上官は秘密の旦那様。〜家族に虐げられた令嬢はこの契約結婚で幸せになる〜

見丘ユタ

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2章

58.負けた……

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 ジークフリートに叱り飛ばされることを想像し、アルティーティはぎゅっと目をつむった。

 しかし聞こえたのは、いつもの怒号ではなく深いため息だった。

「こっちを見ろ」
「で、でも……」
「アルティーティ」

 不意に名前を呼ばれて胸が飛び跳ねた。

 彼女の本当の名を呼ぶ人間など数えるほどしかいない。母、父、師匠、そしてジークフリート。
 母は死に、父は没交渉、師匠とは今は会えない。ジークフリートに至っては、リブラック家に婚約の挨拶をした時だけ名を呼ばれただけだ。

 今呼ばれたのも、カモフラージュだとわかっている。他意はない。そう理解していても諭すように優しく呼ばれれば、どきりとしてしまう。
 
 うつむき、まごまごしているアルティーティの顎に彼の手がかかる。視線が合うように顎を持ち上げられ、吸い込まれるように彼の瞳を見つめた。

 見つめ合うふたりの周りで小さく黄色い声が上がる。しかしアルティーティの耳には届かなかった。

 燃えるような赤い瞳が至近距離で覗き込んでくる。彼同様、強い光を持った瞳だ。

(やっぱり、さっきの宝石に似てる……ううん、違う。こっちの方が綺麗……)

 一瞬そんな考えが浮かび、慌てて目を逸らした。

 綺麗、だなんて何を考えている。男性に失礼だ。こんな変なことを考えるのも、全部この空間が特殊だからだ。いつもの厳しい訓練を、鬼上官っぷりを思い出せ。

 平常心を取り戻そうと躍起になっていると、ジークフリートの声が降り注いだ。

「俺が女に金を出させるような男に見えるのか?」
「え、や、でも……」
「でも、じゃない。どうなんだ?」

 咎めるような口調に、アルティーティはバツが悪そうに唸った。
 ケチとかそういう話ではない。自分で払えないという話なのだが、どうにも伝わらない。

「……見えないです」
「見えないなら、男からのプレゼントくらい素直に受け取っておけ」
「ぷ、プレゼント?! わたしに?!」

 聞き間違えたのかと思い、素っ頓狂な声を上げてしまった。冷徹な鬼上官の口から、まさかプレゼントなんて可愛らしい言葉が出てくるとは。

 目を瞬くアルティーティに、ジークフリートはうなずいた。

「ああ、おま……アルティーティは頑張っているからな。これくらい貰ってもバチは当たらん」

 そう言って頭を軽く撫でてくる。

(が、頑張っている……?!)

 アルティーティはさらに激しく動揺した。

 プレゼントだけでも驚きだが、その上労いの言葉まで出てくるとは。

 日頃なにかと雷を落としてくる彼からは、全く予想もつかない言動の数々に思考が追いつかない。

 ──それとも、これは演技か。

 自慢ではないが、女らしさはかけらもない。髪も短く胸も笑えるほどない。
 貴族に必要な教養もない上に、淑やかとは対極の存在だと自負している。

 女性らしさがよくわからないアルティーティにはこの場が少し居心地悪かったが、それをメイドやスタッフたちもアルティーティに対して感じていたとしたら、どうだろう。

 そしてそれを、ジークフリートが感じ取っていたとしたら──。

 彼なりに、アルティーティの女性らしさを引き出そうとする、あるいはアルティーティから目を逸らさせようとするのではなかろうか。

 だとすればそれは成功だ。
 先ほどから、メイドたちは伏し目がちにことの成り行きを見守っているし、スタッフたちに至っては小声でキャーキャー言っているのが聞こえてくる。

 彼女たちの視線はジークフリートに向けられていて、アルティーティはそのついで、という感じだ。

 そう思うと、一瞬舞い上がってしまった自分が少し恥ずかしい。

(もう、隊長ったら! あんなに真剣に言われたら、誰だって本気で言ってると思うわ!)

 しかしよくよく考えてみると、遊撃部隊はなんでもこなす部隊だ。アルティーティにはまだ経験がないがスパイ活動も含まれる。
 ならばジークフリートの演技力が高いのもうなずける。

(……あれ? ってことは……?)

 アルティーティはハッとしてジークフリートを見上げた。

(もしかして今、わたしの演技力が試されているのでは……?!)

 偶然ひったくりを捕らえた話も、後々聞いた話では「新人に女装させて囮にした」という普通の人が聞けば眉をひそめるような内容になっていた。

 しかし騎士団、とりわけ遊撃部隊の中での評価は違う。

 曰く、『歴戦の騎士を囮にするのではなくあえての新人。立ち振る舞いから滲み出る騎士らしさを薄めたからこそ、犯人を捕まえられたのだろう』というのがおおよその評価だ。

 これにはアルティーティは苦笑いだったが、周りは大真面目だった。むしろ「女装要員が増えたわ!」となぜかミニョルに喜ばれた。

 それくらい囮や女装が普通のことなのだろう。ミニョルの言葉からして、今後も女装が必要になることがありそうだ。

 もしかしたら今日連れてこられたのも、ただかりそめの新居を見せるだけではなく、演技力向上のためなのかもしれない。

 そう思うと、この熱い眼差しも頭を優しく撫でる手も「お前にここまで演技できるのか?」と言われているような気がしてくる。

 実際はジークフリートは演技などしてないのだが、アルティーティはこれを自分への挑戦状と受け取った。

(契約結婚までしてもらってるし、遊撃部隊の騎士としてもこの演技指導は受けて立つべし!)

