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幸せのリリィ
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しおりを挟むフレンチトーストが好き。甘いチョコレートも。砂糖を固めたメレンゲなんて、もっともっと好き。
学内一のイケメンと噂されていた彼に猛烈なアプローチをかけていたあの子の名前はなんだったっけ。いつでも目ぼしい男性にしなを作って寄り添っていた彼女を見つめながら、友紀はいつも隅っこで甘いお酒を唇に乗せて彼女がこちらに来るのを待っていた。甘いものならここにあるよ。好きなものばかりで満たして、とびきり甘やかしてあげる。毎晩毎晩同じことばかり考えていた。ついぞ、同じサークル仲間から昇格することはなかったけれど。友人にすらなれなかったのはきっと幸運だったと今なら思う。
「こんにちは」
「あっ、こんにちは。暑くなってきましたね」
今朝見た夢にふと出てきた彼女のことを思い出して、洗濯物を干す手を止めたタイミングで例の配達員がやってきたので、友紀は慌てて頭を下げた。うっかり彼を待っていたみたいになってしまって、ひとり気恥ずかしい。ごまかすように持っていたシャツのしわを取るふりをした。
「今日は少し遠出なんです。皆さん、御中元の時期で」
「そっかぁ、そうですよね。たくさん回らなきゃいけないんだ」
「お宅はどうですか?運びますよ、ぼく」
「あはは、うちは…いいです。そういうの、しなくて」
友紀は微笑んで、配達員の彼を見た。
「また、お願いするときが来たら。ありがとう」
「はい。ぜひ、お待ちしてますね」
制帽を掲げて、彼は再びカートの繋がった自転車をこぎ始めた。
小さい車輪がアスファルトの道を削り、ガラガラと音を立てる。これから灼熱の太陽が彼を苦しめて、白い肌は小麦色に焼けていくのだろう。
「海に行きたいなぁ。ね、ハナコ」
友紀の問いかけに、ハナコは一瞥して興味がないと返事をした。
友紀が生まれ育った家には、大きな松の木が生えていた。住宅街に似つかわしくない木々は夏も冬も尖った葉を茂らせていて、いつも母が掃除に苦労していたのを覚えている。結局、一度もその掃除を手伝わないまま家を出ることになってしまった。ゆくゆくは、なんてそんなことを考えたこともなかったけれど、いざその機会が失われたとなるとなんだか寂しいような気がする。夏が来るとうるさいくらいに鳴り響いていたアブラゼミの声は小さくなり、外国から来た大きなセミが幅をきかせるようになった。そんな移り変わりでさえ、かの家の庭で感じていたのに。
バリバリバリ、ものすごい音を立てながらハナコが爪研ぎをした。慌ててハナコをソファから追っ払う。不満そうに両耳を後ろにひっくり返して、ハナコは寝室の方に歩いて行った。こういうところがハナコと優子はそっくりだと思う。
今朝は朝食に使う卵がひとつ足りなかったから、優子も両耳を後ろにひっくり返して家を出て行った。行ってきます、とぶっきらぼうに、一応の挨拶だけして去っていく優子の背中に手を振って、友紀は昨日二人でデザートに食べたパイが胃の中でふくれるのを感じた。美味しいと言ってくれた優子の笑顔とともに、井の中で溶かして捨てる。
洗濯物をたたみ終えて、時計を見るとちょうど十二時を指していた。
昼食は何にしようかと考えて、そうめんを茹でることにした。
子どもの頃はご馳走だったそうめんだけれど、今では簡単手抜き料理の代表格である。疲れている時でも「今日は暑いからそうめんね」なんて言うだけで相手を気遣っているふうを装える。互いに嬉しいこの素晴らしい食べ物を、友紀は日本が生んだ最高の発明だと思っている。
きゅうりと、しょうがと、ハム。卵があれば言うことなしだが、致し方なし。沸騰したお湯でたったの二分。冷たい氷で割った麺つゆを用意して、友紀は手を合わせた。いつでもしっかり手を合わせていただきます、と言う友紀の性格を、前の会社の上司はとても褒めてくれた。だから、どんな時でも欠かさず両手を合わせる。つる、つる、つるん。ああしまった、つゆが飛び跳ねて机を汚しちゃう。急いでふきんで拭いて、もう一度。あっという間になくなる白い麺が全てなくなったら、麦茶で最後のシメ。
満足した友紀は皿をシンクに移して、買い物カバンを手に取った。
「さて、ハナコ、ゆきは卵を買いに行ってきます。ちゃんと涼しいところで待ってるのよ」
玄関先に転がっていたハナコのおもちゃを放り投げて、友紀は外への扉を押した。
ーー男なんてねぇ、勝手なもんよ。プライドばっかり気にしなきゃいけない生き物なんかより、あたしの方がいいでしょ。あたしだったらあんたのこと養ってもこき使ったりしないよ。ちゃんと掃 除もするしさ。あんたはたまに贅沢なご飯を用意して、いつでも替えの下着を用意してくれてたらいい。
