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目にできる街の、見えない歴史。

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 染井の道がまだ水路だったころ、一度だけ水が出たと教えてくれた老齢の淑女がいた。
 オブラートの向こうから聞こえてくるような、浮世を離れたあの世の話を聞いているみたいだった。

 霜降・染井・西ヶ原と連なる商店街に寿司屋が軒を並べるほどに点在していたころ、この地は銀座ホステスの帰巣の土地だったと教えてくれた年配の紳士がいた。ホステスたちは客を誘い、タクシーで駆けつけた地元の寿司屋で値札のついていない寿司を食らう。大枚をはたいても身上を潰すことのない社用族が肩で風を切っていた、この商店街を支えた時代のうねり。
 湯屋に続く夜の誘い水、千と千尋の神隠しのあの坂に連なる歓楽の手招きを思い起こさずにはいられなかった。

目にできる街の、見えなくなってしまった歴史。

着物は着ないではないが、着る機会はめっきり減った。着物はノスタルジック。ノスタルジックに浸るには、浸るだけのゆとりが要る。
時代は今、そうしたゆとりを許してくれない。

なのに、霜降銀座に残る呉服店ときたら。
蝉が羽化でその爪を樹木に食い込ませるように、商店街にしっかり爪をたてている。

店頭の片隅、足元の目立たぬところに貼られた筆文字の「割烹着あります」「ふんどしあります」。
ご愛嬌かと思いきや、子どもの給食関連者に、祭りできりりと引き締める男集の股ぐらに、きっと今でも重宝されてる。

業態変化だけが生き残りの道ではない。求められている限り、未来に伸びる道がある。

書く手に力が入ったのか、一部震えて見える文字に見入っていたら、ふとそんなことを考えた。
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