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3章.妹君と少年伯は通じ合う
87.料理人は耐える②
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人狼の強さとはあまりに不釣り合いなその言葉に、リーゼロッテは怪訝な顔で繰り返した。
その表情にザシャは思わず苦笑しかけたが、同時に真実を伝えるべきか躊躇った。
真実を知ればきっとリーゼロッテは困る。
それにこれはザシャの問題であって、それをいちいち気にするであろう彼女を見るには忍びない。
「人狼は……」
(……本当のことなんて、あんたは知らなくていい)
あんな真実は重すぎる。
言いかけた彼は、真意を隠そうと回らない頭で考える。
「…………人狼は……食欲が、強い……食糧がなけりゃ……共食い、する……」
「……!」
息を呑んだリーゼロッテの表情に、やはり真実を伝えなくて良かったとザシャは思った。
「だから……ぅう…………」
「……ザシャさん!?」
突然苦しみ出した彼は、伸ばされた細い腕を拒否するように身を捩った。
「寄るな……! 絶対……絶対近寄るんじゃねぇ……!」
「ザシャさん……」
伸ばした手はそのままに、リーゼロッテは呆然と呟く。
呼吸に『谷落とし』の匂いと彼女の香りが混ざり合い絡めとられるような感覚に、ザシャはくらりとした。
必死に意識をつなぎとめようと、滾る瞳を彼女に向ける。
ショックを受けたような彼女に、彼の良心は酷く傷つくがそんなものは些末なことだった。
(ごめん……俺にはこれしか……できねぇ……)
「……なんだその目は……憐みか……? そんなの……要らねぇんだよ……!」
(今は……こいつを少しでも遠ざけねぇと……)
「あんた……あんたは、ユリウス様に……守られて……馬鹿みたいに笑ってりゃ、いいんだ……! 俺に……俺みたいな化け物に、構うんじゃ、ねぇ……!」
肩で息をしながら吐き捨てるように言葉をぶつけると、ザシャは膝を抱えて丸くなった。
足につけられた枷がごりごりと音を立て引きずられる。
枷が皮膚に食い込んだのか、ずきん、と痛みが走ったが、そんなものはお構いなしだった。
なんでもいい。
彼女が自分から離れてくれればそれでいい。
ザシャは止めどなく寄せる衝動を苦悶の表情でひた隠しにする。
彼女は眉を下げ、伸ばしかけてとどまった手を握りしめた。
その手をそっと広げると、彼の身体を包み込むように両腕を回した。
「……やめろ……」
ぴくり、と身体を震わせたザシャはしゃがれた声を微かに上げた。
それにも関わらずリーゼロッテは身体を離さない。
「ザシャさんは……化け物じゃないです。ザシャさんは少し怒りっぽいけど優しいザシャさん、です」
「……やめろ、離せ……!」
「離しません!」
珍しくはっきりと言い放った彼女の声がザシャの耳に反響して残る。
一瞬驚いたように目を見開いた彼は、すぐさま尖った声を作る。
「なんだよ……っ……あんた、俺はあんたに触られたくないんだよ……分かれよ! なんでだよ……!」
「ザシャさんが……ザシャさんが悲しそうだったから……」
虚をついた言葉に彼はたじろいだ。
悲しい、なんてことはないと思っていた。
皆に危害が及ばないよう、人狼である自分が身を引く場面など今まで何度か経験している。
今のように相手を突き放せばそれで皆離れていった。
その度になんてことはないつもりでいた。
これでいい、と納得させてきたのだ。
それなのに目の前の一人の女が、納得できない気持ちを引き摺り出す。
「あんたを、食いたい……食いたくて食いたくて仕方がない……!」
気がつけば、ひた隠ししてきた本心と共に彼女と顔を突き合わせていた。
彼の必死な表情を静かに見つめた彼女は、やがて穏やかな笑みを浮かべた。
「……食べていいです。それで、ザシャさんのお腹が満たされるなら……」
「良かねぇよ! 俺は……! あんたを食いたか、ない……殺したく、ない……」
今まで隠してきたことを全てぶちまけるように、悲痛な想いを吐露する。
彼の苦悩に、リーゼロッテは彼の小さくなった背を撫でた。
「……ザシャさん、私は人狼のことは知ったばかりですが……ザシャさんのことはお屋敷にお世話になり始めてから存じています。全く知らない人狼に食べられるのは嫌ですが……ザシャさんになら食べられても大丈夫です」
食べられてもいい。
彼女の言葉が理解できず、何度か口の中で反芻する。
やはりもう、時間がない。
焦点の合わない瞳で彼女を見つめる。
口が痺れてきたのか、口元に唾液がつう、と落ちた。
「……何……言って……」
「本当ならハイベルクの家を出た時にきっと私は死んでたんです。それをユリウス様に助けられて、皆さんに出会って、生きながらえてたようなものです。私は……これからきっとボニファーツ様に……」
