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諦めにも似た
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凛と蓮は、ほとんど同時に眩い光の向こう側へと進みました。会話はありませんでした。
ジメジメした暗い空間から、お日様のひかりが燦燦と降りしきる屋外へ出たと言うのに、凛も蓮も体を緊張に染めていました。無言で握り合った手を強く握り直し、肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込みます。ちっとも気持ちいいと思いませんでした。
広場からの声は遠く、随分高いところまで来ていることを示しています。みどりの風は柔らかく、凛の白いワンピースを巻き上げて遊びます。じっとりと汗ばんだ肌は風に冷やされ、平時ならばきっと深く息を吐いたことでしょう。
しかし、凛は無意識のうちに息を吐き出すことを忘れてしまっていました。蓮の髪に絡まった悪戯好きの風は、凛が大好きな香りと戯れて逃げていきました。どこかで小鳥の囀りが聞こえ、懐かしささえ感じます。
塔を無視して向こう側を見渡すと、一面の緑色が広がっていました。
どこか別世界にも思える光景は、凛の目を止めました。
迷い込んでおかしな双子に会ったこと。そこで蓮に助けてもらったこと。白蛇や猿に身体中を舐め尽くされたこと。おかしな蔦に遊ばれたこと。耳に心地よい波音を立てた砂浜で、蓮に膝枕してもらったこと。スパイダーにワンピースを作ってもらう代価を払ったこと。小鳥に啄かれたこともありました。魚に遊ばれたこともありました。蓮をひどく怒らせてしまったこともあります。狭い洞窟のようなところで、ふたり寝転んだこともありました。森での出来事は、長くも短くも感じました。
いっそあの森で動物たちの餌になったとしても、蓮のそばに居たい。そんな風にまで感じてしまうほどです。
しかし、凛を隠すようにして立つ蓮はそれを許しませんでした。ピリピリした空気を全身に纏い、清涼な風が吹き抜けたとて深呼吸するほどの余裕はありません。意図的に視界に入れなかった目の前に聳え立つ塔は、絶望にも似た黒っぽいグレーに染め上て鈍く光り、お日様のひかりさえ拒絶しているようでした。
塔の内部を風が通り抜けるのか、低く恐ろしい呻き声を鳴らして威嚇します。時折ちらちらと鋭いひかりが煌めきました。
ふ、と蓮が息を吐き出します。諦めと苦笑いを含ませたその音に、凛は絶望しか感じませんでした。
「予想的中。衛兵はふたりだけだ」
塔の後ろ側からこっそり身を乗り出した蓮は、背後に隠れる凛に向かって言いました。彼はあの森に帰る気など微塵もないのです。
凛は急激な喉の乾きを覚え、一生懸命喉を鳴らしました。何の効果もありませんでした。
ちらちらと目を刺す光は、衛兵が持った長い槍の先からだと理解すると、凛は喉どころか全身の水分がなくなってしまったように感じました。
衛兵の革靴がアスファルトと砂利をすり潰し、何やらこしょこしょと話しています。
流石に会話の内容までは分かりませんが、アリス、女王…と言った単語が凛の耳にこっそり忍び込みました。心臓が嫌な音を立て、凛の体温を奪います。決して穏やかな会話などではないと、凛は耳を塞ぎたくなりました。
じりじりと焦がす太陽はアスファルトに反射して、凛の背中に汗の軌道を作ります。暑いからではないと、はっきりと感じていました。
「凛、いいね。答えはNOだ」
「待って蓮、お願い、ねぇ、」
「行くんだ。きみは、元の世界に帰るんだよ」
アスファルトにしっかり根を張ってしまった凛の両足は、蓮に腰を抱かれてもビクともしません。
知らずに流れた涙に、蓮は眉を下げました。
「きみのためだ。凛、僕はきみに幸せになって欲しいんだよ。心の底から」
「蓮がいない世界になんの幸せがあるの?…ねえ森に帰ろう?」
「何言ってるの」
至って穏やかに言う蓮は、それでも目の奥に強い光を灯していました。
「凛のことが好きだから、言ってるんだよ」
ぐ、と唇を噛んだ凛は、頷くより他ありませんでした。
お日様に反射する綺麗な髪を風に遊ばせ、凛が一番好きな、穏やかで優しい笑みを浮かべるのです。
最後に見る蓮は、最後に蓮の目に映る自分は、せめて一番いい顔をしたかったのに。凛の幼く可愛らしい気持ちとは裏腹に、顔をくしゃくしゃにして泣きました。近くにいる衛兵に見つからないように嗚咽を堪え、息さえ止める苦しい泣き顔でした。