 アルティーティは決めた。この場をジークフリートの婚約者らしく、いやせめて貴族令嬢らしく振る舞ってみせよう、と。

 無言でメラメラと闘志を燃やしていると、ジークフリートは頭を撫でる手を止めた。

「……それとも、俺から貰うのは嫌か?」

 無表情だが、珍しく声がうわずっている。

 さすが遊撃部隊の隊長だ。演技だと信じて疑わないアルティーティは感心した。

 きっと遠巻きに見守るメイドたちも、ジークフリートが珍しく弱気になっていると驚いてることだろう。

 アルティーティは貴族令嬢としてのなけなしの記憶を頼りに、下ろされた彼の手に自分のそれを重ねた。
 
「……うれしい、です。ジーク様」

 うまくできる自信はないが、ゆっくりと微笑みかけてみる。

 テーアのはにかんだ微笑が思い浮かぶ。きっと彼女も、ジークフリートからプレゼントを受けたらまたあの時のように顔を綻ばせるのだろう。

 そう思うと突然、胸がチクリと痛んだ。

(ん? あれ……? なんか痛い……?)

 痛んだあたりを手で押さえるが、痛みが続く様子もない。刺すような痛みだった割に血も出ていない。

 気のせいか、と再びジークフリートに笑顔を見せようと顔を上げた。

 ──彼と目があった瞬間、アルティーティは彼が鬼上官であることも、笑顔を作ることすらも忘れた。

「ならいい」

 いつもの仏頂面でもない。しかし、片眉の下がった困り顔の笑顔でもなかった。

 口角が少し上がり、優しく目尻の下がった笑み。
 まるでアルティーティを慈しむような神々しい微笑みに、先ほど痛んだところが今度は縮んだ気がした。

「ありがとう、ございます……?」
「ん」

 惚けたままに礼を言うが、わずかにうなずく彼の仕草にまたも心臓がギュッと縮む。

 自分から重ねた手を、思わずサッと引っ込めた。しかし手に残ったぬくもりは残ったままだ。

 そのほのかな熱が何倍にも膨れ上がり、アルティーティの頬を火照らせた。

(負けた……完敗だわ……)

 ジークフリートは若くして遊撃部隊の隊長を拝命されるような男だ。長らくそうした仕事に従事した男と、配属後一年未満の自分。

 張り合う方がどうかしている。今更ながら後悔した。

 見れば周りのスタッフやメイドまでも、一瞬垣間見えた微笑みに赤い顔でため息を漏らしている。

 「あのジークフリート様が笑った」と驚きの声の中に「かわいらしい」などと聞こえてくるが、今のジークフリートはどう控えめに言っても格好いい。何をしても様になるとは思っていたが、まさか笑顔ひとつで皆を虜にするとは思ってなかった。

「お話はまとまりましたか?」

 彼の微笑みを見なかったのか、ギルダがにこやかに話しかけてきた。先ほどよりも満面の笑みだ。

「は、ハイっ! こ、これにします!」

 アルティーティは演技など忘れて大きな声でうなずいた。

 ギルダの笑いがさらに生温かいものになった気がする。そのことが一層、アルティーティの頬を赤くさせた。

 すると、今まで遠巻きに見ていたスタッフたちが我先にとアルティーティに駆け寄った。

「ではこのネックレスに合わせてドレスもお作りしましょう!」
「え? あ、ちょっ」
「イヤリングも揃いで必要ですわね。こちらと同じ宝石がないか宝石商に問い合わせてみますわ!」
「いや、そこまでしていただくわけには」
「この色に近い服ならばこちらで取り揃えておりますわ!」
「こちらの靴はいかがでしょう? 控えめなデザインですが、きっとお似合いですわ!」

 なぜかより熱心に売り込みに来る彼女たちに、アルティーティは右往左往し始める。

 ジークフリートにうっとりしていたはずなのに、なぜこちらに来るのか。ギルダと同じような生温かい笑顔を向けられているのはなぜなのか。どうしてこうなった。

 先ほどよりもさらにもみくちゃにされ、アルティーティはジークフリートに助けを求めた。

「助けてくださいー……」
「少しは辛抱しろ。これが終わったら客が来る」

 囲まれるアルティーティから距離をとりつつ、彼は答えた。

(客……って?)

 気になりつつも、優しい眼差しで見守る彼の視線に耐えられなくなり、アルティーティはそれ以上何も聞けなかった。

 ──アルティーティもジークフリートもこの時は気づかなかった。この空気の中でたったひとり、厳しい視線を向けている者がいることを。
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