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アンダー・スタンド。

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 人のかたくなさは弱さ。

 踏み入ってほしくないから、壁をつくる。
 だけど踏み入っても欲しいんだよね。

 だから最初の壁を超えればもろさむき出し。
 壁は、硬いだけ。切り崩せないではない。

 まるで猫みたい。さわってほしいのに逃げる、ようなもん。

 地方都市に往々にして観られる自然現象だ。
 都心に引け目を感じているのか、風説に耐え忍ぶ日々が1枚よけいに壁を作り上げてしまうのか。
 理由はわからんが、相対的にそうなってしまっている。

 それでも、「差」に精神が反発しているように思えてしまうのは、目の錯覚か。

 仮に劣等感らしきものがあるのなら、たとえ話だからそのつもりで聴いてほしいのだけれども、仮に見劣りしていると思っているのなら、「なにくそ」という反骨が目に見えて現れれば可愛げもあるのだが、そこは言わぬが美徳の日本人。思いは内側に向かい、溜まり、熱を持ち、膨張し、悶々とした思いが巨大化して壁になる。
 いずれ器を満たしその淵は堰を切り、体皮から滲み出てくる。
 陰湿な液体は臭覚で悟られるようになってくる。

「差」におもしろくない、を感じてしまうゆえん。


 そこで問題に焦点を合わせてみた。

 見劣りが居座る縦軸を優位側から見下ろせば、そりゃあ抑圧されてるって気にもなる。見上げれば「差」をつけた都会がある。マンホールがあれば物言わぬ不快感が下から蓋を閉めちまうところだ。

 つまりピントは優位と劣勢に合わせればいい。

 たとえ都会からのアプローチでも劣勢の下にまわりこめば、劣勢は「悪い気」はしない。平身低頭へいしんていとう、教えてください、知りませんでした、風下に立ちますから、それでもだめなら足元にひれ伏しますからなにとぞよろしく、と上目づかいに伺ってみる。
 するとたいがいは硬い壁がからからと音をたてて壊れていく。

 無力な迷い人は、ほどこしを受けなければ生きていけない。そうした流浪るろうの人に手を差し伸べるのは最初から目の下にいるからだ。
 そうした民と同等に立つ。
 下に立つ。アンダー・スタンド。

 下に立てば、受け入れてもらえる。
 下に立つは、アンダー・スタンド。

 地方に行くと硬い壁がある理由をこのようにして理解した。



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