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第二章
好きと嫌いと
しおりを挟む夕貴の顔がはっきり見える。後ろの天井と、家具たちも。
夕貴に伸ばされた手のひらは、確かな体温が流れている。
「大丈夫!?」
「サエ先輩…」
そのまま服を着せられて、抱き起こされるのだと思った。
必死の顔で駆け寄った夕貴は、綾の予想に反して綾の顔面を掴んだ。
「もう!なんでこんなことになったん!?」
「え、なんでって…春人が、突然来て…」
「それでなんで部屋の中におるんよ!?」
ううう、怒声が頭に響く。
目をちかちかさせながら、綾は答えた。
「春人が鍵を、持ってたんですよ。それで無理矢理…」
「鍵放置してたん!?ユウちゃんどんだけおぼっちゃんよ!」
説明すればするほど夕貴のテンションはヒートアップしていくようだった。鍵は常に携帯しろ、一人で帰るな、自分を頼れ、ひとしきり説教され、最後は自分がどれだけ綾のことを思っているかを延々と述べあげて、夕貴はようやくテンションを下げた。
「あーもう…ハルくんが鍵開けっ放しやったからいいものの、閉まってたら助けられんかったんよ?」
「はい…」
「ユウちゃん可愛いねんから自覚もっと持たんと。ほら、シャワー浴びにいこ!」
ここでやっと抱き起こされ、風呂場へと誘導された。
シャツを脱がされて、タオルを出して、着替えの場所も指定した。夕貴は誇張なく、全ての世話をするつもりらしかった。綾はその気力もなく、またそうしたことにも慣れていたので、されるがままに夕貴の動きに従った。
「じゃあ俺、シャワー浴びてきます」
「あ、ちょっと待って」
風呂場の扉に手をかけ振り返ると、ふわりと体温に包まれた。
捲り上げた袖から出ている素肌と、自分の肌が触れ合う。そういえば、最後に抱きしめられたのはいつだっただろうか。昔は窮屈なほどよく抱きしめられていたのだけれど。
「ユウちゃん、これからはほんまに気をつけるんだよ。もしハルくんにヤられたら、そのまま性奴隷にされちゃう」
「…はい」
「ハルくんだけじゃないよ。誰だって危ない。ユウちゃんはユウちゃんなんだから」
「わかりました」
「信頼する人は、よく見極めてね。でないとすぐにヤられちゃうよ」
するり、後ろの穴を撫でて、夕貴は綾を押しやった。
「……ッ……」
わざとシャワーの温度を高めに設定して、綾はそれを頭からかぶった。熱さに目が覚めたのを確認して、一旦水流を止める。ポタポタと、落ちる水滴の音だけが室内に響いた。
(そういえばサエ先輩、どうやってここ来たんだろう…)
部屋の番号は涼樹たちしか知らないはずだ。千智にも教えていない。春人は何を知っていてもあまり驚かないけれど。大方親にでも聞いたか、調べたかしたのだろう。個人情報、ダダ漏れ。
かたん、脱衣所から音がした。夕貴が着替えを置いて出て行くのが磨りガラス越しに見えた。
ぼんやりと考えて、ふと目線を上げると鏡に映った自分の身体が目に入った。
華奢な白い体。恵まれて育ってきたので至って健康で、無駄な肉はほとんどついていない。良いことなのだが、抱き心地は良いとは言えないだろう。女子受けする筋肉も、別にない。
(なんで、あんなに俺に執着するんだろう?)
もう二日も続けて痴態を晒して、他人に触られてないところがなくなってしまった。この世の至高品だから、誰にも触られないところに保管されたはずなのに。
16年間付かず離れずだった人との距離が、ここへ来て数日も経たないうちにほとんどゼロ距離になっている。
確かに望んでいたことではある。
深く関われる相手が欲しいとずっと願ってきた。物心がついて、周囲のことがよく見えるようになってから、その思いはずっと綾の中心に存在していた。
転校することが決まって、きっとその願いが実現すると喜んでいたのに。
(でもこういうことじゃないよ…!今日なんて、俺、自分から…)
途端に、鏡の中の自分が恥ずかしいものに思えてきた。下がっていた体温が再び上がってくる。
慌ててシャワーのコックをひねる。熱い水流を気にも止めず、綾は呼吸を荒くした。
ボディソープで匂いを流す。その辺のドラッグストアでは売っていない、特別なボディソープ。綾の肌を守るために購入されたそれに、綾は少し感謝した。
温度を下げたシャワーを浴びて、一息つく。汗とともに残った白濁を洗い流し、磨りガラスの扉を開けた。
「…んで、なんでココにおるンや。お前部屋帰ったんとちゃうかったンか?」
「帰ったよ。カッちゃんが勉強するって言ったからつまんなくて、ユウちゃんとこ遊びに来たん」
「あ?アイツお前ンとこ行ったんやろ?」
「うん。送ってくれて、上がってもくれたけど、しばらく話して帰った」
「なンや、レスかお前ら」
「っち、ちゃうよ!月に2、3回くらいはシてるし、俺が言ったらちゃんと応えてくれるもん」
シャワーからあがると、部屋が物品で埋め尽くされていた。
ついでに、客も一人増えている。
「なにこれ?…っていうか、千智先輩いつの間に?」
火の付かない煙草を加えた千智が大きなペットボトルをダンボールから出し、綾に手を振った。ぺこり、会釈しつつも彼が手をかけている箱を見て、綾は瞬時に状況を把握する。
髪を拭くのもそこそこに、慌ててそのそばに駆け寄った。
「す、すみません!すっかり忘れてた…!」
「おう、勝手に店開きしとるで。サエ、これ冷蔵庫」
「わわわ、良いですよ置いといてくださいっ!自分で何とかするんで…!」
冷蔵庫の扉を閉めた夕貴が、微笑みながら首を振った。
「ええよええよ~、もう終わるし。ユウちゃん、シャワー長かったね?」
「あっ、その…なんていうか、しっかり洗いたくって…」
最後の方はごにょごにょと濁す。
机の上に広げられていたのは菓子類と、生活必需品の数々だった。
綾が好きなものと、食べさせられていたもの。それらを見ると懐かしいような、嬉しいような、複雑な気持ちになる。携帯充電器があるのはいつでも連絡が取れるようにという魂胆だろうが、まぁ、何にせよありがたい。切手と封筒が山積みなのは、手紙でも寄越せということか。ただでさえ電波上で常にやり取りしているのに、とも思うけれど、たまには綾の体温を感じたいから、なんていう言い訳が聞こえてくる。
そして机上から転がり落ちそうなマスコットやらぬいぐるみたちは、使途と意図が不明だ。一人部屋で寂しくないようにという配慮だろうか?
(それか…、うん、まさかね)
もう机には乗らないくらいになってから、最後に最も大きな箱が出てきた。
思わず声をあげた千智が取り出したのは、最新のゲーム機だった。
「わぁー!!すごいすごいユウちゃん!これ俺欲しかったやつ!」
「うわぁ…ご丁寧にソフトまで…」
「こんなモンここじゃ買えンで。ユウちゃん、コレはもう諦めるしかないな!」
ぽん、肩に手を置かれる。
見上げた千智の顔は、まさに満面の笑み。
「今日からこの部屋が、俺らの溜まり場や」
「え、えぇええええ~」
綾の叫びも虚しく、上機嫌の夕貴は早速コンセントを繋いだのだった。
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