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自分にしか見えない景色。

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 この街に越してきた日。
 陽が沈んでもキッチン用品を広げるに至らず、夕食の支度にまで手がまわらなかった。
 その日1日を乗り切るための活力を使い果たしたこともある。

 近隣に赤い提灯の灯るお店があって、お好み焼きと書いてあった。今はもうない、かつて商店街に華を添えていた下町小町。


 看板がなくなっても、ここだけは忘れることはできない。引越し先で初めて口にした夕食。たしかもも太郎という名だった。
 残されているのは、軒先に掲げられた地の黄色の板だけ。文字も絵も残されていない。流れた年月が風雨の筋を作り、涙の跡のようにこびりついているだけだ。

 誰が見上げても、そこには何もないと言うだろう。だけど僕が見上げれば、目にお好み焼きの文字が浮かんでくる。

「大学が移転する前はこのあたりも賑やかでね」と、何度目かの食事で、店主が店の隅々に刻まれていった華やかなりし頃の昔に目を這わせて話してくれたことがある。
 学生の懐事情を知った学生御用達の店は、学生たちの要望にも店の思惑にも関係のないところで店の支えとなる客筋を失くしていた。
 当時、かろうじて存続できていたのは、惰性と意地だっただろうか。

 何度か足を運んだけれども、焼け石に水。新参者たったひとりの胃袋は、多勢で無勢の学生の底なしとも思える食欲による経済循環に適うはずがなかった。店の経済は油の切れた歯車と化し、軋み音を悲鳴に、閉めた。

 店名は地の黄色の上に墨文字で書かれていた。その文字は、どこに消えた?
 地の黄色を見上げるとき、もも太郎をそこに見る人は、今どのくらいいるのだろう?

 記憶なんてものは、水面に揺らぐ自分の姿みたいなものでしかないことはわかっているのだけれども。
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