彼女はそのふくよかな唇をきゅっと締めた。
ほんの少し俯いた瞳が揺れる。
彼女の身体が恐怖に耐えるように強張るのが分かった。
手足を縛る枷さえなければ涙でもなんでも拭うのに、とザシャはあと僅かで欲求に支配されそうな頭で思った。
「ここで死ぬのなら……私はザシャさんに食べられたい」
静かに耳元で囁くような寂しい声に、ザシャは息が止まりそうになる。
その声は表も裏もなく、ただ真っ直ぐにザシャの胸に入り込んできた。
「馬鹿……!」
思わずそう叫んでいた。
掠れることもなく放たれた言葉に、リーゼロッテは目を見開いた。
「んなこと……やめろ……! 俺は……あんたの、リーゼの死を望んでなんかない……!」
甘い匂いと、彼女の麗しい香りと、彼の衝動が一気に霧散する──。
ずっと付き纏っていた重たい霧が晴れたような感覚が確かにあったが、今の彼は目の前の彼女に一直線でそれがなんだったのか分からなかった。
「生きてここを出るぞ……! そのボニファーツってやつを伸して……リーゼを生かしてやる」
「ザシャさん……」
彼の奮い立たせるような言葉に、リーゼロッテもまた力強く頷いた。
「……だからちょっと離れろ」
「す、すみませんっ」
慌てて離れながらも、リーゼロッテはくすりと笑った。
突き放すような言葉を言いつつも、そこに優しさが含まれている、いつものザシャだと。
その笑みの意味にうっすらと感づいたザシャは気まずそうに肩をすくめた。
「……変なやつ」
「……すみません……」
「ま、いいや。……なぁ、リーゼ」
「はい」
すぐさま返事をした彼女をザシャは愛おしそうに見つめた。
(こんなに…… 人狼でも穏やかな気持ちになれるもんなんだな……)
不思議と今まであった衝動がコントロールできるほどに小さくなっている。
『谷落とし』の効力も同時に切れたようだ。
「……ここを無事に出られたら……伝えたいことが、ある」
初めての感覚にほんの少し戸惑いながらも、彼は彼女に告げた。
きょとん、としたリーゼロッテの仕草に目を細めると彼は幾分か、すっきりしたように大きく息を吸い込んだ。
彼女が口を開こうとしたその時だった。
ぎぃ、と立て付けの悪い扉の音が聞こえ、硬い靴音が地下室に響く。
二人は寄り添うように身構えた。
緊張が走り、リーゼロッテはザシャを庇うように前に出る。
その背中が、ザシャには心強くとも歯痒くとも思えた。
(枷さえなけりゃ……!)
やがて靴音は鉄格子の前で止まる。
追手の中でもリーダー格だった男が、燭台を手につまらなさそうな顔で二人を見下ろしていた。
「二人とも出ろ。ボニファーツ様がお呼びだ」
その表情にザシャは思わず苦笑しかけたが、同時に真実を伝えるべきか躊躇った。
真実を知ればきっとリーゼロッテは困る。
それにこれはザシャの問題であって、それをいちいち気にするであろう彼女を見るには忍びない。
「人狼は……」
(……本当のことなんて、あんたは知らなくていい)
あんな真実は重すぎる。
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「……!」
息を呑んだリーゼロッテの表情に、やはり真実を伝えなくて良かったとザシャは思った。
「だから……ぅう…………」
「……ザシャさん!?」
突然苦しみ出した彼は、伸ばされた細い腕を拒否するように身を捩った。
「寄るな……! 絶対……絶対近寄るんじゃねぇ……!」
「ザシャさん……」
伸ばした手はそのままに、リーゼロッテは呆然と呟く。
呼吸に『谷落とし』の匂いと彼女の香りが混ざり合い絡めとられるような感覚に、ザシャはくらりとした。
必死に意識をつなぎとめようと、滾る瞳を彼女に向ける。
ショックを受けたような彼女に、彼の良心は酷く傷つくがそんなものは些末なことだった。
(ごめん……俺にはこれしか……できねぇ……)
「……なんだその目は……憐みか……? そんなの……要らねぇんだよ……!」
(今は……こいつを少しでも遠ざけねぇと……)
「あんた……あんたは、ユリウス様に……守られて……馬鹿みたいに笑ってりゃ、いいんだ……! 俺に……俺みたいな化け物に、構うんじゃ、ねぇ……!」
肩で息をしながら吐き捨てるように言葉をぶつけると、ザシャは膝を抱えて丸くなった。
足につけられた枷がごりごりと音を立て引きずられる。
枷が皮膚に食い込んだのか、ずきん、と痛みが走ったが、そんなものはお構いなしだった。
なんでもいい。
彼女が自分から離れてくれればそれでいい。
ザシャは止めどなく寄せる衝動を苦悶の表情でひた隠しにする。
彼女は眉を下げ、伸ばしかけてとどまった手を握りしめた。
その手をそっと広げると、彼の身体を包み込むように両腕を回した。
「……やめろ……」
ぴくり、と身体を震わせたザシャはしゃがれた声を微かに上げた。
