約束のあやかし堂 ~夏時雨の誓い~

陰東 紅祢

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幸之助と鞍馬と真吉.参

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 そうこうしている内に一年が過ぎ、二年が過ぎ、やがて幸之助も立派な青年と呼べる年齢になった。

 この日は、蒸し暑い真夏の夜。母屋から離れ、比較的涼が取れる納屋の片隅に丸くなって夜回りに行った真吉を待つ幸之助の元へと、鞍馬が様子を見にやってきた。

「おう、幸之助。起きちゅうか?」
「……何しに来たんですか」
「何じゃ、来たらあかんがか?」
「別に、そう言う訳じゃありませんけど……」

 ぷいっと顔をそらし、納屋の外を見る幸之助の後姿があった。
 知らない間にすっかり大きくなって素っ気なくなったなと、この時鞍馬はしみじみと感じてしまう。

「何しゆうが?」
「今日は主が夜回り組なんです。もうそろそろ帰ってくる時間なんですけど、全然帰って来なくて……」

 そわそわと外を見つめる幸之助に、鞍馬はぽんと彼の頭に手を置いた。

「おんしはほんま、真吉殿が好いちゅうがやね。よっしゃ、ほんならわしが見てきちゃろう」

 そう言うと、鞍馬は幸之助の返事を聞く前に納屋を飛び立ち、村の方へと飛んでいく。
 そして……そこで見てしまったのだ。軒並み並ぶ民家の物陰で、刀の鍔を押し上げたまま待ち伏せをしていた村役場の侍たちが、夜回り組として提灯片手に帰宅してくる真吉を素早く切り捨てるところを……。

「!」

 鞍馬は咄嗟に言葉にならず、上空で固まってしまった。
 本当に、瞬く間の出来事だった。声をかける事はおろか、刀を振り上げる侍を止めるために動く隙すらないほどに。鞘から抜き身の刃が月明かりに煌めき、その切っ先が残像を残して振り下ろされる。

 僅か数秒の出来事だった……。

 脇差を一つも持たず、不意を突かれた事で成すすべもなく真正面から腹部までバッサリと斜めに切り捨てられた真吉は、血を噴き出しながら仰向けに倒れ込む。そんな真吉を侍たちが足蹴にし薄笑いを浮かべている事に空恐ろしさを覚えた。

「これでようやく鬱陶しい奴がおらんなって、この村も落ち着くやろ」
「こいつのおかげで、村の評判は悪くなる一方やったきねゃ」
「まぁ所詮、平家の落ち武者。よそもんがデカい面してのさばり続けて、偉い目障りじゃ」

 声を上げて笑う侍たちの言葉は、肌が泡立つほどの憎悪を感じさせた。

 侍たちは景気づけにと近くの居酒屋に何事もなかったかのように入っていくのを見届け、鞍馬は初めて人に対して憎しみを覚え、固く拳を握り締めた。

 この事実を、どう幸之助に伝えればいいのか分からない。

 鞍馬は握り締めた拳が小刻みに震えているのを感じながら、目を見開いたまま捨て置かれた真吉の傍に舞い降りる。

 これは、どうあっても助かりはしないだろう。

 鞍馬は眉根を寄せて唇を噛み締めると、真吉は苦し紛れに短い息を吐きながら震える手を持ち上げた。

「……っ。お……おヨネ……こ、幸、之助……」
「……っ」

 ぶるぶると震える真吉の手は、真っすぐに空の月を掴もうとするが如くに伸ばされ、真吉はその月を溢れる涙を流しながら目を見開いて見つめた。

「……すまぬ。幸之助……すまぬ……おヨネ……」
「真吉……っ!」

 たまらず、鞍馬は真吉の手を取り両手で握り締める。
 鞍馬はあやかし。真吉には鞍馬の姿を見ることも触れる事も叶わないのだが、それでも最期のこの瞬間は手を取らなければと思った。

「……すまぬ……守……って、やれん、か……った……」

 最後は短く息を吐くのと同時に言葉は発せられ、真吉は見開いていた目を閉じて息を引き取った。

「……っ」

 鞍馬はどうしようもなく悲しくて、この時初めて人の為に涙を流した。
 力尽きて地に落ちた真吉の手を握る形で固まったまま、やるせない思いに包まれる。

「どういてじゃっ! どういて真吉が斬られにゃいかんがぜよっ!! こいつは、ただバカやっただけで何も悪いこたぁしとらんやいかっ!!」

 胸の奥から込み上げる感情をそのまま、握り締めた拳に額を押し付けて涙を流しながら叫んだ。

 こんな事、どうやって伝える? 真吉を信頼しきっている幸之助とおヨネにどう伝えればいい?

「何でじゃぁ……っ」

 鞍馬はその場に頭を押し付けるように蹲り、地面を殴った。

 幸之助と出会ってからずっと黒川の一家を見守り続けている内に、鞍馬は知らず知らず彼らに情が湧いていた。本当に真吉はバカだと呟きはするものの、そこにはいつも愛情が含まれていた。

 なんだかんだ言って、自分も真吉の事が大好きだったんだと初めて気づかされた瞬間でもあった。





「あ、鞍馬。主は?」
「……」

 それからしばらくしてようやく幸之助の待つ納屋に戻った鞍馬に、何も知らない幸之助は嬉々として訊ねて来る。そのあまりに純粋な顔に止まったはずの涙が再び零れ落ちそうになり、思わず顔を伏せた。

