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祈りを捧げる人たちの向かう先。

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 遠く離れたその街で鳴る鐘は、流麗ながら荘厳で上品とはいえなかった。報せることこそ目的とばかりに、着飾ることなく、また美声に仕上げることなく、ただガンガンとくたびれて頭がいびずになった木づちでバケツをたたいたみたいな音をたてた。
 鐘の音を合図に、夢にでも連れていかれるように人々は家を出て、教会に向かう。
 クリスマスのミサは毎年、このようにして執り行われる。

 夜もだいぶ更けてはいるが、クリスマスの夜は特別だ。子どもも病弱者も、ひとりで歩けない者は近隣の誰かに肩を借りて鐘の音を合図に家を出る。
 ひとグループは数人から多くても十数人で一個小隊をつくっていた。
 そのひとつの最後尾に私はついていくことにした。
 私があとを追うことにみなこだわるといった素振りは少しも見せななかった。誰も私のことな気にかけない。
 目には入ってはいるのだろうが、心配の種がそこから芽を出すことはないという確信が彼らにはあったからだ。今この街に生きている者たちは、その手足を蠢 うごめかせ始めたときより物騒な話はこれまでひとつも持ち上がることがなかったせいだ。これからも、という願いを込めたこれまでの実績が、不用意に人を無防備にさせていた。

 少し歩くと、指先に熱を帯びたみたいなむくみに似た疼きが走る。今日は少し雪の屋外を歩きすぎた。冬の大地に馴染まない靴が極寒を通り越し、神経を狂わせている。

 集まる教会は山の中腹の教会がひしめく一画にあった。小塔の赤い教会、アーチを4つ重ねた教会、瓦屋根に十字架を掲げる畳敷きの教会。ここではいくつもの信念と信条が交差している。だが、イブに集う教会はたったひとつと決まっていた。漆喰の壁にずんぐりとした緑の小塔、屋根の四隅に出窓ふうに宙に息を噴き出した造形物はお供のように小さな十字架の台座となっていた。

 人々は入り口の前でそれぞれグループの仲間を確かめてから中に入る。スペースが空くと次のグループがやってきて、仲間を確かめてから中に入る。さらに次の小隊がやってきて、を繰り返す。

 いったいどれだけの人が教会に入ることができるのだろう。見た目はちんまりした建物で、一家4人が住む住宅をひとまわりほど大きくした程度しかない。そこにすでに私が見ている限りで20組は入っていった。私がここにたどり着く前にもグループは到着していただろうし、中に入っていったはずだ。

 突然、教会から讃美歌が聞こえてきた。まだ祈りを捧げようとする人は教会のまわりにあふれている。人々も、祈りが始まったことを気にするようでもない。せくわけでもなく、同じように仲間を確かめてから中に入っていく。

 このようにしてこの街の人は、正確にはずんぐりとした緑の尖塔の信者はクリスマスのイブに消えていく。


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