上官は秘密の旦那様。〜家族に虐げられた令嬢はこの契約結婚で幸せになる〜

見丘ユタ

文字の大きさ
54 / 97
2章

54.黒馬は僕のだ

しおりを挟む
【マカセ視点】




 日が落ち、皆が寝静まった頃。

 厩舎の中でうごめく影がいくつかあった。

 ひょろりとした身体を干し草のそばで丸めるその人物は、ある馬にギラリとした視線を向けていた。

「あんな平民にあの黒馬は似合わない……僕こそが相応しい……」

 ブツブツと呟くその人物──マカセだ。

 彼の呟きに反応してか、黒馬のクロエは耳をピクリと震わせる。誰もいないことを確認したのか、再び身体を丸めて眠り始めた。

 無防備なその姿に、マカセのねっとりとした視線が絡みつく。

 あれは僕のものだ。

 伯爵家の跡取りとして生まれたマカセは、生まれながらに全てを与えられた。望めば即日中に与えられ、何をしても怒られるなどということはなかった。それは士官学校に入ってからも変わることはなかった。

 唯一例外だったのは、ヴィクターの存在だった。

 つい最近まで平民だった彼は、あろうことかマカセの成績を軽々と超えていった。

 許せなかった。自分が平民より劣ると思いたくなかった。それでも、彼が一代男爵の息子という中途半端な立ち位置だからこそ、まだ自分の矜持を慰めもできた。

 それがまた、あの黒髪の平民のせいで脅かされている。

 マカセは貧相な唇を噛んだ。口に広がる鉄の味にはっとして、首を振った。

 危ない。黒馬があの平民に見えてきた。

 まったく、紛らわしい頭の色をしやがって。そういうところも腹が立つ。

 黒馬は黒馬だ。騎士ならば誰しも羨む特殊な馬。

 その馬に、昼間二度も蹴られたことを忘れたわけではない。

 平民の前で蹴られるなど、伯爵家嫡男としては屈辱だ。

 一旦は退散したが、誰もいなくなるのを待っただけ。昼間は油断しただけ。用意が足りなかっただけだ。だからこそ、当主ちちおやから人手を借りた。

 ジークフリートは選ぶだの選ばれないだのと言っていたが、馬が主人を決めるなどあり得ない。
 彼はただ、黒馬を奪いたかっただけだろう。取られそうになってそんな嘘をついたのだ。

 何が英雄だ、最強の騎士だ。馬が取られそうででまかせを言うなんて、ジークフリートも大したことがない奴だ。

 厩舎係のあの女も、ジークフリートに惚れてたに違いない。黒馬を献上して、惚れた騎士を手に入れたかったのだろう。

 これだから平民の女はくだらない。ちょっと見た目がいいだけの男に気に入られたいがために、希少な黒馬を差し出すなんて。

 あの馬は、僕のだ。自分が先に目をつけて手綱を取ったのだ。

 騎士が欲する馬ならば、上官たちが自分より先に得ようとするだろう、ということはマカセの頭にはない。
 あるのは平民に奪われた黒馬を奪還する、それだけだった。

 マカセは後ろに控えた男たちに合図をした。

 屈強な男たちがのそり、とクロエに近づく。

 伯爵家に仕える男の中でも選りすぐりの剛腕の持ち主たちだ。いくらあの黒馬でも、手も足も出まい。

 もうすぐだ。もうすぐであの黒馬に乗れる。皆が自分を羨望の眼差しで見るのだ。あの平民も恐れをなして平伏すに違いない。

 黒馬にまたがった自分を想像し、マカセはニヤつきが止まらない。

 そうこうしてるうちに、男たちが一斉にクロエに飛びかかった──その時だった。

「ぐぉ……っ!」
「ゔ……っ!」

 夜の静寂に、つんざくようないななきとともに男たちのうめき声が響き渡った。

 暗闇に目が慣れたはずのマカセでさえ、一瞬何が起こったのかわからなかった。

 うめき声の後にぶつかるような音が聞こえ、屈強な男たちが地に臥せっている。蹴られたのか踏まれたのか、それとも噛まれたのか。

 何をされたのか分からないが、とにかく彼らがしくじったことだけは分かった。

「お、おい、お前たちっ! 早く起きろ!」

 マカセは焦った。

 黒馬の嘶きで厩舎係に気づかれたかもしれない。気づかれなかったとしても、他の馬が起きてきている気配がする。

 危険だ。早くここから離れなければ。

 しかし男たちを置いていくわけにもいかない。
 最悪、ニッツェ伯爵家とは関係ないと言い張るにしても、男たちが白状してしまえばマカセに疑惑の目が向けられることになる。そうなったら終わりだ。