「また、会えるよ」
誓いみたいなキスは、誰にも見られずそっと始まり、そっと終わりを告げました。
ジメジメした暗い空間から、お日様のひかりが燦燦と降りしきる屋外へ出たと言うのに、凛も蓮も体を緊張に染めていました。無言で握り合った手を強く握り直し、肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込みます。ちっとも気持ちいいと思いませんでした。
広場からの声は遠く、随分高いところまで来ていることを示しています。みどりの風は柔らかく、凛の白いワンピースを巻き上げて遊びます。じっとりと汗ばんだ肌は風に冷やされ、平時ならばきっと深く息を吐いたことでしょう。
しかし、凛は無意識のうちに息を吐き出すことを忘れてしまっていました。蓮の髪に絡まった悪戯好きの風は、凛が大好きな香りと戯れて逃げていきました。どこかで小鳥の囀りが聞こえ、懐かしささえ感じます。
塔を無視して向こう側を見渡すと、一面の緑色が広がっていました。
どこか別世界にも思える光景は、凛の目を止めました。
迷い込んでおかしな双子に会ったこと。そこで蓮に助けてもらったこと。白蛇や猿に身体中を舐め尽くされたこと。おかしな蔦に遊ばれたこと。耳に心地よい波音を立てた砂浜で、蓮に膝枕してもらったこと。スパイダーにワンピースを作ってもらう代価を払ったこと。小鳥に啄かれたこともありました。魚に遊ばれたこともありました。蓮をひどく怒らせてしまったこともあります。狭い洞窟のようなところで、ふたり寝転んだこともありました。森での出来事は、長くも短くも感じました。
いっそあの森で動物たちの餌になったとしても、蓮のそばに居たい。そんな風にまで感じてしまうほどです。
しかし、凛を隠すようにして立つ蓮はそれを許しませんでした。ピリピリした空気を全身に纏い、清涼な風が吹き抜けたとて深呼吸するほどの余裕はありません。意図的に視界に入れなかった目の前に聳え立つ塔は、絶望にも似た黒っぽいグレーに染め上て鈍く光り、お日様のひかりさえ拒絶しているようでした。
塔の内部を風が通り抜けるのか、低く恐ろしい呻き声を鳴らして威嚇します。時折ちらちらと鋭いひかりが煌めきました。
ふ、と蓮が息を吐き出します。諦めと苦笑いを含ませたその音に、凛は絶望しか感じませんでした。
「予想的中。衛兵はふたりだけだ」
塔の後ろ側からこっそり身を乗り出した蓮は、背後に隠れる凛に向かって言いました。彼はあの森に帰る気など微塵もないのです。
凛は急激な喉の乾きを覚え、一生懸命喉を鳴らしました。何の効果もありませんでした。
ちらちらと目を刺す光は、衛兵が持った長い槍の先からだと理解すると、凛は喉どころか全身の水分がなくなってしまったように感じました。
衛兵の革靴がアスファルトと砂利をすり潰し、何やらこしょこしょと話しています。
流石に会話の内容までは分かりませんが、アリス、女王…と言った単語が凛の耳にこっそり忍び込みました。心臓が嫌な音を立て、凛の体温を奪います。決して穏やかな会話などではないと、凛は耳を塞ぎたくなりました。
じりじりと焦がす太陽はアスファルトに反射して、凛の背中に汗の軌道を作ります。暑いからではないと、はっきりと感じていました。
「凛、いいね。答えはNOだ」
「待って蓮、お願い、ねぇ、」
「行くんだ。きみは、元の世界に帰るんだよ」
アスファルトにしっかり根を張ってしまった凛の両足は、蓮に腰を抱かれてもビクともしません。
知らずに流れた涙に、蓮は眉を下げました。
「きみのためだ。凛、僕はきみに幸せになって欲しいんだよ。心の底から」
「蓮がいない世界になんの幸せがあるの?…ねえ森に帰ろう?」
「何言ってるの」
至って穏やかに言う蓮は、それでも目の奥に強い光を灯していました。
「凛のことが好きだから、言ってるんだよ」
ぐ、と唇を噛んだ凛は、頷くより他ありませんでした。
お日様に反射する綺麗な髪を風に遊ばせ、凛が一番好きな、穏やかで優しい笑みを浮かべるのです。
最後に見る蓮は、最後に蓮の目に映る自分は、せめて一番いい顔をしたかったのに。凛の幼く可愛らしい気持ちとは裏腹に、顔をくしゃくしゃにして泣きました。近くにいる衛兵に見つからないように嗚咽を堪え、息さえ止める苦しい泣き顔でした。
「また、会えるよ」
誓いみたいなキスは、誰にも見られずそっと始まり、そっと終わりを告げました。
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