モノの卦慙愧

陰東 愛香音

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序章

神隠し

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「ひなを、ここじゃないどこかに連れてって」

 時折吹き付ける風が、バタバタと二つに結んだひなの髪を煽った。

 暗い夜の闇の中。目の前にいるのは神々しい光をまとった一匹の神獣。
 「麒麟」と呼ばれる伝説の神獣が、今、ひなの目の前に立ってこちらを見つめていた。

 何度願ったか分からない願いを、目の前の麒麟が叶えてくれると信じてやまないひなはぎゅっと拳を握り締める。

 互いにそれ以上何を話すわけでもなく向かい合っていた麒麟の、暗い琥珀色をした綺麗な瞳がきゅっと細められ、ぶるっと一度頭を振った。

「……わっ!?」

 その時、先ほどよりも強い突風が吹き、ひなは思わず目を閉じて顔を庇うように腕で覆った。そして風が落ち着いたころに恐る恐る麒麟方へ顔を向けると、そこには獣の姿ではなく青年の姿をした麒麟が立っていた。

 肩までの金髪と尻尾のように長い朱色の髪。そして頭には黒い角が二本生えている深い紫色の着物を羽織った彼が先ほどの神獣であることはすぐに分かる。
 閉じていた瞳を開き、琥珀色の目が再びひなを捉える。

「……ひな。君の願い、いつも聞こえていたよ。今一度問おう。君はなぜ、ここではない場所に行きたいと願うんだ?」

 真っ直ぐ見下ろしてくる麒麟に、ひなはたまらず自分の服の裾を掴んだ。

「……ひなは、普通の人じゃないの。普通の人には見えない物が見えるの」
「そう言う人間は大勢いるだろう?」

 麒麟がそう答えると、ひなはぎゅっと目を閉じて首を横に強く振った。

「違うの。ひなは幽霊とかだけじゃなくて、妖怪も見えるの。それに変な力もあるの」
「変な力?」
「よく分かんない。でも、急に電球が壊れちゃったり、窓にヒビが入っちゃったり。そのせいで皆気持ち悪いって、怖いって、ひなから離れてっちゃった……」

 感極まったのか、閉じていた瞳からボロボロと大粒の涙が零れ落ちる。
 麒麟は、時折しゃくりあげながら零れる涙を両手でぐいっと拭うひなの傍に歩み寄ってしゃがみこむと、着物の袂から手拭いを取り出しひなの涙を拭う。

「……その力は、いつも出て来るのかい?」

 そう訊ねれば、ひなは「分からない」と首を横に振った。
 何度も目元を拭うその手を麒麟が取ると、バチッと強い衝撃が指先から走り抜ける。

「……!」

 麒麟はその衝撃に驚いたように目を見張り、再びひなを見つめる。
 ひなは真っ赤な顔で涙がぐしゃぐしゃになったまま麒麟を見つめ返している。
 涙に塗れた茶色の瞳の奥に一瞬縦長に赤い光が見える。麒麟はその光を見逃さず、ハッとなって目を見張った。

「お願いぃ……連れってってよぉ……。ひな、ここにいる意味ないもん。お母さんもお父さんもいないし、お爺ちゃんやお婆ちゃんはひなのこと気持ち悪いって……」

 しゃくりあげ続けるひなに、麒麟は握っていたひな手に僅かに力を込めた。

「……ひな。神隠しを、知っているかい?」
「神、隠し?」
「何の痕跡もないまま、ある日突然いなくなってしまうことだよ。ひなは、その神隠しを望むんだね?」

 もう一度確かめるように訊ねれば、ひなは迷うことなく大きく首を縦に振った。
 何の迷いもない、真っすぐな眼差し。麒麟はその眼差しにきゅっと目を細め、そっと閉じる。そしてゆっくりと腕を伸ばして彼女を抱き寄せると、ひなは一瞬驚いたように目を見開いた。

「……」

 麒麟が彼女の耳元で小さく何かを囁くと、ひなはすぐに目を虚ろにさせて目を閉じ、スヤスヤと眠りにつく。

「……ひな。君に新しい世界をあげよう」

 麒麟は愛おしそうにそう呟くと、ひなを抱きしめた。
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