20パーセントオフのシールが貼られたステーキ肉をかごに入れながら、友紀は優子の好きなものを思い浮かべた。お肉。豆腐。黄色いパプリカ。お味噌汁の具はキャベツが好きで、お雑煮にはお餅をふたつ入れる。友紀が、初めてキャベツの味噌汁を作った時の優子の感動具合はとても可愛らしかった。おわんを掲げる姿があまりにも似合わなくて。両目のキラキラがまるで子どもみたいで。
そういえば、友紀の作るカプチーノも優子はとても気に入っていた。手動の泡立て器で牛乳を泡立たせ、コーヒーの上に乗せる。一杯目はうまくいくのだけれど、二杯目はだいたい力尽きてカフェオレになってしまう。それでも優子にねだられれば、友紀はいつも二杯のカプチーノを用意した。お揃いのイニシャル入りのマグ。ペアリングの代わりに買った、二人だけのひみつ。
卵は特売ではなかったけれど、無事に買えた。
いち、にぃ、さん。
友紀は買い物袋を片手に大きく歩を踏み出した。
自分の影がどんどんどんどん長くなるのを追い付け追い越せ、頭を踏んだらぼくのかち。太陽が沈んで空をオレンジに染めるまで、歩けよ歩け、きみのとなりへ。
無性に店のカフェラテが飲みたくなって、近くのファミリーレストランまで足を運んでやめた。手には大量の食材がある。この子たちを冷蔵庫にしまわなくちゃ、安心してドリンクバーを楽しめない。いぶかしげな店員の視線を無視して、友紀は自宅への道に足を向ける。
春になる少し前、友紀は優子とここへ越して来た。
言い出したのは優子だった。ふたり、三十になる節目に、一緒の家に帰ろうと言った。おかえりと言って欲しい、というのが、優子のプロポーズの言葉だった。友紀は頷いて、その日のうちに両親に打ち明けた。
働いていた会社に退職届を出して、人並みに送別会をしてもらって、友紀は家を出た。
半ば即決で決めたこの場所だけれど、この住所は必要なところにしか伝えていない。優子の会社と、市役所と、ハナコのフードを送ってくれる通販会社。それ以外、この部屋に優子と友紀が住んでいることは誰も知らないのだ。
レンガ風のタイル貼りの壁と白い柵。ヨーロッパみた外観に合うアーチ状の入り口。おとぎ話なら物語のヒロインがきっとここに住んでいて、お茶会なんかを楽しむのだろう。レースのついたエプロン。フリルのシャツ。マカロンやカップケーキが笑顔の少女を出迎える夢を見ながら、現実は生姜焼きに麦茶、たまに緑茶。半額のシールは急いで捨てて、かぐわしい香りに騙されるまま。3LDKの贅沢な部屋は、少女から成長しない二人で寄り添うにはちょうどいいサイズの隠れ家だった。使われない部屋に不要なごみをすべて放り込んで、扉を閉めてしまえばおしまい。
『ごめんね、友紀』
机の上に放っておいたスマートフォンが光って、画面に優子が現れた。昼過ぎになってから謝ってくるなんて、なんて子どもじみたこと。きっとしばらくぐずぐずして、仕事に追われて、頭が冷えて心細くなったに違いない。友紀は暖かい眼差しでその七文字を見つめて、すぐに返事をした。
『こっちこそ、気がつかなくてごめんね。買っておいたよ』
『友紀に行ってきますのキスができなくてさみしかった』
『仕事ミスしちゃった』
『帰ったらなぐさめて』
連続して送られてくる言葉に、どんどん既読のしるしがついていく。
『優子大好きよ。今日はステーキ。お仕事頑張ってね』
『ほんとに!死ぬほど早く帰るわ!』
よしよし、頭を撫でるスタンプを送ると、ハートを飛ばしたうさぎのスタンプが返ってきた。自然と口角が上を向く。
ひと段落とばかりにメッセージアプリを閉じると、ホーム画面に設定した優子の笑顔が目に飛び込んできた。いつかのクリスマスに、夜景の見える展望台で撮ったツーショット。周囲の恋人たちに横目で見られながらはしゃいだイルミネーション。慣れない優子が作ってくれたクリスマスケーキは、形はいびつでサンタが傾いていたけれど、どんな有名店のケーキより美味しく感じた。何年前か、幾度も数え直した幸せな思い出。
ジリジリジリ、セミの声がする。まだお仲間も多くない時分、伴侶に巡り会える可能性は低いだろうにそんなことはつゆ知らず、ただ地面に背をつけるまで彼はきっと声高に鳴き続ける。声のする方向を見てみたけれど、声の主はやはり見えなかった。葉陰に隠れていても声は聞こえる。誰の元にも届く。届いてしまう。そうして子どもに捕まって、狭い籠の中で鳴くのをやめたセミが一体何匹いるんだろう。
いわし雲が、空一面に飛び交っている。
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