それにも関わらずリーゼロッテは身体を離さない。
「ザシャさんは……化け物じゃないです。ザシャさんは少し怒りっぽいけど優しいザシャさん、です」
「……やめろ、離せ……!」
「離しません!」
珍しくはっきりと言い放った彼女の声がザシャの耳に反響して残る。
一瞬驚いたように目を見開いた彼は、すぐさま尖った声を作る。
「なんだよ……っ……あんた、俺はあんたに触られたくないんだよ……分かれよ! なんでだよ……!」
「ザシャさんが……ザシャさんが悲しそうだったから……」
虚をついた言葉に彼はたじろいだ。
悲しい、なんてことはないと思っていた。
皆に危害が及ばないよう、人狼である自分が身を引く場面など今まで何度か経験している。
今のように相手を突き放せばそれで皆離れていった。
その度になんてことはないつもりでいた。
これでいい、と納得させてきたのだ。
それなのに目の前の一人の女が、納得できない気持ちを引き摺り出す。
「あんたを、食いたい……食いたくて食いたくて仕方がない……!」
気がつけば、ひた隠ししてきた本心と共に彼女と顔を突き合わせていた。
彼の必死な表情を静かに見つめた彼女は、やがて穏やかな笑みを浮かべた。
「……食べていいです。それで、ザシャさんのお腹が満たされるなら……」
「良かねぇよ! 俺は……! あんたを食いたか、ない……殺したく、ない……」
今まで隠してきたことを全てぶちまけるように、悲痛な想いを吐露する。
彼の苦悩に、リーゼロッテは彼の小さくなった背を撫でた。
「……ザシャさん、私は人狼のことは知ったばかりですが……ザシャさんのことはお屋敷にお世話になり始めてから存じています。全く知らない人狼に食べられるのは嫌ですが……ザシャさんになら食べられても大丈夫です」
食べられてもいい。
彼女の言葉が理解できず、何度か口の中で反芻する。
やはりもう、時間がない。
焦点の合わない瞳で彼女を見つめる。
口が痺れてきたのか、口元に唾液がつう、と落ちた。
「……何……言って……」
「本当ならハイベルクの家を出た時にきっと私は死んでたんです。それをユリウス様に助けられて、皆さんに出会って、生きながらえてたようなものです。私は……これからきっとボニファーツ様に……」
彼女はそのふくよかな唇をきゅっと締めた。
ほんの少し俯いた瞳が揺れる。
彼女の身体が恐怖に耐えるように強張るのが分かった。
手足を縛る枷さえなければ涙でもなんでも拭うのに、とザシャはあと僅かで欲求に支配されそうな頭で思った。
「ここで死ぬのなら……私はザシャさんに食べられたい」
静かに耳元で囁くような寂しい声に、ザシャは息が止まりそうになる。
その声は表も裏もなく、ただ真っ直ぐにザシャの胸に入り込んできた。
「馬鹿……!」
思わずそう叫んでいた。
掠れることもなく放たれた言葉に、リーゼロッテは目を見開いた。
「んなこと……やめろ……! 俺は……あんたの、リーゼの死を望んでなんかない……!」
甘い匂いと、彼女の麗しい香りと、彼の衝動が一気に霧散する──。
ずっと付き纏っていた重たい霧が晴れたような感覚が確かにあったが、今の彼は目の前の彼女に一直線でそれがなんだったのか分からなかった。
「生きてここを出るぞ……! そのボニファーツってやつを伸して……リーゼを生かしてやる」
「ザシャさん……」
彼の奮い立たせるような言葉に、リーゼロッテもまた力強く頷いた。
「……だからちょっと離れろ」
「す、すみませんっ」
慌てて離れながらも、リーゼロッテはくすりと笑った。
突き放すような言葉を言いつつも、そこに優しさが含まれている、いつものザシャだと。
その笑みの意味にうっすらと感づいたザシャは気まずそうに肩をすくめた。
「……変なやつ」
「……すみません……」
「ま、いいや。……なぁ、リーゼ」
「はい」
すぐさま返事をした彼女をザシャは愛おしそうに見つめた。
(こんなに…… 人狼でも穏やかな気持ちになれるもんなんだな……)
不思議と今まであった衝動がコントロールできるほどに小さくなっている。
『谷落とし』の効力も同時に切れたようだ。
「……ここを無事に出られたら……伝えたいことが、ある」
初めての感覚にほんの少し戸惑いながらも、彼は彼女に告げた。
きょとん、としたリーゼロッテの仕草に目を細めると彼は幾分か、すっきりしたように大きく息を吸い込んだ。
彼女が口を開こうとしたその時だった。
ぎぃ、と立て付けの悪い扉の音が聞こえ、硬い靴音が地下室に響く。
二人は寄り添うように身構えた。
緊張が走り、リーゼロッテはザシャを庇うように前に出る。
その背中が、ザシャには心強くとも歯痒くとも思えた。
(枷さえなけりゃ……!)
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