を呼ばない」
「ですよねぇ。用がなきゃ全然呼んでくれないの、僕悲しいなぁ」
全然悲しんでいない、むしろどこか楽しむような様子のテオに、ユリウスはあからさまにため息をついた。
手にした書類をテオに差し出すと、背もたれに寄り掛かる。
騎士団が調べているのは領民の失踪事件だ。
領内に点在する一軒家から小さな集落まで規模はまちまちだが、そのほとんどが一夜にして居住者全員消えるという点では共通していた。そしてもう一つの共通点が──。
「亜人、ねぇ……」
書類を読んでいるであろうテオの、感情の読めない声が響く。
ユリウスは頭に手を当てた。
国の進める政策により、亜人や移民の居住が認められたのは先代国王の時代からだ。
それまではこの国の人間しか居住権は認められていなかった。ここ数十年でやっと緩和されてきたものの、未だに亜人や移民への差別は根強い。
亜人が住む一軒家が急に空き家になっても、近隣住民は夜逃げとしか思わなかったのだろう。そのため、集落丸々ひとつが消える大規模な失踪が起こるまで事件の発覚が遅れたのだ。
今は隣国の裏工作の可能性もなくはないと、騎士団が各亜人集落の警備に当たっているが、本来の職務の国境警備も欠かせない。回せる人員にも限りがある。
「騎士の増員要請が通れば良いのだが……」
「ま、何もないうちは厳しいだろうね。先王の意思を引き継ぐ現国王が床に伏せっている。今、この国を動かしてるのは宰相と王太子だよ。彼らは亜人があまり得意ではないからねぇ」
ユリウスは大きくため息をついた。
せめて誰の仕業か、それとも自然発生的なものなのかが分かれば──そこまで考えたところで、ノックが響き渡る。
「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました」
「入れ」
リーゼロッテは扉を開けて入室──しそうなところでとどまった。
「お、お客様がいらっしゃってたんですね。申し訳ございません、出直してきます」
慌てて出て行こうとする彼女に思わず目を細めかけたユリウスだったが、すぐにはっとし、首を振った。
「いい、すぐ追い出す」
「えーそれはひどいなぁ。ね、君もそう思うよね?」
いつの間にかリーゼロッテの方へ移動していたテオは、壁に手をかけ彼女の顔を覗き込んだ。
まるで彼女に迫るようなその仕草が、ユリウスは何故だか面白くない。
(……あいつ……燃やしてやろうか……っ)
当の彼女は困惑した様子で、ユリウスに視線を送っていた。
ユリウスがテオを追い出そうと立ち上がったちょうどその時、リーゼロッテはテオを見上げた。
「あ、あのっ」
「ん? なにかな?」
「私はユリウス様の奉公人ですので……こういったことはその、ちょっと……」
リーゼロッテは真っ赤な顔で必死に言葉を紡ごうとするが、うまくいかずごにょごにょと口ごもる。
その姿に一瞬目を丸くしたテオは、腹を抱えて笑い出した。
「……テオ」
ユリウスは非難の意味を込めて名を呼んだ。
先ほどとは違う意味で戸惑っているリーゼロッテから離れると、テオは呼吸を整えた。
「いや、ごめん、一生懸命な君があんまり可愛いもんだからつい、ね。ユリウスもいい婚約者候補がいてよかったじゃないか」
未だ笑いの虫が治らないのか、テオのくくくと噛み殺した笑いが微かに聞こえる。
『婚約者候補』という言葉に、思わずリーゼロッテとユリウスは顔を見合わせた。
頬を赤く染め、軟派な態度の悪友の誘いを精一杯断った、『婚約者候補』──。
(そういえば、そうだったな……婚約者候補……今の今まで忘れているなんてどうかしていた)
ほぼ同時に顔を背けた二人に、テオの含み笑いがさらに大きくなる。
ひとしきり笑って気が済んだのか、出窓を大きく開け放った彼は振り返った。
「じゃ、そろそろ帰ろうかな。またね、リーゼロッテさん」
「あ、危ないです!」
リーゼロッテの制止も聞かず、彼は窓の外に吸い込まれるように消えた。
慌てて窓の外を覗き込むが彼の姿は影も形もなく、ただ一筋の風がリーゼロッテの髪を乱しただけだった。
「窓を玄関かなにかだと思ってるような馬鹿は放っておけ。いつものことだ」
「で、でもここ三階です」
「大丈夫だ。馬鹿は死なない」
はっきり言い切ったユリウスに、リーゼロッテはくすりと笑った。
優しく完璧な少年──実際は青年だが──だと思っていた彼が、友人とまるで兄弟のようにあけすけに物を言い合う一面を持っている。
それが彼女にはなんだか微笑ましく思えた。
「……お茶を貰おうか」
「はい、ただ今」
気まずさを隠そうと、こほんとひとつ咳をしたユリウスは、忙しなく準備に移るリーゼロッテの背中を見つめた。
母の粥を再現して以来、彼女は使用人たちの間で『ユリウス様付き』という立ち位置に収まりつつある。
特定の人間を重用しない彼の元で、使用人たちは働きやすさを感じてはいたが、同時に彼の婚期を心配する声も密かに上がっていた。
とはいえ彼女は一応、罪人疑いがあるので、表立ってあからさまにユリウスとくっつけようとする無粋な人間はいなかったが。
「……」
ユリウスが無言で彼女を見つめる中、手際良くカップを置いていく。
最初は彼にお茶を出すだけで震えてカタカタ食器を鳴らしていたが、ここ二、三日の看病でどうやら慣れたらしい。
「慣れたものだな」
「あ、……はい、おかげさまで」
一瞬キョトンとした彼女は顔を綻ばせた。
ここ数日で少しずつだが、彼女の表情から緊張と怯えが取れてきている。
罪人の監視、という名目で彼女をここに住まわせている手前、それでいいのかと疑問に思わなくもない。
が、彼女がこの辺境伯家の奉公人として実績を上げているのもまた事実だ。多少のびのびと暮らしてもらっても構わないだろうと、ユリウスは判断した。
「あの、もう少しお休みされてなくて大丈夫でしょうか?」
「ん? ああ、私のことか。平気だ」
「でも」
「大丈夫だ」
ぴしゃり、と言い放ったユリウスに、リーゼロッテは両目を瞑った。肩を震わせた彼女が急に小さな生き物に見えてくる。
(しまった。強く言いすぎたか)
ユリウスは視線を一巡りさせ、やがてため息をついた。
「……わかった。リーゼがそう言うなら少し休ませてもらおう」
彼の言葉にリーゼロッテの縮こまった身体から力が抜ける。
根を詰めすぎていたのは確かだ。
そのまま書斎で一人唸っていても妙案が浮かぶとも思えなかった。
ユリウスは腰を浮かすと、扉前に掛けられた黒色の帽子を手にとった。
「あ、あの、ユリウス様……?」
「休憩がてら散歩に行く。リーゼも来い」
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