 気絶や悶絶している男たちを必死に起こそうとしているマカセだったが、背後に得体の知れない気配が近づくのを感じ、その手を止めた。

 黒馬だ。なぜだか分からないが分かる。黒馬がこの世のものとは思えない気配を纏い、自分の背後にいる。

 プレッシャーが、荒い鼻息とともに背中を刺すように降り注ぐ。とてもじゃないが振り返れない。

 これが黒馬……特殊馬と呼ばれる理由が今なら分かる。分かると同時に、マカセは宙を飛んだ。

 ──いや、。クロエによって。

 昼間よりも数段強い蹴りを受け、マカセは干し草の上で完全に伸び切ってしまった。

 クロエは彼が動かないことを確認すると、鼻をひとつ鳴らし、再び丸くなって眠り始めた。

 睡眠を妨害され、気が立った他の馬たちが彼らに襲い掛かっているが、クロエにとってはもうどうでもいいことだった。

 ──翌朝、干し草にまみれ、全身ボコボコに踏まれた跡のあるマカセと数人の男がテーアによって発見された。

 彼らが厩舎場を出入り禁止になったことは言うまでもない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結保証】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】

皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」 「っ――――!!」 「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」 クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。 ****** ・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。

今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました

四折 柊
恋愛
 子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)

口は禍の元・・・後悔する王様は王妃様を口説く

ひとみん
恋愛
王命で王太子アルヴィンとの結婚が決まってしまった美しいフィオナ。 逃走すら許さない周囲の鉄壁の護りに諦めた彼女は、偶然王太子の会話を聞いてしまう。 「跡継ぎができれば離縁してもかまわないだろう」「互いの不貞でも理由にすればいい」 誰がこんな奴とやってけるかっ!と怒り炸裂のフィオナ。子供が出来たら即離婚を胸に王太子に言い放った。 「必要最低限の夫婦生活で済ませたいと思います」 だが一目見てフィオナに惚れてしまったアルヴィン。 妻が初恋で絶対に別れたくない夫と、こんなクズ夫とすぐに別れたい妻とのすれ違いラブストーリー。 ご都合主義満載です!

訳あり侯爵様に嫁いで白い結婚をした虐げられ姫が逃亡を目指した、その結果

柴野
恋愛
国王の側妃の娘として生まれた故に虐げられ続けていた王女アグネス・エル・シェブーリエ。 彼女は父に命じられ、半ば厄介払いのような形で訳あり侯爵様に嫁がされることになる。 しかしそこでも不要とされているようで、「きみを愛することはない」と言われてしまったアグネスは、ニヤリと口角を吊り上げた。 「どうせいてもいなくてもいいような存在なんですもの、さっさと逃げてしまいましょう!」 逃亡して自由の身になる――それが彼女の長年の夢だったのだ。 あらゆる手段を使って脱走を実行しようとするアグネス。だがなぜか毎度毎度侯爵様にめざとく見つかってしまい、その度失敗してしまう。 しかも日に日に彼の態度は温かみを帯びたものになっていった。 気づけば一日中彼と同じ部屋で過ごすという軟禁状態になり、溺愛という名の雁字搦めにされていて……? 虐げられ姫と女性不信な侯爵によるラブストーリー。 ※小説家になろうに重複投稿しています。

【完結済】侯爵令息様のお飾り妻

鳴宮野々花@書籍4作品発売中
恋愛
 没落の一途をたどるアップルヤード伯爵家の娘メリナは、とある理由から美しい侯爵令息のザイール・コネリーに“お飾りの妻になって欲しい”と持ちかけられる。期間限定のその白い結婚は互いの都合のための秘密の契約結婚だったが、メリナは過去に優しくしてくれたことのあるザイールに、ひそかにずっと想いを寄せていて─────

このたび、あこがれ騎士さまの妻になりました。

若松だんご
恋愛
 「リリー。アナタ、結婚なさい」  それは、ある日突然、おつかえする王妃さまからくだされた命令。  まるで、「そこの髪飾りと取って」とか、「窓を開けてちょうだい」みたいなノリで発せられた。  お相手は、王妃さまのかつての乳兄弟で護衛騎士、エディル・ロードリックさま。  わたしのあこがれの騎士さま。  だけど、ちょっと待って!! 結婚だなんて、いくらなんでもそれはイキナリすぎるっ!!  「アナタたちならお似合いだと思うんだけど?」  そう思うのは、王妃さまだけですよ、絶対。  「試しに、二人で暮らしなさい。これは命令です」  なーんて、王妃さまの命令で、エディルさまの妻(仮)になったわたし。  あこがれの騎士さまと一つ屋根の下だなんてっ!!  わたし、どうなっちゃうのっ!? 妻(仮)ライフ、ドキドキしすぎで心臓がもたないっ!!

処理中です...