「幸之助……あ、あの、な……」
「……鞍馬?」

 喉の奥が詰まって上手く言葉が出てこない。
 ここを立つ前に見た鞍馬とは違う雰囲気の彼に、幸之助は不思議そうに首を傾げて声をかけて来る。

 自分がこんなんではダメだ。しっかり状況を伝えなければ。自分にはその責務がある。

 鞍馬はぐっと歯を食いしばり拳を強く握りしめ大きく息を吸い込む。そしてすっと顔を上げるといつもと変わらぬ顔をして見せた。

「い、いやぁ、どこにおるか全然分からんかった! 真吉殿はどこを周りゆうがやろうねゃ?」
「……そう、ですか」
「……っ」

 やはり言えなかった。どうしても真実を言えなかった。
 人間に対する憎悪も、ギリギリで堰き止めている涙も、止めどなく溢れ出してしまいそうで怖かった。
 それを抑え込ませたのは鞍馬の真吉と幸之助に対する想いからだった。

 人間を憎むことを嫌がる真吉。その真吉に絶対的な信頼を寄せる幸之助。

 真吉の努力と幸之助の純粋な想いを乱すことの方が怖くなった。そしてそんな二人に対して、勝手に興味を持ち見守ってきただけのよそ者である自分が、あけすけに悪戯に話していいことじゃ、ない。

 喉の奥まで出かかった言葉を飲み込んだ鞍馬の前で、再び納屋から顔を覗かせ主を待つ幸之助の後姿に頬に堪らず涙が伝う。
 一歩後退り、鞍馬は嗚咽を堪えながら心の中で二人に詫びた。

(……すまざった。幸之助……わしは何の力もない、真実を伝える事さえ出来んただの臆病者じゃ。おんしの大事な人を守ることが出来んかった。目の前で殺される真吉を、見ている事しか出来んかったんじゃ……)

 手の平から血が流れるほど震える拳をきつく握りしめた鞍馬の胸には、この時二人に対する深い懺悔の気持ちと真吉の無念を汲むための誓いを刻んだ。

 幸之助だけは、自分が必ず護り見守って行くと。




                  ◆◇◆◇◆



「……」

 私は、鞍馬からその話を聞いて涙が止まらなかった。

 鞍馬はずっと、幸之助だけじゃなくて真吉さんやおヨネさんも見守ってきていたんだ。真吉さんの最期の瞬間も看取るような形になって……。

 今でこそ澄ました顔で話してくれる鞍馬の心情を思えば、胸が締め付けられないわけがない。

 はぁ、と長い溜息を吐いた鞍馬は、ポンと自分の膝を軽く叩く。

「……まぁ、こん事は狸奴も知らん事やきねゃ。ただ辛い思いをするだけやし、今更もう知る必要もないろう」
「鞍馬は、だから幸之助の傍にいてくれるんだね……」
「こん事実を言えん事の、ちっくとした後ろめたさもあるがじゃ。下手に喋ったら、あいつはきっと人を恨むやろう? そうすれば狸奴の真吉との誓いを必死に守るためにやってきたことが全部無駄になる。間違いなく抜け殻になるやろうし、悪霊にもなり兼ねん」
「……うん」
「あとな。狸奴は賢い子じゃき、ほんまは気付いちゅうんかもしれん。へったくそな嘘しか言えんわしが、ほんまはあの場で見ていたっちゅう事に……」

 「ほんまに、あいつは聡い子じゃき」と言う鞍馬の横顔は力なく笑っていたけど、その横顔から除く憂いが堪らなく辛い。
 もし本当に幸之助が鞍馬の嘘を見抜いていて知らないふりをしているんだとしたら、彼の優しさの深さにも切なさが込み上げて来る。

 あぁ、どうしたらいいの、私……。ただただ、苦しいよ。
 
「お嬢さん、悪いけんどこの事は誰にも言わんといてくれや。あいつの為にも。これを話したんは、お嬢さんがあいつの主やから言うたまでの事じゃ」

 鞍馬は空を見つめたままそう言うと、おもむろにその場に立ち上がった。そして浴衣の袂に腕を入れて手拭いを取り出すと、ずいっと私に差し出してきた。

「まだ使うちゃあせんき、気にせんで使いや」
「あ、あり、がとう……」

 止まらない涙を、貰った手拭いで擦らずに目元を押さえつける。

 切な過ぎて胸が苦しくて仕方がない。込み上げる涙が止められない。油断すると嗚咽を漏らしてしゃくり上げてしまいそうになる。
 
「あぁ、あと……」

 手拭いに涙を吸わせている間に、鞍馬は何かを思いついたように声をかけてきた。

「あんまり周りをすぐに信用せん方がえいで。人っちゅうんは表ではえい顔しちょっても、裏では何を言いゆうか分からん生き物じゃ。全員が全員、えい人か言うたらそうやないきねゃ。真吉のような人間は、むしろ稀有な人間やろう。お嬢さんも、良く人の本質を見極める目ぇを養わにゃいかんぜよ」

 そう言うと、縁側を踏みしめて鞍馬は自分の部屋に戻って行った。

 幸之助を見守り、人間の表裏を目の当たりにしてきた鞍馬の言葉はとても重い。何の疑いも持たずにすぐに人を信じたら足をすくわれる、と言う事を彼は教えてくれているんだろう。

 人を疑って生きることはとても苦しくて辛いことだけど、自分の身を護るためにはやっぱり人を見る目を養わないといけないんだろうな。
 私はまだまだ、その目は養われていないと思う。

 ぽろぽろと零れ落ちる涙がずっと止まらないまま、私は彼が教えてくれたことをしっかり胸に刻み込んだ。
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