かぎしっぽの叩くおと。

Rico.

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幸せのリリィ

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「おはようございます」
 それは、友紀がゴミ出しをして部屋に帰ろうとしたとき。背中の向こうから声がして、友紀は階段にかけていた右足を下ろした。振り返ると、いつもの制服を着た彼が自転車を押して笑顔で立っていた。大きいカートを邪険にするように、通学の学生が大きくふたりを避けて通り過ぎる。
「おはようございます。今日は早いんですね」
「あなたも」
 友紀は表情筋を動かして笑顔を作った。今朝は優子が急に早く来いと呼び出されて、不機嫌なまま彼女を送り出してしまった。つい最近優子が耳をひっくり返して出て行ったと思ったら、今度は自分が耳をひっくり返して背中で伝えた行ってらっしゃい。彼女が出て行ってすぐに後悔して追いかけたが、もうあとの祭り。今日のご機嫌取りは何にしようかと、実は考えていたのだ。
 始めて正面から見る彼の姿をまじまじと見つめながら、友紀は会話を繋ぐようにどうでもいいことを訊ねた。そういえば、今日はまだファウンデーションを塗っていない。
「今日も多いんですか?御中元」
「ああ、いえ、それはこの時期いつもなので。それより、お伝えしたいことがあるんです」
「伝えたいこと?」
「はい。僕、もうここには来ないから」
 そう言って、彼はにこりと微笑んだ。
「最後にこうやって会えてよかった」
「どうして…」
「すきな人に、やっと呼んでもらえたんです。だから、僕、あなたにお礼が言いたくて」
「お礼…?」
「あなたたち二人をよく見ていました。とても仲睦まじくて、羨ましかった。あなたたちに勇気をもらえたから、僕も一歩踏み出せました」
「あなたは…、あなたも?」
「ええ。僕の自分勝手な励ましのために、いつもお話をしてくれてありがとう」
「そうだったんですね…。よかった。楽しかったです」
「いつでも、あなたはきれいだった。きっと満たされているからですね」
「…あなたも、きっとそうなりますよ」
「そうかな…」
 最後に、荷物を運べなくてごめんなさい、と頭を下げて、彼は自転車をこいで行った。友紀はその背を見送らず、音を背に部屋へと向かう。
 ガラガラガラガラ、アスファルトを削る小さな車輪。彼は山を登り、下ったらそのあとは行きたい場所へ行く。白い肌が焼ける前に、消える夏の思い出。彼が行くところは入道雲がちゃんと見えるだろうか。それともビル群の中で小さな空を見つける日々だろうか。どちらでもきっと幸せなんだろう。私がうぐいすの声に微笑んだように。焼けるトーストの香り、訳もなく拘束される時間。散らばった下着にすら愛情を感じ、日々を過ごしていく。
 時計の針がぐるりと回って、優子が家に帰ってきた。
 友紀は菜ばしを一旦置いて、玄関まで駆けていく。おかえりなさい、ただいま。靴を脱ぐのもそこそこに抱きしめたら、触れたところから幸せが流れ込んでくる。この人は幸せでできていて、私にそれをずっと分け与え続けてくれている。いつかこの幸せがなくなってしまって、触れても何も感じなくなるのかも。そうならないように、一生懸命幸せを作り続けるんだ。世界にたった二人きり、あの日誓った愛情は指先一つで思い出せる。繰り返し繰り返し、焼いた写真が色褪せるまで。そうしていつか君は透明の薄い一枚の板になり、弾けて飛んでキラキラ光り、私は幸せな孤独の人になる。
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